大学或問・伝五章の六 ~程子の後学者たちの説を批判し、李延平を讃える~

投稿者: | 2023年3月29日

『大学或問』伝五章の六~程子の後学者たちの説を批判し、李延平を讃える~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
曰、程子格物を以て窮理と爲(せ)し自(よ)り、其の學者之を傳えて、文字に見(あらわ)すこと多し、是れ亦以て其の師説を發すること有りて、後學に助け有る者か。
曰、程子の説は、己に切にして物を遺さず、行事の實に本づいて文字の廢(す)てず、其の大を極めて其の小を略せず、其の精を究めて其の粗を忽(ゆるがせ)にせず、學者是に循いて力を用いば、則ち旣に博を務めて支離に陷いらず、亦徑約にして狂妄に流れず、旣に其の積累の漸を舎てずして、而(しこう)して其の所謂(いわゆる)豁然として貫通する者の、又見聞思慮の及ぶ可きに非ず、是れ經を説くの意、德に入るの方に於て、其れ亦謂いつ可し反復詳備にして、發明を俟(ま)つこと無からんと、其の門人の若き、其の師説を祖とすと曰うと雖も、然も愚を以て之を考うれば、則ち恐らくは其れ皆未だ以て此に及ぶに足らざることを、蓋し以て必ず萬物の理同じく一に出るを窮むるを物に格ると爲し、萬物同じく一理に出るを知至ると爲ること有り、内外の道合すれば、則ち天人物我一爲り、晝夜の道に通れば、則ち死生幽明一爲り、哀樂好惡の情に達すれば、則ち人と鳥獸魚鼈と一爲り、屈伸消長の變を求むれば、則ち天地山川草木一爲りというが如き者似れり(注1)、然も其れ必ず萬物の理を窮めんと欲して、專ら外物を指せば、則ち理の己に在る者に於て明ならざること有り、但だ衆物比類の同を求めて、一物性情の異を究めざれば、則ち理の精微なる者に於て察せざること有り、其の異を欲せずして四説の異を免れず、必ず其の同を欲して未だ一原の同を極めざれば、則ち徒に牽合の勞有りて、貫通の玅を睹ず、其れ程子の説に於て何如ぞや、又以て理を窮むるは只是れ箇の是處を尋ぬ、然も必ず恕を以て本と爲して、而して又其の大なる者を先にすれば、則ち一處理通じて、觸る處皆通ずと爲す者の有り(注2)、其の箇の是處を尋ぬと曰う者は、則ち得たり、而して恕を以て本と爲すと曰う、則ち是れ仁を求むるの方にして、理を窮むるの務に非ず、又曰、其の大なる者を先にする、則ち其の近き者を先にするが切なるに若かざるなり、又曰く、一處通じて一切通ずることは、則ち又顔子の所及ぶこと能わざる所、程子の敢て言わざる所、類推積累の以て序に循いて必ず至る可きが若きには非ず、又以て天下の物勝げて窮む可からず、然れども皆我に備わりて外從(よ)り得るに非ず、所謂格物は、亦身に反して誠あるときは、則ち天下の我に在らずということ無きことを曰うと爲る者有り、是れ亦似れり(注3)、然も身に反して誠あるは、乃ち物格り知至る以後の事爲り、其の理を窮むるの至、盡きずという所無しと言う、故に凡そ天下の理、反りて諸身に求めて、皆以て其の目視(み)耳聽き手持ち足行くの畢くに此に具わりて、毫髮の實ならずこと無きが如くなることを見ること有るのみ、固(まこと)に是を以て方に格物の事と爲るに非ず、亦但だ務めて反りて諸身に求めて、天下の理自然に誠あらずということ無しと謂わず、中庸の善を明にすと言うは、即ち物格り知至るの事、其の身を誠にすと言うは、即ち意誠あり心正しきの功、故に善を明にせざれば、則ち諸身に反して誠あらざる者有り、其の功夫の地位固に序有りて、誣(し)う可からず、今格物の説を爲す、又安んぞ遽(にわ)かに是を以て言うことを爲すことを得んや、又今日一物に格り、明日一物に格るを、程子の言に非ずと爲る者有り(注4)、則ち諸家の記す所の程子の言(こと)、此の一に非ず、皆誤る容(べ)からず、且つ其の説を爲ること、正に中庸の學問思辯得ざれば措かざるの事(注5)、理に咈(もと)る所無き者なり、知らず何の病(はばか)る所あって之を疑うことを、豈に其れ敬を持(まも)るの約に習いて、夫の理を觀るの煩を厭わんや、抑(そもそも)直に己が未だ聞かざる所を以て、他人の聞ける所を信ぜず、夫れ敬を持し理を觀ること、偏(へんへん)廢つ可からず、程子固に已に之を言う、若し己が偶(たまたま)未だ聞かざるを以て、遂に之を信ぜずんば、則ち以て有子が聖人似たるを、速に貧しく速に朽ちるの論、猶お子游を待ちて而して後に定まること無きこと能わず(注6)、今又安んぞ遽に一人の未だ聞かざる所を以て、盡くに衆人の共に聞ける所の者を廢つることを得んや、又以て物物察を致し、宛轉して己に歸す、天行を察して以て自ら强め、地勢を察して以て德を厚するが如しと爲る者有り、亦似たり(注7)、然れども其れ物物察を致すと曰うときは、則ち是れ程子の所謂必ずしも盡くに天下の物を窮めずというを察せず、又宛轉して己に歸すと曰うときは、則ち是れ程子の所謂物我一理、纔(わずか)に彼を明すれば即ち此を暁すの意を察せざるなり、又天を察して以て自强して、地勢を察して以て德を厚くすと曰うときは、則ち是れ但だ其の已に定まるの名に因りて、其の已に著わるるの迹を擬せんと欲して、而して未だ嘗て程子の所謂求の然る所以と其の爲る所以の者の玅とを求むるが如しならず、獨り所謂事に即き物に即き、厭わず棄てず、身親(みず)から之に格して以て其の知を精という者、致字の裏に向かうの意を得たりと爲す、而して其の之に格るの道は、必ず志を立て以て其の本を定め、敬に居て以て其の志を持す、志は事物の表に立ち、敬は事物の内に行われて、而して知乃ち精す可しと曰う者(注8)、又以て所謂未だ知を致して敬に在らざる者有らずというの指に合うこと有り、但だ其の語意頗(すこぶ)る急迫に傷(やぶ)らる、旣に其の全體規模の大を盡すこと能わず、又以て其の從容潜玩、積久貫通の功を見ること無きのみ、鳴呼(ああ)、程子の言、其の答問反復の詳にして且つ明なること彼の如し、而して其の門人の説を爲す所以の者乃ち此の如し、或は僅に一二の合う有りと雖も、而も猶お未だ盡さざる所有ることを免れざるなり、是れ亦七十子の喪を待たずして大義已に乖(そむ)く、尚お何ぞ其の能く發する所有りて後學に助くるの有ることを望みしや、間(このごろ)獨り惟れ念う、昔延平先生(注9)の敎を聞きて、以爲(おもえら)く學を爲るの初め、且つ當に此の心を常存すべし、他事の爲に勝た所(さ)るること勿れ、凡そ一事に遇わば、即ち當に且つ此の事に就て反復推尋して、以て其の理を究むべし、此の一事融釋(ゆうしゃく)脱落(注10)するを待ちて、然して後に序に循いて少しき進みて別に一事を窮む、此の如くすること旣に久しく、積累することの多くして、胸中自ら當に洒然(しゃぜん)(注11)たる處有るべし、文字言語の及ぶ所に非ず、詳に此の言を味に、其の規模の大、條理の密、程子に逮ばざるが若しと雖も、然も其の工夫の漸次、意味の深切は、則ち他説の能く及ぶ所に非ざる者有り、惟だ嘗て實に力を此に用いる者、能く以て之を識ること有りと爲す、未だ以て口舌を争い易からず。
曰、然らば則ち所謂格物致知の學と、世の所謂博物洽聞(こうぶん)の者と、奚(なに)を以てか異ならん。
曰、此れ身に反りて理を窮むるを以て主と爲して、而して必ず其の本末是非の極摰(きょくし)を究む、彼は外に狥(したが)いて多を誇るを以て務と爲して、其の表裏眞妄の實を覈(かく)にせず(注12)、然も必ず其の極を究む、是を以て知愈(いよいよ)博にして心愈明なり、其の實を覈にせず、是を以て識愈多くして心愈窒(ふさ)がる、此れ正に己が爲にする人の爲にするの分れたる所以、察せずばある可らざるなり。


(注1)四書大全に「呂與叔が説」とある。呂大臨(りょたいりん)、字は與叔。程伊川の門人。
(注2)四書大全に「謝顯道が説」とある。謝良佐(しゃりょうさ)、字は顕道。号で謝上蔡、上蔡先生とも呼ばれる。二程子の門人で、「常醒醒の法」は大学或問において居敬の方法として推奨されている。
(注3)四書大全に「楊中立が説」とある。楊時(ようじ)、字は中立。号で楊亀山、亀山先生とも呼ばれる。二程子の門人で、郷里の福建に移ってこの地に道学を伝えた。楊時に学んだ羅従彦に朱子の師の李侗(李延平)がまた学び、後に朱子の父の朱松もまた羅従彦の下で学んだ。楊時は、朱子の三代前の師に当たる。
(注4)四書大全に「尹彦明が説」とある。尹焞(いんとん)、字は彦明。程伊川の門人。
(注5)中庸「博く之を學び、審かに之を問い、愼みて之を思い、明らかに之を辯じ、篤く之を行う、學ばざること有れば、之を學びて能くせざれば措かざるなり」より。
(注6)礼記檀弓篇より。有子(孔子の弟子)が曾子に喪を問い、曾子は「喪いては速やかに貧ならんことを欲し、死しては速やかに朽ちんことを欲す」と答えた。有子は、それは夫子の言ではないと言った。曾子はこの言を子游(孔子の弟子)と共に聞いたと言い、有子は、「然らば則ち夫子は為にすること有りて之を言うならん」と言った。曾子は、子游にこのことを聞いた。子游は、この言は桓司馬と南宮敬叔に対して孔子がそれぞれの状況に合わせて言われた言葉である(つまり、喪礼一般の規範について言われた言葉ではない)と答え、その背景を説明した。曾子は、「然り、吾固に夫子の言に非ず」と理解した。
(注7)四書大全に「謝安國が説」とある。おそらく胡安国の誤りと思われる。胡安国(こあんこく)、字は康候。北宋滅亡から南宋に移る時期に官僚・学者として活動し、楊時と並んで道学が南伝する功を成した。次注の胡宏の養父。
(注8)四書大全に「胡仁仲が説」とある。胡宏(ここう)、字は仁仲。号で胡五峰、五峰先生とも呼ばれる。楊時に学び、朱子の友人である張南軒は五峰先生の門人である。
(注9)延平先生は、李侗のこと。字は愿中、号で李延平とも呼ばれる。朱子が程子の学を伝授された師。
(注10)「道理がわが身体に血肉化された深い自得の状態を、延平は『融釈』という言葉によって表した」(三浦國雄『朱子伝』より)。
(注11)「延平における『洒落』とは、心からあらゆる夾雑物、わだかまりが脱落した、いわば天理のみがさわさわと吹きわたる状態」(同上)。洒然とは、そのような洒落(しゃらく)たる状態を指す。
(注12)覈は、しらべる、あきらかにすること。
《要約》

  • 程子の格物窮理の説を伝えた学者たちの説に後学の助けとなるものがあるか、と問われて、朱子は彼らの説の中には、程子の格物窮理説に十分理解が届いていないものが見えると答えて、以下にそれらを列挙する:
  • 呂大臨は、万物の理が同じ一から出ることを窮めることを「物に格る」と言い、万物が同じ一理から出ることを知ることを「知至る」と言う。しかし呂氏の説は、ただ外物の理を言うだけで自己内部の理について明らかにしない。また天地の様々な物に比類の同を求めて、それぞれ個物の相違を究めることがない。これでは理の精微を察することができず、一原の同を極めるには足りず、比較照合の労多くして貫通の妙に至ることがないであろう。これは程子の説とは言い難い。
  • 謝良佐(謝上蔡)は、理を窮めるには恕をもって本となして、その大なる者を先にすれば、一処に理が通じて触るところ皆通じると言う。しかし恕(じょ。相手を思いやる心)を本となすというのは仁を求める方法であって、理を窮める努力ではない。また大なる者を先にすると言うが、まず身近なものを先に窮理するべきである。また一処に理が通じて触るところ皆通じると言うが、それは孔子の高弟である顔回ですらできなかったことであり、程子はそのようなことをあえて言及しなかったのである。類推をだんだんに積み上げていき、最後に貫通に至る行程でなければいけない。
  • 楊時(楊亀山)は、天下の物をすべて窮めることは不可能であるが、すべては我に備わっていて外物から得たものではない。格物とは、自分の身を反省して誠があれば天下のすべて我に無いものはないと言う。しかし自分の身を反省して誠があるのは、格物致知を成し遂げた後のことである。格物致知を尽くした果てに己の身を反省して、見るところ聞くところ足が進むところ天下の理がすべて備わっている、ということを見なければならないのだ。中庸の「善を明にす」というのは、格物致知のことである。「意を誠にす」というのは、その後で意が誠となって心が正しくある功績が得られるということである(伝五章の三、注を参照)。その努力の順序は、かってに変えることはできないのである。
  • 尹焞は、「今日一物に格り、明日一物に格る」は程子の言に非ずと言う。しかしこの言葉は、中庸の言葉に立脚したものである。それを何の理由で疑い、程子の「敬を守る」説には従いながら「理を観る」説は厭うのであろうか。自分一人が聞いたことがないからといって多くの他人が聞いたことを信じないのというのは、有子が曾子が聞いた孔子の言葉を信じないので子游に確認したようなことを、すべてに行わなければいけないだろう。
  • 胡安国は、「物物察を致し、宛転して己に帰す、天行を察して以て自ら強め、地勢を察して以て徳を厚するが如し」と言う。これも、程子の言葉がよくわかっていない。
  • 胡宏(胡五峰)の言は、致知の「致」字についてはその意をよく理解している。しかれども格物の「格」字については、「必ず志を立て以て其の本を定め、敬に居て以て其の志を持す、志は事物の表に立ち、敬は事物の内に行われて、而して知乃ち精す可し」と言う。これは、「知を致しながらいまだ敬にいない者」の趣旨と言うべきであろう。語意が急迫に過ぎて、格物の全体を尽くすことができない。ゆったりとした心をもって、しずかに積み上げてやがて貫通することを目指すのみである。
  • 程子の言は反復されて意味は明瞭であるのに、その門人たちの説は、上のように一二は合致しているところもあるが、十分に理解を尽くしていない。彼らの言葉が、どうして後学の助けになりえるだろうか?
  • わが師である延平先生は、こう教えた。すなわち学をするときには他事にかまけず、一事に遇えばそのことについて反復推尋し理を究め、融釈脱落してから少しずつ次のことに進むべし。それを久しくして累積するところが多ければ、胸中自ら洒落(しゃらく)するところあるべし、と。延平先生は、学問の規模も精密さも程子には及ばない。しかしながらその努力の進ませ方、意味の深くて切なる度合は、程子の門人たちの説がよく及ぶところではない。
  • 格物致知の学と博物洽聞(ひろい知識を持っていること)の違いは、一方は身に反りて理を窮めることを主として、本末是非の極致を究めるものである。他方は外物を追い駆けて多聞を誇ることを務めとして、物の表裏真偽の実を調べないものである。極致を究めるものは、知がますます博く心がますます明となるであろう。実を調べないものは、知る情報がますます増えて心がますます窒(ふさ)がれるであろう。これが「己が為にする学」と、「人の為にする学」の分かれるところである。よくわきまえなければいけない。

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