正論篇第十八(1)

By | 2015年5月8日
世俗の説をなす者は、「君主の道は、秘密主義がよい」と言う。だがこれは、まちがっている。君主とは、明白に声を出して人民を導く存在である。また人の上に立つ者とは、下にある者の規範である。人民は、君主の声を聞いて応じ、規範を見て動こうとするものである。そこで君主が声を出さなくなったら、人民は応じることはなくなり、規範が隠れていては下にある者は動くことがなくなるであろう。応ぜず動かずでは、上と下が相助け合うこともできないであろう。このようであっては、上の者がいないことと同じである。これ以上に不都合なことはない。ゆえに、人の上に立つ者は、下にある者の大本なのである。上が明白に政治を行えば、下はよく治まるであろう。上が誠実に政治を行えば、下は真面目となるであろう。上が公正に政治を行えば、下は素直となるであろう。よく治まれば人民を斉一にしやすく、真面目ならば人民を使役しやすく、素直ならば人民の心を知りやすい。斉一にしやすければ国は強くなり、使役しやすければ国の功績はあがり、心を知りやすければ国の空気は明るくなるであろう。これが、よい治世の起こる源というものである。しかし上が秘密主義であれば下は疑い迷うようになり、上が陰険な政治を行えば下もまた隠れて詐術を行うようになり、上が不公正な政治を行えば下もまた私党を組むであろう。疑い迷えば人民を斉一にし難くなり、隠れて詐術を行うようになれば人民を使役し難くなり、私党を組むようになれば人民の心は知りがたくなる。斉一にし難ければ国は弱くなり、使役し難ければ国の功績はあがらず、心を知り難ければ国の空気は明るさが消えるであろう。これが、乱世の起こる源というものである。ゆえに、君主の道は明白であることがよく、不明瞭であることはよいことがない。そしてはっきりと声に出すことがよく、秘密主義はよいことがない。君主の道が明白ならば下の者は安心するが、君主の道が不明瞭ならば下の者は危ぶむであろう。下の者が安心すれば彼らは上の者を尊ぶが、下の者が危ぶめば上の者を軽んずることになるだろう。上の者の意向が知りやすければ、下の者は上に親近感を持つが、上の者の意向が知り難ければ、下の者は上をただ恐れるであろう。下の者が上に親近感を持てば、上の者は安泰である。だが下の者が上を恐れるならば、上の者は危険である。よって君主の道は下の者の心を知り難いことより悪いことはなく、下の者が上を恐れることより危険なことはない。言い伝えに、「主君を憎む者が多いと、危険である」とある。また『書経』に、「よく明徳を明らかにする」(周書、康誥より)とある。また『詩経』に、「明明として下に君臨する」(大雅、大明より)とある。このように、わが国の先王たちは政治を明々白々に行ったのであった。どうして政治を秘密にする必要があるだろうか?
《原文・読み下し》
世俗の說を爲す者曰く、主道は周に利なり(注1)、と。是れ然らず。主なる者は民の唱なり、上なる者は下の儀なり。彼將に唱に聽きて應じ、儀を視て動かんとす、唱默すれば則ち民應ずること無きなり、儀隱なれば則ち下動くこと無きなり。應ぜす動かざれば、則ち上下以て相有(ま)つこと(注2)無きなり。是(かく)の若くなれば、則ち上無きと同じきなり。不祥焉(これ)より大なるは莫し。故に上なる者は下の本なり。上宣明なれば、則ち下治辨なり。上端誠なれば、則ち下愿愨(げんかく)なり。上公正なれば、則ち下易直(いちょく)なり。治辨なれば則ち一にし易く、愿愨なれば則ち使い易く、易直なれば則ち知り易し。一にし易ければ則ち強く、使い易ければ則ち功あり、知り易ければ則ち明なり。是れ治の由りて生ずる所なり。上周密なれば、則ち下疑玄(ぎげん)す。上幽險なれば、則ち下漸詐(せんさ)(注3)す。上偏曲なれば、則ち下比周す。疑玄なれば則ち一にし難く、漸詐なれば則ち使い難く、比周なれば則ち知り難し。一にし難ければ則ち強ならず、使い難ければ則ち功あらず、知り難ければ則ち明ならず。是れ亂の由りて作(お)こる所なり。故に主道は明に利にして幽に利ならず、宣に利にして周に利ならず。故に主道明なれば則ち下安んじ、主道幽なれば則ち下危ぶむ。故に下安んずれば則ち上を貴び、下危ぶめば則ち上を賤しむ。故に上知り易ければ、則ち下上を親しみ、上知り難ければ、則ち下上を畏る。下上を親しめば則ち上安んじ、下上を畏るれば則ち上危し。故に主道は知り難きより惡しきは莫く、下をして己を畏れしむるより危きは莫し。傳に曰く、之を惡(にく)む者衆(おお)ければ則ち危し、と。書に曰く、克(よ)く明德を明かにす、と。詩に曰く、明明として下に在り、と。故に先王は之を明にす。豈に特(ただ)に之を玄にする耳(のみ)ならんや。


(注1)楊注は、「周は密なり」と言う。秘密にすること。
(注2)集解の王先謙は、「有」字を「胥」にするべしと言う。「まつ」。
(注3)増注および集解の郝懿行は、「漸」字は「潜」と読むべしと言う。「漸詐」で、深く隠れてあざむきだます様を言う。

【この篇は、「天論篇第十七」の後に読んでいます。】

正論篇は、「世俗の説」に対する荀子の反論を連ねた形式を取っている。『孟子』でいえば萬章章句に当たる。一論ごとに独立した内容となっているので、それぞれで区切って読んでいきたい。

本篇冒頭のこの節について、増注の久保愛は「当時、法家が隆行していた。その弊害は、行き過ぎた秘密主義にあった。ゆえに荀子はこれについて弁論したのだ。そうでなければ、『周易』に『君主が秘密を守らなければ家臣を失う』とあるように、秘密そのものが不可と言いたいはずがない。」という主旨の注を打っている。これに猪飼彦博は「申不害・韓非子の道は、人君が下の人間にその意図を察知させないところにあった。荀子が弁論しているのは、これについてである。『周易』にいう『君主が秘密を守らなければ家臣を失う』というのは国家の機密事項についてだけのことである。」という主旨の補注を加えている。ともかく、正論篇の最初の反論は、法家思想に対してである。

法家思想の秘密主義を理解するためには、やはり『韓非子』がよい。その「主道篇」は明確に老子思想に依拠した統治術を展開している。そこでは、君主は家臣に対して決して本心を見せてはならないと提議されている。なぜならば、家臣が君主の本心を知ったならば、そこに付け込んで君主の耳に心地よいであろう歪んだ政策を提案するからである。君主はただ心を虚ろにして、家臣が政策を提案してくるのを静かに待つ。ひとたび提案すればそれを必ず記録して、成功したときの褒賞と失敗したときの処罰をルールによって示す。こうすれば君主が何をせずとも、家臣は公約どおりの実績を挙げるために必死に働くことになり、君主の主観によって歪むことのない実績を国家が受け取ることになるであろう。これが、「主道篇」などで韓非子が描いたシナリオであった。そこでの君主はもはや人間とはいえず、むしろSF世界のコンピューターが人間の誰にも感情を持たずに支配しているような国家である。あるいはもう少し現実的な政体を考えるならば、国王が「君臨すれども統治せず」として政治に関心を持たない立憲君主制に近いと言えるだろうか。

『史記』秦始皇本紀を読むと、始皇帝は治世の間この『韓非子』の君主像にいたく傾倒したようである。すなわち、始皇帝の動きが家臣の誰にも気づかれないように、都の近辺にある宮殿を復道(ふくどう)・甬道(ようどう)という両側を壁に守られた道路で繋いだ。そうして皇帝が行幸する場所を秘密にして、その場所を漏らした者は死罪としたと書かれている。史記はこうすることで始皇帝は真人(しんじん)、すなわち老荘思想における仙人的存在になろうとしたと記録している。だがこうして始皇帝が側近を誰も接近できなくさせたことによって、彼の動向を知る者は奴隷である宦官の趙高しかいなくなった。そのため始皇帝が巡幸先で急死したとき、その遺言を趙高はやすやすと捏造できた。始皇帝が意図していた後継者の扶蘇は偽りの詔勅によって死罪となり、趙高の傀儡にすぎない胡亥が二世皇帝となって、まもなく秦の滅亡につながった。それは、始皇帝の韓非子思想への過度の傾倒が起こした自業自得というべきであった。

このように韓非子思想を採用した始皇帝の統治は最後に茶番となって終わったのであるが、韓非子が主張した政治思想そのものは一笑に付すべきものではない。それは、為政者の主観的な好悪が政治に影響を及ぼすことの弊害を、指摘しているのである。『韓非子』の孤憤篇などで情熱的に訴えられているように、絶対君主は権力を持つがゆえに取り入って利権を貪ろうとする家臣が常にまとわり付き、そして君主は家臣に騙されて主観的に善事だと思い込まされた政策を行う。実際にはそれは私益のための政策であって国を弱体化させるのに、君主は気づかない。韓非子は戦国時代の諸国がそのような状態であったがゆえに、君主は主観を働かせるな、むしろ法によってルールを示し、家臣が褒賞と処罰によって働かずにはいられないように追い込むほうが国の利益なのである、と主張したところである。

韓非子の法家思想と、荀子の儒家思想とは、だからどちらが絶対的に正しいと白黒を付けるべき問題ではないだろう。統治される人間たちをより信じるならば、荀子のように公明正大な政治を選ぶべきであろう。しかし統治される人間たちのモラルが低下している状態であるならば、韓非子の道を取って隠密の政治も時にはやむをえないだろう。この両者の対立点は、21世紀の現在においても続いている、いつの世もホットであり続ける政治のテーマであろう。

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