伊藤仁斎:大学は孔氏の遺書に非ざるの弁(3)

投稿者: | 2017年8月23日
出典:岩波書店『日本思想大系33』昭和46年から漢文原文を取り、同書を参考にしながら読み下しを作成した。『日本思想大系』は、底本を宝永二年刊本『語孟字義』に拠っている。参考とした前書の漢文原文が新字体に変えられているので、下の読み下しもまた新字体で行う。
《現代語訳》
また『大学』には、「身を修むることは其の心を正しゅうするに在りとは、身(むくろ)忿懥(ふんち)する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。恐懼する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。好楽する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。憂患する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず」とある(伝七章)(注1)。だがそもそも「心を存す」(注2)る道は、忿懥(怒ること)・恐懼(恐れること)・好楽(好いて楽しむこと)・憂患(憂い悩むこと)することを無くすこと以上に重要なものはない、というのであろうか?『書経』には、「礼をもって心を制す」(仲虺之誥篇)とある(注3)。『孟子』には、「君子は仁をもって心を存し、礼をもって心を存す」(離婁章句下)とあり、また「仁に心を住まわせて義に心を拠らせる。大人(たいじん)のなすことは、これで十分である」(盡心章句上)とある。なのに『大学』はこれらのことを重要とせずに、とにかく忿懥・恐懼・好楽・憂患しないことだけを求めるのは、どうしたことであろうか。そもそもこの四つのことは、すべて「心の用」(心の本体から出た作用)である(注4)。およそ人たるもの、人の形をしている限りは心がある。心がある限りは、すなわち忿懥・恐懼・好楽・憂患がないわけにはいかない。だがいやしくもそれらを仁をもって心を存し、礼をもって心を存するならば、忿懥・恐懼・好楽・憂患といえども仁・礼の発現であり、天下の達道(注5)というべきであろう。何の悪いことがあるだろうか?『大学』はまさしくこのことが理解できておらず、とにかく忿懥・恐懼・好楽・憂患しないことだけを求めるのだ。これすなわち、孔孟の血脈を理解していないがゆえのことである。

また『大学』には「心在らざれば、視れども見えず、聴けども聞えず、食えども其の味を知らず」とある(伝七章)。これこそ道を害すること最もはなはだしいと言うべきである。この言葉たるや、ただに孔孟の血脈を理解していないだけにとどまらず、おそらく孔子を信じずに、自分勝手な我流の学をもって世間に吹聴しようと望んでいるものである。『論語』には、「先生(孔子)は、斉におられたとき韶(しょう。舜の音楽)を聞かれた。それから三カ月、熱中して肉の味すらわからなかった」(述而篇)とある。また「(私は)発憤して、食事も忘れる人だ」(同篇)とある。また「顔淵(注6)が死んだ。先生は彼のために哭(こく)の礼を行い、慟(どう。大泣き)してしまった。従う者が『先生でも慟されるのですか!?』と聞いた。先生は、『彼が死んだのだ。そのために慟せずして、誰のために慟するというのか!』と言われた」(先進篇)とある(注7)。もし『大学』の見地からこれらのことを見るならば、すなわち孔子もまた放心を免れなかったというべきであろう。『大学』を書いた者は、孔子への理解が疎漏だったからあのように書いてしまったわけではない。また、本当は真意があって孔子の言葉と相通じる意味が隠されているわけでもない。むしろその学はもとより仁義の良さを見ずに、心を力づくで制御しようと望んでいるのである。これは、思うに告子(注8)の流儀である。

また『大学』にある「正心(心を正す)」(伝七章)の二字は、『孟子』にも見える。しかしながら、これについても論じるべき点がある。『孟子』には、「私もまた人心を正し、邪説を滅ぼし、かたよった言葉やむちゃくちゃな放言を斥け、禹・周公・孔子の三聖人の道を継ごうと望むのだ」(滕文公章句下)とある。ここでいう「人心を正」すというのは、民衆の悪心を禁じて、はなはだしい邪説と暴行を無くすことを指す。これは『大学』の「正心」と全く意味が異なっている。孟子の「正心」の意味は、民衆にこれを施すものであって、自分自身に施すべきものではない。だから孟子は通常人に教えるときには「心を存す」(下の注2参照)と言いあるいは「心を養う」(盡心章句下)と言うのであって、一度も「心を正す」とは言わなかった。その意図が、よく見えるであろう。「心を存す」というのは、善なる心が亡びないことを欲するのである。「心を養う」というのは、善なる心が成長することを欲するのである。なのに『大学』はどうやら人の心を制御することをまるで器物を造るかのように、寸分の狂いもないかっちりはまった型に定めて変わらないものにできるはずだ、と思っているようである。これは、心というものを理解しているといえるだろうか?


(注1)以下の『大学』の引用は、すべて『日本思想大系』の読み下しに従う。底本漢文は「身」字に「ロ」と送りがなを付けている。朱子は程子の説を取って、「身」字を「心」の誤りとみなす。伝七章参照。底本漢文の送りがなは「むくろ」、あるいは「こころ」の両者の可能性がある。
(注2)『孟子』離婁章句下に「仁をもって心を存し、礼をもって心を存す」とあり、また盡心章句上に「心を存し、性を養う」とある。仁斎は、『語孟字義』「心」の章で「心とは、人の思慮運用する所、本(もと)貴きに非ず、亦賤しきに非ず」と定義する。これは仁斎が論語・孟子の言葉における「心」字の用法から導き出した定義である。また同じく「情」の章においては「情」を「性の欲」と定義して、「設(も)し思慮する所無くして動く動くときは則ち固(まこと)に之を情と謂う可し、纔(わず)かに思慮に渉るときは則ち之を情と謂う可からず」と言う。仁斎によれば、人が思慮を働かせて動くものは「心」であり、人の性が思慮なしに発露するものは「情」である。仁斎は孟子の「心を存し、性を養う」の言葉を根拠にして、「心」(=人間が思慮して行う領域)と「性」(=人間が生まれついて本来的に持つ領域)との両者はそれぞれ別に養う道がある、とみなす。
(注3)後世に伝わっている『書経』仲虺之誥篇は、残念ながら偽古文尚書に属する。よって、これを仁斎のように先秦時代の古学の論拠とすることはもはやできない。仁斎は偽古文尚書が後世の思想で書かれていていにしえの文章とは言えないはずだ、と疑ったが、それがもっと後世の魏晋代に捏造された完全な偽作である、という現代の定説まで踏み込むまでは至らなかった。
(注4)「心の用」とは、大学章句伝七章の朱子注を引用したものである。「蓋し是の四者は、皆心の用にして、人の無き者能わざる所の者なり。」朱子のこの注はいわゆる体用説に立ったものであり、忿懥・恐懼・好楽・憂患を心の本体から出る必然的な作用であって避けられないものであるが、それはよからぬ作用であるので自制しなければならないと考える。伝七章の用語解説を参照。仁斎はここで朱子の体用説に乗って、その上で批判を行っている。
(注5)「天下の達道」という語は、直ちに『中庸』(第二十章)を想起させる。だが、ここで仁斎が天下の達道といっている内容は、中庸の内容とは関係がない。
(注6)顔回(がんかい)のこと。論語では字を取って顔淵(がんえん)で表れる。孔子最愛の弟子で、論語の中で孔子が一切批判の言葉を与えずにひたすら称える唯一の弟子である。
(注7)哭とは、古代の葬礼で、死者を悼んで声を上げて泣く儀礼。このとき孔子は形どおりの哭礼にとどまらず、最も目を掛けていた顔淵が死んだ悲しさのあまり度を外して大泣きしてしまった、と解釈される。
(注8)告子(こくし)は、『孟子』の中で孟子と論争する同時代の異端者として表れる。その主張は告子章句によれば人間の性は善でも不善でもない中立的なものである、という主張であって、孟子の性善説に反対する。ここで仁斎が告子の流儀と批判するのは、公孫丑上章句に表れる「言を知る」方法についての孟子と告子との相違を指している。孟子は浩然の気を養っているので心が言葉を常に理解できる状態にあるが、告子はそこに至らないゆえに言葉を理解できないときがあるときにはどうするべきかを論じる、と言うのである。
《読み下し》
大学に曰く、身を修むることは其の心を正しゅうするに在りとは、身(むくろ)忿懥(ふんち)する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。恐懼する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。好楽する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。憂患する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。夫れ心を存するの道は、忿懥・恐懼・好楽・憂患する所無き者より要なるは莫きや。書に曰く、礼を以て心を制す。孟子の曰く、君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す、又曰く、仁に居り義に由る、大人の事備わる。大学乃ち此を以て要とせずして、徒(いたずら)に忿懥・恐懼・好楽・憂患する所無からんと欲するは、何ぞや。夫れ此の四つの者は、心の用なり。凡そ人、斯の形有るときは、則ち斯の心有り。斯の心有るときは、則ち忿懥・恐懼・好楽・憂患無きこと能わず。苟(いやしく)も仁を以て心を存し、礼を以て心を存するときは、則ち此の四つの者は、即ち仁・礼の著(あら)われにして、天下の達道なり。何の悪しきことか之れ有らん。大学乃ち此れ之を識らずして、徒に忿懥・恐懼・好楽・憂患無からんことを欲す。此れ即ち孔孟の血脈を識らざるが故なり。
又曰く、心在らざれば、視れども見えず、聴けども聞えず、食(くら)えども其の味を知らず。道を害すること尤(もっと)も太甚(はなは)だしと謂う可し。惟(た)だ孔孟の血脈を識らざるのみに非ず、蓋(けだ)し孔子を信ぜずして、自ら己の学を以て世に号(さけ)ばんと欲する者なり。語に曰く、子斉に在(いま)して韶(しょう)を聞く。三月肉の味を知らず、又曰く、憤(いきどお)りを発して食を忘る、又曰く、顔淵死す。子之を哭(こく)して慟(どう)す。従者の曰く、子慟す。曰く、慟すること有るか。夫(か)の人の之(これ)為(ため)に慟する非ずして、誰がためにせん。若(も)し大学を以て之を観るときは、則ち孔子も亦放心を免れずと謂う可し。夫れ大学を撰する者、本(もと)疎漏にして然るに非ず、亦意義有って相通ずるに非ず。其の学本仁義の良を見ずして、剛(し)いて其の心を制せんことを欲す。蓋し告子の流のみ。
又曰く、正心の二字、又孟子に見えたり。然れども尚(なお)当(まさ)に之を議すべき者有り。孟子の曰く、我亦人心を正しゅうし、邪説を息(や)め、詖行(ひこう)を距(ふせ)ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者に承(う)けんことを欲す。所謂(いわゆる)人心を正しゅうすという者は、禁民の非心を禁じて、之をして邪説・暴行の甚だしき無からしむるを謂う。大学の意と自ずから異なり。孟子の意の若き、正心の二字、当に之を民に施すべくして、之を己に施す可からず。故に平生人に誨(おし)うる、或は心を存すと曰い、或は心を養うと曰い、未だ嘗て心を正すと言わず。其の意見つ可きのみ。心を存すと云う者は、其の亡びざらんことを欲するなり。心を養うと云う者は、其の長ぜんことを欲するなり。而(しこう)して大学以為(おも)えらく、人の心を制する、当に器物を造るが若く、其の形方正・端直、一定し変ず可からざるべしと。此れ豈に心を識る者ならんや。
《原文(新字体)》
大学曰。修身在正其心者。身有所忿懥。則不得其正。有所恐懼。則不得其正。有所好楽。則不得其正。有所憂患。則不得其正。夫存心之道。莫要於無所忿懥・恐懼・好楽・憂患者邪。書曰。以礼制心。孟子曰。君子以仁存心。以礼存心。又曰。居仁由義。大人之事備矣。大学乃不以此為要。而徒欲無所忿懥・恐懼・好楽・憂患者。何哉。夫此四者。心之用也。凡人有斯形。則有斯心。有斯心。則不能無忿懥・恐懼・好楽・憂患。苟以仁存心。以礼存心。則此四者。即仁・礼之著。而天下之達道也。何悪之有。大学乃不此之識。而徒欲無忿懥・恐懼・好楽・憂患。此即不識孔孟之血脈故也。又曰。心不在焉。視而不見。聴而不聞。食而不知其味。可謂害道尤太甚矣。非惟不識孔孟之血脈。蓋不信孔子。而自欲以己之学号於世者也。語曰。子在斉聞韶。三月不知肉味。又曰。発憤忘食。又曰。顔淵死。子哭之慟。従者曰。子慟矣。曰有慟乎。非夫人之為慟。而誰為。若以大学観之。則可謂孔子亦不免放心也。夫撰大学者。本非疎漏而然。亦非有意義相通。其学本不見仁義之良。而欲剛制其心。蓋告子之流耳。又曰。正心二字。又見於孟子。然尚有当議之者。孟子曰。我亦欲正人心。息邪説。距詖行。放淫辞。以承三聖者。所謂正人心者。謂禁民之非心。而俾之無邪説・暴行之甚。与大学之意自異矣。若孟子之意。正心二字。当施之於民。而不可施之於己。故平生誨人。或曰存心。或曰養心。而未嘗言正心。其意可見矣已。存心云者。欲其不亡也。養心云者。欲其長也。而大学以為人之制心。当若造器物。其形方正・端直。一定不可変焉。此豈識心者乎哉。

ここは、仁斎の『大学』批判が、その言葉がただに孔孟の言葉と一致しないとする批判にとどまらず、その人間観が孔子の人となりではない、と批判して、合わせて『大学』をありがたがる朱子学の人間観まで批判するくだりである。上で仁斎は『論語』から孔子の人となりを示したエピソードをいくつか挙げているが、たとえばそのうち顔淵が死んだときのエピソードについて仁斎は『論語古義』でこのように解説する。

哀しむべきことを、「哀」と言う。楽しむべきことを、「楽」と言う。それらはすべて、人情のやむをえざるところである。聖人といえども、それはふつうの人と異なるところはないのだ。ゆえに人情を聖人は斥けなかった。いやしくも人情が節度のよろしきに当たるならば、それが天下の達道であるとみなし、だが節度のよろしきに当たらなければ、ただに一個人の私情であるとみなしたのだ。人情であっても心が安定できないものを、聖人は行わなかった。ゆえに情を滅することと情をほしいままに放つことは、両方ともに等しく罪なのである。『大学』には、「心在らざれば、視れども見えず、聴けども聞えず、食えども其の味を知らず」とある。宋儒(程子・朱子らを指す)は、この言葉にこだわってしまい、とうとう「聖人の心は静謐かつ虚淡で、無欲で、明鏡止水(めいきょうしすい。朱子が理想の心理状態として用いる用語であるが、仁斎はこれが『荘子』由来の言葉であることを批判する)のようなものである」などとみなしたのである。これは、聖人の心が理解できていないのだ。仁愛を(人が持つべき)本体として、礼義を(人が進むべき)場所とすることは、天下万世の人倫の至上である。だが『大学』の視点から見るならば、孔子が顔淵のために哭の礼を行って思わず慟してしまったことは、「心在らず」であるという誹りを免れないではないか。こういった理由が、私がかつて『大学』は孔子の遺書ではない、とみなしたところである。
(論語古義、先進第十一より。筆者訳)

仁斎が朱子を批判するところの要点は、上の批判から読み取ることができるだろう。仁斎は、中華世界の学者たちのように孔子を人間離れした精神を持った超人のようにみなすことを斥けて、人間でありながら人間の正しさを完成させた存在として造形しようとする者である。このような読み方は、近代の渋沢栄一や貝塚茂樹の孔子理解を拓いたと言えるのではないだろうか。あちらの世界の孔子は神であり、こちらの世界の孔子は人間である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です