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第一日
(2004/11/10)

↓空港
↓佐敦(ホテル)
↓尖沙咀

↓上環(文武廟)
↓中環
↓スターフェリー
↓尖沙咀
↓佐敦(廟街)
↓佐敦(ホテル)

第二日
(2004/11/11)

↓佐敦(ホテル)
↓九龍公園
↓油麻地

↓QuarryBay
↓北角
↓銅鑼湾(午砲)
↓黄泥涌峡
↓大潭郊野公園

↓赤柱

↓中環

The Peak
上環
佐敦(ホテル)

第三日
(2004/11/12)

↓佐敦(ホテル)
↓尖東車站
↓上水

↓中港境界
↓尖沙咀
↓深水ポー

↓香港歴博
↓佐敦(ホテル他)

第四日
(2004/11/13)

↓空港

第二日 其の六

If one wanted to show a foreigner England, perhaps the wisest course would be to take him to the final section of the Purbeck Hills, and stand him on their summit, a few miles to the east of Corfe. Then system after system of our island would roll together under his feet.

もし外国人にイングランドを見せたいと思うならば、おそらくいちばんよいのはパーベック=ヒルズの最先端に連れて行き、コーフの数マイル東の頂に立たせてみることだ。そうすれば、私たちの島が持つ地形の一つ一つが、まとめて足元に開けるだろうよ。

E.M.Forster "Howards End"

イギリス人に感化されて飯がまずくなったか?

「だいたいやな、豚肉というのは牛や鶏と違って肉自体に臭みがあるんやよ。そやから臭いを消すために本来は慎重に下味をつけなければならん。焼きうどんには豚肉使わんやろ?あれは、しょうゆオンリーでは肉の臭みを消すことがでけんからやよ。だからソースは偉大なんよ。あれは一かけで豚肉の臭みを追放できる。偶然とはいえ、昔の日本人はようあれを発明したもんや。それをソースもないのに怠けて手を抜きやがって、、、」

今、ビクトリア・ピーク行きのバスに乗っている。(中環の交易廣場にあるバスターミナルからファーストバス15番)
未だに収まらない怒りを、横のSにブチブチこぼしている。Sもいい迷惑だ。

金をケチって安いとこ行ってるからだ、と言うか?
それとも、よその水に慣れようとしない愚か者だと言うか?
だがだ、だがだよ。大したことないんなら、それはそれで構わないのよ。日本人の口に合わないんだったら、それは致し方ないんだよ。
だったらこれまで日本のありとあらゆるメディアがよってたかって作り上げていた「食道楽」のイメージは、一体なんだったんだよ、と自分が勝手にいつのまにかメディアに乗せられて作り上げてきたセルフイメージに対して、タダタダ腹立たしかっただけなんですよ。

もっと高次のものを(実はほんのちょっと)期待していた(のに気付いた)。
大阪のその辺の立ち食いうどんが妙にうまかったり、
東京で結局今のところ印象に残ったラーメン屋は、荻窪ラーメンでも大勝軒でもない、それこそ聞いたこともないような店だったり(今でも味噌ラーメンを自分で作るときは、この店のやり方を模倣している)、
那覇のあやしげな店で出てきたゴーヤーチャンプルーがどういうわけか絶妙の味をかもし出していたり、
などといったぐあいのような、心にしみる出会いが至るところであるに違いない、などとどうやら勝手に前提していたようだ。

例えば、司馬遼太郎がこう言ったような。

「私自身は、中学四年生のとき、はじめて"東京ずし"を食った。いきなりうまいとおもった。そのいきなりが、普遍性というものである。」 (司馬遼太郎『アメリカ素描』より。強調は鈴元)

そういった普遍性があるはずだ、あるんじゃないかな、と実はほんの少し、いや白状するとかなり本気で思い込んでいたんだが、、、期待がちょっと大きすぎたようだ。己の甘さに、ただ笑うしかない。


まあ、それはともあれ、定番の観光スポットであるビクトリア・ピークに向けて進む。
道路の向こうは奈落であろう山道をうねうねと登っていく。
夜でよかった。昼だったら、道路の向こうを見てすくみ上がっていただろう。
高所恐怖症のためにこういった山道のハイウェイをバスで行くと背筋の凍る思いがしてしまう。
だが、飛行機と一緒で悪天候(あるいは人為的なテロ)でもなければ、事故などは滅多に起こるはずがない。
ゆえにこれを「杞憂」という。

また手ぶれが出ている。

これはわりかしまし。

山上は案の定日本人だらけ。
この景色、100年後にはどうなっているだろうか?
今のところ、人類の想像力はこのブレードランナーそのままの風景から前に進むことができないでいる。
20世紀都市のイメージが世紀初頭の未来派(Futurismo)やロシアアヴァンギャルドから発生したとするならば、ひょっとしたら今新たな都市のイメージを生み出せないでいる人類は、その都市文明としてのヤマをもう越えたのかもしれない。
インターネット時代には端末自体が情報の集積場となるから、情報の集散地としての都市は必要ないしね。

この島の意外な険しさが体験できる。

ピークトラムで降りる。凄い傾きだ。立っていると足が痛い。
だが窓の外に斜めにビルが見えるのが、ゆかいゆかい。

再び上環に行って、某店で牛肉麺を食べる。同行のSの提案だ。
スープはそこそこだが、いかんせん麺が噛み切れない。これがこの地ではよしとされるんだろうか?
Sは昔台湾旅行した際に食った牛肉麺に「普遍性」を感じた(つまりいきなりうまいと思った)ので今回香港でもこれで二度牛肉麺を試したのだが、残念ながら彼にとって感動の出会い再びとはいかなかったようだ。

今日はここまで。上環駅から地下鉄で佐敦駅まで行って、ホテルに戻った。
テレビのCNNはアラファト議長関係の報道一色だった。(2004/11/11、つまりこの日に死去)
このホテルのテレビでは、上海から四川まで華南地方各局のテレビを見ることができる。
清朝時代の家庭劇をやっているチャンネルがあった。
この頃の女性は纏足をしていたはずだから、この劇みたいにトコトコ歩き回るのはおかしいんじゃないか?
別の香港ローカルのチャンネルでは、日本でもよくある若手タレント出演の低予算な深夜番組をやっていた。
香港郊外の店に行って、ヘビ、爬虫類、昆虫のたぐいを食うという「ゲテモノグルメに挑戦!」というヤツ。
言葉の違い以外は、日本そのまんまですな。
他にも、京劇をやっているチャンネルがあった。
曹操と陳宮との劇だな。
言っていることはわからないが、筋を知っているので何をしているかは分かる。


さて、2日間香港の中心部を歩き回ったわけだが、気付いたことが二つある。

まず一つは、香港でカラスを見かけなかった。
カラスなんてゴキブリといっしょでどんな都会でも適応して跋扈しているものだと思っていたが。(ゴキブリは上環で見かけた)
単に見なかっただけなのか、それとも本当にいないのか。
大陸ではカラスを食っているそうだから、香港が分布域から外れているはずはない。
今私が住んでいる京都の地区なんて、カラスだらけなのだが、、、
この都市では、よほど効果的な生ごみの収集処理が成されているのだろうか。

二つ目は、香港でホームレスを見かけなかった。
私は、ホームレスは成功したビジネス社会に伴う必然的現象だと思っている。
ビジネス社会はそれはそれは厳しいものだから、何パーセントかの確率でついていけない人がホームレスになるのは致し方ないことだ。
まして自由な社会ならば投獄されて拷問されるわけでもなし、使い捨てのごみには事欠かないから拾えばいいわけだし。
昔ヨーロッパに旅行したとき、あの寒いエディンバラですら結構な数のホームレスがいたのを覚えている。
ましてやこんな温かい香港で、なんでホームレスとして生きる人がいないんだ?
思えば、80年代頃には大阪でもホームレスはごく限られた地域以外では見かけなかった。
それが、90年代以降はそちこちの公園で大規模なコロニーを形成するようになった。
たぶん、私には何とはっきり示す能力がないが、80年代から90年代の変わり目で、日本の社会が大きく変わったのだと思う。(景気後退のせいだ、という回答が最も模範的で合理的なものなのだが、それだけでは説明しきれない、もっと人の「考え方」とか「理想」の変化、のような要因があるような気がする。)
香港はその節目まで行っていないのであろうか?
それとも実は行政によって私のような片々たる観光客の目から隠されているのだろうか?
そこのところはよくわからない。