孟子は斉に長らく滞在したが、ついにあきらめて去ることにした。斉は首都に「稷下(しょくか)の学士」という学者の大サロンを形成させていた。孟子もその一人だったのである。その目的はおそらく、成り上がりの王家ゆえに最先端の学問を集めてそこに権力の正当性を求めたところにあったに違いない。アメリカやかつてのソ連のように、過去に頼れないから未来志向となるのである。だが結局斉は、その同族会社的構造を改革するところまでいかなかった。言葉だけ最先端で人はそのまま、八十年代のどこかの国と同じである。
孟子は儒家の泰斗であり有名人なので斉にいるだけで宣伝になるし、去ったとなれば斉の評判にとってマイナスである。そういう考えからであろう、斉の宣王が孟子を引きとめようとしたのは。おそらく孟子の思いと斉宣王の孟子に対する評価とは、大きく食い違っていたのではないだろうか。
それはともかく、進言が容れられなければ去る、富貴は誰でも望むことだが、己の理想を汚してまで得られる富貴など目もくれないという孟子の進退は、これまで主張してきた原理そのままである。もちろん自分が飢え死にしたら話にならないし、家族や自分を慕う弟子たちを食わせるために最低限の譲歩はしなくてはならないだろう。だが、その必要もないのに富貴をむさぼるのは、壟断と言うものである。進退は己の正しさを基準としなければならない(告子章句下、十四も参照)。
権力欲と致富欲は無限のものであり、無限だから人はそれに強く惹きつけられる。それを断ってなおかつ自分の心を満足させるにはどうすればよいか?それが古今東西の宗教の課題なのだろう。キリスト教のように神の無限の世界に参入することをあこがれるのか、孟子の儒教のように心の中に「天爵」を見出して世界への無限の善行の決意で心を満たすのか。世俗と宗教の戦いは、きっと一つの無限と別の無限の競争なのであろう。時代により優勢劣勢はあるが、どちらとも完全勝利はしないだろうし、そしてどちらとも決して滅びはしないものなのだろう。
さて、本章では「壟断」の原義となる説話が置かれている。「いやしい男」(原文「賤丈夫」)の行動は、資本主義の原理である。資本主義というものが結局は現状の市場状態を出し抜く行動原理であることは、マルクス K. Marx やシュンペーター J. A. Schumpeter といった経済学者が明快に指摘している。これまで知られていなかった新しいやり方を市場に投入したものは、独占的利益を得られる。しかしその新しいやり方の秘密はすぐに他人に知れ渡るから、他の者が模倣することによって独占的利益はなくなる。するとまた別の者が新しいやり方を投入して、、、といった無限のプロセスである。孟子の言う「いやしい男」は市場間のさや取りをしているわけで、いちばん古典的な資本主義である。それは古代人にとって、丘の下のまじめな人たちを出し抜く賤しい行為と映る。古代人の商業蔑視観はこのあたりから出ているのである。だからお上は社会通念に従ってこのような商人に課税してしぼり上げても構わない、という発想となる。中国はずっとこれでやってきた。今でも消えているかどうかあやしい。そしてなぜそんなにも商業蔑視観が長生きしてきたかといえば、人の素朴な公正観に根ざしているからなのである。つまり本来的に現状を出し抜く運動である資本主義が正義であるとみなされるのは、人々にかなり特殊な社会観が必要であることになる。
ケインズ J. M. Keynes は、著作『自由放任の終焉』 The End of Laissez-Faire でこう書く。
われわれが、便宜上、個人主義と自由放任という表現で一括している、社会全体の意志に関する考え方は、さまざまな思想の流れと感情の泉から生命の泉を摂取してきた。百年以上の長い期間にわたって、わが国の哲学者たちがわれわれの上に君臨してきたのは、彼らが奇跡的にもこの考え方にほぼ全員同意するか、あるいはそれに同意しているように振舞ったからにほかならない。(そのため、)もはやわれわれが、曲が新しく変わっても、それに合わせて踊ろうとさえしなくなった。
(宮崎義一訳。太字は引用元の訳でも同様)
ロック、ヒュ−ムらの個人の権利を至上とする保守的個人主義とベンサムらの社会の最大幸福の追求を至上とする功利主義的社会主義とを同時に解決する最適な解が、イギリスでは自由放任主義 Laissez-Faire に見出された。その理論的裏づけは、アダム・スミスに始まる経済学者たちによって提出された。だが彼らのような社会思想家や経済学者だけが個人主義と自由放任主義を支持したのではない。それはダーウィンの学説にも整合していたし、神学者によっても支持されたし、大司教の教訓書によってすら説かれ、そしてもちろん実業家たちの実感にぴたりと合致していた。だからイギリスでは個人主義と自由放任主義がほとんど伝統のようになったのである。しかしながら自由放任主義は、個人主義の淵源であるプロテスタンティズム発祥の地である大陸ヨーロッパですら主流とならなかった。それはかなりアングロサクソン圏に特殊な社会通念であった(「自由放任主義」 Laissez-Faire という用語はフランス発祥なのであるが)。日本資本主義のつらいところは、社会に個が成立して資本主義が成立する条件が十分成熟していながら、イギリスのような個人主義を道徳的教義にまでしてしまったような社会通念が欠けていることであろう。だから成金が出ると道徳が混乱する。成金は資本主義の運動につきものの現象なのであるが。
ケインズの師のマーシャル A. Marshall は、実業家たちが個人主義者でありかつ勇敢な産業の指導者としてふるまう「経済騎士道」 Economic Chivalry の体現者である(べきだ)という展望を説いた。結局資本主義を認めながら社会道徳を守ろうとすると、このような結論となるのであろう。だが弟子のケインズは、このような実業家像を「色あせた偶像」として二十世紀の時代において懐疑的な展望を持っていたのだった。だから、「自由放任の終焉」なのである。二十世紀は国家と個人の中間にある「半自治的組織」 semiautonomous bodies が社会の主要な担い手となる時代である。それは企業が大規模な株式会社となるにつれて、伝統的な株主への責任を越えて雇用、マクロ経済政策のような社会的な責任感に目覚めていくことに表れる。企業は一定程度社会化されるのである。社会化とはすなわち大衆化である。「自由放任の終焉」は、「保守的個人主義の終焉」でもあった。国家は資本主義の新局面に対応して、通貨政策、雇用政策、さらには人口政策や教育政策に踏み出していかなくてはならない、、、
では二十一世紀の現代は?再び自由放任主義の勝利の時代が、こんどは世界レベルでついにやってきたのか?これからは世界を又に掛ける個人主義的英雄の独壇場がやって来るのか?― いやいや、人間の集合的な考えはそんなに簡単に変わらないはずだ。結果的に二十世紀の積み上げが崩れるとしても、それはきっと新時代の積極的な大義が作りあげられるプロセスを経るはずだ。それは長い時間がかかるだろう。資本主義と社会道徳が今後の人類にとってどのように折り合いを付けるのか、それを見通すのは相当な智慧が要るだろう。今の私にはちょっと無理だ。
(2005.11.15)