八十六 国法において拾ったものを横領することが禁止されているのは、本来得る権利がないものを得ることを許せば、人民がこれを模倣することを嫌うゆえである。身分による分配の義が貫かれていれば、天下の統治を与えられたとしてもよく治めることができるだろう。しかし分配の義がなければ、一人の妻と一人の妾ですら制御できずに、家中はカオスに陥ることであろう。 ※原文の「分」・「分義」は、身分秩序に応じて定められた、富貴を得る権限のことである。君主が「分」を定めることによって社会がカオスから秩序に向かう、という荀子のビジョンは、富国篇で詳しく展開されている。上の訳は、通りよいように意訳した。本章のたとえは、庶民以外は妻の他に妾を身分に定められた数だけ保有することができる、という古代社会の家族制度を前提としているのである。
八十七 ※上の訳は、猪飼補注に沿って末尾を補った。下の注5参照。
※易牙・師曠はいずれも春秋時代の人物で、孟子告子章句上、七でも料理人と音楽家の第一人者として表れる。易牙は斉の桓公の佞臣で、自分の子を料理して主君に勧めた。師曠は晋の音楽家。 ※カゲロウの成虫は摂食せず、セミの成虫は樹液を飲むだけであるのは正しい観察であるが、共に長い幼虫時代がある。 八十八 ※臣道篇に「亂時に迫脅せられ、暴國に窮居して、之を避くる所無ければ、則ち其の美を崇び、其の善を揚げ、其の惡を違(さ)け、其の敗を隠し、其の長ずる所を言い、其の短なる所を稱せず」とあり、本章の句と大筋同じである。また栄辱篇に「博にして窮する者は訾(し)なり、之を清くして俞濁す者は口なり」の句が見える。
※人物を解説する。舜はいにしえの聖王で、父親の瞽瞍(こそう)に孝を尽くしたが、瞽瞍はかえって舜を憎んで殺害を企てた。孝己は殷の高宗武丁の太子で、賢明で孝行な人物であったが父王から疎まれて死んだ。比干は殷の紂王のおじで、暴君の紂を諫めたが、聞き入れられずに胸を割かれて殺された。子胥は伍子胥(ごししょ)のことで、呉王夫差(ふさ)の重臣。越国の脅威を夫差に進言したが、聞き入れられずに自害を求められた。仲尼は、孔子の字(あざな)。顔淵は顔回のことで、孔子の高弟であったが窮迫のうちに死んだ。 八十九 ※出版されている漢文大系は、八十九章と九十章を合わせて一章に作っている。しかしながら、両章は明らかに別の章にするべきである。
※本章の句は、非十二子篇にも見える。そちらを参照したほうが、句の意味がわかりやすい。 九十 |
《読み下し》 國法拾遺を禁ずるは、民の分無きを以て得るに串(なら)うを惡(にく)めばなり。(注1)分義有れば、則ち天下を容(う)けて(注2)治まり、分義無ければ、則ち一妻一妾にして亂る。 天下の人、各(おのおの)意を特(こと)にすと唯(いえど)も(注3)、然り而(しこう)して共に予(ゆる)す(注4)所有り。味を言う者は易牙(えきが)に予し、音を言う者は師曠(しこう)に予し、治を言う者は三王に予す。三王旣に已(すで)に法度を定め、禮樂を制して之を傳(つた)う。用いずして改めて自ら作る有るは、何を以て易牙の和を變じて、師曠の律を更(か)うるに異ならん。三王の法無くんば、天下は亡ぶるを待たず、國も死するを待たず。飲んで食わざる者は蟬なり、飲まずして食わざる者は浮蝣(ふゆう)なり(注5)。 虞舜(ぐしゅん)・孝己(こうき)は孝なるも親愛せず、比干(ひかん)・子胥(ししょ)は忠なるも君用いず、仲尼・顏淵は知なるも世に窮す。暴國に劫迫(きょうはく)せられて、之を辟(さ)くる所無ければ、則ち其の善を崇び、其の美を揚げ、其の長ずる所を言いて、其の短なる所を稱(しょう)せざれ。惟惟(いい)として亡ぶ者は誹(ひ)なり、博にして窮する者は訾(し)なり、之を清くして俞(いよいよ)濁す者は口なり。 君子は能く貴ぶ可きを爲すも、人をして必ず己を貴ばしむること能わず。能く用う可きことを爲すも、人をして必ず己を用いしむること能わず。 誥誓(こうせい)は五帝に及ばず、盟詛(めいそ)は三王に及ばず、質子(ちし)を交うるは五伯(ごは)に及ばず。 (注1)集解本にはここに「夫(かの)」の一字があるが、増注本には欠けている。
(注2)集解の王先謙は、「案ずるに容は受なり」と言う。これに従う。 (注3)集解の王念孫は、「唯は即ち雖なり」と言う。元刻および増注本は「唯」を「雖」に作る。 (注4)増注は、「予はなお許のごときなり」と言う。ゆるす。 (注5)集解の盧文弨は、末尾の一句は意味が完結していないので、後文が欠落していることを疑う。汪中は、末尾の一句は別の一義があって上文を受けないと考える。猪飼補注は、「蝉と浮蝣とは死亡の速やかなるを喩うなり」と言う。上の訳は、猪飼補注に沿って補う。 |
以上で、大略篇は終わる。『荀子』において荀子の言葉を中心として編集された篇は、ここで終わる。残る宥坐篇以下の五篇は、荀子以外の人物の言葉やエピソードを収録する体裁を取っている。だが、それらの説話もまた荀子やその弟子が手を入れて改変したものである可能性は否定できないであろう。