『荀子』の刊本と注釈の歴史

荀子の著作を最初に整理したのは、前漢末の劉向(りゅうきょう)である。『漢書』成帝紀によると、河平三年(BC26)に劉向が漢王朝の宮中秘府の書籍を校訂する作業を行った。その中には荀子の著作も含まれていて、劉向は帝室書庫に孫卿(荀子のこと)の書として収められていた三百二十二編から重複する二百九十篇を除いて残り三十二篇を選び、これを『荀卿新書』(または『孫卿新書』とも記録される)十二巻三十二篇とした。→『劉向校讎叙録』(原文・読み下し・現代語訳)

唐代になって楊倞(ようりょう)が当時すでに混乱して伝わっていた荀子の書を再び校訂した(元和十三年、818)。→楊倞『荀子注序』(読み下し、現代語訳)

  • テキストの分量が多いため、劉向の十二巻を二十巻に改めた。
  • 劉向の巻の配列を一部改めて、内容に沿ったグループに分類した。
  • 書の題名を『荀卿新書』から『荀子』に改めた。
  • 最初の注釈を付けた(当サイトでは楊注と呼ぶことにする)。

劉向撰の元テキストは、すでに散逸して現在に伝わらない。

出版物として初めて刊行されたのは、北宋神宗の熙寧元年(1068)であり、南宋孝宗の淳熙八年(1181)に台州知事唐仲友が復刻したという。この宋代の刊本が宋本である。しかしこれは中国で散逸し、日本の金沢文庫に一冊のみ残された。この写本が影宋台州本である。

江戸時代、わが国の久保愛(筑水、宝暦九年―天保六年、1759-1835)が『荀子増注』を作った(文政三年、1820の自序。文政八年、1825刊。当サイトでは増注と呼ぶことにする)。久保は師の片山世璠(兼山、山子。享保十五年―天明二年、1730-1782)を継いで当時参照できた和漢の刊本を参照し、さきの影宋台州本の原本を見る機会も得て、注釈を作った。→久保愛『荀子増注序』(読み下し、現代語訳)

したがって、影宋台州本を実際に参照した注釈は、日本の増注が最も早い。

中国では宋代の後の元代の刊本である元本があったが、宋本とはかなり語句の相違が見られる。その影宋台州本は島田重礼が保蔵していたが、明治期になってこれを清国公使の黎庶昌(れいしょしょう)に贈呈し、黎により『古逸叢書』中の『荀子』として復刻された(明治十七年、1884)。

中国での荀子研究は、清末時代、王先謙の『荀子集解』(光緒十七年、1891)が最も名高い(当サイトでは集解と呼ぶことにする)。『集解』はさきの復刻宋本を含めて伝承されている各テキストの相違が検討され、楊注および清代考証学者の説を合わせた考証が行われている。

冨山房刊『漢文大系十五 荀子集解』(大正二年、1913)には、楊注、集解、増注に加えて猪飼彦博(敬所。宝暦十一年-弘化二年、1761-1845)の『荀子補遺』(文政十年、1827の序。文政十三年刊。当サイトでは猪飼補注と呼ぶことにする)が併録されている。

現代の日本で入手しやすい『荀子』全文は、上の冨山房漢文大系の他に、

  • 金谷治訳注『荀子』(岩波文庫、昭和三十六年):読み下し、現代語訳のみ。
  • 藤井専英著『新釈漢文大系5 荀子』(明治書院、昭和四十一年):影宋台州本に基づく原文、読み下し、現代語訳。当サイトでは新釈と呼ぶことにする。

が挙げられるであろう。「新釈」は、金谷『荀子』も参照した注釈が打たれている。

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