栄辱篇第四(4)

By | 2015年7月17日
人間の「情」(注1)は、美味な肉料理を食べたいと望み、華麗な刺繍の衣服を着たいと望み、徒歩でなくて馬車で外出したいと望み、蓄財したいと望むものである。そうでありながら、人が何年生きても世代を何度積み重ねても、人間はこれで満足ということを知らない。この飽くなき欲望もまた、人間の「情」なのである。ところが人間は鶏・犬・豚・牛・羊を家畜として飼育する術を知っておりながら、酒も肉もあえて食べようとしない者がいる。銭をあり余るほど蓄えて財貨を倉庫に積んでいるのに、絹服を着るぜいたくをあえてしない者がいる。貴重品を宝箱にいっぱい隠しているのに、馬車を使わずにあえて歩いていく者がいる。これは、どうしてそうするのであろうか?ぜいたくをしたくないわけでは、断じてない。それは、長期的な計画を立てて後のことを考えて、生活が継続できないことを恐れての貯蓄行為のゆえであるに違いない。この動機ゆえに、節約をして欲望を制御し、集めて蓄蔵して、将来の生活を継続させようとするのである。この行為は、自分自身の生活を長期的に計画して後のことを考える、まことによいことではなかろうか。いっぽうかの思慮浅く生をぬすんで暮す連中は、このような計画的生活など一度も考えたことすらない。ただ大いに食らって、後のことを考えず、たちまち財貨が尽きれば困窮するのである。これだからこの連中は凍えて飢えることを免れず、瓢箪と飯入れを提げて放浪した末にやがて道端の死骸となるのである。ましてや、先王たちの正道や仁義の原則による統治や詩・書・礼・楽の規範など、彼らに理解できるはずもない。かの先王たちは、まことに天下の大知識者であった。彼らは天下の人民のために、長期的な計画を立てて後のことを考えて、万世の末まで治世を保とうと考慮したのであった。その遺風は長く残り、その積みあがった恩沢は厚く、その功績は遠き後世にまで残るものであり、これによく従って「為(い)」を修めて(注2)完成させた君子でなければ、彼ら先王の業績についてよく理解することはできないであろう。古語に、「短いつるべでは深い井戸の水を汲むことはできず、知が多くない者では聖人の言葉に理解を届かせることはできない」とある。詩・書・礼・楽の規範などは、かの凡庸な人間たちではとうてい理解できないのだ。ゆえに、私は君たちに言いたい。一度学んだものは、再度習いなさい。身に付いたならば、これを長く保ちなさい。広く学んだならば、万事を解決しなさい。よく熟慮して、己の心を安定させなさい。繰り返して習いよく洞察して、ますます好みなさい、と。このようにして「情」を統御したならば、利益があるだろう。このようにして名を挙げれば、栄誉があるだろう。これを通じて人を集めたならば、和合させることができるだろう。これによって独居したならば、満ち足りるであろう。これぞ、自らの心を楽しませる道ではなかろうか?

天子のように尊貴になり、天下を保有するほどに富を得る。これは、人が「情」として誰でも同じく望むものである。しかしながら人がその欲をほしいままに解放すれば、状況は許容できない惨状となり、物資は全く足りなくなる。ゆえにわが国の文明を築いた先王はこれの対策として、礼義を制定して区分を作り、貴賤の差、長幼の差、知愚の差、能不能の差に応じてこれを区別立てて、社会の全ての人間がそれぞれの仕事を行ってそれぞれの能力にふさわしい位置に付くように仕向け、そうした後に禄高の多少・厚薄を区別してそれぞれの働きに対応させたのである。これこそが、集団生活して調和の中に統一された社会を作る道なのであった。ゆえに、仁の人が上に立てば、農民は力を尽くして田を耕し、商人は知力を尽くして財貨を流通させ、工人たちは技巧を尽くして道具を作り、そして士大夫から公侯に至るまでの全ての宮廷人は、仁を厚くして知能を尽くし、それぞれの官職に励むのである。これが、泰平の極地というのである。ゆえに、この泰平の秩序においては、たとえ天下を禄とする天子であったとしても、これを過分な禄だとは思うことがない。また都市の門番、旅行者の管理人、関所の番人、夜警人のような卑しい官職であったとしても、これを寡少な禄だとは思うことがない。古語に、「不揃いゆえに揃い、曲がっているゆえに素直であり、同じからずして一つである」と言う。つまり、身分の不平等の下に安定することが、人間社会の正しいありかたなのである。『詩経』に、この言葉がある(注3)(注4)。:

小共(しょうきょう)・大共(だいきょう)のみたからを受け
諸国したがう、駿蒙(しゅんもう)となる
(殷頌、長發より)

これは湯王のことを称えた言葉であるが、湯王は過分なものを受け取ったのであろうか?そうではない。聖王の身分と功績は、天下と宝玉を受け取るにふさわしいのである。


(注1)人間は「性」「情」の面では君子も小人も変わらず、「情」として欲望を持つことは聖人だろうが悪人だろうが変わることはない。さきの栄辱篇(3)を参照。
(注2)「爲」は「偽(僞)」のことである。栄辱篇(3)注2に同じ。
(注3)詩中の「共」とは「珙(きょう)」のことで、両手でかかえるほどの大きい玉璧(ぎょくへき)のこと。
(注4)詩中の「駿蒙」は駿馬のこと。
《原文・読み下し》
人の情、食は芻豢(すうけん)有るを欲し、衣は文繡(ぶんしゅう)有るを欲し、行くは輿馬(よば)有るを欲し、又夫(か)の餘財蓄積(よざいちくし)の富まんことを欲するなり。然り而して年を窮め世を累(かさ)ね、[不]足(た)ることを知らざるは(注5)、是れ人の情なり。今人の生や、方(まさ)に雞(けい)・狗(こう)・豬彘(ちょてい)を蓄(やしな)い、又牛羊を蓄うを知る、然り而して食うに敢て酒肉有らず。刀布を餘(あま)し、囷窌(きんこう)を有す、然り而して衣(き)るに敢て絲帛(しはく)有らず。約なる者は筐篋(きょうきょう)に之れ藏する有り、然り而して行くに敢て輿馬有らず。是れ何ぞや。欲せざるに非ざるなり、幾(あ)に慮を長くし後を顧みて、以て之に繼ぐこと無きを恐るるが故ならずや。是に於て又用を節し欲を禦し、收歛・蓄藏して、以て之に繼ぐなり、是れ己が長慮・顧後するに於て、幾(あ)に甚だ善からずや。今夫の偷生(とうせい)・淺知の屬、曾て此而(これをしも)(注6)知らざるなり、糧食大(はなは)だ侈(おご)りて、其の後を顧みず、俄(にわか)にして則ち屈(つ)くれば(注7)安(すなわ)ち窮す。是れ其の凍餓に免れず、瓢囊(ひょうのう)を操(と)りて溝壑中の瘠(し)(注8)と爲る所以の者なり。況んや夫の先王の道、仁義の統、詩・書・禮樂の分をや。彼は固(まこと)に天下の大慮なり、將(まさ)に天下生民の屬の爲めに、慮を長くし後を顧みて、萬世を保たんとするなり、其の㳅(りゅう)(注9)長く、其の溫(うん)(注10)厚く、其の功盛(こうせい)は姚遠(ようえん)(注11)なり。孰(じゅんじゅく)(注12)・脩爲(しゅうい)の君子に非ざれば、之を能く知ること莫きなり。故(こ)に曰く、短綆(たんこう)は以て深井(しんせい)の泉を汲む可らず、知幾(おお)からざる者は與(もっ)て聖人の言に及ぶ可からず、と。夫の詩・書・禮樂の分は、固(もと)より庸人の知る所に非ざるなり。故(ゆえ)に(注13)曰く、之を一たびにして再びす可きなり、之を有して久しくす可きなり、之を廣(ひろ)くして通ず可きなり、之を慮(おもんぱか)りて安んず可きなり、反鈆(はんえん)して之を察して、俞(いよいよ)好む可きなり、と。以て情を治むれば則ち利あり、以て名を爲せば則ち榮あり、以て羣(ぐん)すれば則ち和し、以て獨すれば則ち足る。意を樂します者は其れ是れなるか。
夫れ貴きこと天子と爲り、富は天下を有(たも)つ、是れ人情の同じく欲する所なり。然り則して人の欲を從(ほしいまま)にすれば、則ち埶(せい)容るること能わず、物贍(た)すこと能わざるなり。故に先王案(すなわ)ち之が爲めに禮義を制して以て之を分ち、貴賤の等、長幼の差、知愚(ちぐ)(注14)・能不能の分を有らしめ、皆人をして其の事を載(おこな)いて(注15)、各(おのおの)其の宜しきを得せしめ、然る後に愨祿(こくろく)(注16)の多少・厚薄をして之に稱(かな)わしむ、是れ夫の羣居(ぐんきょ)・和一の道なり。故に仁人上に在れば、則ち農は力を以て田に盡(つく)し、賈は察を以て財に盡し、百工は巧を以て械器に盡し、士大夫以上、公侯に至るまで、仁厚・知能を以て官職に盡さざること莫し。夫れ是れを之れ至平と謂う。故に或は天下を祿して、而(しか)も自ら以て多しと爲さず、或は監門(かんもん)・御旅(ぎょりょ)・抱關(ほうかん)・擊柝(げきたく)にして、而も自ら以て寡(すくな)しと爲さず。故(こ)に曰く、斬(ざん)(注17)にして齊(ひと)しく、枉(ま)げて順(したが)い、不同にして一なり、と。夫れ是を之れ人倫と謂う。詩に曰く、小共大共を受けて、下國の駿蒙(しゅんもう)と爲る、とは、此を之れ謂うなり。


(注5)原文「不知不足」。楊注は、「不知足」となすべし、と言う。これに従う。なお新釈の藤井専英氏は、「不知不足」を「知覚せずまた満足せず」と訳して「不」字を削らない。
(注6)増注は「而」は「之」と通ず、語助なり、と言う。「此之」で通常はコレヲコレだが、漢文大系は文意を取ってコレヲシモ、と読み下している。
(注7)楊注は「屈」は「竭」なり、と言う。つく。
(注8)集解の王念孫は、「瘠」は読んで「胔」となす、と言う。「胔(し)」は、肉の付いた野ざらしの死骸を表す。
(注9)「㳅」は「流」の古字。CJK統合漢字拡張Aにしかない。
(注10)集解の郝懿行は「溫」は「蘊」と同じくして「蘊」は「積」なり、と言う。先王の積みあがった恩沢のこと。
(注11)楊注は、「姚」は「遙」なり、と言う。遙遠(ようえん)で、はるか。
(注12)集解の王念孫は礼論篇に「順孰脩爲之君子」の語があることを引いて、この文は「順」字が脱けている、と言う。これに従って「順」の一字を加えておく。
(注13)上の「故」は古語の引用とみなして「故(こ)」と読むが、ここから以下の文は荀子本人の総括の言葉とみなして「故(ゆえ)」と読む。なお上の「短綆は以て深井の泉を汲む可らず、知幾からざる者は與て聖人の言に及ぶ可からず」について、冢田虎『荀子断』は「管子曰く、夫(そ)れ短綆は以て深井を汲む可らず、知鮮(すくな)きは以て聖人の言に與(くみ)する可からず」と言って、『管子』に類似の言葉があることを指摘する。
(注14)宋本は「賢」字が入って「知賢愚」に作り、元本は「知愚」である。王念孫は「賢」字を宋本が誤って追加したものと言い、元本を是とする。集解本の編集者である王先謙は王念孫説に従って、「賢」字を入れない。
(注15)楊注は「載」は「行」なり、と言う。
(注16)増注は「愨」は「穀」に作るべし、字の誤なり、と言う。これに従う。
(注17)集解の劉台拱は、「斬」は読んで「儳」のごとし、と言う。「儳」は、たがいに不ぞろいの様子。

荀子は上の段落で、人間の経済活動の計画性を指摘する。人間が今の快楽を抑えて資本を蓄積するのは、将来の不測の事態に備えての計画である。国家は善政を行って人民の生活をサポートし、継続的に豊かな経済活動が行えるインフラを提供しなければならない。荀子の主張を現代的な用語で言い換えれば、このようになるであろう。その叙述は現代のオーソドックスな経済思想とほとんど同一であり、古代の時点ですでに現代のオーソドックスな経済思想は完全に表れていたことを示している。

栄辱篇は最後に、聖王の身分秩序政策が国家の福祉を最高に発揮する、と称えて終わる。聖王の政策は能力に応じた身分秩序を作り、それぞれの身分に応じて経済的分配に格差を設ける、現代用語で言えばメリトクラシーによる統治である。人間はありのままの「性」に従えばカオスとなって争うばかりであり、ゆえに人間はあえて聖王の身分秩序に従うことを選択した、というものが荀子の社会契約説である。富国篇で詳しく展開される。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です