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盡心章句上



十一



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孟子曰、附之以韓魏之家、如其自視欿然、則過人遠矣。

孟子は言う。
「韓氏や魏氏の巨大な富を与えられても、自らについてまだ満足しないようであるならば、それは並みの人間を遠く越えた人物ではないか。」

春秋時代の斉や魯と同様に、晋もまたその下の大貴族が強大となって主君の権勢をないがしろにするようになった。孔子の時代にはすでに六卿と呼ばれた趙・魏・韓・范・中行・知の六氏が強大となっていた。そのうち范氏と中行氏が先に失脚し、残った四氏の中で最も強大であった知氏を趙・魏・韓が滅ぼして領地を分割した。戦国時代の三国は、残った三氏の領地を基盤にして成立したものである。魏は洛陽近辺から現代の開封に至る最も人口稠密な地域を抑え、孟子と問答した梁の恵王は歴史書を編纂して暦を改変し、新時代の王たることを宣言しようとしたまでであった。韓は先進地域の鄭の旧領を併せて、法家的政治を先んじて採用して一時威勢を張った。趙は他の二国に比べて辺境に位置していたが戦国後期になって強大となり、孟子死後の紀元前三世紀には秦以外の六国の中で最強となった。その趙が長平の戦い(BC260?)で秦に惨敗したとき、戦国時代の勝負は決まったのである。

本章は、そのような王室の富を与えられても、自らについてまだ満足しない心のことを称える。それはすなわち、富貴に心が囚われていないということであって、二章前で言われた「徳を尊んで義を楽しむ心」の持ち主であろう。これもセネカらストア派哲学が強く主張する、よき魂のあり方そのものである。

先行する『論語』には、孔子と子貢(しこう)との以下のような問答がある。すなわち、

子貢曰、貧而無諂、富而無驕、如何、子曰、可也、未若貧而樂道、富而好礼者也。

子貢が質問した、「貧しくても人にへつらうことなく、富んでいても人に奢らない。このようであればどうですか?」
孔子は言った、「悪くない。しかし、貧しくて道を楽しみ、富んで礼を好む者の方が上だ。」(學而篇)

外物である貧富に心を支配されず、むしろ自らの状況に応じて自分の徳を最も高めることを目指す生き方が最高であると説かれる。これらのような孔子や孟子の主張が、日本において徳川時代から明治時代にかけて市民階級に多くの読者を得たゆえんなのである。


(2006.03.13)



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