中庸或問跋・第一章中段二 ~呂・楊二氏の説~

投稿者: | 2023年4月19日

『中庸或問』跋・第一章中段二~呂・楊二氏の説~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
曰、程子の所謂隱微の際、呂氏が改本及び游楊氏と同じからざるが若し(注1)、而(しか)るを子之を一にすることは何ぞや(注2)
曰、理を以て之を言えば、則ち三家は程子の盡すに若かず、心を以て之を言えば、則ち程子は三家の密なるに若かず、是れ固(まこと)に同じからざる者有るが若し、然れども必ず是の理有りて然して後に是の心有り、是の心有りて而して後是の理有るときは、則ち亦初より異指無し、合いて之を言わば、亦何の不可なることか之有らんや。
曰、他の説如何。
曰、呂氏が𦾔本に論ずる所(注3)の道は離る可からずという者之を得たり、但だ專ら過不及を以て道を離ると爲すときは、則ち未だ盡さざるに似たるのみ、其の天地の中、性と天道を論ずるの一節、最も其の意を用うること深き處、然も經文に指す所の睹ざる聞かざる隠微の間は、乃ち人をして此に戒懼せしめて、人欲の私をして以て其の間に萌動することを得せしめざらんことを欲するのみ、人をして其の心を虛空にし此に反觀して、以て夫の所謂中という者を見ることを求めて、遂に之を執りて以て事に應ずるの準則と爲さしめんと欲するに非ず、呂氏旣に其の指を失いて、而して引きて用うる所の言に得ず、必ず事有り、前に參わり衡(よこぎ)に倚るの語も、亦論孟本文の意に非ず、隱微の間、昭昭として欺く可からず、之を感じて能く應ずる者有りと謂うに至りては、則ち固に心の謂なり、而して又曰、正に惟だ虛心を以て求めば則ち之見われんことをと、是れ又別に一心を以て此の一心を求めて此の一心を見る、豈に誤の甚だしきにあらずや、楊氏(注4)適くとして道に非ざること無しと云うが若きは則ち善し、然れども其の言(こと)亦未だ盡さざる所有るに似たり、蓋し衣食作息視聽擧履は、皆物なり、所以の其の此の如くなるの義理準則は、乃ち道なり、所謂道は、物に外ならず、而して人天地の間に在りて物に違いて獨立すること能わず、是を以て適くとして義理の準則有らざること無し、頃刻も之を去りて由らずんば可からずと曰うが若きは、則ち是れ中庸の旨なり、便ち物を指して以て道と爲して、而して人頃刻も此を離ること能わず、百姓特に日に用いて知らざるのみと曰うが若きは、則ち是れ惟だ形よりして上下の別に昧(くら)きのみにあらず、而も釋氏の作用是れ性というの失に堕つ、且つ學者をして誤りて道は在らずして、之を離れんと欲すと雖も得可からず、吾旣に之を知るときは、則ち猖狂妄行すと雖も、亦適くとして道爲らずこと無しと謂わしむるときは、則ち其の害爲ること將に勝(あ)げて言う可からざる者有らんとす、但だ文義の失のみにあらず。
曰、呂氏が書、今二本有り、子が所謂𦾔本は則ち疑い無し、所謂改本は則ち陳粛公が所謂程氏明道夫子の言にして之が序爲すという者なり、子石氏が集解に於て、嘗て之を辨すと雖も而も論者猶お或は以爲(おもえ)らく程夫子に非ずんば及ぶこと能わざると奈何(いかん)。
曰、是れ則ち愚嘗て之を劉李の二先生に聞けり、𦾔本は、呂氏が大學講堂の初本なり、改本は、其の後修むる所の別本なり、陳公が序は、蓋し傳者の爲に誤ら所(さ)れて之を失す、其の兄孫幾叟具に聞ける所を以て之に告ぐるに、然して後に自ら其の非を覺るときは、則ち其の書已に行われて改むるに及ばず、近ごろ胡仁仲が記す所の侯師聖が語を見るに、亦此れと合う、蓋し幾叟が師楊氏は、實に呂氏と同じく程門に出たり、師聖は則ち程子の内弟、而して劉李が幾叟に於る、仁仲が師聖に於る、又皆親しく見て親しく之を聞く、是れ豈に胸臆私見口舌浮辨の得て奪う所ならんや、若し更に其の言を以て之を考えば、則ち二書の詳略或は同じからずと雖も、然も其の語意實に相表裏せり、人の形貌昔は腴(こ)え、今は瘠せて、而も其の部位神采は初より異らざるが如し、豈に察せずして遂に之を兩人と謂う可けんや、又況や改本は、前の詳を厭いて略に意有るをや、故に其の詞約なりと雖も而も未だ反て刻露峭急(しょうきゅう)(注5)の病有ることを免れず、詞義の間に至りては其の本指を失うに、則ち未だ其の𦾔を改むること能ざる者、尚お多く之有り、是を明道平日の言の平易從容として自然精切なる者に挍(くら)ぶるに、又翅(ただ)碔砆(ぶふ)(注6)と美玉とのいいにあらず、此に於て猶お辨ぜずんば、則ち其の道の淺深に於て、固に問わずして知んぬ可し。


(注1)四書大全に引く四氏の説。程子曰、「人只耳目の見聞する所の者を以て顯見と爲す。見聞せざる所の者を隱微と爲す。然して理却て甚だ顯なるを知らず。且つ昔人琴を彈するとき螳螂蟬を捕らうを見る、而して聞く者の以て殺聲有りと爲す、殺心に在り、而して人其の琴を聞きて之を知るが如き、豈に顯に非ずや。人不善有り、而して自ら謂う人之を知らずと。然も天地の理甚だ著にして欺く可からず。」藍田呂氏曰、「此の章道を明にするの要、誠あらず可からず。道の我に在るは、猶お飲食居處の去る可からずがごとし。去る可きは皆外物なり。誠は以て己が爲にす。故に其の心を欺かず。人心至りて靈。一萌の思、善と不善と、之を知らずということ莫し。他人は明と雖も、與からざる所有り。故に其の獨を愼む者は、己が爲することを知るのみ。」廣平游氏曰、「人の睹ざる所は、隱と謂いつ、而して心獨り之を知るは、亦見われずや。人の聞かざる所は、微と謂いつ可し。而して心獨り之を聞くは、亦顯ならずや。」龜山楊氏曰、「獨は、物に交わるの時に非ず。中に動くこと有りて、其の違(ことな)ること未だ遠からず。視聽の及ぶ所に非ずと雖も、而も其の幾固に已に心目の間に瞭然たり。其の顯見爲ること孰れか加えん。自ら蔽わんと欲すと雖も、吾誰をか欺かん。天を欺かんや。此れ君子は必ず其の獨を愼むなり。」
(注2)四書大全に引く朱子の見解。「問う、程子彈琴殺心を擧ぐる所、是れ人の知る處に就きて言う。呂游楊氏説く所は、是れ己が自ら知る處に就きて言う。章句は是れ二の者を合いて言うや否や。朱子曰、動くこと中に有れば、己固に先ず自ら知る。亦人の知を揜うこと能わず。所謂誠の揜う可からざるなり。問う、迹未だ形(あら)われずと雖も、幾は則ち已に動く。上の兩句は是れ程子の意、人知らずと雖も、己獨り之知る。下の兩句は是れ游氏が意なるや否や。然り。兩事只是一理。幾旣に動くときは則ち己必ず之知る。己旣に知るときは、則ち人必ず之知る。」
(注3)四書大全に引く説。藍田呂氏曰、「性に率う之を道と謂うときは、則ち四端の我に在る者、人倫の彼に在る者、皆吾が性命の理、天地の中を受くるは、人の道を立て須臾も離る可からざる所以なり。類を絶ち倫を離れて君臣父子に意無き者は、過ぎて此に離る者なり。恩を賊い義を害いて君臣父子有ることを知らざる者は、不及にして此に離る者なり、過不及差い有りと雖も而も皆以て世に行わる可からず。故に曰く離る可きは道に非ずと。道に非ずというは、天地の中に非ざるのみ。天地の中に非ずして、而して自ら道有りと謂うは惑なり。又曰く、所謂中は、性と天道なり。之を物有りと謂うときは、則ち言に得ず。之を物無しと謂うときは、則ち必ず事有り。言に得ずとは、之を視れども見えず、之を聽けども聞こえず、聲形耳目に接して以て道(い)う可きこと無し。必ず事有れば、隱より見るは莫く、微より顯なるは莫し。物に體して遺す可からざる者なり。古の君子、立つときは則ち其の參るを見る。輿に在るときは則ち其の衡に倚るを見る。是れ何の見る所ぞや。洋洋乎として其の上に在るが如く、其の左右に在るが如し。是れ果たして何物ぞや。學者此に見れば、則ち庶くは能く中庸を擇びて之を執し、隱微の間、之を耳目に求む可からず、之を言語に道う可からず。然も所謂昭昭として欺く可からず、之感じて能く應ずる者有り。正に惟れ虛心にして以て之求めば、則ち庶くは之を見んことを。故に曰く隱より見るるは莫く、微より顯なるは莫しと。」
(注4)四書大全に引く説。龜山楊氏曰、「夫れ天地の間に盈つる、孰れか道に非ざらんや。道にして離る可くは、則ち道在ること有り。之を四方定位有るに譬う。東に適けば則ち西に離れ、南に適けば則ち北に離る、斯れ則ち離る可きなり。夫の適くとして道に非ずということ無きが若きは、則ち烏(いずく)んぞ得て離れんや。故に寒うて衣(き)、飢えて食い、日出でては作(お)き、晦(くら)くして息う。耳目の視聽は、手足の擧履、道に非ざること無し。此れ百姓九つ用いて知らざる所以。」
(注5)峭急は、きびしくていそぐ様。
(注6)碔砆は四書大全に「石の玉に次ぐ者」と解す。
《要約》

  • 呂氏改本・游・楊三氏の説と程子の説を比べると、理においては程子が勝り、心においては三氏が勝る。両者の趣旨は同一であるので、一つのものとして論じた。
  • 呂氏旧本の説は、中庸の趣旨から外れ、論・孟本文の意図とも違う。(朱子は、呂氏の説が心を虚空にして反省し、中を執ることを準則とする点を批判している。心は一つであり、主体は心一つしかない。一つの主体が戒懼して、人欲の私が心に萌動することを欲するまでである。呂氏の説は、二つの心があって一つの心が別の心を観察して制御しているかのように捉えていて、不可である。)
  • 楊氏の「百姓特に日に用いて知らざるのみ」のたとえは、誤解のもととなる。これは仏教の「作用是れ性」の誤りに陥っている(性は作用ではなく、本質である)。またこの説は学ぶ者をして「道は離れようとしても離れられないのであるから、すでに我がこれを知っているならば、いかに逸脱狂行しようが行くところ道ならざるはない」などと誤解させるときには、その害ははなはだしいであろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です