大学或問・伝十章の結 ~財政論・官民分業論・国は義を以て利とする~

投稿者: | 2023年4月7日

『大学或問』伝十章の結~財政論・官民分業論・国は義を以て利とする~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
曰、上の文に深く財用の民を失うことを陳(の)ぶ、此れ復た財を生ずるの道を言うは何ぞや。
曰、此れ所謂(いわゆる)土有りて財有る者なり、夫れ洪範の八政(注1)、食貨を先と爲す、子貢政を問うて夫子に之を告ぐるに、亦食を足すを以て首と爲す(注2)、蓋し民を生ずるの道、一日として無くんばある可からざる者なり、聖人豈に之を輕せんや、特(ただ)に以て國を爲(おさ)むる者、利を以て利と爲れば、則ち必ず民を剥いで以て自ら奉ずるに至りて、悖りて出るの禍有り、故に深く其の害を言いて以て戒と爲るのみ、本を崇び用を節するに至りては、國を有(たも)つの常政、下を厚くして民を足す所以の者は、則ち固(まこと)に未だ嘗て廢せず、呂氏が説(注3)其の旨を得たり、有子が曰く、百姓足りなば、君孰(たれ)と與(とも)にか足らざらん(注4)、孟子の曰く、政事無かれば、則ち財用足らず(注5)という、正に此の意なり、然して孟子の所謂政事は、則ち齊梁の君に告げ、之をして民の産を制せしむる所以の者の是れのみ、豈に後世頭會(とうかい)箕斂(きれん)(注6)して民を厲(むご)うし自ら養うの云(いい)の若きならんや。
曰、仁者は財を以て身を發し、不仁者は身を以て財を發すとは何ぞや。
曰、仁者は其の有を私せず、故に財散じ民聚りて身尊し、不仁者は惟だ利是を圖(はか)る、故に身を捐じて禍を賈(こ)うて以て貨を崇(とうと)ぶなり、然れども亦財貨に即きて其の效を以て之を言うのみ、仁者は眞に財を以て身を發すの意有りと謂うに非ず。
曰、未だ府庫の財其の財に非ざる者有らずというは何ぞや。
曰、上仁を好めば則ち下義を好む、下義を好めば則ち事終り有り、事終り有れば則ち君爲る者安富尊榮にして、府庫の財長く保つ可し、此れ財を以て身を發するの效なり、上仁を好まざれば則ち下義を好まず、下義を好まざれば則ち其の事終らず、是れ將に天下の僇(りく)と爲らんとすること暇(いとま)あらず、而るを況や府庫の財又豈に吾が財と爲すことを得んや、商の紂自ら焚(くぶ)るを以て鉅橋(きょきょう)鹿臺(ろくだい)の財を起こし(注7)、德宗出て走るを以て瓊林(けいりん)大盈(だいえい)の積を豐にする(注8)が若し、皆身を以て財を發すの效なり。
曰、其の孟獻子が言を引くは何ぞや。
曰、鶏豚牛羊は、民の畜養して以て利と爲する者なり、旣已(すで)に君の禄を食いて、民の奉を享くるときは、則ち當に復た之と爭うべからず、此れ公儀子(こうぎし)(注9)園葵(えんき)を抜き、織婦を去る所以、而して董子(とうし)(注10)之に齒を與(あた)うる者は其の角を去る、之翼を傅(さず)くる者は其の足を兩にするの喩有り、皆絜矩の義なり、聚斂の臣は、民の膏血を剥いで以て上に奉じて民其の殃(わざわい)を被る、盗臣は君の府庫を竊(ぬす)みて以て自私して禍下に及ばず、仁者の心は至誠惻怛(そくだつ)(注11)なり、寧ろ己が財を亡せども民の力を傷(やぶ)るに忍びず、其の聚斂の臣有らん與(よ)りは、寧ろ盗臣有らんという、亦絜矩の義なり、昔孔子臧文仲(ぞうぶんちゅう)の妾蒲を織るを以て、直に其の不仁を斥(ゆびさ)さんことを(注12)、冉求(ぜんきゅう)聚斂するを季氏に以て、鼓を鳴らして以て其の罪を聲(な)らさんと欲す(注13)、聖人の宏大兼容温良博愛を以て、二子を責むる所以の者疾痛深切にして、少しも假借せざること此の如し、其の意亦見つべし。
曰、國は利を以て利と爲(せ)ず、義を以て利と爲るは何ぞや。
曰、利を以て利と爲れば、則ち上下交(こもごも)征(う)ちて、奪わざれば厭かず、義を以て利と爲れば、則ち其の親を遺てず、其の君を後にせず、蓋し惟だ義のままに安んじて自ら利あらざる所無し、程子の曰く、聖人義を以て利と爲す、義の安んずる所は、即ち利の在る所、正に此を謂うなり、孟子義利を分別し、本を抜き源を塞ぐの意、其の傳蓋し亦此に出ずと云う。
曰、此に其の菑害(しがい)竝び至る、如之何(これいかん)ともすること無しとは何ぞや。
曰、怨み已に民心に結ぶときは、則ち一朝一夕の解く可きに非ず、聖賢深く其の實を探りて極めて之言う、人以て未然を審かにすること有りて、事に及ぶこと無きの悔を爲さざることを欲してなり、此を以て防ぐことを爲れども、人猶お桑羊(そうよう)、孔僅(こうきん)、宇文融(うぶんゆう)、楊矜(ようきょう)、陳京(ちんけい)、裴延齡(はいえんれい)(注14)が徒を用いて、以て其の國を敗る者有り、故に陸宣公(注15)の言に曰く、民は、邦の本、財は、民の心、其の心傷るときは、則ち其の本傷る、其本傷るときは、則ち枝幹凋瘁(ちょうすい)して根柢蹷抜(けつばつ)(注16)す、呂正獻公(注17)が言に曰く、小人聚歛して以て人主の欲を佐(たす)く、人主悟らず、以て國に利有りと爲して、而も其の終に害を爲すことを知らず、其の忠を納むることを賞して、其の大に忠あらざることを知らず、其の怨を任ずることを嘉して、其の怨上に歸することを知らざるなり、鳴呼、二公の言の若きは、則ち深く此の章の指を得る者なりと謂いつ可し、國家を有つ者監みざる可けんや。
曰、此の章の文、程子更定して定まる所多し、而るに子獨り𦾔文を以て正と爲る者は何ぞや。
曰、此の章の義博し、故に傳に之を言うこと詳なり、然して其の實は則ち好惡義利の兩端に過ぎざるのみ、但だ其の詳を致さんと欲するを以て、故に言う所已に足りて、復た端を更めて以て其の意を廣す、是を以て二義相循い、間見(かんけん)(注18)層出して易え置きて錯(たが)いに陳(の)ぶるに似れること有るのみ、然も徐(おもむろ)にして之を考えれば、則ち其の端緒接續し脈絡貫通して、丁寧反復人の爲に深切なるの意、又自ら別に言外に見(あらわ)れて易(か)う可からざるなり、必ず二説中判して類を以て相從い、始め自(よ)り終に至るまで畫(かく)して兩節と爲さんと欲するときは、則ち其の界辨餘り有るが若しと雖も、而も意味或は反て足らず、此察せずばある可からざるなり。


(注1)書経洪範篇「三に八政。一に曰く食、二に曰く貨、三に曰く祀、四に曰く司空、五に曰く司徒、六に曰く司寇、七に曰く賓、八に曰く師」より。箕子が周武王に述べた治世の規範が洪範九疇で、その三が八政であって農事に用いるべき八つの規範であるとされる。
(注2)論語顔淵篇「子貢政を問う。子の曰わく、食を足し兵を足し、民をして之を信ぜしむ」より。
(注3)大学章句の注に引かれる呂大臨の言のこと。章句本文、伝十章(四)を参照。呂大臨については、或問伝五章の六を参照。
(注4)論語顔淵篇「哀公、有若に問いて曰く、年饑(う)えて用足らず、如之何(これをいかん)。有若對(こた)えて曰く、、百姓足らば、君孰れと與にか足らざらん」より。魯の哀公が孔子の弟子の有若に、凶作により税収不足であるのでその対策を聞いた。有若は減税を勧めた。哀公は税収不足なのにどうして減税などできるものか、と言った。有若は、人民が足りているならば、君主は誰と共に不足を言うのか、人民が不足であるならば、君主は誰と共に足りていると言うのか、と答えた。
(注5)孟子盡心章句下より。政治が拙劣であると、財政が不足する。
(注6)漢書張耳陳餘伝「頭會箕斂して以て軍費に供す」より。秦の官吏は軍事費供出のために民家に赴き、人頭を数えて税を取り箕(き。穀物をすくって不純物を飛ばし分けるための農具)を使って奪い尽くした。
(注7)鉅橋と鹿臺(台)は、殷(商)の都にあった倉庫と台(うてな)。史記殷本紀によると、最後の王紂王は鉅橋・鹿台に税収を充たして酒池肉林をなした。周の武王が軍を起こして、殷軍を破った。紂王は最後都の鹿台に登り、そこで焚死した。
(注8)瓊林・大盈の二庫は、唐代に帝室が保有した内蔵庫(私庫)。中唐期の皇帝徳宗は、反乱した淮西節度使を討つために各地の節度使に命じて討伐軍を起こした。涇原節度使の軍が長安に入ったが、そこで士兵は待遇のひどさに怒って反乱を起こした。士兵たちは、皇帝が瓊林・大盈の二庫を満たしているのに士兵を飢えさせていることを非難した。徳宗は都から追われて、奉天(陝西省乾県)へ逃げた。反乱軍は朱泚(しゅせい)を長に擁立したが、朱泚は唐軍に敗れて徳宗は都に復帰した。四書大全は、新唐書陸贄伝にある陸贄の言を引く。徳宗が奉天に行在所を置いた後、また瓊林・大盈の二庫を置いて天下の貢物を私蔵しようとした。陸贄は皇帝に、いま軍が戦をしようとしているときににわかに珍貢を私蔵すれば、配下の者は恨みを抱きかねない。その貨をむしろ有功の者に軍賞として与えたまえ、と諫言した。皇帝は陸贄の諫言を容れて、二庫の部署を置くことを撤廃した。
(注9)公儀子は、公儀休のこと。史記循吏列伝より。公儀休は魯の博士で、自家の茄(か。野菜類)が美味だったので、菜園の葵(き。アオイ科の草)を抜いて捨てた。自家で織った布が美しかったので、はた織りの家婦をやめさせて織機を焼き捨てた。公儀休は、農夫や工女が収入を得る道を安んじさせたい(士大夫の自分は彼らの産物を買うべきで、自分で作ってはいけない)、と言った。
(注10)董子は、董仲舒のこと。漢書董仲舒伝に、武帝に提出した賢良対策の文中に見える。天は分とする所を(万物に)与える。(牛のような)歯がない動物には角を与える。(鳥のような)翼を与える動物には二本足だけを与える。(同様に、大なる者は小を取らない。俸禄を与えられた者は、力仕事をしないし商工業に務めない、それは天の与えた分である。)
(注11)惻怛は、あわれみいたむこと。
(注12)春秋左氏伝「仲尼曰く、臧文仲、其の不仁なる者三、不知なる者三。展禽を下にし、六關を廢し、妾に蒲を織らしむ。三つの不仁なり」より。蒲は、がまの草で織ったむしろのこと。朱子は孔子のこの言葉を、臧文仲が自家の妾にむしろを織らせたのが下の職分を奪うものだとして不仁だ、と言ったのであると解釈している。
(注13)論語先進篇より。
(注14)ここに挙げられた六名は、漢代および唐代の官僚で苛斂誅求を民に行ったと記録されている者たちである。桑羊は桑弘羊(そうこうよう)のこと。前漢武帝下で大司農、御史大夫。次の昭帝のときに燕王の謀反に連座して誅せらる。孔僅は前漢武帝期の商人で、桑弘羊とともに漢帝国の塩・鉄・酒の専売を行った。専売は帝国財政建て直しのためであったが、民を苦しめる悪法であると儒者から非難された。宇文融は盛唐玄宋期の官僚で、戸部侍郎として逃散者を戸籍に編入する政策を行った。汝州刺使となったが不正蓄財が弾劾されて流刑となり死んだ。楊矜は楊慎矜(ようしんきょう)のこと。玄宗期の経済官僚で、讖緯妖言を蓄えたことをもって死を賜った。陳京は中唐徳宗に仕えた官僚で、徳宗のために戦費調達の仕事を請け負った。裴延齢は同じく中唐徳宗期の官僚で、皇帝の寵を受けた。
(注15)四書大全に「陸公、名は贄。字は敬與」。陸贄(りくし)のこと。中唐期の政治家・文人で、徳宗が奉天に逃避したときに支え、皇帝に諫言することを厭わなかった。長安復帰後は宰相となり、両税法に反対した。皇帝の寵臣である裴延齡に讒言されて、忠州に左遷された。上注8も参照。
(注16)蹷抜は、たおれてぬけること。
(注17)四書大全に「呂公、名は公著。字は晦叔」。呂公著(りょこうちょ)のこと。北宋の政治家で、司馬光と並んで旧法党の代表的人物。
(注18)四書大全に間は去聲と注されている。かわるがわる。間見層出で、かわるがわる重複して表れる。
《要約》

  • ここで財を生ずる道が説かれる理由を問われて、朱子は「財政はいわゆる『土有りて財有り』であり、農事の規範である八政の冒頭は、食と貨である。国をおさめる者は利を以て利とすれば、すなわち必ず民からはぎ取って自らに奉ずるに至り、許容量に逆らって支出することになる。ゆえにここで深くその害を説いて戒めとしたのである」と答えた。(大学が述べる財政論は古代の現物税収・現物支出の世界であり、朱子や呂大臨の議論も古代の財政論にのっとっている。しかしながら、発達した貨幣経済においては必ずしも「入るを量りて出づるを為す」の均衡財政論だけが最適な経済政策とはいえない。通貨量を増大させる政策により景気が上昇したケースは宋代経済においても見られたし、日本や世界の歴史においても数多くの事例が見られる。もとより通貨量の増大はインフレーションの要因であり、景気とインフレーションの適切な中間点を取る政策が求められる。現代の経済政策は、朱子の古典的な財政論からさらに進んで格物致知しなければならない。)
  • 孟献子の言が引用された意味は、ひとつは官は君主の禄を食み民から奉仕される身分であり、民と業を競合してはいけないということである。儀公子や董仲舒の言は、みな絜矩の義である。ふたつは、聚斂の臣は民の膏血をはいで上に奉ずる者であり、民のわざわいである。盗臣は己の財を蓄えるが禍は下に及ばないので、聚斂の臣よりはましである。仁者の心はさらに、己が財を失っても民をそこなうにしのびないものである。
  • 「国は利を以て利とせず、義を以て利とする」の言葉の意味は、利を以て利とすれば上下がこもごも争い、奪わざれば厭かずとなる。義を以て利とすれば親を捨てず君を後にせず、義のままに安んじておのずから利あらざるはないとなるであろう。
  • 「此に其の菑害並び至る、如之何(これいかん)ともすること無し」の言葉の意味は、怨みがすでに民心に結実していれば、一朝一夕では解けない。その真実を聖賢(孔子と曾子)が取り上げて、極言したものである。こうして未然に審らかにして、無為無策の悔をなさないように欲したのである。しかしここまで言って防ごうとしたとしても、漢唐期の苛斂誅求の官のような輩がまたも登用されて民から収奪するならば、国をそこなうことであろう。陸贄・呂公著の二公の言は、深く本章の主旨を得たものである。
  • 本章は程子が文を多く更定したが、朱子は旧文に戻した。その理由を聞かれて朱子は、「この章は多くのことを言っているが、その義は好むかあるいは悪(にく)むか、義かあるいは利か、の両端を言うにすぎない。ただそれを詳説するうえで、両端のもう一方を重ねて言い、論を拡げている。同様の内容を丁寧反復して深く切実に述べているのであり、二説相伴って連関している。なので、一方を変えるとかえって足りなくなるからだ」と答えた。

(大学或問・終)

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