再び鉄道で尖沙咀に戻る。
新界全体をざっと縦断したわけであるが、先ほどの畑はともかくとして、全体としてほとんど農地というものを見かけない。
水に乏しく人件費も地代もばかにならないこの香港では、農業など非能率なのだろう。
日本では田畑が自然を守る防波堤になっているなんていう議論があるが、本当にそうなんでしょうかね。
少なくとも、趣味で米作り野菜作りをするような発想が、彼らにはどうもなさそうだ。
尖沙咀で、今日が最後の日と初めて本格的な中華レストランに入る。
同行のSも今回の旅行の食事にはここまでおおむね不満であったようで、「中環にあった吉野家に入っとけばよかった」などとこぼし始めていた始末だから、最後の日ぐらいはグレードを上げてしっかりしたものを頂こうではないか、と双方同意した。
四川料理店で、麻婆豆腐、宮保鶏丁(鶏とカシューナッツ炒め)、魚香茄子(マーボ茄子)、干焼明蝦(エビチリ)、干扁四季豆(インゲン豆炒め)、四川風餃子、焼飯に高梁酒。
目ぼしいメニューを片っぱしから頼んだ。
さすがに、本格的レストランだけあって、ものが違う。
これらの料理は私自身も時々作っているのだが、本物を始めて味わった。
宮保鶏丁は、鶏肉が鮮やかに炒めあがっている。私が作るとからめた片栗粉がぶよぶよになってしまうものだが、これではそれがない。
魚香茄子は、茄子に甘みがある。
エビチリは、さすがに良い素材を使っているのがわかる。
いずれも、素材にうまみがあるのは大したもんだ。
こうやって並べてみると、麻婆豆腐というのは素材自体に味があるわけでもなくて、実はおそうざい的なレベルの下がる料理なのだろうと思った。
日本人がこんな高級レストランでも有りがたがって頼むのが、ひょっとしたら彼らには不思議なのではないか。
だが、とにかく辛い。高梁酒(マオタイ酒とか汾酒とかではない、もっと安いものだが)を口に含むと、辛さがさらに響く。
高梁酒は、どちらかといえば北京料理のような濃厚で塩っぽい料理向きなのだろうな、と思った。少なくとも四川料理にはあまり合わない。
北京料理には高梁酒。
上海料理には紹興酒。
広東料理にはビールだろうか。
そして、四川料理には、、、正直言って、茶がいちばんよい。お茶を飲むと、辛さがうまいぐあいに引いてちょうどよいぐあいになる。酒は合わないような気がする。
というわけで、香港3日目にしてようやく愁眉を開かれた思いがした。
だがその直後に請求書の値段を見て、今度は目頭が熱くなったが。
これだけの金払えば、日本でもこの程度の料理は確実に食えるよなあ、、、
ここから後は、再びSといったん別れて単独行動をした。
結局、この香港で食い飲みした物の最高のヒットは、今もコンビニで買って飲んでいるネスティーだった。なんということだ。
まあちょっと弁護をすれば、ひょっとしたらお菓子なんかはイケるかもしれないな。
昨日食べたエッグタルトなんかは安くていい感じだった。
私は甘いものも一応OKだけど、だが正直言って、それだけではちょっと淋しい。
教会で結婚式をやっていた。ただそれだけ。
日本のマンガ絵文化は香港でも着実に受け入れられていた。
囲碁教室の看板、役所の横断幕、どこのコンビニ駅売でも見られる漫画誌や、ゲーム誌の表紙、、、
ささやかな日本発の「普遍性」だ。
ただし、絵の技術だけが突出してそれにストーリーテリング能力がついていっていないのが、いまいちこのジャンルが大きく国際的に雄飛しきれない原因だと思うが、、、異論もあるだろうからやめにしておく。
電脳街の深水歩(「歩」は本当は「土へんに歩」)。
正直言って、秋葉原はおろか大阪の日本橋にも及びませんな。
日本のゲームのデモが日本語のまんま流されている。
当然、彼らに分かるはずがない。
これでは、日本のサブカル文化が拡がる範囲も自ずから限界があるというものだ。
あるいは、もう少しうがった見方をすれば、前も言ったように中国は各地の方言の差がはなはだしくて、音声を吹き替えただけではだめで字幕もつけなければならない。(香港映画には必ず字幕がついているし、昨日見たテレビのドラマも字幕付きだった)
その分、余計に手間が掛かる。
だから、某社のゲーム「三国志」シリーズのようによっぽど本格的な宣伝を行う用意のあるソフトでなければ、日本語のデモそのままでお茶を濁さざるをえないのかもしれないのか?
まあ、その辺の事情はよくわからない。