解蔽篇第二十一(3)

By | 2015年5月19日
聖人は、心を治める術の困難を知り、心が蔽われて塞がれることのわざわいを直視する。ゆえにその心は、欲にも憎悪にも傾かず、始まりの時点でも終わりの時点でも変化することなく、身近なものでも疎遠なものでも差をつけずに観察し、豊富な知識を持っている対象でもあまり知識のない対象でも同様に観察し、昔の出来事でも今起こっている出来事でも同一のものとして観察し、万物をあわせ連ねて、その中庸点に立って、はかりで計るように比較考量するのである。この明知あるゆえに、万物がどんなに多様であっても、聖人の判断は蔽われず、その倫理基準は乱れることはない。では、何をもって量る基準とするのか。それは、正道によってである。ゆえに、聖人の心は必ず正道を知っている。もし心が正道を知らなければ、心は正道を不可として非道を可としてしまうだろう。およそ人というものは、自分の望むとおりに行おうとするものであり、自分が嫌いだと思うものは守ろうとせず、自分が好きだと思うものは禁じようとしない。いま正道を嫌う心をもって人を招いたならば、結果は必ず正道から外れた人間だけが馳せ参じて、正道に沿った人間はやって来ないだろう。正道を嫌う心をもって正道から外れた人間といっしょに正道に沿った人間を論じるのは、これは乱の本である。こんな状態で、どんな正しい知見が得られるというだろうか?むしろ心が正道を知って、しかるのちに正道を良しと認めることができる。正道を良しと認めることができて、しかるのちに身をもって正道を守り、非道を禁ずることができる。正道を良しとする心をもって人を招いたならば、正道に沿った人間が馳せ参じて、正道から外れた人間はやって来ないだろう。正道を良しとする心をもって正道に沿った人間といっしょに正道から外れた人間を論じるのは、治の肝要である。いま自分に知識が足りないことなどは、憂うに値しない。治の肝要は、まずは正道を知るところにあるのだ。(正道を知れば、正道に沿った人材はおのずから集まるのである。)

では、人は何によって正道を知ることができるのだろうか?それは、心である。では、心はどうやって正道を知るのであろうか?それは、「虚壱(きょいつ)にして静(せい)」によってである。心は、常に概念によって満たされている。しかしながら、心にはいわゆる「虚」がある。心は、常に相反する多様な考えをごたまぜに抱えている。しかしながら、心にはいわゆる「一(壱)」がある。心は、常に動いている。しかしながら、心にはいわゆる「静」がある。人は、この世に生まれると知覚を持つ。知覚は、記憶を作る。記憶は、心中を満たす概念である。しかしながらそこにいわゆる「虚」があるというのは、すでに持っている記憶された概念にこれから受け取ろうとする新しい情報を乱させないようにするのである。この既存の記憶に捉われない心の状態を、「虚」というのである。心は、生まれると知力を持つ。知力は、ものごとの差異を区別する。差異によって二つに区別された対象を、心は同時に知覚する。差異あるものを同時に知覚するのは、相反する概念を同時に見て迷ってしまうことである。しかしながらそこにいわゆる「一(壱)」があるというのは、片方の概念によってもう片方の概念を乱させないようにするのである。この対立する概念が整理された心の状態を、「一(壱)」というのである。心は、寝ているときは夢を見る。これを怠けさせれば、勝手気ままにさまよってしまう。これを働かせれば、一つのことをどんどん行う。ゆえに、心は常に動いているのである。しかしながらそこにいわゆる「静」があるというのは、夜中の夢や昼間の雑多な出来事に己の知を乱させないようにするのである。この雑音に惑わされない確かな知を、「静」というのである。もしここにいまだに正道を得られず正道を求めようと渇望している者がいたら、「虚壱にして静」の方法を告げるがよい。正道に従う者は、心が「虚」ならば新しい情報がすぽすぽと入ってくる。正道に専念する者は、心が「壱」ならば迷わずやり遂げることができる。正道は何かと考えを巡らす者は、心が「静」ならば雑念なく正道を洞察することができる。正道を知って明察をはたらかせ、正道を知って正しく行動できる者は、正道を身に付けた者ということができるだろう。「虚壱にして静」を達成できた者は、「大清明(だいせいめい)」の者と言うべきである。大清明の者は、万物をことごとく形として認識することができて、認識した対象をことごとく定義して論じることができて、論じたものをことごとく世界内の正しい位置に配置することができる。こうして部屋の中にいながらにして四海を見ることができ、現在にいながらにして久遠の過去を論じることができ、万物をざっと観察してその特性を知り、天下の治乱興亡の軌跡を通観して治乱の法則に通じる。この大知識をもって、天地を経営して万物を利用し、大いなる道理により裁断することによって、宇宙全体は手の平の上にあるかのようにこれを統御できるのである。その知は、広大ではないか。広すぎて、果ては誰にも分からない。その徳は、高明ではないか。高すぎて、誰にも真似できない。その知は、潤沢ではないか。豊かすぎて、誰も理解し尽くせない。その明は、日月のようではないか。偉大にして、天下四方を満たす。これが、大人(たいじん)(注1)の心である。ここまでの心であれば、蔽われることなどありはしない。


(注1)大人(たいじん)は、孟子では完成された君子、といった意味合いで用いられる。荀子のここでの「大人」も、同様の用法であろう。
《原文・読み下し》
聖人は心術の患を知り、蔽塞の禍を見る。故に欲と無く惡(お)と無く、始と無く終と無く、近と無く遠と無く、博と無く淺と無く、古と無く今と無く、萬物を兼陳(けんちん)して、中に衡を縣く。是れ故に衆異も相蔽(おお)いて以て其の倫を亂ることを得ざるなり。何をか衡と謂う。曰く、道なり。故に心は以て道を知らざる可からず、心(こころ)道を知らざれば、則ち道を不可として非道を可とす。人孰(たれ)か恣(し)を得んと欲して、其の不可とする所を守り、以て其の可とする所を禁ぜんや。其の道を不可とするの心を以て人を取れば、則ち必ず不道人(ふどうじん)に合して、道人(どうじん)に[知]合せず(注2)。其の道を不可とするの心を以て不道人と道人を論ずるは、亂の本なり。夫れ何を以て知ならんや。曰く、心(こころ)道を知りて然る後に道を可とし、道を可として然る後に能く道を守り、以て非道を禁ず。其の道を可とするの心を以て人を取れば、則ち道人に合して、不道の人に合せず。其の道を可とするの心を以て道人と非道を論ずるは、治の要なり。何ぞ知ならざるを患(うれ)えんや。故に治の要は道を知るに在り。
人は何を以て道を知るや。曰く、心をもってす。心は何を以て知るや。曰く、虛壹(きょいつ)にして靜なるをもってす。心未だ嘗て臧(ぞう)せずんばあらざるなり、然り而(しこう)して所謂(いわゆる)虛(きょ)有り。心未だ嘗て滿(もん)(注3)ならずんばあらざるなり、然り而して所謂一(いつ)有り。心未だ嘗て動かずんばあらざるなり、然り而して所謂靜(せい)有り。人は生じて知有り、知ありて志有り、志なる者は臧なり、然り而して所謂虛有り。已(すで)に臧する所を以て將(まさ)に受けんとする所を害せず、之を虛と謂う。心生じて知有り、知ありて異有り、異なる者は同時に之を兼知す。同時に之を兼知するは兩なり、然り而して所謂一有り。夫の一を以て此の一を害せず、之を壹と謂う。心臥(ふ)すれば則ち夢み、偷(とう)すれば則ち自ら行き、之を使えば則ち謀る。故に心は未だ嘗て動かずんばあらず、然り而して所謂靜有り。夢劇(むげき)を以て知を亂らざる、之を靜と謂う。未だ道を得ずして道を求むる者は、之に虛壹にして靜なるを謂(つ)ぐ(注4)。[之を作(おこな)えば則ち](注5)將(は)た道に須(したが)う(注6)者は、之れ虛なれば則ち人(い)り(注7)、將た道を事とする者は之れ壹なれば則ち盡(つく)し、將た道を思わん者は靜なれば則ち察す。道を知りて察し、道を知りて行うは、道を體する者なり。虛壹にして靜なる、之を大清明(だいせいめい)と謂う。萬物は形して見(あら)われざること莫く、見われて論あらざること莫く、論ありて位を失うこと莫し。室に坐して四海を見、今に處にして久遠を論じ、萬物を疏觀(そかん)して其の情を知り、治亂を參稽(さんけい)して其の度に通じ、天地を經緯(けいい)して萬物を材官(さいかん)し、大理を制割して宇宙裏(か)す(注8)。恢恢(かいかい)にして廣廣(こうこう)、孰(たれ)か其の極を知らん、睪睪(こうこう)にして廣廣(こうこう)(注9)、孰か其の德を知らん、涫涫(かんかん)にして紛紛(ふんぷん)、孰か其の形(けい)(注10)を知らん。日月に明參(めいさん)し、大は八極に滿つ。是を之れ大人と謂う。夫れ惡(いずく)んぞ蔽わるること有らんや。


(注2)集解の兪樾は、「知」字は衍と言う。
(注3)楊注は、「滿」は「兩」なり、と言う。新釈の藤井専英氏は、「滿」は「懣」に通ずると言う。ごたごたしている貌。藤井説に従う。
(注4)新釈の藤井専英氏は、「謂」は「つげる」である、と謂う。これに従う。
(注5)原文「作之則」。楊注は、この義未詳にしてあるいは恐らく脱誤あるのみ、と言う。前後に何らかの文が脱誤していると思われる。新釈の藤井専英氏はとりあえず後の文とつなげて読み、漢文大系は衍字とみなして全く読まない。金谷治氏は荻生徂徠説を取り、「則」を「のり」と読んで前の文につなげ、「之が則(のり)と作(な)さしむ」と読んでいる。論者各説の開きが大きいので、訳ではあえて読み飛ばすことにする。
(注6)漢文大系は「須」を須用といい、「もちいる」と訓じる。新釈の藤井専英氏は金谷治氏を引いて、「須」は「順」であると言う。したがう。金谷・藤井説に従う。
(注7)増注は、「人」は「入」に作るべしと言う。
(注8)楊注は「裏」は「理」たるべし、と言う。増注は、「裏」は恐らく「裹(か)」の誤りと言う。楊注ならば整理する、という意となり、増注ならばつつみこむ、という意となるだろう。増注を取る。
(注9)集解の顧千里は、「廣廣」が上文に重なっているので、後の「廣廣」は「曠曠」と読む、と言う。あきらか。
(注10)集解の顧千里は、「形」は韻を踏まず、疑うは「則」に作るべしと言う。すなわち「恢恢廣廣」以下の文は韻文形式となっていて、「極」「徳」「極」で押韻されているので、「形」では韻が合わず「則」ならば韻が合う、ということである。しかし三聯目の韻をあえて外したかもしれないので、原文のままにしておく。

解蔽篇は、ここから聖人が蔽われない正しい認識を持つために心を制御する方法が、延々と語られていく。すべて議論は連続しているのであるが、非常に長大なために適宜区切って読んでいくことにしたい。増注の久保愛が言うように、孟子の文は「夷」すなわち大雑把であり、荀子の文は「奇」すなわち怪説である(増注序)。我々日本人の漢文への接し方は、論語とか孟子とか老子とか孫子とか、簡潔な格言の書を愛好する。その短い語句の言外の意味を大いにふくらませて補い、味わい尽くすというやり方である。いっぽう西洋の書物への接し方は対照的で、マルクスとかヘーゲルとかM.ヴェーバーとかフロイトとか、長大な論文を意味深い内容を持つと尊重して大汗をかいて読み込もうとする。だが『荀子』のような漢文でありながら長大な論文は、日本人のあまり愛好するところではない。

荀子の言う「虚壱(きょいつ)にして静(せい)」は、朱子学の居敬窮理(きょけいきゅうり)の説と何と似ていることか。しかし両者ともに心の中で正道を抽象した結論は、歴史的中華世界にしか通用しない倫理なのである。M.ヴェーバーは『社会科学および社会政策の認識の「客観性」』において、倫理的な価値観は文化において多様であることを認める。その対照例として、ヨーロッパと中国を取り上げる。

ヨーロッパ人の倫理的な訓えにたいしては、中国人が「服従」しないことがあるし、またかれはその理想そのものとその理想からうまれる具体的な評価のしかたをこばむことができるし、またたしかにそれをこばむことが多いであろう。
(出口勇三訳)


ヴェーバーは、それを認めた上で、社会科学において客観的であることとは、ある政策を政府が実施したらそれが社会に与える影響は量的・質的にこのようなものである、という因果関係の法則を抽出し、それを示すところにあると言う。言い換えれば規範的(normative)な価値観を問題にするのではなく、実証的(positive)な因果関係を検討するのが客観的な社会科学である、と言う。「社会諸科学の領域で方法的に正しい科学的な証明がおこなわれて、もしそれがその目的を達成したと主張されるのであれば、それは、中国人がみても、正しいと承認をあたえるものでなければならない。」(出口訳)

だから、荀子や朱子学の真理獲得法の意義は、歴史的中国社会において価値観を確定する、という点にあったが、時代と文化を異にする社会においても通用する保障はない。実際、荀子や朱子学が正道として抽象した原理は、二十一世紀の世界において正道とはいえない。この解蔽篇における荀子の正道を得る思索の試みの意義は、彼の時代において統一中華帝国の構想を明示する、という実践的意義があったことに限られる。

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