大学章句:経(1)

投稿者: | 2016年10月7日
大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。
細字は、『礼記』大学篇に朱子が付け加えた書き下ろし文を示す。
小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。
《読み下し》
大學(だいがく)
大は、舊(きゅう)の音は泰(たい)、今は讀むこと字の如し。

子程子(していし)曰(いわ)く、大學は孔氏の遺書にして、初學の德に入るの門なり。今に於て古人の學を爲(おさ)むる次第を見る可き者は、獨(ひと)り此の篇の存するに賴(よ)る。而(しこう)して論・孟之に次ぐ。學者必ず是に由りて學べば、則ち其の差(たが)わざるに庶(ちか)からん。


《用語解説・本文》
子程子程顥(ていこう)・程頤(ていい)の二程子のこと。

《用語解説・朱子注》
大は、舊の音は泰、今は讀むこと字の如し『大学』は五経の一『礼記』の一篇であり、『礼記』全体には漢代の鄭玄(ていげん、慣用読みでは「じょうげん」)が注を与えて、唐代の孔穎達(こうえいたつ、慣用読みでは「くようたつ」)が疏(そ)を追加した。朱子は、その鄭玄以来の注を旧説として言及し、旧説に異論を提出しているのである。鄭玄は「大学とは、その博く学んで以て政を為(おさ)むべきを記せるを以てなり」と注し、「大学」の意味を政治のための博大な学問、という程度の意味と解釈している。朱子は、この旧説を斥けて『大学』とはいにしえの時代に「小学」の次の段階の高等教育制度として実在した「大学」で教えられる綱目を記したテキストである、と主張するのである。ここの注で朱子は旧説の解釈では「大(たい)」と読むことになるだろうが、自らの説では学校の意味で「だいがく」と読むべきである、と注意しているのである。現代の解釈では旧説を採用する読み方が支配的であり、新釈漢文大系も「たいがく」と訓じている。

《現代語訳》
『大学(だいがく)』
「大」は、旧説では「泰(たい)」字の音で読んだ。今、字のとおりに「大(だい)」と読む。

子程子(していし)が言うに、『大学』は孔子の遺書すなわち孔子が弟子に伝えた生前の言葉であって、初学者が道徳の道に入る入門である。今の時代においていにしえの人々が学を修めた順序を知ろうとするならば、ただこの『大学』篇が保存した内容に依るしかない。それから後に、『論語』『孟子』にある言葉を参照するだろう。学ぶ者は、この『大学』に必ず準拠して学ぶならば、いにしえの正しい学び方とそれほど違いはなくなるであろう。

《原文》
大學
大、舊音泰、今讀如字。

子程子曰、大學孔氏之遺書、而初學入德之門也。於今可見古人爲學次第者、獨賴此篇之存。而論・孟次之。學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣。

『大学章句』は、本文と注釈から成る。本ブログでは、本文を『礼記』大学篇のテキストと朱子が書き下ろした文とで大きさと色を分けておく。『礼記』大学篇のテキストは漢代から伝わった箇所であり、そのテキストの間に朱子が書き下ろし文を挟み込み、さらに注釈を付ける体裁を取っているのが『大学章句』である。

最初には、朱子の緒言がある。朱子は『大学』が孔子の遺言であり、いにいえの大学校で教えられた学問の綱領である、という二程子の説を信じ、その視点から『大学』を解釈することを宣言する。『大学』は、『論語』『孟子』より進んで体系的に人が学ぶべき骨格と細目を示している書であり、論・孟よりも先に学ぶべき書なのである。個人のあるべき正道と、社会のあるべき正道とが一体となって、簡潔に示されている。二程子や朱子はそれゆえに『大学』というテキストをとりわけ称揚して、これこそが孔子の遺したエッセンスであるという見立てを信じたのであった。

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