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第一日
(2004/11/10)

↓空港
↓佐敦(ホテル)
↓尖沙咀

↓上環(文武廟)
↓中環
↓スターフェリー
↓尖沙咀
↓佐敦(廟街)
↓佐敦(ホテル)

第二日
(2004/11/11)

↓佐敦(ホテル)
↓九龍公園
↓油麻地

↓QuarryBay
↓北角
↓銅鑼湾(午砲)
↓黄泥涌峡
↓大潭郊野公園

↓赤柱

↓中環

↓The Peak
↓上環
↓佐敦(ホテル)

第三日
(2004/11/12)

↓佐敦(ホテル)
↓尖東車站
↓上水

↓中港境界
↓尖沙咀
↓深水ポー

↓香港歴博
佐敦(ホテル他)

第四日
(2004/11/13)

空港

第三日 其の五

仍って努力を需む。 よってどりょくをもとむ 孫逸仙

夜は、何とか気力を回復させて、Sの香港でのメル友のCを加えて三人でささやかに食い飲みした。
Cは日本系企業に勤めている二十代の香港人で、将来日本の大学で学ぶことを希望している。
何度か大陸中国も旅行したことがあるということだったが、香港人の彼に言わせれば、大陸人は

“impolite”(不親切)

だということだ。香港人は大陸よりも大きく先に行ってしまっている。
Sが広東語も学んでみたいと思っている、と話したら、彼は「Cantoneseなんて学ぶ必要はない。英語があればいいんですよ」と返した。

彼は日本に行ったら、「ラーメンと神戸牛を食べて、温泉に行って、きれいな景色を見て、そして東京で新年を迎えてみたいものです」という希望を述べた。
彼の希望に、一般的なアジアの外国人旅行者が日本でしたいことの全てが縮約されているのを聞いて、内心思わず苦笑してしまった。

外国の人々が日本に注目するものといえば、それはA級B級ないまぜた目もくらむように多様な食べ物であり、世界にまたとない豊富な温泉であり、そしておそらく世界最大の消費市場である東京で買い物をすること、これ以上のものはそんなに求められてはいない。

歴史的建造物はユニークであるが、ユニークすぎて日本の外では誰もよく知らない。日本の歴史が世界とほとんど何の干渉もなく勝手に進んでいった、「アリスの不思議の国」である以上は仕様がない。
自然といってもカナダのような雄大さはなくて、ひなびてこじんまりとしたものばかり。(富士山は別だが。だがあれは日本人などいなくても美しい山なのであって、日本人はあの山にほとんど何も偉大なものを付け加えていない。)
都市の景観はカオスの一言で、しかも今やどの通りもどんな地方都市も同じ色、同じデザインのコンビニと100円ショップに占領されて、没個性化が止まらない(少なくとも20年前はここまでひどくなかった)。
博物館・美術館は世界的水準からいえば二流のものにすぎない。
少し時間的に余裕のある人ならば、名古屋あたりで自動車工場を見学するかもしれないが、、、

食事を終えて、ホテルに戻った。
この3日間で数十キロは歩いたはずだ。我ながらなかなかの強行軍であった。
明日のフライト時間がもう少し遅ければ、1日目に行った上環の骨董品街にもう一度足を運びたかったが、やむなし。


帰ってみたら、日本は寒かった、、

何はともあれ、これで3泊4日の香港旅行はおしまい。
帰りの便も、行きと同じくAIR INDIAであった。
これは、その時に出た機内食。

結論じみたことを言えば、これほど自由で豊かで、そして礼節をわきまえている社会精神が骨身にまで沁み渡っている香港を、これからの中国は大事にしなければいけないのではないか、と思った。
このような市民の生活感覚に根付いた精神は、中国の将来のために必ず必要であり続けるだろう。
これは単に経済的な価値だけでは計り知れないものがあるはずだ。
大陸流にちょっと大げさな表現をすれば、この2000年の間抑圧されてくじかれてきた市民精神というものを、この地の市民がようやく回復させ始めている。アジアグローバルから見ても、貴重な地域ではないか?


、、、ただし、食い物は期待はずれだったが。



今回の旅行で同行したSが後で言ったことには、私は「まずいものを引き寄せるオーラが出ている」ということだが、、、ヤなオーラだな。