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第一日
(2004/11/10)

↓空港
↓佐敦(ホテル)
↓尖沙咀

↓上環(文武廟)
↓中環
↓スターフェリー
↓尖沙咀
↓佐敦(廟街)
↓佐敦(ホテル)

第二日
(2004/11/11)

↓佐敦(ホテル)
↓九龍公園
↓油麻地

↓QuarryBay
↓北角
↓銅鑼湾(午砲)
↓黄泥涌峡
↓大潭郊野公園

↓赤柱

↓中環

↓The Peak
↓上環
↓佐敦(ホテル)

第三日
(2004/11/12)

佐敦(ホテル)
尖東車站
上水
↓中港境界
↓尖沙咀
↓深水ポー

↓香港歴博
↓佐敦(ホテル他)

第四日
(2004/11/13)

↓空港

第三日 其の一

地獄は一定すみぞかし。じごくはいちじょうすみぞかし 『歎異抄』

今日も朝7時に起床。
この旅行中、あんまり酒飲んでないなあ。まあいいか。

朝はやっぱりマクドに行ってモーニングセットを頼む。
僕らの世代は、もう地球中どこに行ってもこの呪縛から逃れられないようだ。
絶対にハズレないということの保証が、いかに違う文化の世界のど真ん中にいるときに楽であることか。
これからの人類にはますます世界を飛び回って交流することが要求される以上、この「普遍性」はもはや公共財だ。
ヒツジの頭や海ヘビ食えって言われても、それは慣れればうまいかもしれないが、一見さんの旅行者にはきつすぎる。やっぱり日本といっしょのハッシュドポテトとエッグマフィンに、大してうまくないが一応のコーヒーが出ればそれでいい。
いまいましかろうが、これは認めざるをえない。
結局「普遍性」とは、日本で食べ過ぎて半ば飽きてしまった、この目の前のセットメニューであったということを確認させられた、そんな朝であった。

長い!京葉線東京駅とどちらが長いだろうか。

地下鉄尖沙咀駅から延々と続く動く廊下を伝って、九廣東鐵の始発駅である尖東車站に行く。
どうせだから香港特別行政区の北の端まで行ってみようというわけである。
この駅は最近延伸したもののようで、手持ちの「地球の歩き方」にも載っていない。

九廣東鐵で深川(周知のとおり、「川」は本当は「土へんに川」)の入り口の駅である羅湖駅の手前の駅、上水駅で下車する。
おそらくこんな所に来る観光客などほとんどいないだろうが、、、
駅舎は日本でもよくあるショッピングモールとの複合施設だ。

意味もなく鶏。

それにしても平日の朝方からよく人がいる。
だいたい日本ではこういった郊外都市の午前中といったら、主婦は朝のワイドショーなんかを見ていて家にこもっているのが一般的な時間の過ごし方で、午前中から駅のまわりをうろついているのは営業マンか仕事サボっている人ぐらいでわりあい閑散としているものだ。
暑い気候が、人々に自然に外出させるように仕向けるのだろうか。

街中を通り抜けて、北に伸びる馬會道(Jockey Club Road)を進む。
昔この辺はイギリス人が経営する厩舎か何かだったのだろうか。

関係者以外は、集落の中に入りづらい。

途中にあった集落は、おそらく客家人の集落ではないだろうか。
女性が特徴的な傘を被っている。
地図で見ると、濠の跡らしきものがあって、環濠集落のような形状をしている。

マチクって、メンマの素のことね。

同じ集落で撮ったもの。マチクのたぐいの竹の密生。
よく手入れされている。

かなり真新しい。
南無。

これも同じ集落。どういうわけか、「南無阿弥陀仏」の石碑がある。

阿弥陀仏信仰はもともと中国で流行したものが平安時代に日本に招来されたものだが、その後中国では阿弥陀仏信仰は衰えてもっと現世救済の色彩が強い弥勒仏信仰に取って替わられたと聞いている。

たとえば、江南地方から海商たちを通じて日本に招来された「布袋さん」は弥勒菩薩の一変化である(唐末五代に実在した怪僧契此がモデル)。
また元代以降しばしば反乱を起こして王朝を窮地に陥らせた白蓮教徒は弥勒仏の信仰集団であって、その教義は今時点でお布施をしておけば近いうちに(遠い来世ではない)弥勒仏が支配する時代がやってきて、与えたお布施を何十倍にしてリターンしてくれる、信徒には喜捨した額に応じて暖衣飽食栄耀栄華が配当として与えられる、という見も蓋もないものである(だから教団の指導者たちは日本の某カルト宗教のように、信徒の期待に応えるために自ら乱を起こして革命を企てようとしたのだ)。
このように中国では仏教信仰の色彩が唐代のころから時代が下るとずいぶん違うものになってしまい、結果日本のものとかけ離れたものになってしまった。

だが、もしここが客家集落であるならば、ひょっとしたら唐代の古俗が化石のようにこっそり保存されているのかもしれない。