正名篇第二十二(6)

By | 2015年5月30日
およそ人は心が「よい」とするところに必ず従って、「よくない」とするところを必ず去るものなのである。正道よりよい選択肢がないことを知っておりながら、正道に従わない者は、ありえないのである。これを喩えるならば、ある人がいて南に行きたいのだが道は遠く、北に行きたくないのだが道は近い。さてその者がたとえ南への道はたどり着くことすら難しいからといって、南に行かずして北に走ることがあるだろうか(注1)?今、人がその欲するところの困難が多くて憎むところの困難が少ないからといって、その者がたとえ欲することを得尽くすことが困難だからといって、欲するところから離れて憎むところを取るだろうか?ゆえに、正道をよしとしてこれに従うならば、どうして正道が損なわれて乱れることがありえようか。逆に正道をよくないとしてここから離れたならば、どうして正道が盛んとなって治まることがありえようか。ゆえに知者は正道だけを論ずるのであり、卑小な諸子百家どもの珍説はいずれすべて当たらずに衰えるしかないのである。およそ人が何かを取り上げるとき、欲するところのものが完全純粋の状態で手に入るようなことは決してない。またおよそ人が何かを失うとき、憎むところのものが完全純粋の状態で失うようなことは決してない。ゆえに人は行動するときには、常に基準を持ってそれで正邪を計らなければならないのである。衡(てんびん)が狂っていると、重い側が上を向いて人はそちらが軽いと誤認し、軽い側が下を向いて人はそちらが重いと誤認する。これが、人が軽重を間違う理由なのである。人間も同じであり、その基準が狂っていたならば、実は禍(わざわい)であるのに一見欲するところに見えてしまって、人はそちらを福への道と誤認し、実は福であるのに一見憎むところに見えてしまって、人はそちらを禍への道と誤認する。これまた、人が禍福を間違う理由なのである。正道というものは、古今通用の正しい基準なのである。正道を離れて主観だけで選択すれば、どちらに禍福があるかどうかを知ることができないだろう。交換の際に一個を渡して一個を受け取るならば、人は得も損もしなかったとみなす。一個を渡して二個を受け取るならば、人は損がなくて得をしたとみなす。二個を渡して一個を受け取るならば、人は得がなくて損をしたとみなす。このように、計算を実行する者は「多い」方を必ず選ぶ。同様に、熟慮する者は「よい」道に必ず従うのである。二個を渡して一個を受け取るようなことを人は決してしないのは、数量の多寡をよく見ているためである。正道に従って行動するのは、さながら一個を渡して二個を受け取るようなものである。失うものは何もなく、得だけがある。逆に正道を離れて主観だけで選択する者は、さながら二個を渡して一個を受け取るようなものである。得るものは何もなく、損だけがある。だが人は長年欲する道を積み重ねてきたにもかかわらず、一時の正道から外れた快楽でそれを捨ててしまうことがある。それは、損得禍福の計算がうまくできないからなのである。

いま、試みに心の察し難い深奥を見てみよう。心が正道の理を軽んじる者で、外物を重んじない者はいない。外物を重んじる者で、心の中が憂いがない者はいない。行動が正道の理から外れている者で、自分の外の世界において危険な状態にない者はいない。自分の外の世界において危険な状態にある者で、心の中が恐怖していない者はいない。心の中が憂いて恐怖していれば、口に美味なる肉料理を含んでいても、その味がわかることはない。耳に鐘や鼓の音楽を聴いていても、その音楽がわかることはない。目にあでやかな文様の衣装を見ていても、その形がわかることはない。軽くて暖かい衣を着て豪華な敷物に座っていたとしても、その安楽さがわかることはない。ゆえに、万物の美を一身に受けても、ぜんぜん満足できないのである。たとえ一時なりとも快楽に逃げようとしたとしても、憂いと恐怖から離れることは決してできないのである。こうして万物の美を受けて心中には憂いがあり、万物の便利を受けて身体には害が迫るのである。このような者が、どうやって物を求めて、己の生を養い、長寿を得ることができようか?このような者は、己の欲を導こうとして情の衝動の赴くがままに行うばかりであり、己の生命を育てようとして身体を危うくするばかりであり、己の楽しみを導こうとして己の心を攻め立てるばかりであり、己の名声を育てようとして乱れた行動に出るばかりなのである。このような者は、諸侯に封じられようが君主に就こうが、盗賊が隠れて悪事を行っていることなんら変わることがない。爵位に応じた馬車に乗って絻(かんむり)を被ろうが、足切り刑を受けた者が車に載せられていることと何ら変わることがない。これが、「自己を外物に使役させてしまう」というのである。

しかし心の中が平安で楽しければ、外物の色彩が十分に備わっていなくても、目の保養には十分となる。外物の音楽が十分に備わっていなくても、耳の楽しみには十分となる。粗末な飯と野菜スープだけでも、口を養うには十分となる。粗末な布で作った衣と靴だけでも、肉体の保全には十分となる。狭い部屋に蘆(あし)の簾(すだれ)を掛けて草と藁の敷物で座席を作るだけでも、身体を落ち着けるには十分となるのだ(注2)。ゆえに、万物の美がなくても楽しむことができるのであり、位階爵位がなくても名声を高めることができるのである。このような人に天下の政治を行わせたならば、彼は天下のためになす事業は大きく、己の快楽のためになすことは大したものではないだろう。これが、「自己を重んじて外物を使役する」というのである。熟慮のない言葉と、聖人に見られない行動と、聖人には聞かれない考えは、君子たるものこれを謹むのである。


(注1)この喩えは、文意は分かるのであるが、どうして南が肯定的に評価されて北が否定的に評価されるのか、その含意がどうも腑に落ちない。ひょっとしたら、君主として「南面」することと臣下として「北面」することの含意があるのかもしれない。「君主として南面するための道は遠いが、それでも人は欲するものである。臣下として北面する道はたやすいが、それでも人は嫌うものである」といった喩えであろうか?
(注2)明らかに論語雍也篇および述而篇の言葉を連想させる。下のコメント参照。
《原文・読み下し》
凡そ人は其の可とする所に從いて、其の不可とする所を去らざること莫し。道の之に若(し)くこと莫きを知りて、道に從わざる者は、之れ有ること無きなり。之を假(たと)うるに人有りて、南せんと欲して多とすること無く、北するを惡(にく)みて寡(すく)なしとすること無くんば(注3)、豈に夫(か)の南の者の盡す可からざるが爲に、南行を離れて北走せんや。今人欲する所は多とすること無く、惡む所は寡しとすること無くんば、豈に夫の欲する所の盡す可からざるが爲に、欲するところを得るの道を離れて、惡む所を取らんや。故に道を可として之に從わば、奚(なに)を以て之を損して亂れんや。道を不可として之を離るれば、奚を以て之を益(ま)して治らんや。故に知者は道を論ずるのみ、小家・珍說の願う所は皆衰えん。凡そ人の取るや、欲する所未だ嘗て粹にして來らず、其の去るや、惡む所未だ嘗て粹にして往かざるなり。故に人は動(どう)として權と俱(とも)にせざること無し(注4)。衡正しからざれば、則ち重(じゅう)仰に縣りて、人以て輕しと爲し、輕(けい)俛(ふ)に縣りて、人以て重しと爲す。此れ人の輕重に惑う所以なり。權正しからざれば、則ち禍欲するとところに託して、人以て福と爲し、福惡むところに託して、人以て禍と爲す。此れ亦人の禍福に惑う所以なり。道なる者は、古今の正權なり。道を離れて內自から擇べば、則ち禍福の託する所を知らず。易うる者一を以て一に易うれば、人は得も無く亦喪も無きなりと曰う。一を以て兩に易うれば、人は喪無くして得有るなりと曰う。兩を以て一に易うれば、人は得無くして喪有るなりと曰う。計(かぞ)うる者は多しとする所を取り、謀る者は可とする所に從う。兩を以て一に易うるは、人之を爲すこと莫きは、其の數を明(あきら)かにすればなり。道に從いて出すは、猶お一を以て兩に易うるがごときなり。奚(なに)をか喪わん。道を離れて內自ら擇ぶは、是れ猶お兩を以て一に易うるがごときなり。奚をか得ん。其れ百年の欲を累ねて、一時の嫌に易う。然も且つ之を爲すは、其の數を明かにせざればなり。有(また)嘗試(こころみ)に深く其の隱れて[其]察し難き者を觀るに、志は理を輕んじて物を重んぜざる者は、之有ること無きなり。外に物を重んじて內(うち)に憂えざる者は、之有ること無きなり。行は理を離れて外(そと)危からざる者は、之れ有ること無きなり。外に危くして內に恐れざる者は、之れ有ること無きなり。心憂恐(ゆうきょう)すれば、則ち口に芻豢(すうけん)を銜(ふく)みて其の味を知らず、耳に鐘鼓(しょうこ)を聽きて其の聲を知らず、目に黼黻(ほふつ)を視て其の狀を知らず、輕煖・平簟(へいてん)にして體(たい)其の安を知らず。故に萬物の美を嚮(う)けて嗛(きょう)とすること能わざるなり。假而(たとい)問(かん)(注5)を得て(注6)之を嗛とするも、則ち離るること能わざるなり。故に萬物の美を嚮けて憂を盛(な)し(注7)、萬物の美を兼ねて害を盛(な)す(注7)。此(かく)の如き者は、其れ物を求めんや、生を養わんや、壽を粥(やしな)わんや。故に其の欲を養わんと欲して其の情を縱(ほしいまま)にし、其の性(せい)(注8)を養わんと欲して其の形を危くし、其の樂(たのしみ)を養わんと欲して其の心を攻め、其の名を養わんと欲して其の行を亂る。此の如き者は、侯に封ぜられ君を稱すと雖も、其れ夫の(注9)盜と以て異ること無く、軒(けん)に乘り絻(べん)を戴くも、其れ足(あし)無き(注10)と以て異なること無し。夫れ是れを之れ己を以て物の役と爲ると謂う。心平愉(へいゆ)なれば、則ち色傭(そなわ)る(注11)に及ばずして以て目を養う可く、聲傭わる(注11)に及ばずして以て耳を養う可く、蔬食(そし)・菜羹(さいこう)にして以て口を養う可く、麤布(そふ)の衣、麤紃(そしゅん)の履(り)にして、以て體を養う可く、屋室(きょくしつ)(注12)、廬庾(ろれん)(注12)、葭稾(かこう)の蓐(じょく)、机筵(きえん)を尚(くわ)えて、以て形を養う可し。故に萬物の美無くして以て樂を養う可く、埶列(せいれつ)の位無くして以て名を養う可し。是(かく)の如くにして天下に加うれば、、其の天下の爲にすることは多くして、其の和樂(わらく)することは少し。夫れ是れを之れ己を重んじて物を役すと謂う。無稽の言、不見の行、不聞の謀は、君子は之を愼む。


(注3)金谷治氏の読み下しに従った。新釈の藤井専英氏は、「無」字を「雖」と同じと言い「いえども」と読み下している。
(注4)原文「故人無動而[不可以]不與權俱」。増注本は元本に拠って「不可以」を除く。これに従って読み下した。宋本に拠る新釈はここを「故に人は動と無く、以て權と俱にせざる可からず」と読み下している。
(注5)集解の王念孫は、「問」は「間」となすべし、と言う。
(注6)集解本の原文は、「假而得問」。増注本は元本に従って「而得」を省いて「問」を己人に問う、と解するが、上の王念孫の解釈に従い「問」を「間」とみなして「而得」をあるものとして読み下す。
(注7)原文「盛憂」、「盛害」これを「さかんにうれい」「さかんにがいす」と読むこともできる。新釈は荀子の他箇所の諸氏注釈を引いて、ここでの「盛」を「成」と読む。これに従う。
(注8)新釈も指摘するように、この「性」字は「生」のことである。
(注9)原文「夫盗」。増注本は元本に従い「夫」字を削る。だが「夫盗」「無足」と二字で対比させるために、宋本に拠り「夫」字を加える。
(注10)原文「無足」。解釈は二つに分かれる。集解の盧文弨および増注の久保愛は、不足・窮乏者のことと見る。この場合、「足る(こと)無き」と読み下すであろう。集解の兪樾は刖者(げつしゃ)、つまり足切りの刑を受けた者と見る。新釈の藤井専英氏・金谷治氏は、盧文弨・久保愛説を取っていて、漢文大系は兪樾説を取っている。「無足」は「夫盗」と対比されているので、兪樾説に従いたい。
(注11)増注は解蔽篇の「目は備色を視、耳は備聲を聽き」を引いて、「傭」は「備」に作るべし、と言う。これに従う。
(注12)集解の王念孫は、初学記器物部に「局室蘆簾稾蓐」とあることを引いて、「屋室」は「局室」であり「廬庾」は「蘆簾」であると言う。局室はせまい部屋、蘆簾は蘆(あし)の簾(すだれ)のこと。これに従う。

この正名篇の末尾において、荀子の主張にはついに矛盾が表れるようである。愚者は心を正道に従って養わないので、快楽を十分に楽しめないという。逆に君子は正道に従って心を養うので、快楽を十分に楽しむことができて、少しの快楽しか与えられなかったとしても、それを味わい尽くすことができるという。孔子は、最愛の弟子である顔回のことを、「なんと顔回は賢人であることよ!お櫃の飯一杯とヒョウタンの飲み物一本しかなく、貧民街のあばら家に住み、普通の人ならばその憂いに耐えられない。しかし顔回はその楽しみを変えない。なんと顔回は賢人であるよ!」(雍也篇)と絶賛した。孔子もまた「まずい飯に水だけ飲んで、肘を曲げて枕にして寝る。楽しみはその中にもあるものだ。不義によって富貴を得るなどは、私にとって浮雲のようにはかないものだよ」(述而篇)と言った。荀子の君子の心は、顔回・孔子のこのような境地を指しているはずである。

だが、それこそが宋鈃の言う「寡欲」なのではないだろうか?人間は精進して君子になれば、外物から得られる欲望など構わなくなり、顔回・孔子のように心が充実して楽しめるのである。宋鈃は、すべての人間が君子になれば、外物への欲望に執着しなくなって平和が訪れる、と言いたかったのではないだろうか?荀子はこの正名篇において、人間の「性」と「情」は常に多欲であるが、精進することによって心を充実させれば「性」と「情」が「偽」によって矯正されて、結局「寡欲」となることを認めてはいないだろうか?

荀子は、選ばれた者しか「偽」を完全に身につけて君子となることができない、ということを前提にしているのである。「偽」を完全に身に付けた少数者が、法治官僚国家の統治階級に昇る。それ以外の被統治階級は「性」のまま「情」のままであり、これは上から礼法により「偽」の枠をはめ込んで統御するしかない。荀子は、一般大衆すべてが「偽」を十分身に付けることによって君子レベルの美徳を獲得するという社会を、どうやら想定していない。荀子の理想社会では、いつまで経っても君子と大衆とは隔絶しているのである。

いっぽう宋鈃は、より一般大衆の美徳を信用している。だから、これを啓蒙して人間が「寡欲」で十分に満足できることに目覚めよ、と説く。荀子は、いわばエリートである君子が目覚めて前衛となり、大衆を上から統御する路線である。いっぱう宋鈃は、いわば大衆全体の啓蒙を目指す、草の根から社会を改造する路線である。宋鈃のアプローチで政治を描くことも、その理想が本当に実現できるか否かの問題はさておいて、理論的には可能なはずだ。荀子は人間が「性」・「情」・「偽」を普遍的に持つことを論じながら、すべての人間が「偽」を身につけて君子となることを非現実的であると斥ける。これは現実の統治論を描くために必要な前提であったとしても、理論的には矛盾と言えないだろうか?

続いて、最も有名な性悪篇第二十三に移る。性悪篇の直前に正名篇を置いたのは、唐代に『荀子』を校訂した楊倞である(楊倞版とそれ以前の劉向版との各篇の順番の相違については、各篇概要のページを参照)。この編集は、全く適切である。正名篇において、「性」が明確に定義された。つまり、この「性」という一語は、人間の自然そのままの状態、動物的本能を指す。それを受けて性悪篇が展開されるので、荀子の主張は明確となる。孟子の性善説がいう「性」と荀子の性悪説が言う「性」は、人間が本能レベルで所有している属性に対して、違う定義を行っているのである。

【次は、「性悪篇第二十三」を読みます。】

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