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離婁章句下



二十八




公行子有子之喪、右師往弔、入門、有進而與右師言者、有就右師之位而與右師言者、孟子不與右師言、右師不悦曰、諸君子皆與驩言、孟子獨不與驩言、是簡驩也、孟子聞之言、禮朝廷不歴位而相與言、不踰階相揖也、我欲行禮、子敖以我爲簡、不亦異乎。

公行子(こうこうし。斉の大夫)が息子の喪に入った。右師(大臣)の王驩(おうかん。本章句上二十四二十五他を参照)が赴いて弔問した。王驩が門をくぐるや、各人は彼に近づいて言葉を交わしたり、彼が着席したら隣に寄ってきていろいろ私語をしたりした。だが孟子は王驩に一言も声をかけなかった。それを見た王驩は機嫌を悪くして、言った。
王驩「ご臨席の君子(この場合、元の意味の貴族たちという意味)の方々は、みなこの驩にひとこと挨拶しておる。孟子よ、貴公は私に何もあいさつもなしか。この驩をあなどるか?」
孟子「礼に言う、『朝廷においては、席を隔てた者と会話せず。階段を隔てた者と会釈の礼を交わさず』と。余は、その礼に従っているまでのことだ。(貴公と余は所定の席が離れているではないか。)なのに子敖(王驩のあざな)どのは、余をあなどっているという。そんなおかしなことがあろうか?」

上の訳で、「階段を隔てた者と会釈の礼を交わさず」の箇所での「階段」(階)を朱子は「官位」と解釈して、「官位の異なる者と会釈の礼を交わさず」という意味に取っているという。上の訳は中井履軒などの説を取った小林勝人氏の解釈。

本章における孟子の真意はどこにあるのかについて、朱子は君命による喪だから朝廷に準ずる席次があったと解釈し、一方小林氏はやはり中井履軒の説に従って、孟子が各貴族参列の厳粛たるべき葬儀だから、あえて朝廷の礼になぞらえたのだと解釈しておられる。孟子は礼の専門家でアドバイザーだから、小林氏の解釈の方がリアリティーがありそうだ。葬儀の席で王驩のような態度を取るのは、いくら礼のすたれた現代日本でもマナー違反であろう。おそらく王驩たちは、弔問外交という言葉があるようにお歴々が集合したこの機会を狙っていろいろ談合をやろうと考えたに違いないが、、、この辺に人間の行動様式が露骨なものに変質してしまった戦国時代の見も蓋もない世相が表れている。



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