大学或問・伝八章 ~修身斉家~

投稿者: | 2023年4月2日

『大学或問』伝八章~修身斉家~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
或(あるひと)問う、八章の辟、𦾔(もと)讀んで譬と爲す、而(しこう)して今讀んで僻と爲ることは、何ぞや(注1)
曰、𦾔音𦾔説は、上の章を以て之を例すれども合わざるなり、下の文を以て之を逆すとも通ぜざるなり、是を以て間者(このごろ)竊(ひそか)に類例文意を以て之を求めて、其の説を得ること此の如し、蓋し曰人の常情、此の五の者に於て、一も向う所有るときは、則ち其の好惡の平を失いて一偏に陷る、是を以て身脩らざること有りて、其の家を齊(ととの)うること能わざるのみ、蓋し愛に偏なるときは、則ち溺れて其の惡を知らず、惡に偏なるときは、則ち阻みて其の善を知らず、是れ其の身の接(まじ)わる所、好惡取舎の間、將に一に理に當る者の無からんとす、而るを況や閨門の内に於て、恩常に義を掩うをや、亦何を以てか其の情愛暱比(じっぴ)(注2)の私に勝ちて、能く有以て之を齊うること有らんや。
曰、凡そ是の五の者は、皆身物と接わるが無きこと能わざる所にして、亦旣に當然の則有り、今一も向う所有るは、便ち偏倚を爲して身脩まらずと曰うときは、則ち是れ必ず其の物に接わるの際此の心漠然として、都(すべ)て親疎の等貴賤の別無くして、然して後に偏(かた)え免るを得つ、且つ心旣に正しきときは、則ち宜く其の身の脩まらずということ無かるべし、今乃ち猶お是の若く偏なること有るは、何ぞや。
曰、然らざるなり、此の章の義、實に上の章を承く、其の文を立て意を文すること、大抵相似たり、蓋し以為(おもえ)らく身と事と接わりて、而して後に或は偏なる所有りと、以て一たび事と接わりて必ず偏なる所有りと爲るに、所謂(いわゆる)心正して而して后に身脩まる、亦曰く心其の正を得て、乃ち能く身を脩むと、此の心一たび正すれば、則ち身撿(けん)(注3)を待たずして而自ら脩むると謂うには非ず。
曰、親愛賤惡畏敬哀矜は、固に人心の宜しく有るべき所、夫の敖惰(ごうだ)の若きは則ち凶德なり、曽て本心で是の如くの則(のり)有ると謂うにや。
曰、敖の凶德爲ることや、正に其の先ず是の心有るを以て、施す所を度らずして敖せずという所無きのみ、若し人の敖す可きに因りて之を敖するは、則ち是れ常情の宜しく有るべき所にして、事理の當然なり、今人有らん、其の親して且つ𦾔(ひさ)しき未だ親して愛す可きに至らず、其の位と德と未だ畏れて敬す可きに至らず、其の窮未だ哀しむ可きに至らずして、其の惡未だ賤す可きに至らず、其の言(こと)去取に足れること無くして、其の行是非に足れること無きときは、則ち之を視ること泛然(ぼうぜん)として塗(みち)の人の如きのみ、又其の下なる者は、則ち夫子の瑟を取りて歌い(注4)、孟子の几(き)に隱(よ)りて臥す(注5)、蓋し亦其の以て自ら取ること有るに因る、而して吾れ故(もと)之に敖するの意有るに非ず、亦安んぞ得て遽(にわか)に之を凶德と謂わんや、又況や此の章の旨、乃ち其の重き所有るに因りて、一偏に陷る者を慮るが爲(ため)にして發するをや、其の言敖惰する所有ると曰うと雖も、而も其の意は則ち正に人の此に於て更に詳審を加えんことを欲す、當に敖惰すべき所と曰うと雖も、而も猶お敢て其の敖惰の心を肆(ほしいまま)にせずんば、亦何をか病(うれ)えんや。


(注1)鄭玄注では「辟」字を「譬」であるとみなして、原文「人之其所親愛而譬(辟)焉」を「人は其の親愛する所に之(ゆ)きて譬(さと)し」のごとく読んだ。以下も同じ。朱子は鄭玄注を斥け「辟」字を「僻」であるとみなして、「人は其の親愛する所に之(おい)て辟(かたよ)り」と読んだ。新釈漢文大系・岩波文庫ともに朱子の解釈を採用して鄭玄注を斥けている。
(注2)暱(昵)比は、なれしたしむこと。
(注3)撿は、しらべること、ただすこと。檢(検)と同義。
(注4)論語陽貨篇より。「孺悲(じゅひ)、孔子に見えんと欲す。孔子辭するに疾を以てす。命を將(おこ)なう者、戸を出ず。瑟を取りて歌い、之をして聞かしむ。」孺悲が人を遣わして孔子に会見を望んだが、孔子は病気として辞退した。孺悲の命を受けた者が戸を出たとき、孔子は瑟(おおごと)を取って歌い、それを聞かせた。理由はわからないが、孔子は孺悲にわざと仮病であると知らせた。朱子の挙げる敖惰の一例。
(注5)孟子公孫丑章句下より。「孟子齊を去り、晝(ちゅう)に宿す。王の爲に行を留めんと欲する者あり。坐して言えり。應えずして、几に隱りて臥せり。」孟子が斉を去ろうとしていたとき、斉王のために孟子を留めようとした者がいて、端座して説得した。しかし孟子は几(ひじかけ)によりかかって居眠りする仕草を見せた。朱子の挙げる敖惰の一例。
《要約》

  • 本章冒頭の文について、鄭玄注では意味がよく通らないので解釈を変えた。人は本章に掲げる五つのうち一つでもかたよった方向があれば好悪の衡平を失い、身が修まらず、よって家は斉わない。偏愛・偏悪があれば、好悪の取捨が一つも理に当たらないであろう。とくに閨門内の奥の院においては、恩寵が義をおおって私が勝ってしまうであろう。
  • 本章に掲げる五つの偏った感情は、身が外物と交流するとき起こらずにはいられないものであり、それ故それらには当然の則がある。それを「五つのうち一つでもかたよった方向があれば好悪の衡平を失い、身が修まらず、よって家は斉わない」ということであれば、外物と関わるときには心漫然として、あらゆる外物に親疎貴賎の別を排さなければ、心の偏りを避けることはできないだろう。それなのに偏りの感情への当然の則がある、と言うのはどういうわけなのであろうか。そう問われて、朱子は答える、「そうではない、本章の義は前章の義と相似ているのである。たとえ己が身が脩まったとしても、いざ身が外物と関係を持ったとき、かたよってしまうことはありえるのだ。ゆえに、身がひとたび外物と関係を持ったときには必ずかたよりが起こる(から努力しなければならない)、と言っているのである。前章の『心正して而して后に身脩まる』『心其の正を得て、乃ち能く身を脩む』ということが、決して心が正しくなれば自ずから身が脩まると言っているのではないのと同じである(各段階ごとに努力が必要なのだ)」と。
  • 親愛・賎悪・畏敬・哀矜は、たしかに人心にとって適切であるべき所があるだろう。しかし敖惰(新釈漢文大系では「なれなれしくすること」の意に取っているが、ここでは定説の「おごりたかぶる」こと)は凶徳であり、こんなものに適切であるべき則(のり)があるのか。そう問われて、朱子は答える、「敖惰であるべき理由があるときには、当然の則がある。親しくされたがまだ付き合いが親愛すべきほど長くない、位と徳がまだ畏敬するほどではない、哀しむほどまでには至らない、賎しむほどまでひどい悪ではない。その者の言葉は取るに足りるほどではなく、行為は是非を論じるほどではない。そういった場合は、その者に対して知らない人を見る態度を取るのが則であろう。孔子や孟子が敖惰で見下す態度を取ったときには、しかるべき理由があったのである」と。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です