大学或問・伝十章の三 ~絜矩による政治~

投稿者: | 2023年4月6日

『大学或問』伝十章の三~絜矩による政治~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
曰、此れ其の深く財用を務めて民を失うと言うは何ぞや。
曰、德有りて人有り士有るときは、則ち天に因り地を分けて、財用無きことを患らえず、然れども本末を知らずして絜矩の心無きときは、則ち未だ其の民を争鬭(そうとう)して之に施すに劫奪(きょうだつ)の敎を以てせざる者は有らじ、易の大傳(注1)に曰く、何を以てか人を聚(あつ)めん、曰く財、春秋外傳(注2)に曰く、人に王たる者は將に利を導いて之を上下に布かんとする者なり、故に財上に聚れば則ち民下に散ず、財下に散ずれば則ち民上に歸す、言(こと)悖(もと)りて出る者は、亦悖りて入る、貨悖りて入る者は、亦悖りて出ず、鄭氏以爲(おもえ)らく君逆命有れば則ち民逆辭有り、上利に貪れば則ち下人侵し畔(そむ)くと、其の旨を得たり。
曰、前に旣に命の易からざるを言う、此に又命の常ならずことを言うは何ぞや。
曰、天命の重を以て其の丁寧の意を致す、亦上の文を承けて之を言うなり、蓋し善なれば則ち之を得るという者、德有りて人有るの謂なり、不善なれば則ち之を失うというは、悖りて入りて悖りて出るの謂なり、然れば則ち命の常ならざるは、乃ち人の自ら爲(す)る所のみ、謹まざる可けんや。
曰、其の秦誓を引くは何ぞや。
曰、言は、善を好むの利は其の子孫に及ぶ、善を好まざるの害は後世に流る、亦絜矩すると否(せざ)るとの異なるに因るなり。
曰、媢疾(ぼうしつ)の人は、誠に惡(にくみ)つ可し、然れども仁人、之を惡むことの深くして、此の如くなるに至る、之を疾むこと已甚(はなはだ)しきの亂無きことを得んや。
曰、小人惡を爲すること千條萬端、其の惡む可き者但だ媢疾の一事のみにあらず、仁人深く彼を惡まずして、獨り此を惡む者は、其の善人を害し、民をして其の澤を被ることを得ざらしめて、其の禍を流すの長じて後世に及びて未だ已まざること有るを以てなり、然れども人を貨に殺すの盗に非ずんば、則ち罪死に至らず、故に之を放流するのみ、然して又念(おも)うに夫れ彼此の勢殊なると雖も、而(しか)も苦樂の情は則一なり、今此の惡人放ちて遠ざけざれば、則ち其の害を爲すこと此に施さざることを得と雖も、彼が放た所(れ)るの地、其の民復た何の罪かある、故に敢て己が惡む所を以て之を人に施さずして、必ず遠ざけて人無きの境に置きて、以て魑魅を禦ぎて後に已む、蓋し惟だ善人を保安して、其の害を蒙らざらしむのみにあらず、亦凶人を禁伏して其の惡を稔(まっと)うにすことを得ざらしむる所以、彼が善惡に因りて好惡の殊なること有りと雖も、然も之を仁する所以の意は、亦未だ嘗て其の間に行われざるはあらず、此れ其の亂を禦ぐの術爲ること、何の亂を致すことか有らん。
曰、迸の屏と爲すは何ぞや。
曰、古(いにしえ)字の通用する者多し、漢の石刻の詞に五美に尊(したが)い四惡を屏(しりぞ)くことを引く者有り、而して尊を以て遵と爲し、屏を以て迸と爲す、則ち其の證なり。
曰、仁人の能く人を愛し、能く人を惡むは何ぞや。
曰、仁人は私欲萌さず、天下の公我に在り、是を以て是非謬(あや)まらず、擧措宜(よろし)きを得なり。
曰、命の慢と爲ると、其の怠と爲る、孰(いず)れか得たる。
曰、大凡(おおよそ)の疑義、之を決する所以は、義理文勢事證三の者に過ぎざるにみ、今此の二字、義理文勢を以て之を決せんと欲すれば、則ち皆通ず、事證を以て之を決すれば、則ち考うること無し、蓋し以て深く求む可からず、若し其れを義理事實の大なる者に於て、鄕背(きょうはい)(注3)する所有りて、以て究めずんばある可からざらしめば、猶お當に其の緩急を視て以て先後を爲すべし、況や此等に於て字旣に兩(ふた)つながら通じて、而して事義に於て大なる得失無きときは、則ち亦何ぞ必ずしも心を苦しめ力を極めて以て之を求め、徒に日を費して益す所無きをや、是を以て推すときは、他亦皆見つべし。
曰、善を好み惡を惡むは、人の性然なり、人の性に拂(もと)ること有る者は何ぞや。
曰、不仁の人、阿黨(あとう)(注4)媢疾して、以て其の心を陷溺すること有り、是を以て其の好惡する所、常性に戻ること此の如し、民の父母の能く人を好惡する者と正に相反す、其をして能く私に勝ちて絜矩せしめば、則ち是に至らざらん。
曰、忠信驕泰の得失爲る所以は何ぞや。
曰、忠信は、己が心を盡して物に違わず、絜矩の本なり、驕泰なるは則ち己を恣(ほしいまま)にし私に徇(したが)い、人を以て欲に從いて、人と好惡を同じくすることを得ず。


(注1)周易繋辞下伝「天地の大德を生と曰い、聖人の大寶を位と曰う。何を以てか位を守る、曰く仁。何を以てか人を聚むる、曰く財。財を理(おさ)め辭を正しくし、民の非を爲すを禁ずるを、義と曰う」より。繋辞上・下伝は周易、すなわち易経の十翼(じゅうよく)に属する二つで、易の原理と各卦の意義を通して解説した書。
(注2)四書大全に、「卽ち國語」とある。国語、別名春秋外伝のこと。五経の春秋・春秋三伝とは別に春秋時代各国の歴史を記述した書。
(注3)四書大全に、「許亮の反」。鄕(郷)は去声のキョウで「むかう」の意。鄕背は、むかうこととそむくこと。
(注4)阿黨(党)は、多勢におもねること。
《要約》

  • 本末を知らず絜矩の心がなければ、上は財を収奪し、結果として下の民に争い奪うことを教えることになる(朱子の「奪を施く」の解釈による。新釈漢文大系は別の解釈を取る。大学本文、伝十章(二)を参照)。
  • 秦誓を引用した意は、善を好む利は其の子孫に及び、善を好まざる害は後世に流れ、それが絜矩するか否かの差であることを示唆するためである。
  • 媢疾(ぼうしつ。他人を嫉妬して嫌うこと)の人はにくむべきであるが、それを仁人がにくみすぎるのは害があるのではないか、という問いに対して、朱子は答える、「仁人が深くにくむのはその人そのものではなくて、その人が周囲に禍を及ぼすことである。なので殺人罪でなければ殺すことはせず、無人の境に追放してその者が悪を成し遂げるのをふせぎ、なおかつ善人に害が及ばないようにするのである」と。(つまりは流刑である。流刑地にも原住民が住んでいるのであるが、原住民に悪人が及ぼす害は考慮されていないようである。)
  • 大学本文の「賢を見て舉ぐる能わず、舉ぐるも先んずる能わざるは、命なり」について、「命」字を慢(あなどり)の意あるいは怠(なおざり)の意に取る二つの解釈があり、どちらが正しいのかと問われて、朱子は「文献の意味に疑義があるときに、それを判定する根拠は義理(語義。単語の意味は何か)・文勢(文脈。著者がどのような文脈で文章を書こうとしているか)・事証(証拠。他文献から用例が見つけられるか)の三つである。この『命』字については、義理と文勢から見ると、どちらでも通る。事証からは、明確な考えを出すことができない。この字の意味はどちらでも通り、どちらを取ったとしても大した得失がない。よって、その詮索に日時を費やすことには益がない」と答える。

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