栄辱篇第四(3)

By | 2015年7月16日
人間の素材である「性」も知能も、君たち君子と小人とでは変わりがないのだ。栄光を愛して恥辱を嫌い、利益を愛して損害を嫌うこともまた、君たち君子と小人とでは変わりがないのだ。しかしながら、これらを求めるために従う道は、全く異なっている。小人という存在は、でたらめな大言を矢継ぎ早に吐いて、それで他人が自分を信じることを望み、詐術を矢継ぎ早に行って、それで他人が自分に親しんでくれることを望み、禽獣(ケダモノ)同然の行いをなして、それで他人が自分を善であると認めることを望む。その考えていることは不可解で、その行うことは定まりなく、自分の行いを持続することは困難で、結局のところ自分の望むことは決して得られず、自分が嫌うことに必ず出くわすのである。ゆえに君たち君子という存在は、自らまず信を守って、それとともに他人が自分を信じてくれることを望み、自ら忠(まごころ)を守って、それとともに他人が自分に親しんでくれることを望み、自らをよく修め正して整えて、それとともに他人が自分を善であると認めてくれることを望む。その考えていることは理解しやすく、その行うことはよく安定し、自分の行いをよく持続することができて、結局のところ君たちは必ず自分の望むことを得て、自分が嫌うことには決して出くわさないであろう。ゆえに君たち君子は困窮するときにもその名声が隠れることはなく、順調であるときには功績が大いに明らかとなり、我が身は亡んでもその名はますます輝くであろう。そのとき小人どもは首を伸ばして踵を高くして君子をうらやみ、「あなたたちはけっきょく、素材である『性』と知能が他人より勝っているから俺たちと差が出たのだ!」などと必ず言うことであろう。だがこやつらは、素材である「性」と知能は君子も小人も異ならない、ということを知らないのだ。つまり、君たち君子はなすこと全てを妥当に振舞うのであるが、小人はなすこと全ての振る舞いをまちがえる。しかし小人の知能を考えてみると、こういった君子の行いを彼らもまた行うだけの知能を十分に持っていることがわかる。たとえるならば、越国の人間は越国の風俗に安んじ、楚国の人間は楚国の風俗に安んずるが、君たち君子は中華標準の文化(注1)に安んじている。これは、素材である「性」と知能が異なっているから分かれたのではなくて、日常的に身をひたしている振る舞い方と習俗が異なっているから分かれたのである。仁義と徳行は、常に安泰を得るべき術である。しかしながら、仁義と徳行を行ったとしても絶対に危険に遇わないというわけではない。他人をそしってでたらめを言い、他人を押しのけて利益を奪うことは、常に危険に遇うべき術である。しかしながら、これらのことを行ったとしても絶対に安泰となる者はいないというわけではない。君たち君子は、偶然の不運を過大視することなく、常に安泰を得るべき術によらなければならない。しかし小人は、偶然の幸運を過大視して、常に危険を得るべき術によるのである。

およそ人間には同じところがある。腹が減ったら食べることを欲し、寒かったら暖まることを欲し、疲れたら休むことを欲し、利益を好んで危害を嫌うのは、人間が生まれながらにして持っているところであり、人間が意図的に何かを行うことを待たずして自然にそうなるところのものであり、聖王の禹も悪王の桀も変わらないものである。目が白・黒の色を識別してかつ美しい映像・醜い映像を識別する能力を持っていること、耳が音声を識別してかつ清音・濁音の区別を聞き取る能力を持っていること、口が酸味・塩味・甘味・苦味を識別する能力を持っていること、鼻がよい香り・香草の香り・なまぐさい臭い・油くさい臭いを識別する能力を持っていること、身体と皮膚が寒さ・厚さ・痛さ・かゆさを識別する能力を持っていること、これらもまた人間が常に生まれながらにして持っているところであり、人間が意図的に何かを行うことを待たずして自然にそうなるところのものであり、聖王の禹も悪王の桀も変わらないものである。人間は聖王の堯・禹になることもできれば、悪人の桀・盗跖(とうせき。伝説の大盗賊)になることもできるし、工匠になることもできれば、農民や商人になることもできる。これらを分けるものは、勢い日常の振る舞い方と習俗を積み重ねていった結果にすぎないのだ。ところが日常の振る舞い方と習俗を積み重ねるという習性もまた、人間が生まれながらにして持っているところであり、人間が意図的に何かを行うことを待たずして自然にそうなるところのものであり、聖王の禹も悪王の桀も変わらないものである。堯・禹のようになれば、常に安泰で栄光を得るであろう。桀・盗跖のようになれば、常に危険で恥辱を得るであろう。堯・禹のようになれば、常に心は悦楽して身体は安楽であるが、工匠や農民・商人のようになれば、常に心は煩労して身体は疲労するであろう。なのに、人が危険・恥辱・煩労・疲労の道をわざわざ努めて行い、安泰・栄光・悦楽・安楽の道を行う者がすくないのは、どうしてであろうか?それは、人間が固陋だからである。堯や禹は、生まれながらにしてそれらの智徳を備えていたわけではない。彼らは生まれながらの素材を作り変えるところから始めて、「為(い)」を修めて完成させ(注2)、素材がすっかり作り変えられた果てに智徳を備えるに至ったのである。

人間は生まれたままの存在では、小人である。学ぶ師もなく則る法もなければ、心はただひたすらに利益を見るばかりである。人間は生まれたままの存在では小人であり、これが乱世に生を受けて乱俗を身に付けたならば、卑小の上に卑小を重ねることになる。君子が社会の上に立ってこれら小人に相向かわなければ、小人の心を開いて導くきっかけすらないであろう。人間の口と腹が、なんで礼義を知っているだろうか?なんで謙譲を知っているだろうか?なんで廉恥を知っているだろうか?なんで道理の分かれ目と正道を知っているだろうか?人間の口と腹は、しょせん食っては満腹することしか知らないのである。もし人間に学ぶ師もなく則る法もなければ、すなわち人間の心は口と腹といっしょであろう。もしここに人がいて、生まれてからいまだかつて肉の美味も穀物の美味も味わったことがなく、豆とか豆の葉とか酒かすとか米ぬかのような貧しい食事しか見たことがないとする。この者は、他の美食を知らないのであるからこんな貧しい食事でも十分満足しているであろう。だがここにとつぜん肉料理がこの者の前に運ばれてきたとする。するとこの者は驚き怪しんでこれを見て、「この変なものはなんだ?」と言うであろう。しかしこの料理に近寄って匂ってみると悪い匂いはせず、なめてみるといい味であり、食べてみると体に元気が出てくる。こうなれば、この者とてこれまでの貧しい食事など打ち捨てて、美味な食事を取ることは必然である。いま、わが国の文明を築いた先王たちの正道を取り、仁義の原則による統治を採用して、人間たちを群居させ、互いに扶養させ、互いに礼義を習得させ、互いに安泰な生活を築かせていったならば、その素晴らしい治世は桀や盗跖の乱脈の道と比べてあまりにも勝っているのであって、その勝りようはさきほどの肉や穀物の美味と貧しい食事との隔たりよりも、はるかに抜きん出ているだろう。なのに、人が桀や盗跖の乱脈の道をわざわざ努めて行い、先王の道を行う者がすくないのは、どうしてであろうか?それは、人間が固陋だからである。固陋なる心は天下の公患であり、人間の大いなるわざわいである。古語に、「仁者は好んで人に告げ示す」と言う。仁者はこの固陋な人間たちに、正道を告げ、正道を示し、正道に感化させて、正道をさっさと行わせて、正道に従わせて、正道を重ねさせる。このようにすれば、きっと固陋な者もたちまちのうちに寛大な心を持つようになり、愚劣な者もたちまちのうちに知力を得ることであろう。これがもし行われないというのであれば、湯・武のような聖王が上に君臨しても、なんの益があるだろうか?桀・紂のような悪王が上に君臨しても、なんの害があるだろうか?だが湯・武が上にあれば、天下はやがて治まる。桀・紂が上にあれば、天下はやがて乱れる。これこそ、人間の「情」は上からの教化しだいで湯・武の民のようにもなるし、あるいは桀・紂の民のようにもなる証拠ではないか?


(注1)原文「雅」。中華標準の文化のこと。論語述而篇に「子の雅言する所は、詩・書・執礼、皆雅言す」とある。各地方の言葉や文化でない、中華世界の標準語・標準的文化のこと。対比されている越国も楚国も、南蛮文化の代表的な国である。
(注2)原文「脩爲に成り」。ここでの「爲」は明らかに性悪篇の用語における「偽(僞)」を指している。
《原文・読み下し》
材性(さいせい)・知能は、君子も小人も一なり。榮を好み辱を惡(にく)み、利を好み害を惡むは、是れ君子も小人も同じき所なり。若し其れ之を求むる所以の道は則ち異れり。小人なる者は、疾(つと)めて誕(たん)を爲して、人の己を信ぜんことを欲し、疾めて詐を爲して、人の己に親しまんことを欲し、禽獸の行にして、人の己を善とせんことを欲す。慮するも之れ知り難く、行うも之れ安んじ難く、持するも之れ立ち難く、成(つい)に(注3)則ち必ず其の好む所を得ず、必ず其の惡む所に遇う。故に君子なる者は、信にして、亦人の己を信ぜんことを欲し、忠にして、亦人の己に親しまんことを欲し、脩正・治辨にして、亦人の己を善とせんことを欲す。慮すれば之れ知り易く、行えば之れ安んじ易く、持すれば之れ立ち易く、成(つい)に(注3)則ち必ず其の好む所を得、必ず其の惡む所に遇わず。是(こ)の故に窮すれば則ち隱れず、通ずれば則ち大いに明(あきら)かに、身死して名彌(いよいよ)白(あら)わる。小人は頸(くび)を延べ、踵(きびす)を舉(あ)げて、知慮・材性は、固(もと)より以て人に賢(まさ)ること有らんと願い曰わざること莫し。夫れ其の己と以て異なること無きを知らざるなり。則ち君子は注錯(ちゅうそ)之れ當(あた)りて、小人は注錯之れ過(あやま)てるなり。故に小人の知能を熟察するに、以て其の以て君子の爲す所を爲す可きに餘り有るを知るに足る。之を譬うるに越人(えつひと)は越に安んじ、楚人(そひと)は楚に安んじ、君子は雅(が)に安んず。是れ知能・材性然るに非ざるなり、是れ注錯・習俗の節異なればなり。仁義・德行は、常安の術なり、然り而(しこう)して未だ必ずしも危からずんばあらざるなり。汙僈(おまん)・突盜(とつとう)は、常危の術なり、然り而して未だ必ずしも安からずんばあらざるなり。故に君子は其の常に道(よ)りて、小人は其の怪に道る。
凡そ人は一同なる所有り。飢えて食を欲し、寒(こご)えて煖を欲し、勞して息(そく)を欲し、利を好んで害を惡むは、是れ人の生れながらにして有する所なり、是れ待つこと無くして然る者なり、是れ禹・桀の同じき所なり。目は白黑・美惡を辨じ、耳は音聲・清濁を辨じ、口は酸・鹹(かん)・甘・苦を辨じ、鼻は芬(ふん)・芳(ほう)・腥(せい)・臊(そう)を辨じ、骨體(こつたい)・膚理(ふり)は寒・暑・疾・養を辨ず、是れ又人の常(つね)に(注4)生れながらにして有する所なり、是れ待つこと無くして然る者なり、是れ禹・桀の同じき所なり。以て堯・禹と爲る可く、以て桀・跖と爲る可く、以て工匠と爲る可く、以て農賈と爲る可く、埶(せい)に(注5)注錯・習俗の積む所に在るのみ、是れ又人の生れながらにして有する所なり、是れ待つこと無くして然る者なり、是れ禹・桀の同じき所なり。堯・禹と爲れば則ち常に安榮し、桀・跖と爲れば則ち常に危辱し、堯・禹と爲れば則ち常に愉佚し、工匠・農賈と爲れば則ち常に煩勞す。然り而して人力(つと)めて此れを爲して、而(しか)も彼を爲すこと寡きは、何ぞや。曰く、陋なればなり。堯・禹なる者は、生れながらにして具(そな)わる者に非ず、夫れ故を變ずるに起り、修[修之]爲(しゅうい)(注6)に成り、盡(つ)くるを待ちて而る後に備わる者なり。
人の生は固(もと)より小人なり、師無く法無ければ、則ち惟(ただ)利を之れ見るのみ。人の生は固より小人にして、又以て亂世に遇い、亂俗を得たり、是れ小を以て小を重ね、亂を以て亂を得るなり。君子埶(せい)を得て以て之に臨むに非ずんば、則ち開內(かいのう)を得るに由無し。今是(か)の(注7)人の口腹、安(いずく)んぞ禮義を知らん、安んぞ辭讓を知らん、安んぞ廉恥・隅積を知らん。亦呥呥(ぜんぜん)として噍(か)み、鄉鄉(きょうきょう)として飽くのみ。人師無く法無ければ、則ち其の心は正(まさ)に其の口腹なり。今人をして生れて未だ嘗て芻豢(すうけん)・稻粱(とうりょう)を睹(み)ず、惟(ただ)菽藿(しゅくかく)・糟糠(そうこう)を之れ睹(み)ることを爲さしむれば、則ち至足(しいそく)を以て此に在りと爲さん。俄(にわか)にして粲然として芻豢・稻梁を秉(と)りて至る者有らば、則ち瞲然(きつぜん)として之を視て曰く、此れ何の怪ぞやと。彼之を臭いで鼻に嗛(けん)たること無く(注8)、之を嘗(な)めて口に甘く、之を食いて體に安ければ、則ち此を弃(す)てて彼を取らざること莫し。今夫(か)の先王の道、仁義の統を以て、以て相羣居(ぐんきょ)し、以て相持養(じよう)し、以て相藩飾(はんしょく)し、以て相安固(あんこ)せんか、夫の桀・跖の道以(と)(注9)、是れ其の相縣することを爲すは、幾(あ)に直(ただ)に夫の芻豢・稻梁の、糟糠に縣するのみならんや。然り而して人力(つと)めて此を爲して、而(しこう)して彼を爲すこと寡きは何ぞや。曰く、陋なればなり。陋なる者は天下の公患なり、人の大殃(だいおう)・大害なり。故(こ)に曰く、人者(じんしゃ)(注10)は好んで人に告示す、と。之に告げ、之に示し、之を靡(び)し、之を儇(けん)し、之に鈆(よ)り、之を重ぬれば、則ち夫(か)の塞なる者も俄(にわか)にして且(まさ)に通ぜんとし、陋なる者も俄にして且に僩(かん)ならんとし、愚なる者も俄にして且に知ならんとするなり。是れ若し行われざれば、則ち湯・武上に在りて曷(なん)ぞ益せん、桀・紂上に在りて曷ぞ損せん。湯・武存すれば、則ち天下從いて治まり、桀・紂存すれば、則ち天下從いて亂る。是(かく)の如き者は、豈に人の情、固(もと)より與(もつ)て(注11)此の如くなる可く、與て(注11)彼の如くなる可きに非ざらんや。


(注3)集解の兪樾は、「成」はなお「終」のごとくなり、と言う。これに従う。ついに。
(注4)増注および集解の王先謙は、「常」字は衍と言う。しかし、新釈の藤井専英氏に従い残す。
(注5)増注および集解の王先謙は、「埶」字は衍と言う。しかし、これも新釈の藤井専英氏に従い残す。
(注6)集解の兪樾は、「修之」は衍、と言う。これに従う。新釈の藤井専英氏は、この二字もあえて残して読み下している。
(注7)集解の王念孫は、「是」はなお「夫」のごとし、と言う。かの。
(注8)原文「無嗛」。楊注は「嗛」は「慊(けん)」たるべし、と言う。「無嗛」で、あきたりなくない、悪くない、の意。集解の王念孫は「無」は衍字で「嗛」は「快」なりと言う。「嗛(きょう)」の一字でこころよい、の意に取る。新釈の藤井氏はもう一つの読み方として、「嗛(きょう)」をこころよい、の意に取って「無」字を衍とせず、「無嗛」で最初に嗅いでみたときには快感を受けなかった(だがなめてみるとうまく食べると甚だ体に調子がよい)、のような意味に取る説を示している。楊注に従いたい。
(注9)原文「以夫桀跖是道」。集解の王先謙は「以」はなお「與」のごとし、と言う。
(注10)宋本は「人」を「仁」に作る。集解本の編者である王先謙は「各本皆仁者に作る。王の見る所の本と異なる」と注している。いま底本としている漢文大系は集解本に即しているので「人」字に作っている。この「人」字は当然「仁」字に読むべきである。
(注11)増注は、「與」と「以」はいにしえに通用す、と言う。上の注9の王先謙注と同じ。

栄辱篇の後半は、性悪篇と同じ議論が行われる。禹・舜のような聖人と小人とは「性」・「情」が同じであり、両者を隔てるものは後天的な修養だけである、と論じる。荀子がこの栄辱篇で学ぶ者に言いたいことは、君たち君子は「偽(為)」を修めて「性」・「情」を乗り越える存在となるべきだ、というものである。したがって『論語』や『孟子』が君子に呼びかける倫理と変わることはないのであるが、荀子の呼びかけは彼の性悪説と統一した論述となっているために、人間は生まれたままの存在では小人である、と言う。荀子の人の道を説く言葉は、孔子や孟子の言葉に比べて人間を定義づける用語がネガティブである。これでは、確かに後世に大衆的な人気を得られないであろう。

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