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梁惠王章句上



七(その三)



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抑王興甲兵、危士臣、搆怨於諸侯、然後快於心與、王曰、否、吾何快於是、將以求吾所大欲也、曰、王之所大欲、可得聞與、王笑而不言、曰、爲肥甘不足於口與、輕煖不足於體與、抑爲采色不足視於日與、聲音不足聽於耳與、便嬖不足使令於前與、王之諸臣、皆足以供之、而王豈爲是哉、曰、否、吾不爲是也、曰、然則王之所大欲可知已、欲辟土地、朝秦楚、莅中國、而撫四夷也、以若所爲、求若所欲、猶縁木而求魚也、王曰、若是其甚與、曰、殆有甚焉、縁木求魚、雖不得魚、無後災、以若所爲、求若所欲、盡心力而爲之、後必有災、曰、可得聞與、曰、鄒人與楚人戰、則王以爲孰勝、曰、楚人勝、曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊、海内之地、方千里者九、齊集有其一、以一服八、何以異於鄒敵楚哉、蓋亦反其本矣、今王發政施仁、使天下仕者、皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者、皆欲赴愬於王、其若是、孰能禦之、王曰、吾惛、不能進於是矣、願夫子輔吾志、明以教我、我雖不敏、請嘗試之、曰、無恒産而有恒心者、惟士爲能、若民、則無恒産、因無恒心、苟無恒心、放辟邪侈、無不爲已、及陷於罪、然後従而刑之、是罔民也、焉有仁人在位、罔民而可爲也、是故明君制民之産、必使仰足以事父母、俯足以畜妻子、樂歳終身飽、凶年免於死亡、然後驅而之善、故民之從之也輕、今也制民之産、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡、此惟救死而恐不贍、奚暇治禮義哉、王欲行之、則盍反其本矣、五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣、鷄豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣、百畝之田、勿奪其時、八口之家、可以無飢矣、謹庠序之教、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣、老者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者未之有也。

(孟子の言のつづき)「だいたい王は軍を進め、家臣を生死の危険にさらし、諸侯と怨恨を結んで、それでご自分の喜びとしているのですか。」
斉宣王「そんなことはない。そのことで私が喜んでいるわけがないでしょう。私は自分の大望を果たしたいがためなのです。」
孟子「では、王の大望をぜひお聞かせ願えないでしょうか。」
宣王は、笑って答えなかった。
孟子「もっと美味いものが欲しいからですか?もっといい衣装が欲しいからですか?もっと目の保養になるものをお望みですか?もっといい音楽が聴きたいからですか?それとももっと思いのままになる家臣が欲しいからですか?王の家臣たちなら、全てこれらのものを十分ご用立てなさるでしょう。つまり、王はこんなことのために戦争をなさっているはずがありません。」
斉宣王「おっしゃるとおり。そんなことのためのはずがない。」
孟子「ならば、王の大望は推測できます。国を拡張し、秦・楚を来朝させ、中国に君臨して四方の蛮族を平定なさりたいからでしょう。だがですな、今のようなやり方で、王の大望を果たそうとなさるのは、『猶(な)お木に縁(よ)りて魚を求むがごとし』(まるで木のそばに立って魚を捕らえようとするようなもの)です。」
斉宣王「そんなに無理なことをしていると言われるか?」
孟子「いや、実際に木のそばで魚を捕えようとするより、もっと無理なことをしておられると言わざるをえません。木のそばで魚を捕らえられなくても、実害はありません。だが、王の大望ために戦争を繰り返すならば、心と力を尽して頑張ったのに、結局人民と諸侯の恨みが残るだけです。」
斉宣王「もっと詳しく聞かせてください。」
孟子「弱小の鄒と大国の楚、いざ戦えばどちらが勝つとお思いですか。」
斉宣王「楚でしょうなあ。」
孟子「ならば、小国は大国に勝つことは到底できず、少数は多数に勝つことは到底できないということですね。この大陸には、領域が千里四方ある国が、合わせて九つ(斉、魏、趙、韓、秦、燕、楚、宋に、中山だろうか)。斉はその一つにすぎません。一で残りの八を征服しようとするのは、鄒が楚に勝てないのと異らないではありませんか。政治の根本にお帰りなさい。今、王が政治を大いに行って仁の道を施されるならば、天下で仕官する者はみな王の足下に馳せ参じることを願い、耕作する者はみな王の土地で耕作することを願い、商人はみな王の市場で店を開くことを願い、旅行者はみな王の道路を利用することを願い、そして天下で己の君主を憎む者はみな王に訴えることを願うようになるです。そうなったならば、誰が王の進む道を止めることができましょうか。」
斉宣王「私は愚か者なのでどうすればよいかわかりません。先生、どうか私の志を助け、その仁の道というのをもっとはっきり教えてください。私、不肖ながらもなんとかやってみたいと思います。」
孟子「安定した収入がなくても安定した心を持てる、そんなことができるのは「士」(統治者階級)だけです。人民は安定した収入なしではとても安定した心を持つことができません。安定した心がなければ、やりたい放題やるわ、逆恨みするわ、悪心を起こすわ、無計画に浪費するわ、なんでもやります。犯罪をする要因を知っていながら、犯罪を成した後に処罰するなどというのは、人民をないがしろにした政治です。仁の道をとる人が君主であるならば、どうして人民をないがしろにして国を治めることができましょうか。だから、いにしえの明君が人民の生活に対して行った政策というのは、まず父母への孝行と妻子の養育が十分できるようにさせ、豊作年には常に満ち飽きて楽しみ、凶作年でも餓死したりしないように取り計らった上で、人民を善事に駆り立てたのです。だから人民はやすやすと君主のいいつけに従いました。ところが、今の君主が人民の生活に対して行う政策はその全く逆で、父母への孝行と妻子の養育も十分にできないほど収奪し、豊作年でも常に苦しみ、凶作年には餓死するより他はない。これでは人民は何とか死なないようにするのが精いっぱいです。礼儀を身に付けることなどできるわけありません。王よ、仁の道を取りたいのならば、政治の根本にお帰りなさい。具体的に申せば、
  • 一家族につき宅地を五畝(9.1アール)。そこに桑の木を植えさせれば、五十の年寄りが絹を着ることができます。

  • 鷄 ・豚・犬の飼育をむやみに屠殺せず計画的に繁殖させれば、七十の年寄りが肉を食べることができます。

  • 一家族につき農地を百畝(1.82ヘクタール)。農繁期をじゃましないようにすれば、一家族八人ぐらいなら餓えることはありません。

  • 道徳学校の教育を徹底させ、親への孝行(孝)と目上の親族への崇敬(悌)の秩序を教え込ませれば、白髪の老人が道路で重荷を背負って苦しむような光景はなくなります。

こうして、老人は絹の服を着て肉を食い、人民は餓えも凍えもしなくなります。ここまでして王にならない者は、未だかってありませんでした。」

★故事成句★
「木に縁(よ)りて魚を求む」(やり方をまちがえている)
「恒産なき者は恒心なし」(収入の道が安定していないと心も安定しない)

仁の道のはじまりとしての情けの心から始めて君主が政治をする際にあるべき心がけに進んだ後、最後に孟子の具体的な政策提言を示してこの章は終わる。こうして孟子の統治イデオロギーは一貫するのである。

最後でまた前と同じ土地改革法が出てくる。繰り返すが王に対して思想を売り込んでいる以上は、政治思想でないといけない。だから、仁義の道を行うためにはこのような具体的な政策も併せて提言する必要があったのである。だからマルクシズムを具体化するためにコルホーズや人民公社を作ったようなものである。そのシステムにはまちがいなく思想の影が落ちているものの、システムそのものの有効性うんぬんはここで検討する気にはならない。ただ、このシステムは孝悌の義、つまり「目上の人はえらい」の心を全人民が育成せんがためのものであり、君主が国「家」の長として人民に情愛の配慮を示し、その中の小単位である各世帯もまたそれぞれの家族に情愛の配慮を示すという入れ子構造を想定していること、これだけを掴んでおけばよい。だから君主は頂点にあるが儒教道徳組織の一ユニットとして、システムに絡め取られた部品である。

孟子は宣王に「武力では天下統一はできない。だから仁の道で統一せよ。」と説く。こうして覇業にはやる王を説得しようとした。だが、別に武力そのものを全否定しているわけではない。他の章句で、同じ宣王が隣国の燕を不義として討つ名目で燕を征服したとき、孟子は王に「燕の民が喜ぶようならば、併合するべきです」と進言している(梁恵王章句下、十)。このように、軍事行動に倫理的理由、つまり大義名分をつけようとする。孟子の主張から言えば、そうせざるをえない。
悪いのは敵国の君主や一部の悪臣であり、民衆は犠牲者であるから解放するという名目は現代になっても繰り返し用いられていることは、誰もがこの数年間目の当たりにしていることだ。そういった「倫理的戦争」においては人民の犠牲者はできる限りあってはならないとされる。孟子は、それどころか敵兵すら正義の前には武器を捨てて降伏すると言うだろう。恐ろしく楽観的な主張である。つまり、

― 仁者無敵(仁者は敵なし)。

という信念に忠実であった。正義は一つであって、完全に仁義の道を心得た聖人は地上の正義そのものなのだ。ゆえに聖人に対立しうる者などありえるはずがなく、聖人が進んでいっただけで敵軍も人民もおのずからひれ伏すのだ、と考えていた。そしてそのような聖人は昔も現れたし、今も現れる可能性があると本気で考えていた。

そんなアホな、とつっこみを入れたいが、古代ユダヤ教のメシア願望も似たようなものだ。だが、ユダヤ教のメシアと孟子の聖人が違うのは、メシアは天の父が突然地上にお遣わしになる超人だが、聖人は人間の理想を完成させていったその究極にあるすぐれて地上的な存在である点だ。聖人は人間存在の美点を究極にまで高めた者であるがただの人間で、親もいれば子孫も後世に続いていく。そして聖人に至るためには神の恩寵などが素質として必要でなく、ひたすら親孝行に励み人民を慈しみ、自己修練をするのみなのである。そういえば舜も文王もたいへん長生きで、人の下で長々と苦労してやっと頂点に立った(文王は子の武王の代だ)。イエスのように三十代でもう「私は神だ」などと宣言したりするのとずいぶん違う。孟子や先輩の孔子が各国の君主にノコノコ会いに行ったのは、聖人になれる素質は本来誰にでも埋め込まれているはずのものなのだから、きっとそろそろこの乱世を治める王が登場するはずで、自分がその補佐役になろうと意気込んでのことだ。結局孔子・孟子ともども失望してこの世を去ったのであるが。

このように、孟子は人間存在を本来的には完全なものと考えていた。聖人は人間の可能性を全開させた完全な人間なので、善良な人間とは誰とでもわかりあえることができるし、誰とでも共に楽しめる。邪な心を持った人間は聖人を直視できずに目はくらみ、言葉も出せずに舌はひきつり、たちまちに成敗されて人民は喜ぶ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの一神教から見れば傲慢極まる人間理解である。だが笑うことはできない。われわれもひそかにこんな人物がいてほしいと思ってはいないか。そして歴史上の人物とか時々のスターにこのような特性を求め続けてはいないだろうか。そしてそれが一神教徒のいう、神ならざるものに神の特性を求める「偶像崇拝」ではないのか。

別の見方をすれば、人間存在が不完全であり、人間の中の人間である聖人すら不完全であるならば、誰が理想の社会をこの世に作ってくれるのか。天は何も語らず、ただただ人の行いを通じて正義があるだけなのだ。その人が完全になる可能性がなくて、どこに完全なものがあるのか?「人間存在には限界があるのかもしれない」というのが神を見出そうとする第一歩だろうが、孟子の儒教はそういった安易な道を峻拒して、「過去だって聖人が出て何度も天下の危機を克服したではないか。だからこれからも聖人が出るのであって、人間に克服できないことなど何もないはずだ」と考える。孟子は人間に対して厳しく(人間は誰でも仁義礼智の根本善を持っているはずだから、それを完全なものにするよう努力しなければならない)、かつ甘い(人間は完全になりうるので、完全な人間は絶対正義である)。一神教はその逆コースで人間に甘く(人間は等しく神の被造物だから、どんな人間だって無価値なわけがない)かつ厳しい(どんなに偉くても成功していてもしょせんは神の被造物であり、決して奢ってはならない)。



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