中庸或問跋・題名一 ~「中」と「庸」の語義~

投稿者: | 2023年4月8日

緒言


四書の『中庸』に対する朱子の注釈が『中庸章句』である。『中庸或問(ちゅうようわくもん)』は、中庸章句序に「嘗て論弁取舎する所の意を記して、別に或問と為し、以て其の後に附す」とあり、章句に対する疑義について質問者と朱子とが論議した件をまとめた問答集である。ここに、朱子学思想として重要な箇所を読み下して内容を要約したい。

『中庸或問』跋・題名一

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
或(あるひと)問う、篇に名づくるの義(注1)、程子は專ら偏ならずを以て言うことを爲し(注2)、呂氏(注3)は專ら過不及無きを以て説を爲す、二の者固(まこと)に同じからず、子乃ち合わせて之を言うことは何ぞや。
曰、中(ちゅう)は一名にして二義有り、程子固に之を言う、今其の説を以て之を推す、偏ならず倚ならずと云うは、程子の所謂(いわゆる)中に在るの義、未發の前、偏倚する所無きの名なり、過不及無しとは、程子の所謂中の道なり、諸行事に見(あら)われて各其の中を得るの名なり、蓋し偏ならず倚ならずは猶お立ちて四旁に近づかざるがごとし、心の體、地の中なり、過不及無きは猶お行いて先だたず後れざるがごとし、利の當(とう)、事の中なり、故に未發の大本に於ては、則ち偏ならず倚ならずの名を取る、已發の時に中するに於ては、則ち過不及無きの義を取る、語固に各當(あた)ること有るなり、然して其の未だ發せざるに方(あた)りては、未だ過不及無きの名づく可きこと有らずと雖も、而(しか)も過不及無きの本體爲る所以は、實に是に在り、其の發して中なり得るに及びては、其の主とする所一事に偏ならざること能わずと雖も、然も其の過不及無き所以の者は、是れ乃ち偏倚無き者の所にして為(す)る、一事の中に於ても亦未だ嘗て偏倚する所有らず、故に程子亦曰く、和を言えば則ち中其の中に在り、中を言えば則ち喜怒哀樂を含みて其の中に在り、而して呂氏亦云う、其の未だ發せざるに當(あた)りては、此の心至虛にして、偏倚する所無し、故に之を中と謂う、此の心を以て萬物の變に應ずれば、往として中に非ずということ無し、是則ち二義殊なると雖も實は體用を相い爲す、此れ愚篇に名づくるの義に於て、此を取りて彼を遺すことを得ざる所以なり。
曰、庸の字の義、程子は易(かわ)らざるを以て之を言う、而るに子平常と爲るは何ぞや。
曰、唯其れ平常、故に常なる可くして易う可らず、若し世を驚かし俗を駭(がい)すの事は、則ち暫くす可くして常と爲ることを得ず、二説殊なりと雖も、其の致は一なり、但だ之を易らずと謂うときは、則ち必ず久しうして而して後に若かざらん見ゆことを要す、之を平常と謂うときは、則ち直に今の詭異する所無きに驗(ため)して、而して其の常久にして易う可からざる者兼ね擧ぐ可くにはなり、況や中庸の云、上と高明對を爲して(注4)、下忌(おそれ)に憚ること無き(注5)者と相反す、其の庸の德を行い、庸の言を謹むと曰うは、又以て夫の細微なりと雖も敢て忽(ゆるがせ)にせざることを見わす、則ち其の篇に名づくるの義、易らざるを以て言うことを爲る者、又平常の切なりと爲るに孰若(いずれぞ)や。
曰、然らば則ち所謂平常は、將に淺近苟且(こうしょ)(注6)の云爲らざるや。
曰、然らばあらざるなり、所謂平常は、亦事理の當然にして詭異する所無きを曰うと爾(しか)云う、是れ固に甚だ高うして行い難きの事有るに非ず、而も亦豈に流を同し汙(お)に合うの謂いならんや、旣に當然と曰うときは、則ち君臣父子日用の常自(よ)り、推して堯舜の禪授、湯武の放伐に至りて、其の變窮り無し、亦適(ゆ)くとして平常に非ずということ無し。


(注1)中庸章句、『中庸』という書の題名への注「中なるものは不偏不倚、過不及無きの名。庸は平常なり。」
(注2)章句、上文に続く「子程子が曰く、偏らざる、之を中と謂い、易らざる、之を庸という。中なる者は天下の正道なり、庸なる者は天下の定理なり。」
(注3)「中を、、『過ぎたると及ばざるとの無いこと』としたのは呂大臨であった」(島田虔次『大学・中庸下』朝日文庫)。呂氏は、呂大臨のこと。大学或問伝五章の六を参照。
(注4)中庸章句、第二十七章本文「君子は・・高明を極めて中庸に道(よ)る」
(注5)中庸章句、第二章本文「君子の中庸は、君子にして時に中すればなり。小人は中庸に反するは、小人にして忌憚する無ければなり」
(注6)苟且は、かりそめ、一事しのぎ。
《要約》

  • 中庸章句において、朱子は『中庸』の題名への注に程子の「偏ならず」と呂大臨の「過不及無し」の二語を採用した。両語は同義でないが、朱子がともに採用した理由は何か。問われて朱子は、「『中』字は二義があることは程子の説であり、いまその説を推す。偏ならず倚ならずとは、程子のいわゆる『中に在る』の義、過不及無しとは、程子のいわゆる『中の道』の義である。前者は、心の未発の本体である。いわば、立って四方のどちらにも近づかない状態である。後者は(心の已発の作用であり)、おのおのの行為・事業として実行されたときにおのおのの中を得ることである。いわば、すでに進んで先んじも遅れもしない状態である。二者の意味は違っているが、体(本体)・用(作用)として相関相補している。よって私は二義をあわせて取り題名に注したのである」と答える。
  • 『中庸』の「庸」字について程子は「易らざる」としたが、朱子は「平常」とした。その理由は何か。問われて朱子は、「平常とは、常なるべくして易ることができないものである。世を驚かすような詭異なことは、時間が経って常となることはできない。詭異なことでないかどうかを確かめて、常久であり易わることができないものだけ取り上げるのである。中庸とは、上なる高明を極めたうえで中庸に依るのであり、おそれはばからない小人と違って中庸を選ぶことである。中庸の徳を行い庸の言を謹むというのは、細微なところであっても決してゆるがせにしないことを表わしているのである。中庸の庸の義は、易わらざることと平常が切であることと、変わることはない」と答えた。
  • 平常とは浅く身近で一事しのぎのこととは違うのか、と問われて朱子は、「違う。平常は、事理の当然にして詭異がないことの確言であり、それは高すぎて行い難いことを言っているのではない。しかしながら、流れを下って汚れに合流することでは決してない。当然とは、君臣父子日用の常からはじまり、推して堯舜禅譲・湯武放伐の大事件に至るまで極まりなく変化して、しかも行くとして平常ならざることはないのだ」と答えた。

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