本章は慣例として一章にまとめられているが、前半と後半で萬章の質問内容が分かれているので二章分の内容があると考えた方がよいのかもしれない。
前半は、離婁章句上、二十六の主張の再現である。今度は子の舜だけでなく舅(しゅうと)に当たる尭帝すらも父母に告げずに嫁を取る行為に賛成していたと解釈される。家族を構えて家系を続けていくという人の大倫のほうが、父母を喜ばせるという孝行の倫理よりも優先されるという主張である。
吉田松蔭は、本章などにおける孟子の上のような解釈を徹底批判している。いわく、
跡継ぎのないのは大不孝であるが、父母の意に背く者もまた孝といえない。さらに言えば舜がこのことをなしたとき、父母の方が正しいと考えていたのか、それとも自分の方が正しいと考えていたのか?もし父母が正しくて自分はまちがっていると考えていたのならば、自分がまちがっていると思うことで父母に背くとは不孝もはなはだしい。一方父母がまちがっていて自分が正しいと考えていたのならば、これもまた孝子の心ではない。「天下にまちがっている父母はいない」と言われるように、人の子の心としてはこれぽっちも父母をまちがっているなどと思わないこと、これこそが孝と言うべきだ。ならばもし舜が孝子ならば、決して父母をまちがっているなどと思わない。もしそれをしたならば、すなわち舜は孝子でない。朱子の注に范祖禹(はんそう。北宋の官僚。『資治通鑑』の編纂にも関わる)の言葉として、「もし父が瞽ソウでなく子が大舜でなく、しかも告げずに嫁を取ったならば、それは天下の罪人である」とあるが、しからば聖人の行いは凡人の模範とならないのか?もっと言えば自分を舜と思って父親を瞽ソウと思うようなものは、天下の妄人である。范氏の説は、いたずらに無用のことを言って後世を惑わせるものだ。
(『講孟箚記』より)
松蔭は、朱子など中国の学者たちが孟子の説を絶対無謬だと重んじて誤りを犯していると批判する。そしてこの件について松蔭は孟子の主張を取らないのである。孟子じしんが滕文公章句下、三で「父母の承諾なく、媒酌人の言葉もないうちから、塀に穴を空けて互いに相見えたり垣根を越えて互いに逢い引きする」ことを非難したことと矛盾するではないか、と指摘する。したがって松蔭は、たとえ聖人であろうとも舜の嫁取り説話については模範とするに足りないと結論するのである。弟の象に子があれば家系は絶えないはずだ、とも指摘している。
この辺は日本社会と中国社会の、いやむしろ、いにしえの社会と孟子の時代との感覚の差なのであろう。いにしえの時代は戦国時代よりもずっと祖先の霊のたたりを恐れた。家系が絶えるということは先祖から受けつがれてきた一つの伝統が途絶えることだから、伝統社会に住んでいた人々の恐れは巨大なものであったはずだ。舜の嫁取り説話は、いにしえの時代の鬼神祖霊を畏れる社会においてはやむをえないと認められたものだったのではないだろうか。それをずっと人心が開けた戦国時代の孟子が読み解くから、松蔭にツッコまれるように「自分が大倫の道を通っている信念があれば、親の意思を踏みにじるのも致し方ない」という解釈になってしまった。親を愛して親の意思を尊重する孝行は、生きた他人に配慮する仁の心から来る倫理であろう。一方、家系を後世に伝えることは、家族社会を維持していくという義や礼の精神から来る倫理といえるだろうか。両者が衝突したときにどう判断すべきかという問題は、後世の儒教においてもきれいに解決できなかったようだ。
本章後半は、前章や離婁章句上、二十八で検討したことの続きである。萬章が疑問に思ったことはおそらく、「舜は弟の象の殺意にも気付かないほど不智なのだろうか?それとももし先生がおっしゃるとおり気付きながらも弟と共に喜んだのならば、それは偽って喜ぶふりをする偽善者の態度ではないのか?『舜は心の中の仁義に従って行動した』(離婁章句下、二十)と言うのに、内心とうわべを使い分けることを聖人はするのか?」というものであろう。
それに対する孟子の回答は、わかったようでわからない。「正しい道を信じていたから、弟がそれに合った言葉を言ったので素直に喜んだのは心に偽っていない」と言う。しかし萬章の疑問は舜が感情として素直に喜んでいないのでないかというものであった。両者はどうも噛みあっていないように感じる。孟子は暗黙のうちに、心の中の感情を抽象的な正しい道に従ってコントロールすることが聖人賢者の道であると考えているようだ。それでは後の章で孟子に批判される告子や、後の世代の荀子と同じことを想定しているに等しい。つまり萬章が直感的におかしいと思ったように、聖人賢者の行為はナマの感情を理性で正しい道へと自制したところに成り立っているのである。その自制が心の中の要求から発したのか、それとも外から学習したのかについては、もはや水掛け論に過ぎない。不毛な議論なのであまり検討したくない。
それゆえ孟子の回答じたいは置いといて、本章で言われる「君子たるものは言葉で事実をだますことはできても、彼の進む正道を非道で曲げることはできないのだ」(君子ハ其ノ方ヲ以テ欺クベキモ、其ノ道ニ有ラザルヲ以テ罔(し)ウルハ難シ)について考えてみたい。その例として舜と共に鄭の名宰相、子産が引き合いに出されている。しかしながら、舜が弟に(あえて?)だまされたことと、子産が郊人にだまされたことの間には関係した他人へのスタンスに違いがあるのではないかと思うのである。私なりに少し読み解いてみよう。
儒教倫理にとって親兄弟は最も近しい他人だから、「他人に配慮する」心のいちばんのとっかかりとなる。赤の他人ならば金輪際縁を切ることもできようが、家族との縁は切ることができないし、切ることは許されない。ならば、これからも付き合っていく長期的な人間関係とならざるをえない以上、少々の不満や対立は乗り越えていかなければならない。舜が父母や弟を許す理由の一つは、長期的な人間関係を展望しているところに求められるのではないだろうか。だから、有体に言えば弟がいちいち発言する内容などは舜にとって大して重要でない。殊勝なことを言う姿勢の積み重ねが大事であって、いちいち細かく詮索することは利益にならないのである。次の章で孟子は舜と象との関係について、「仁の人は弟に接する際には、怒るときには隠さずに怒り、恨みは後に残さず、ただただ親しんで愛する」と言っている。これはまさに長期的に教化していこうという姿勢を示しているのではないだろうか。舜は長期的な付き合いとなる家族への対応はかくあるべしと見切った上での対応だったと解釈してみたい。
一方、子産は国のトップにある宰相である。子産をだましたのは、大して重要でない下っ端の役人である。子産が本当にだまされていたのか、うすうす気付きながら小事にすぎないとして見逃したのかはよくわからない。しかし国のトップにある人物は不特定多数の人間たちとあっちこっちで関わらざるを得ない存在である。宰相なのだから国の内外から注目を一身に集めて、いろんな方面から陳情なり苦情なり「耳寄りな話」なりが持ちかけられて引きも切らないことだろう。彼らとの関係は、親兄弟との長期的な関係とは対照的に大抵がその場限りの関係で終わる。そういった状況の中で彼らに対応するためには、やはり細かいことはいちいち気にせず自分の中にしっかりとした基準を揺るがず持つことが最適なのではないだろうか。日々あまりにも多くのことが周囲で起るから、ひとつひとつに気を取られることは賢明ではない。子産のエピソードは、瑣末なことでだまされてもいいから政治の大筋を変えずに進もうと見切った上での対応であったと解釈してみたい。つまり舜と子産の両者は図らずも他人の細かい悪さを気にしなかった点で一致しているが、相手となる他人に期待する関係の深さは全く違うのである。賢者である両者が近くて長いつきあいの他人と遠くて短いつきあいの他人との対応を計算して出した行動であったと考えてみるのはどうだろうか。舜も子産も儒教の教義どおりの道に従って他人と付き合い、しかもそれは最も効果的で効率的な道であった。
古代中国のように家族制度が厳格に守らなければならないものとして存在している社会ならば、身近な他人と疎遠な他人との対応の仕方も比較的計算しやすいだろう。そこでは家族の愚行を温かく飲み込むことが最も賢明な行為となるし、疎遠な他人にはもとより距離を持つから自分の正しい道に照らして処理していけばよい。「君子は一般の人民について、これを仁の心で接するけれども家族兄弟として親しむわけではない」(盡心章句上、四十五)という見切りを取るのはそう難しくないだろう。しかし現代社会ではばらばらの「個」が戦国時代などと比較にならず成立している。家族と一般人との親疎の差は、古代社会よりずっと近いものに感じられているはずだ。そういった社会では、誰と長期的な関係に立つべきかを判断することが、人によってかなりあいまいとなってしまうに違いない。そもそもが他人である友人を、そんなにたくさん「親友」と思って漫然とつきあってよいのか?赤の他人である会社の上司同僚の言葉をそんなに信頼してよいのか?テレビでしか見たことがない人物の言っていることを、そんなに簡単に信じてよいのか?、、、、凡人でなくともこの辺があやふやになってくるのが、現代社会なのだ。
(2006.01.24)