正名篇第二十二(5)

By | 2015年5月29日
謙譲する時と場合をよく会得し、長幼の序にはよく従い、言うべきでない言葉を言わず、妖しげな言葉を発せず、仁の心もて説得し、学ぶ心もて人の言を聴き、公共の精神をもって発言し、大衆の賞賛や非難するところに流されず、自己の言動を監視する観客の意向に惑わされることをせず、貴人の権勢にへつらわず、自己への機嫌取りの言葉に喜んでこれを用いたりはしない。正道に就いて離れず、困窮しても心は奪われず、好都合の時期でも浮ついて放埓とならず、公正を尊んで愚かな争いを賤しむ。これが、君子がものを説く姿である。詩(注1)に、この言葉がある。:

夜は長し、漫漫と明けず
思いは永し、はるかさかのぼる
いにしえのこと、ゆめ慢(あなど)らず
礼義のことを、愆(あやま)らぬなら
人の言葉を、何ぞ恤(うれ)えん
(逸詩。原詩は伝わらない)

諸君ら君子は、人の言葉に憂うことはない。

君子の言は、該博な知識を持ちながらも精密であり、常人の言葉どおりでありながら(注2)名称の分類は正しく行われていて、様々に多様でありながらその原理は統一されているものである。君子は名称を正しくし、言辞を妥当にし、これらのことに努めることによって名称・言辞の意義を明らかにする者である。名称・言辞というものは、意義を運ぶ道具である。相手に意義が通じれば、そこで終えるのだ。それ以上細かく検討することは、姦(よこしま)なことである。ゆえに、名称はその実体を指すに足りて、言辞は名称の指すべき中庸な意味を明らかにすることに足りれば、そこで終えるのだ(注3)。ここから外れた名称・言辞は、かえって意味を分からなくさせる。よってこれらは君子が捨てて顧みないものであるが、愚者はかえってこれらを拾って宝のように有り難がる。ゆえに愚者の言は、道理もなくて粗雑であり、むやみに言葉が多いがその名称の分類は無茶苦茶であり、よって多言を次々と費やすばかりなのである。この愚者は誤った言辞に惑わされて、名称の意義を深く理解しない者である。ゆえにどんなに多く言葉を述べても名称の中庸の意味を得ることができず、はなはだ労しても効果は上がらず、貪るように努力しても正しい名称を得ることがない。逆に知者の言は、これを考えるときには分かりやすく、これを行うときには事業がよく安定し、これを保持するときには事業が成り立ちやすいのである。よって知者の言葉を成就させたならば、必ず望むところの結果を得ることになり、嫌うところの結果に陥ることはない。なのに、愚者はこれに反することを行うのである。『詩経』に、この言葉がある。:

物の怪のたぐいであるならば
見えず掴めず、あきらめもしましょうが
あんたは人間ではござんせんか、そこに面目(かお)がありまする
この世間、人を視(み)ないですむ道理とてなし
だからこの恨み歌を作りまして
あんたの外れた心を正しましょう
(小雅、何人斯より)

愚者どもは、この恋歌の意味をよく理解したほうがよい。

およそ治世の道を語る者の中で人間が欲望を捨てることを期待する者は、人間の欲望を統御する対策を考えることなく、ただいたずらに人間が欲望を持つことを悩むだけの者である。およそ治世の道を語る者で人間が寡欲となることを期待する者は、人間の欲望を身分により差別化することを考えることなく、ただいたずらに人間が多欲であることを悩むだけの者である。欲望のある・なしの区分は、人間の属性において同類に属するものではない。それは生存・死亡の区別に属するのであり、つまり生存する状態は欲望があり、死亡した状態は欲望がないのである。よって、人間の欲望が治世・乱世によってなかったりあったりするのではない。また欲望が多い・少ないの区分は、人間の「情」(注4)の程度の差である。よって、人間の欲望が治世・乱世によって多かったり少なかったりするのではない。欲望は、その対象が得られるか否かを待たずに存在する。しかしながら、人間が実際に欲しい対象を獲得するために行動を起こすときには、現実的に可能な手段に従って行うのである。欲望がその対象を得られるか否かを待たずに存在するのは、天から受けた人間の本能である。だが人間が現実的に可能な手段に従うのは、心がこれを判断して選択するものである。[(解釈困難:)天から受けた欲望は、心が認可するところに制御される。よって現実に行動として現れる欲望は、もとより天から受けた欲望と同類とは言い難い](注5)。およそ人が欲するもので、「生きたい」という欲望ほど大きなものはない。また「死にたくない」という欲望ほど大きなものはない。しかし、時によって生を捨てて死を成し遂げる者がいる。これは、生を欲しないで死を欲したのではない。生きられない状況にあって、死ななければならないと心が判断したのである。ゆえに、欲望が多大であっても行動には出さないのは、心がこれを止めているのである。心が認可するところが道理に当たっていれば、その者がたとえ多欲であったとしても、治世を壊すような行動をどうして起こすだろうか?反対に、欲望が寡少であっても過ぎた行動を行ってしまうのは、心がこれを駆り立てているのである。心が認可するところが道理から外れているならば、その者がたとえ寡欲であったとしても、乱世を抑えるような行動をどうして起こすだろうか?ゆえに、世の治乱は心の認可するところに依存するのであって、「情」の欲するところに依存するのではない。本来の原因に求めずして、原因でないところに原因を求めて、「我々は治乱の原因を究明した!」などと言ったところで、実際には治乱の原因を見逃しているのである。人間の「性」(注6)は天が作ったものである。「情」とは、「性」から発現した性質である。欲望とは、「情」の反応である。「欲しい!」と心に衝動が起こったものに対して、これを「得よう!」と考えてこれを求めるのは、「情」の不可避的な現象である。この衝動を「得てもよい」と制御して導くところには、「知」(注7)が必ず作用しているのである(注8)。ゆえに卑賤な門番(注9)であっても、欲望から離れることはできない。欲望は「性」の本来的属性だからである。また富貴の頂点にある天子であっても、(生きている限り欲望は属性として尽きないので)欲望が完全に満ちて何も欲しない、ということにはならない。しかし欲望を完全に満たすことはできないが、ほぼ欲望を満たした状態ならば可能である。欲望を離れることはできないが、獲得可能な欲望を身分により差別化して、現実的に求めることができるものを各人に割り振ることは可能である。欲望を完全に満たすことはできないとしても、身分により現実的に求めることができるものを得るならば、これはほぼ欲望を満たした状態であると言えるだろう。また欲望から離れることはできないとしても、身分により現実的に求めることが許される欲望を限ったならば、求めるものが得られていない、とは考えないように仕向けることはできるのだ。人が正道を行くならば、身分の上に進めばほぼ欲望を満たすことができて、身分の下に退くならば分相応の欲望に己の求めるものを縮小させるものなのである。天下において、この原理以上に欲望を統御する道はない。


(注1)この詩は逸詩であり、本文は伝わらない。同じ詩からの引用が、天論篇にもある。天論篇(2)注8参照。
(注2)原文「俛然(ふぜん)」。俯して従う様という。常人大衆の言葉に従う、という意味。
(注3)以上の荀子の言葉は、論語衛霊公篇「子の曰く、辞は達するのみ」を想起させる。
(注4)正名篇(1)の「情」の定義参照。「情」は人間の動物レベルの生命活動で沸き起こる衝動であり、人によって多かったり少なかったりするが、宋鈃の徒が主張するように政治によって多かったり少なかったりするような性質のものではない、と荀子は言いたいのである。
(注5)下の注15参照。
(注6)これも正名篇(1)の「性」の定義参照。
(注7)これも正名篇(1)の「知」の定義参照。だがむしろここでは「知」よりも「智」の語を用いたほうがよいと思われる。
(注8)この議論を、富国篇の社会契約説と参照させよ。そうすれば荀子の社会契約説が人間の無限の欲望と国家の制御との折り合い点を目指したものであることが分かるだろう。
(注9)原文「守門」。城市の門番のこと。門番は城市内部の住民よりも卑賤な地位とみなされた。
《原文・読み下し》
辭讓の節は得、長少の理は順(したが)い、忌諱を稱せず、祅辭(ようじ)を出さず。仁心を以て說き、學心を以て聽き、公心を以て辨ず。衆人の非譽(ひよ)に動かされず、觀者の耳目に治(まど)わされず(注10)、貴者の權埶(けんせい)に賂(こ)びず、傳辟者(べんぺいしゃ)(注11)の辭を利とせず。故に能く道に處して貳(じ)せず、吐(くつ)して(注12)奪われず、利して流(りゅう)せず、公正を貴びて鄙爭(ひそう)を賤む。是れ士君子の辨說(べんぜい)なり。詩に曰く、長夜漫たり、永思騫(けん)たり、大古を之れ慢らず、禮義を之れ愆(あやま)らずんば、何ぞ人の言を恤(うれ)えん、とは、此を之れ謂うなり。
君子の言は、涉然(しょうぜん)として精(くわ)しく、俛然(ふぜん)として類し、差差然として齊し、彼れ其の名を正にし、其の辭を當(とう)にし、以て務めて其の志義を白(あきら)かにする者なり。彼の名辭なる者は、志義の使なり。以て相通ずるに足れば、則ち之を舍(お)く。之を苟(まこと)にするは、姦なり。故に名は以て實を指すに足り、辭は以て極を見(あら)わすに足れば、則ち之を舍く。是に外るる者は、之を訒(じん)と謂う。是れ君子の棄つる所にして、愚者拾いて以て己が寶(たから)(注13)と爲す。故に愚者の言は、芴然(こつぜん)として粗、嘖然(さくぜん)として類せず、誻誻然(とうとうぜん)として沸く。彼れ其の名に誘われ、其の辭に眩(まど)わされて、其の志義に深きこと無き者なり。故に窮藉(きゅうそ)して極無く、甚だ勞して功無く、貪りて名無し。故に知者の言や、之を慮(おもんぱか)るに知り易きく、之を行うに安んじ易く、之を持するに立ち易きなり。成れば則ち必ず其の好む所を得て、其の惡(にく)む所に遇わず。愚者は是に反す。詩に曰く、鬼と爲り蜮(いき)と爲れば、則ち得可からず、靦(てん)たる面目有り、人を視ること極まり罔(な)し、此の好歌(こうか)を作りて、以て反側を極む、とは、此を之れ謂うなり。
凡そ治を語りて欲を去ることを待つ者は、以て欲を道(おさ)むること無くして欲有るに困(くる)しむ者なり。凡そ治を語りて欲を寡くするを待つ者は、以て欲を節すること無くして欲多きに困しむ者なり。欲有ると欲無きとは、異類なり、生死なり、治亂に非ざるなり。欲の多寡は、異類なり、情の數なり、治亂に非ざるなり。欲は得可きを待たずして、而(しこう)して求むる者は可とする所に從う。欲の得可きを待たざるは、天に受くる所なればなり。求むる者の可とする所に從うは、心に受くるところなればなり(注14)。[天に受くる所の[一]欲は、心に受くる所の多(か)に制せられて、固(もと)より天に受くる所に類し難し。](注15)人の欲する所は生を甚しとす、人の惡(にく)む所は死を甚しとす。然り而(しこう)して人(ひと)生を從(す)てて死を成す(注16)者有るは、生を欲せずして死を欲するに非ず、以て生く可からずして以て死す可ければなり。故に欲之を過ぎて動及ばざるは、心之を止むればなり。心の可とする所理に中(あた)れば、則ち欲多しと雖も、奚(なん)ぞ治を傷(やぶ)らん。欲及ばずして動之に過ぐるは、心之を使(せし)むればなり。心の可とする所理を失えば、則ち欲寡しと雖も、奚ぞ亂を止めん。故に治亂は心の可とする所に在りて、情の欲する所に亡(な)し。之を其の在る所に求めずして、之を其の亡き所に求むれば、我之を得ると曰うと雖も、之を失す。性なる者は、天の就せるなり。情なる者は、性の質なり。欲なる者は、情の應なり。欲するを以て得可しと爲して之を求むるは、情の必ず免れざる所なり。以て可と爲して之を道(みちび)くは、知の必ず出ずる所なり。故に守門(しゅもん)爲(た)りと雖も、欲は去る可からず、性の具なればなり。天子爲(た)りと雖も、欲は盡(つく)す可からず。欲盡す可からずと雖も、以て盡すに近づく可きなり。欲去る可からずと雖も、求(きゅう)は節す可きなり。欲する所盡す可からずと雖も、求むる者は猶お盡すに近し。欲去る可らずと雖も、求むる所得ざるを慮(おもんぱか)らざる(注17)者は、欲求(きゅう)を節すればなり。道なる者は、進めば則ち盡すに近づき、退けば則ち求を節す。天下之に若(し)くは莫きなり。


(注10)集解の王念孫は、「治」は「冶」となすべきであり、「冶(や)」は「蠱(や)」と古字で通じたと言う。まどう。訳では新釈に従い、受身形で解釈した。
(注11)冢田虎『荀子断』は「傳」を「便」に作るべしと言う。
(注12)集解の兪樾は「吐」は「咄」たるべし、と言う。
(注13)宋本は、「寶」が「實」となっている。
(注14)原文「受乎心也」。増注は、「受」の上に「所」字が脱けるに似たり、と言う。これに従い、「所」字を入れるように読み下す。
(注15)楊注は、この一節未詳にして、あるいは恐らく脱誤あるのみと言う。漢文大系はこれを受けて、「恐らくは後人の傍(かたわら)に加えしものの本文中に誤り入りたるものなるべし」とみなして解釈を行わず、「これを強解する者は曲説たるを免れず」、と言う。楊注或説、集解の兪樾および郭嵩燾、新釈の藤井専英氏、金谷治氏と各説を立てているが、猪飼補注は「一」字を衍とみなして「多」字を「可」とみなす。これは各氏の複雑な解釈を避けた最もすっきりとした解釈であると、私は考える。なので猪飼説を支持したいが、訳ではいちおう猪飼説に従った訳を置いて、なおかつ解釈困難な旨を付記する。
(注16)原文「從生成死」。漢文大系は「生くるの道によりて死に到るなり、蓋し其道を誤るによりて生を求めて生くるべからざるなり」と注している。この「從」について猪飼補注は「舍」に作るべし、と言う。新釈も冢田虎の「從」は「縦」なり、の説を引いて、「すてる」の意味で「從」を解釈している。前後の文脈から猪飼補注・新釈の説を取りたい。
(注17)前後の原文を示せば、「所求不得慮者欲節求也」。金谷治氏は梁啓超の説を取って、「求むる所は得ず。慮なる者は求めを節せんと欲す」と読み下す。しかしこの説は、前の文との対句表現が崩れてしまうのが難点である。新釈の藤井専英氏は「慮」字を「旅、衆」の意味と解して「求むる所慮(おお)きを得ざる者は、欲求を節すればなり」と読み下す試案を立てている。猪飼補注は疑うは誤りありと言って、「所求慮不得者欲節求也」のように並び替えて「不」字を挿入する。漢文大系は「不」「慮」を読まず「求むる所得る者は、欲求を節すればなり」と読む。いずれも一長一短であるが、猪飼説を取りたい。

諸子百家の立てる名称が有害無益であることを説いた後で、君子が正しい名称を認識して用いる姿を描く。勧学篇以下の各篇で、荀子は君子のあるべき姿を推奨した。そのうち君子の用いる言葉に関する点を、ここで再度取り上げている。孔子は「巧言令色、鮮(すくな)きかな仁」(学而篇)と言い、「辞は達するのみ」(衛霊公篇)と言った。これらの短い格言の集まりである『論語』だけを取り上げて読む者は、孔子のこのような金言を読んで「なるほど真理には多言は無用だ」、と得心するものだ。だがその孔子の後継者たちの論文集である『礼記』などを読むと、長大にして多言である。荀子もまたここで君子は必要な言葉だけ用いなければならない、などと言っておきながら、この『荀子』に収録された論文集は先秦時代の中国思想において屈指の長大さを誇る。プロレタリアートの素朴な連帯感が世界を変える、と期待したマルクスは、プロレタリアートには到底理解できそうにもない難解かつ長大な論文を著したのであった。孔子は上のような言葉を残したかもしれないが、孔子学派は決して「辞は達するのみ」で言葉を切るような訥弁者ではない。

その後には、正論篇(7)および(8)に続いて再び宋鈃(そうけい)説への批判があらわれる。荀子は諸子百家の中でも、とりわけ墨子と宋鈃への批判に多くの文章を費やしている。これは、彼らの主張が荀子の理想とする王者の制、すなわち法治官僚国家のシステムと衝突する主張を立てるために、荀子はこれらを最大の敵として体系的に論破することを試みたのであろう。墨子の説は、法治官僚国家が前提とする身分秩序の差別を批判する。それに対する反批判は、さきの富国篇(3)で試みられた。宋鈃の説は、荀子の統治論の根幹を成す性悪説と衝突する。なぜならば荀子は人間の本性は悪=欲望的存在であるとみなすのであるが、そこから偽=人為を用いて善に化した君子が統治階級として国家を運営し、本性=悪のままの被統治階級の欲望を礼義によって制御するところに、国家の正統な秩序を見るからである。いっぽう宋鈃は、人間の本性を寡欲とみなす。もしそれが正しいのであるならば、社会は宋鈃の寡欲思想が普及してしまいさえすれば、君子の運営なしでも安定することとなるだろう。荀子としては、これを虚妄とみなさなければならない。正名篇に続く性悪篇では、荀子は孟子を主要な敵として人間の本性論を展開するのであるが、表面上の敵は孟子であっても、その背後にある敵は宋鈃と墨子であったはずである。

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