「雩(あまごい)をしたら、雨が降る。何か効果があるに違いない」と言うのか?答えよう、何の効果もない。雩しなくて雨が降ることと、何の違いもない。日蝕や月蝕が起こったら、太鼓を打って日月の回復を願う儀式を行う(注1)。天候が旱魃となったら、雩の儀式を行う。戦争などの大事に先立っては、卜筮(ぼくぜい)して吉凶を占う。こういう儀式は、効果を期待して行っているのではないのだ。これらの儀式は、政治を装飾するものなのだ。ゆえに、君子はこれらの儀式を装飾だと分かっているが、人民はこれらの厳粛な儀式に何やら神妙な効果があると信じるのだ。君子がこれを政治の装飾だと考えるのは、よい結果を生む。しかし君子たるものがこれに神妙な効果があるなどと信じるようでは、政治に凶である。
天にあるもので、太陽と月よりも明らかなものはない。地にあるもので、水と火よりも明らかなものはない。財物の中で、珠玉よりも明らかなものはない。人においては、礼義よりも明らかなものはない。太陽と月は高くに昇らなければ輝きが大きくならず、水と火は大きく集まらなければ明るさと深さが大きくならず、珠玉は外に見せなければ王公はこれを宝とみなすことはなく、礼義は国家に加えなければ功名は明らかとならないのである。ゆえに、人の命は天の賜り物であるが、国の命は礼を加えるところにあるのだ。人の君主たる者は礼を尊び賢人を尊べば王者となり、法を重んじ人民を愛すれば覇者となり、利を好んで詐術が多ければ己を危うくし、権謀を行い人民を苦しめ陰険な行為を行うならば滅亡するだろう。(注2)天を偉大だと崇めて天の恵みを望むぐらいならば、人の力で財貨を蓄えて分配することに専念せよ。天のままに従って天を称えるぐらいならば、天から与えられたものを人の力で活用することに専念せよ。よい時が来ることを待って望むぐらいならば、いまの時に応じて最適な活用を行うことに専念せよ。自然が恵みを増やすのを待って望むぐらいならば、人の知能を使って加工して財貨を増やすことに専念せよ。手元にないものをさもあるかのように空想するぐらいならば、いま手元にあるものを活用してこれがなくなってしまわないように努力することに専念せよ。万物生成の力のはたらきが成し遂げてくれることを願うぐらいならば、万物生成の力が現に存在していて万物を作り出し、人としてこれらを活用することに専念せよ。ゆえに、人の力を無視してただ天を思うだけであるならば、それは万物の本性を見失うことになるのだ。 わが国の歴史上の王たち(注3)が変えることをしなかったものこそが、根本の正道とみなすことができる。礼義の細目は時代によって廃止されたり新設されたりしたが、対応の根本は同じであった。根本をよく治めていれば国は乱れず、根本を知らなければ状況の変化に対応できなかった。根本の本質は、いまだかつて滅んだことはなかったのである。乱は根本から離れたときに起こり、治は根本を詳しく極めたところに起こった。ゆえに、正道とはそもそもが善政のためのものなのだから、これに当たっていれば従うべきであり、しかし正道から見て偏っていればこれを行ってはならず、もし正道から外れていれば大いに迷ってしまうだろう。水を渉る者は、水深が深くなる所に目印を付けておく。この目印が不正確であると、人は深みに陥ってしまう。人民を治める者は、正道に目印を付けておく。この目印が不正確であると、国はカオスに陥ってしまう。礼というものは、この正道の目印なのである。礼を否定すれば世の中は目印がなくなってまるで闇夜に入ったようになり、世の中が闇夜に入れば大混乱が起きるであう。ゆえに正道は明らかでなければならず、内と外で目印を変えて、見せるものと見せないものとの仕切りに一定のルールがあれば、人民は去就に迷って罪に陥ることもなくなるのである。 万物は、「道」の一片でしかない(注4)。一物は、万物の一片でしかない。愚者は、人間という一物の偏った一片でしかない。その愚者が、「自分は『道』を理解している」などと言うのは、自分の無知をさらけだしているのである。慎到(しんとう)は、人間の退歩的側面ばかりを見て、進歩的な力を見ようとしない(注5)。老子は、消極的屈従のよさばかりを言って、積極的発展の力を見ようとしない。墨子は、人間を平等にすることばかりを言って、人間には差別が必要であることを見ようとしない(注6)。宋鈃(そうけい)は、人間の寡欲さを称えるばかりで、人間が多欲であることを見ようとしない(注7)。慎到のように人間の退歩的側面ばかりを見るならば、人民が努力して進んでいくべきガイドラインがなくなってしまう。老子のように消極的屈従のよさばかりを言うならば、人が貴い身分に上昇しようとしなくなって貴賤が分離しなくなる。墨子のように人間を平等にすることばかりを言うならば、人の上に立つ者がいなくなって政治と法令が効力を発揮しなくなる。宋鈃のように人間の寡欲さを称えるばかりであるならば、人民を褒賞によって向上させて教化することができなくなる。『書経』に、この言葉がある。:
この言葉が意味することは、今述べたとおりである。 (注1)増注は、例として春秋左氏伝文公十五年の記事を引用する。日蝕があったので周王は音楽を中止して社において鼓を打ち、諸侯は社に幣を納めて朝廷において鼓を打ち、神に祈る儀式を行った。
(注2)増注は、これ以下の節が変わるまでのくだりは老荘の徒が自然に任せることを知って自ら勉めることを知らないことを批判している、と見る。 (注3)原文「百王」。この言葉は儒效篇にも現れる。いにしえの時代の統治者たちのこと。 (注4)新釈漢文大系の藤井専英氏が書いているように、ここで荀子が使う「道」の意味は、他の箇所で用いるときには礼義・忠信といった人間の正道を指しているにも関わらず、道家と類似した自然の道理のように見える。 (注5)慎到についてのレビューは、王制篇(1)を参照。ただし、ここで荀子が慎到を批判するポイントは、彼の「勢」による統治術が賢人の政治を否定して権力の強制力のみに頼る点である。 (注6)墨子に対する荀子の批判は、富国篇(3)を参照。 (注7)宋鈃(宋牼、宋栄子とも記録される)については、孟子告子章句下、四を参照。 |
《原文・読み下し》 雩(う)して雨ふるは、何ぞや。曰く、何も無きなり。猶お雩せずして雨ふるがごときなり。日月食して之を救い、天旱(かん)して雩し、卜筮(ぼくぜい)して然る後に大事を決するは、以て求を得と爲すに非ざるなり、以て之を文(かざ)るなり。故に君子は以て文と爲し、百姓は以て神と爲す。以て文と爲せば則ち吉なるも、以て神と爲せば則ち凶なり。 天に在る者は日月より明なるは莫く、地に在る者は水火より明なるは莫く、物に在る者は珠玉より明なるは莫く、人に在る者は禮義より明なるは莫し。故に日月高からざれば、則ち光輝赫(かく)ならず、水火積まざれば、則ち煇潤(きじゅん)博ならず、珠玉外に睹(しめ)さざれば(注8)、則ち王公以て寶(たから)と爲さず、禮義國家に加わらざれば、則ち功名白(あきらか)ならず。故に人の命は天に在り、國の命は禮に在り。人に君たる者は、禮を隆(とうと)び賢を尊びて王たり、法を重んじ民を愛して霸たり、利を好み詐多くして危く、權謀・傾覆・幽險にして[盡](注9)亡ぶ。天を大として之を思うは、物畜して之を制(さい)する(注10)に孰與(いずれ)ぞ。天に從いて之を頌するは、天命を制して之を用うるに孰與ぞ。時を望んで之を待つは、時に應じて之を使うに孰與ぞ。物に因って之を多とするは、能を騁(は)せて之を化するに孰與ぞ。物を思いて之を物とするは、物を理して之を失うこと勿きに孰與ぞ。物の生ずる所以を願うは、物の成る所以有るに孰與ぞ。故に人を錯(お)きて天を思はば、則ち萬物の情を失う。 百王の變ずること無き、以て道貫と爲すに足る。一廢一起するも、之に應ずるに貫を以てす。貫を理すれば亂れず、貫を知らざれば、變に應ずるを知らず。之が大體を貫すれば、未だ嘗て亡びざるなり。亂は其の差に生じ、治は其の詳に盡(つ)く。故に道の善なる所、中なれば則ち從う可く、畸なれば則ち爲す可からず、匿(とく)(注11)なれば則ち大いに惑う。水を行く者は深に表す、表明(あきら)かならざれば則ち陷(おちい)る。民を治むる者は道に表す、表明かならざれば則ち亂る。禮なる者は表なり。禮を非とするは、世を昏ますなり。世を昏ますは、大亂なり。故に道は明かならざること無く、外內表を異にし、隱顯(いんけん)常有れば、民陷(みんかん)乃ち去る。 萬物は道の一偏爲(た)り、一物は萬物の一偏爲り。愚者は一物の一偏爲り、自ら以て道を知ると爲すも、知ること無きなり。愼子は後に見る有りて、先に見る無し。老子は詘(くつ)に見る有りて、信に見る無し。墨子は齊に見る有りて、畸に見る無し。宋子は少に見る有りて、多に見る無し。後有りて先無ければ、則ち羣衆(ぐんしゅう)門無し。詘有りて、信無ければ、則ち貴賤分かれず。齊有りて畸無ければ、則ち政令施さず。少有りて多無ければ、則ち羣衆化せず。書に曰く、好を作(な)すこと有ること無かれ、王の道に遵(したが)え、惡を作すこと有ること無かれ、王の路に遵え、とは、此を之れ謂うなり。 (注8)集解の王念孫は、「睹」字は「暏」であるべき、と言う。これならば「あきらか」という意味となる。新釈の藤井専英氏はこれに反対し、「睹」字のままでよい、と言う。「睹」字はふつう「みる」の意であるが、ここでは「しめす」の意で取る。藤井説に従う。
(注9)増注・集解の王先謙ともに、「盡」字は無用と言う。 (注10)集解の王念孫は、「制」は「裁」であるべき、と言う。理由はここから一連のくだりは対の語を押韻してあり、「思」と古代音で対応するのは「制」ではなくて「裁」だからである。 (注11)集解の王念孫は、「匿」字は「慝」であると言う。たがう、よこしまの意。 |
ここは、『荀子』全篇中でも最も有名なくだりの一つである。冒頭の雨乞いが装飾にすぎない、というくだりは、『韓詩外伝』にも引用されている。また猪飼彦博は、荀子が天論篇を著した理由を述べて、「当時天象に附託して五行を敷衍する荒唐迂闊の説が起こり、王公貴人がこれに眩惑されて人を措いて天を思う者が多く、政治を治めなかった。荀子はその事情を見て天論篇を著して、天を思うことの無益有害を説いて救世の論を立てた。そのため言葉は激切痛快であり、先王たちの敬天の旨がほとんどなくなるところまでいった。いわゆる『枉げるを矯めて直に過ぎる』ものである。その末流の弊害は言うに耐えないものがあり、韓非・李斯が荀子の門から出てしまったのもやむをえない。余は荀子のために、これを深く惜しむ」という趣旨の注をここで書いている。私は韓非・李斯を高く評価するところなので、むしろ彼らによって統一中華帝国のシステムが実現された踏み石として荀子があったことは、彦博とは違って惜しむことはない。ただ、天論篇が後世の儒者たちに対して、荀子が敬天の精神を持たない無神論者であると軽蔑される一端となったことは、彦博の言うとおりであろう。
天論篇の意図は、人間の力でコントロールできない自然現象に人間が期待することをやめよ、人間の力だけを信じろ、というものである。その儒家思想における孟子との連続性と相違点は、これまでに検討したところである。末尾に、諸子百家への批判が置かれている。富国篇では墨家への批判が展開されたが、天論篇では増注の久保愛も指摘するように、老子・荘子の道家への批判が主眼となっている。荀子が道家を批判する点は、その無為自然の政治思想・人生思想である。荀子は、礼法の知識を持つ官僚である君子が国家にとって絶対に必要不可欠な存在であると言う。そのような有能な君子は昇進させて国家の中枢に昇るのは当然であって、身分や地位を嘲笑する道家は荀子にとって許されるものではない。統治術としては、儒家と道家は見かけほどには大きな違いはない。荀子は礼法を整えることによって、簡潔な指示で大きな政策効果を出す統治を最上とした(彊国篇の秦国への評価を参照)。じつはこれは道家の統治術の理想とも一致しており、韓非子はその法家思想の根幹に、道家の無為自然の統治術を置いていた。ただ荀子はシステムの構築と同時に統治者の倫理もまた求めるのに対して、韓非子はシステムの構築だけに注目して統治者の倫理を求めない。
ところで『荀子』ではこうして道家が明確に敵として認識されているが、不思議なことに『孟子』においては道家への明確な批判が見えない。『孟子』においては荀子も批判する墨家とともに、楊朱(ようしゅ)が儒家の主要な敵としてあらわれる。楊朱は諸子百家の中では道家に分類されているが、その思想内容はいわゆる老荘思想とはかなり異なっている(楊朱の思想のレビューと孟子の楊朱批判は、こちらも参照)。荘子は孟子とほぼ同時代に活動した思想家であり、道家が諸子百家の明確な一勢力として自他ともに認識されるようになったのは、荘子以降の戦国時代後期のことだったのかもしれない。
以上で、天論篇は終わった。次に、正論篇第十八に進みたい。正論篇は、『孟子』の萬章章句に相当する議論である。