大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。 小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。 |
《読み下し》 古(いにしえ)の明德(めいとく)を天下に明(あきら)かにせんと欲する者は、先(ま)ず其の國(くに)を治む。其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊(ととの)う。其の家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を脩(おさ)む。其の身を脩めんと欲する者は、先ず其の心を正しくす。其の心を正しくせんと欲する者は、先ず其の意を誠(まこと)にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致(きわ)む。知を致むるは物に格(いた)るに在り。 治は平聲(へいせい)。後(のち)も此(これ)に放(なら)う。 明德を天下に明(あきら)かにすとは、天下の人をして皆以て其の明德を明かにすること有らしむるなり。心とは、身の主とする所なり。誠とは、實(じつ)なり。意とは、心の發(はっ)する所なり。其の心の發する所を實にし、其の善に一にして自ら欺くこと無きを欲するなり。致は、推し極むるなり。知は、猶(な)お識のごときなり。吾の知識を推し極めて、其の知る所盡(つ)くさざる無きを欲するなり。格は、至るなり。物は、猶お事のごときなり。事物の理を窮至(きゅうし)して、其の極むる處(ところ)到らざる無きを欲するなり。此の八者は、大學の條目(じょうもく)なり。 《用語解説・本文》 先ず其の知を致(きわ)む「致」字は「いたす」と読み下す本が多い。このサイトでは、現代語でよりわかりやすく「きわむ」の読み下しをあえて取った。 知を致むるは物に格(いた)るに在り「格」字を「いたる」と読み下したのは、朱子の解釈に従ったからである。王陽明の解釈を取る場合にはむしろ「物を格(ただ)す」と読み下すべきであろう。下のコメントも参照。 《用語解説・朱子注》 |
《現代語訳》 はるか昔の偉大な時代には、偉大なる徳を天下すべてに明らかに示そうと望んだ人たちは、なによりもまず自分の国をよく治めたものであった。自分の国をよく治めようと望んだ人たちは、なによりもまず自分の家庭をよくしたものであった。自分の家庭をよくしようと望んだ人たちは、なによりもまず自分自身をよくしようと精進したものであった。自分自身をよくしようと望んだ人たちは、なによりもまず自分の心を正しくしたものであった。自分の心を正しくしようと望んだ人たちは、なによりもまず心の意志を誠(まこと)にすること、言い換えれば自分にうそをつかずに充実して善をなせるような純粋な意志を持ったものであった。意志を誠にしようと望んだ人たちは、なによりもまずその知能を究め尽したものであった。どのように知能を究めるのかといえば、それは物事(ものごと)の真実を追求するということであった。 「治」字は平聲(へいせい)で読む。これ以降も同じである。
「明德を天下に明(あきら)かにす」とは、(君子ひとりの修練で終わるものではなくて、究極の目的としては)天下すべての人がそれぞれの偉大な徳を明らかに示すことができるようにさせる、ということなのである。同じく「心」とは、身体がその主(あるじ)とするものである。同じく「誠」とは、心が純化されて迷わずに充実している状態のことである。同じく「意」とは、心が発する発意のことである。自らの心が発する発意をそのように充実させて、心がひたむきに善に専一して自分にうそをつかずにいられるようになることを欲するのである。同じく「致む」とは、進めて極めることである。同じく「知」とは、知識と同じ意味である。己の知識を進めて極め、自らの知るところが極限にまで届くことを欲するのである。同じく「格」とは、至ることである。同じく「物」とは、事(ものごと)と同じ意味である。ものごとの理を窮め尽して、その極地にまで必ず届くことを欲するのである。此の八つのものは、『大学』の条目(じょうもく)つまり詳しい細目なのである。 |
《原文》 古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先脩其身。欲脩其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。 治、平聲。後放此。明明德於天下者、使天下之人皆有以明其明德也。心者、身之所主也。誠、實也。意者、心之所發也。實其心之所發、欲其一於善而無自欺也。致、推極也。知、猶識也。推極吾之知識、欲其所知無不盡也。格、至也。物、猶事也。窮至事物之理、欲其極處無不到也。此八者、大學之條目也。
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ここに挙げられた(朱子学が名付けるところの)「八条目」は、実践倫理として儒学を学ぶ者たちに尊ばれてきたところである。
格物・致知・誠意・正心の工夫(くふう)を以て身を脩(おさ)むるは、人の本にして已(や)む可(べ)からざることなり。家を斉(ととの)えて国・天下に及ぶは、厚きより先にして薄きに及ぶなり。是(これ)、『大学』通篇の旨にして、其の他の聖経・賢伝、皆其の義疏(ぎそ。注釈のこと)なり。(吉田松陰、講孟箚記より)
己の修身から仁義を起こしてそれを広げて家を斉(ととの)え、さらに同じ仁義の道を大きく推し進めて天下国家を治める。松陰たち儒者はこのストーリーを尊信して、武士として我が身を正し、親に孝行し郷里と親睦することを心がけて、その上で天下の憂いを除くことを目指したものであった。『大学』に見える儒学の倫理は、自分自身・親族・地域・自国・世界の正義を一つの原理で押さえることに成功している。これを優れた倫理思想と見ることに、私もやぶさかではない。近代リベラリズムは自分自身・親族・地域・自国・世界のそれぞれの正義を全く無関係に論じるために、自分自身と社会、自分自身と国家、社会国家と世界との関係に整合性が取れない。それが21世紀に入ってリベラリズムが衰退している思想的原因なのではないか、と私は思う。
八条目をスローガンとして小さな順から並べると「格物(かくぶつ)・致知(ちち)・誠意(せいい)・正心(せいしん)・脩身(しゅうしん)・斉家(せいか)・治国(ちこく)・平天下(へいてんか)」となる。その趣意であるが、修身以降の条目は、説明するまでもなく明らかなものである。いっぽう修身以前の格物・致知・誠意・正心については、この『大学章句』注において、朱子がその解釈を示している。朱子はそのうち「格物」については『大学』後段の「伝」つまり「経」を解説した文章が欠落している、とみなした。よって朱子は本来存在していたはずであった「格物」の「伝」をあえて加筆することまで試みたのであった。後に「伝」を読むところで検討することにしたいが、そこで書かれた「格物」の解釈は、世界の事物に存在しているはずの「理」を人の知力で認識する、ということである。ゆえに、朱子に従って日本語で読み下すならば「物に格(いた)る」と読むべきである。朱子学は、「世界には客観的な真理が実在しているはずで、それは人間の知力によって認識可能なはずだ」という信念に立つ。つまり、プラトニズムの立場である。朱子学によれば、人間の仁義もまた客観的な真理である。なので人間のなすべき倫理的態度は、心を正しくして意図を誠にして、客観的な真理と心を完全に一致させるところにある。
朱子学の解釈に異を唱えたのが王陽明であり、彼は「格物致知」を心が本来持つ良知(りょうち)を究めて外物に正しく働きかける、のように読んだ。王陽明は孟子の言葉である良知を拡大して解釈し、人間の心は生得的に善を識別できる内在知を持っていると信じた。彼にとっての倫理的課題はこの生まれ持った良知が普段は私欲によって曇らされていることを反省し、これを磨いて生まれ持った善なる判断力を取り戻すことに尽きる(致良知という)。外物を観察することに徹する朱子学の態度は批判されて、むしろ世界に向けて実践して心の善を鍛錬することが薦められる(事上磨練という)。このような王陽明の学にしたがって「格物」を読み下すときには、「物を格(ただ)す」と読まれるべきであろう。だが、このブログでは陽明学には深く立ち入る余裕はない。
このように、上の八条目は「格物致知」において朱子学と陽明学とで大きく解釈が分かれることになった。そして先に述べたように、朱子は格物の「伝」を加筆しなければならなかった。その根本的理由は、『大学』本文には「格物とは何を指しているのか?」についての詳細な説明がないからであり、朱子も王陽明も自説に従って「格物」について憶測する余地ができてしまったのだ。
孟子には、近い者への仁愛を天下の人民に推し及ぼすべし、という『大学』の八条目の修身以降の主張と一致する倫理的主張がなされる。『孟子』離婁章句の「天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本は身に在り」(上、五)、同じく「人人其の親を親とし、其の長を長とせば、而(すなわ)ち天下平らかなり」(上、十一)などは、『大学』所収の各句ときわめて近い。離婁章句にはまた「至誠」の用語があり(上、十二)、君主・友人・親と接して我が身を修めるべき要点として述べられている。この「誠」および「至誠」は、『中庸』第四段においては論の中心に置かれている。『中庸』は孟子に先行する子思(しし)の一派が著したと言われ、『孟子』には離婁章句を中心として『中庸』と相通じる内容を示唆する句が見られる。よって八条目の正心・誠意までの展開は、孟子・子思一派の主張がそのプロトタイプとなった、と言っても差支えないだろう。
しかし、「格物致知」については『孟子』『中庸』は明確に叙述した箇所が見られない。『孟子』には「耳目の官は物に蔽わり、心の官は則ち思う」(告子章句)の章が見える。しかしこれは短い断章にすぎず、物をいかに正しく認識できるかという方法的な議論は立てられていない。また『中庸』には「誠は自ら己を成すのみに非ざるなり、物を成す所以なり。己を成すは仁なり、物を成すは知なり、性の徳なり、外内を合するの道なり」(二五章)の章があり、誠によって己と外物を正しくするという構成が見える。『中庸』の論は「誠」と物とが知でつながれる関係を示しているので『大学』の八条目に一歩近いと言えるだろう。しかしながら、『中庸』の議論の中心はあくまで「誠」であって、「格物致知」を議論の中心に置いたものではないし、物を知で認識する体系的な方法はそこに見ることはできない。ましてや、「格物致知」が人間のなすべき最初の努力でなければならない、という記述はない。
『大学』の「格物致知」に相当する議論を体系的に展開している古代儒家思想といえば、『荀子』を挙げなければならない。『荀子』所収の解蔽篇・正名篇は、人間の認識メカニズムを論じて、正しい言語の制定法則を論じた古代儒家の中で唯一というべき叙述である。『荀子』両篇においては、人間の知力がいかにして世界を正しく認識して正しい言語でその認識を適切に表現することができるのかという議論がなされ、そして学問を積んだ知者(荀子は「君子」と呼ぶ)こそが間違わずに判断することができる政治の適任者である、という主張について詳しく述べられているのである。荀子は「学は已(や)むべからず」(勧学篇)と言い、学んで己を改造することが君子を作ることを強調した。また「人の性は悪なり、その善は偽(い。人為的努力)なり」(性悪篇)と言い、人間の本性は利己心であって君子は自己の本性を改造して善となった存在である、とみなした。このように学んで知力を高めることが統治者である君子を作ることを、荀子は強調する。解蔽篇・正名篇は、その君子が正しく判断するための方法論として、認識メカニズムと言語の制定法則について当時得られたあらん限りの知見を整理して書かれたに違いない。このような荀子の思想は、『大学』の八条目が「格物致知」を最初に置いた考えによく合致していると私は考える。ゆえに、もし『大学』の「格物致知」の背後に確固とした理論があったとするならば、それは荀子あるいはその後継者たちの議論であったに違いないだろう、と私は思う。
『大学』の八条目は、作者の世界観のエッセンスを最も簡潔な言葉で表現したものであるはずだ。そこには、明確な理論が用意されていたと思われる。私が推測するに、『大学』というテキストは、荀子学派の学を十分に継承した儒家が、子思・孟子学派の議論を加味して作成したものだったのではないだろうか。もしそうであるならば、『大学』の成立は早くとも戦国時代末期であり、秦漢代であった可能性もあるだろう。その場合、「大学は孔子の弟子である曾参の門徒によって書かれた」といった程子や朱子の主張は、誤りであったことになるだろう。