賦篇第二十六(1)

By | 2015年12月8日
問:「ここに、偉大なものがあります。
絹糸でもなく絹布でもないのに、美しい文様を成しています。太陽でも月でもないのに、天下に燦然と輝いています。生きている者はこれによって祝い、死去した者はこれによって葬ります。城郭はこれによって固くなり、総軍はこれによって強くなります。これを純粋に行えば王者となり、これをまだらに用いれば覇者となり、これを一つも用いなければ滅亡します。それがしは愚かにして、これが何かを知りません。王よ、どうかお聞かせ願います。」
王が言った(注1)、「それは、文様をなすが華美に走ることなきものであろうか。それは、簡潔で分かりやすいがきわめて理にかなうものであろうか。それは、君子が謹んで行うものであるが小人は否定するものであろうか。それは、人間の性に加えられないならば禽獣(ケダモノ)となり、人間の性に加えられたならばきわめて典雅となるものであろうか。匹夫がこれを貴べば聖人にも化し、諸侯がこれを貴べば四海を保つものであろうか。きわめて明らかでありながら簡潔であり、はなはだ自然で行いやすい。それは、『礼』というものであろう。」

答え:礼。


(注1)楊注は、「先王礼意の解をなす」と注する。つまり、いにしえの聖王との仮想問答である。
《読み下し》
爰(ここ)に大物有り、絲(し)に非ず帛(はく)に非ざるも、文理章を成し、日に非ず月に非ざるも、天下の明と爲る。生者は以て壽(ことほ)ぎ、死者は以て葬り、城郭は以て固く、三軍は以て强(つよ)し。粹にして王たり、駁(ばく)にして伯(は)たり、一無くして亡ぶ。臣愚にして識らず、敢て之を王に請う。王曰く、此れ夫れ文にして采(さい)(注2)ならざる者か。簡然として知り易くして、致(きわ)めて理有る者か。君子の敬(つつし)む所にして、小人の不(しかせざ)る所の者か。性得ざれば則ち禽獸の若く、性之を得れば則ち甚だ雅似(がし)(注3)なる者か。匹夫之を隆べば則ち聖人と爲り、諸侯之を隆べば則ち四海を有つ者か。致めて明にして約、甚だ順にして體(たい)すべし(注4)。請う之を禮に歸せん。禮。


(注2)楊注は、「華采に至らざる者」と注する。華美に走らないこと。
(注3)楊注は、「雅正なり」と注する。
(注4)「甚だ順にして體すべし」について、楊注は「行い易きを言うなり」と注する。

賦篇は、荀子作の賦(ふ)五篇および佹詩(きし)一篇、合わせて六篇を収録している。賦とは古代中国の詩歌の一形式であり、漢代以降盛んに作られた。賦は押韻を施すが一行の長さは可変的であることが許されて、多くは区切りごとに韻を変える換韻(かんいん)が行われる。その淵源は、楚地方の作品を集めたアンソロジー『楚辞』にあると言われる。荀子は斉国を讒言で追われた後、戦国四君子の一人で楚国の実力者であった春申君に庇護されて、亡くなるまで楚国の蘭陵(らんりょう)に居住していた。荀子は楚国との関わりが深く、その地の文学に影響されて自らも賦を作ったのであろうか。

しかし『楚辞』収録の作品は、著名な「離騒」に見られるように感情を表出した抒情詩であるが、荀子の作った賦は抒情詩ではない。一種の謎解きのスタイルを取っていて、謎として表現を重ねていって、最後にそれらの答えを示している。二千年前はこの技巧でも斬新だったのかもしれないが、現代人の目から見ると、どう評価してよいのか困ってしまう。荀子の思想は時代を超える内容を持っていると私は考えるが、荀子の芸術作品は残念ながら時代を超える力を持っていそうにない。仔細に検討する価値を感じないので、ほとんど訳するだけにとどめたい。

本篇の作品も押韻がなされているのであるが、原文を掲載することは割愛した。また賦は散文詩に近い形式であるので、訳はリズムを特に考慮に入れることなく通常どおり行うことにしたい。

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