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盡心章句上



二十三




孟子曰、易其田疇、薄其税斂、民可使富也、食之以時、用之以禮、財不可勝用也、民非水火不生活、昏暮叩人之門戸求水火、無弗與者、至足矣、聖人治天下、使有菽粟如水火、菽粟如水火、而民焉有不仁者乎。

孟子は言う。
「田畑の耕作をよく行なわせ、税を薄くすれば、人民を富ませることができるのである。消費については計画的に、礼に従って奢侈に流れないように行なわせれば、財貨は使い切れないほどに有り余らせることができるのである。人民は水と火がなければ当然生きていくことができない。しかし日暮れになって誰かが門を叩いて水や火を貸してくれと頼んだならば、それに与えない者はいないだろう。それは、水と火が十分に足りているからだ。そして聖人が天下を治めたあかつきには、豆や穀物までもが水や火のように有り余るようになるのだ。いったん豆や穀物が水や火のように有り余るようになれば、どうして人民の中から不仁者などが出てくるであろうか?」

前章から続く、仁政のヴィジョンである。しかし豆や穀物が水火のごとくある社会とは、自由競争によって需要に応じた供給が豊富にされているのだろうか、それとも計画統制によって国家が定めた「必需品」だけは豊富に支給されているのであろうか?後者は恒久的に貧しい社会ならば、あるいは仁政ともいえるかもしれない。しかし一歩進んで前者を目指すならば、人民が勤労によって十分の所得を得られるだけの高い生産性を社会が達成しなければならない。そのためには商工業を優先して成長させなければならないし、農村の遅れた部門よりも都市の先進的な部門に重点的に資源を回さなくてはならない。そのために一時的に農村は置いてけぼりになる。そういった長い目での仁政を、貧しい社会の人民は納得して耐えてくれるだろうか?毛沢東が試みて大失敗したように、社会の生産性の伸びは政府の人為的な操作で大きく伸びることはないのである。それは、人民の平均的な技術や知識の水準に依存する。だから学校及び職場における教育と、社会の随所に蓄積されるノウハウと、そして人間の行動様式が商品経済というものに対して順応していく変化が積み上がって成長していくわけで、それは大変長い時間がかかる。徳川時代後記の日本は清朝や李氏朝鮮を大きく引き離す程に濃密な商業経済を発達させ、大坂の繁栄は朝鮮通信使を仰天させたほどであった。識字率も高く都市では多数の出版物が発行され、農村にも多くの篤農家がいて知識水準は高かった。そのような段階にあった日本社会ですら、西洋の生産技術を学び取って生活水準が欧米並みに追いついたのは、明治維新から百年もかかったのである。この二十一世紀初頭の現状で貧しい社会に対して、政府が目に見える豊かさを彼らの世代の生きているうちに保障することは、おそらく歴史的法則としてできないのだ。それを耐えさせるのが国家装置なのであるが、その事業は容易でない上に、人民の不満のはけ口を外部に求める危険をも伴っている。国家というものは、まことに度し難い共同体である。


(2006.03.17)



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