解蔽篇第二十一(2)
かつて、人君において心が蔽われた者といえば、夏の桀(けつ)と殷の紂(ちゅう)であった。桀は末喜(ばつき)と斯觀… Read More »
かつて、人君において心が蔽われた者といえば、夏の桀(けつ)と殷の紂(ちゅう)であった。桀は末喜(ばつき)と斯觀… Read More »
聖人は、心を治める術の困難を知り、心が蔽われて塞がれることのわざわいを直視する。ゆえにその心は、欲にも憎悪にも… Read More »
この心というものは、身体の統制者にして、理性判断(注1)の主体である。心は自ら命令を出すのであって、心の外部か… Read More »
およそ諸物を観察するときにおいて、疑いがあって内部の心が定まっていないならば、外部の諸物が明確に見えることがな… Read More »
およそ人間の本性(注1)を知ることによって、諸物の理(ことわり)を知ることができる。だが人間の本性を知ることが… Read More »
世俗の説をなす者は、「君主の道は、秘密主義がよい」と言う。だがこれは、まちがっている。君主とは、明白に声を出し… Read More »
世俗の説をなす者は、「桀(けつ)・紂(ちゅう)は天下を持つ王であったがこれを家臣の湯(とう)・武(ぶ)が簒奪し… Read More »
世俗の説をなす者は、「いにしえの統治がゆきとどいた黄金時代には、体刑はなくて象徴刑しかなかった。墨(いれずみ)… Read More »
世俗の説をなす者は、「湯王・武王は禁令・法令を行き渡らせることができなかった」と言う。それはどういう意味かとい… Read More »
世俗の説をなす者は、「堯帝は舜帝に禅譲した」と言う。だがこれは、まちがっている。そもそも天子というものは、その… Read More »