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第一日
(2004/11/10)

↓空港
↓佐敦(ホテル)
↓尖沙咀

上環(文武廟)
↓中環
↓スターフェリー
↓尖沙咀
↓佐敦(廟街)
↓佐敦(ホテル)

第二日
(2004/11/11)

↓佐敦(ホテル)
↓九龍公園
↓油麻地
↓QuarryBay
↓北角
↓銅鑼湾(午砲)
↓黄泥涌峡
↓大潭郊野公園

↓赤柱
↓中環

↓The Peak
↓上環
↓佐敦(ホテル)

第三日
(2004/11/12)

↓佐敦(ホテル)
↓尖東車站
↓上水

↓中港境界
↓尖沙咀
↓深水ポー

↓香港歴博
↓佐敦(ホテル他)

第四日
(2004/11/13)

↓空港

第一日 其の三

果たせるかな、大丈夫の恋。はたせるかな、だいじょうぶのこい 吉川英治

地下鉄尖沙咀駅に行って、八達通(オクトパスカード、OctopusCard)を購入。
(八達通とは、香港内のほとんど全ての交通機関で通用する半永久使用式のプリペイドカードで、電車・バス・フェリーのいずれでも据え付けのセンサーにかざすと電子的に利用金額の差し引きを行うシステム。つまりJR東日本のSuicaが首都圏の全ての交通機関で利用できるようなもので、また関西のスルッとKANSAIが増値可能なシステムとなったようなものだ。)
これは便利だ。いちいち電車に乗る際にキップ売り場を探す必要がない。いやそれよりもバス、地下鉄、フェリーといった交通機関の種類や会社の違いを一切気にせずに同じやり方でスイスイ使えるので、コミュニケーションに何かと不都合がある旅行者にとってはありがたい。結局旅行中は試さなかったが、八達通はコンビニの支払にも使えるらしい。

日本でもようやく会社・地域の枠を越えたネットワークが作られつつあるようだ。
だが、「電子マネー」という言葉ばかりが飛び回って、これがコミュニケーションがしにくい異邦人に優しいシステムであるという視点から、これまでいったいどれだけ議論されたか。
京都のバスなんて、もし私が日本人じゃなかったとしたら、初日でいきなり乗りこなせる自信がありません。

こういった交通だけではなくて、外国人にとってもいやでも関係せざるをえない、特に銀行と役所で、彼らに痛痒なくサービスを享受させるという配慮をこの10年か20年ほどでどれだけ加えたのか。
英語学習とかよりまず先に、そこに思いが至らないならば、国際化は掛け声だけだ。

明らかにアジアの都市。欧州とは違う
香港の地下鉄は東京の営団そっくり。

地下鉄 チュン灣線(Tsuen Wan Line、「チュン」は「くさかんむりのしたに全」)、港島線(Island Line)を乗り継いで、上環駅へ。

えっ?何をしに行ったって?

そりゃあ、中国に来たからには、道中の安全を祈るために、上環の文武廟(Man Mo Temple)におわす関羽将軍にお参りに行こうと。(この地では「關帝」「關公」と呼ばれている)まあ、昔は吉川三国志の愛読者だったからね。果たせるかな、大丈夫の恋、、、

、、、だが、こんなものは私個人の趣味に過ぎないので、同行のSの提案により、まずは同じく上環の士丹頓街(Stanton St)にある孫文ゆかりの(?)バーに行く。

士丹頓街はにぎやかな通りだ。
ここに来ると、モンゴロイドとコーカソイドの比率が逆転する。
なるほど、国際都市だ。
ただ惜しむらくは、出されたメニューの酒が、日本のどこでも見ることができるおなじみのものばかりだ。
ハイネケン、ギネス、チンタオ、ビンタン、、、マッカラン、ハーパー、グレンフィディッチ、、、
日本列島でしか(たぶん)見ることのできない吟醸酒や焼酎をこっそり味わっている日本人は、うらやましいほどにユニークではないか、と思ったりする。

バーを出て、荷李活道(Hollywood Rd)を歩く。大阪の老松町のような骨董品街だという。だが夜なので店が閉まっていて、全貌がよくわからない。
ちょっと立ち止まった所で、上を見上げる、、、何て高いビルだ!

別に図解を示すが、ここは目の高さで見れば大阪の心斎橋、上を見上げれば摩天楼だ。まさにハイブリッド。
何か一つの可能性を見た気がした。

途中に、「酸梅湯」を売っている店があった。おお、これを飲んでみたかったんだ。
魯迅のある小説の冒頭は、このように始まる。

「首都の西域の大通りは、このとき騒々しいものは何もなかった。灼けつく太陽はまだ真上に達しないが、路上はもう土が光らんばかり、熱気がびっしり空中にあふれて、至るところ真夏の威力を発揮している。犬はみなだらりと舌を垂らし、樹上の鴉さえ、あんぐり嘴をあけてあえいでいる――といっても例外はむろんある。はるか遠く、かすかに二枚の銅皿を打ち鳴らす音が聞こえて、酸梅湯を思い出させてくれるのが一服の清涼剤だ。しかし、間をおいて聞こえてくる単調なものういその金属音は、いっそう静寂を深めもする...」(『さらし刑』(原題:『示衆』)より、竹内好訳。強調は鈴元)


まずは飲むべし。
、、、、梅ジュースですな。
まあ、実物を知ったからよし。

その後、Sと二人で散々迷った揚句文武廟に着いたものの、、、もう真夜中で中に入れなかった。残念。

街の住所区分がイギリス流で、住所は全て建物が面した道路名で指示される。だから自分が進んでいる道路の名前をまず押さえておくのが迷わないための肝要なのだが、日本的な感覚が残ってしまっていて、すぐに今どこにいるのかがわからなくなってしまう。しかも道路が交差する辻にしか道路名の表示がないので、辻まで行ってはじめて間違った通りを歩いていることに気付く、そのようなことをしている。それにしても迷いすぎた。

何の神様なのかはわからない。

街の至るところに道教のほこらがある。この辺は日本人の宗教感覚に近いものを感じる。一神教と違って、神や仏はそちらこちらの門の前や辻のたもとに気軽におわします、ということなんだろう。

日本人には、明朝以降の中国建築が極彩色の悪趣味に走っていて興醒めである、という評価を下す人が多くいる。(芥川龍之介とか司馬遼太郎とか)
だが、一般建築は別として、こと宗教建築について言うならば、こうやってにぎにぎしく飾ったほうがめでたく楽しくて、素朴な心にも分かりやすいのではないかと思ったりもする。
観光客の視点で見るからいけない。
私たちだって幼稚園・小学生の頃は、お誕生会とかクリスマスとかは目いっぱい教室内を色とりどりの紙や作り物で飾っていたではないか。それに比べると、日本の高野山なんかまことに暗くて苔むしてしめっぽく、行くと気鬱になってしまう。あれはあれで死後の世界の暗黒幽玄さを表して、信者に一種のおどしの効果を演出しているのだろうが。
だがおどしで信心を起こさせる宗教とゆかいさを演出する宗教ならば、どうせ信心薄い私としては、実害がない限り後者のほうが、まだましかもしれない?などと、勝手に考えてしまう。