天論篇第十七(1)

By | 2015年4月30日
天の運行は、常に同じである。堯(伝説の聖王)のために天がうまく動くことなどせず、桀(伝説の悪王)のために天が滅びることなどもない。むしろ、天の起こす現象によい統治を以て対すれば吉なのであり、天の起こす現象に乱れた行為を以て対すれば凶なのである。統治の基本である農業政策に勤めて財政を節約したならば、天の起こす災異といえども人を貧しくすることはできないのである。生活物資を備えて適切な時期に活動すれば、天の起こす災異といえども人を苦しめることはできないのである。統治の正道に従って外れなければ、天の起こす災異といどもわざわいをもたらすことはできないのである。ゆえに、水害も干害も飢餓につながるわけではない。酷寒も酷暑も病苦につながるわけではない。妖怪のたぐいが活動したとしても、災害につながるわけではない(注1)。しかし統治の基本である農業政策が荒れ果てて財政が放漫となったならば、天の与える恵みがあっても人を豊かにすることはできない。生活物資の用意がおろそかで適切な時期の活動をほとんど行わないならば、天の与える恵みがあっても人は物資を十分に得ることができない。統治の正道にそむいて無茶苦茶な行いをすれば、天の与える恵みがあったとしても幸福をもたらすことはできない。ゆえに、水害や干害が来る前に飢餓が起こり、酷寒や酷暑が迫る前に病苦につながり、妖怪が来なくても災害が起こるであろう。たとえ天の現象が治世と同じ条件下であったとしても、治世とまるで違ってわざわいが降りかかることになる。これで天を怨むなど、筋違いである。統治者が悪の道をたどったから、こうなったまでである。そういうわけで、天の力と人の力とを分けて評価する発想(注2)を明らかに持つならば、至人というべきである。

人が何もせずして成長し、人が求めもしないのに得られるもの。それが「天職」、すなわち天のはたらきである。天のはたらきは、深遠である。しかしながら、よき人はこれについて熟慮したりしない。天のはたらきは、巨大である。しかしながら、よき人はこれについて知ろうとしたりしない。天のはたらきは、精密である。しかしながら、よき人はこれについて考察したりしない。それが、天のはたらきと争わない態度である。天は、自ら天の時をもって運行する。地は、自らの力をもって財物を作る。そして人は、自らの統治力をもって万物を支配する。このようであるのが、よく三者のはたらきに従うというものである。天・地・人それぞれのはたらきに従うことをしないで、それでいながら天・地・人の作る成果を欲しいというのか?それは、迷いというものである。天の星々は巡り、太陽と月は交替で天に輝き、春夏秋冬の四季は交替で訪れ、陰と陽とはダイナミックに変化し(注3)、風と雨とは地上に広く行き渡る。万物おのおのは、これら自然の調和を得て発生し、自然から養分を得て生育するのである。何が起こっているのかは見えないが、起こった成果は明らかに見える。これが、神妙な自然の力である。人間はできあがった万物を知ることができるが、その背後にある生成の原理を知ることはできない。これが、「天功」すなわち天の見えざる功績である。ただ聖人だけが、天のはたらきをあえて知ろうと試みずに、人間のはたらきに集中できる。天職がすでに行われて天功がすでに成り、人間には身体が備わって精神が生まれる。そこに好悪・喜怒・哀楽が宿される。これが、「天情」である。耳・目・鼻・口・身体の各器官がそれぞれ外物に接するが、それぞれが音・光・匂い・味・触覚といった別々の感覚を受け取り、それぞれが代用できない。これが、「天官」である。心臓は、体内の空間にあってこれら五官を統御している(注4)。これが、「天君」である。外界の財物は人類ではないにも関わらず、人類を養い生存させる。これが、「天養」である。人類の本性に従って身体を養えば福であるが、人類の本性に逆って身体を害したならわざわいとなる(注5)。これが「天政」である。己の「天君」をくらまし、「天官」を乱し、「天養」を捨て、「天政」に逆らい、「天情」に逆らう。これが、ほんとうの大凶なのである。聖人は、己の天君を清くし、天官を正しくし、天養を備え、天政に従い、天情を養って、こうして自然の与えた「天功」を完全に利用するのである。こうする道こそが、なすべきところを知りなすべきでないことを知るというものである。天は己の職分を果たし、地は己の職分を果たし、その結果として万物はおのおのがはたらきを見せる。そこに対した聖人は、自らの行いを尽くして、人を養う方策を適切に行い、しかも万物の生育を妨げないように利用する。これこそが、天を知るというのである。ゆえに「大巧」すなわち最大の技能とは、あえて天地の領分について為さないところにあるのである。また「大智」すなわち最高の智恵とは、あえて天地の領分について考えないところにあるのである。天について知ることができるものは、天体の運行や季節現象などだけであって、そこから我々が今後何が起こるか予測できるところにとどまる。地について知ることができるものは、地形と土地の豊凶だけであって、そこから我々が何を生産するかを計画するところにとどまる。四季において知ることができるものは、その順番だけであって、そこから我々がいつどのような仕事をなすべきかを計画するところにとどまる。陰陽について知ることができるものは、調和・不調和の様子だけであって、そこから我々が君臣・上下を調和させるように統治の努力を行うところにとどまる(注6)。天の運行や土地の豊凶を記録するのは、官人である。しかしそのデータを受け取って人のなすべき領分を行うのは、人君である(注7)


(注1)世に不自然な現象が起こるとき、昔の人は何か見えない物の怪が背後で活動しているのだ、と考えたことは、現代人もよく知っているところである。荀子の時代にも、「鬼神」が地上で活動していることは広く信じられていた。これが、「妖怪(祅怪)」の語の出典である。
(注2)原文「天人之分」。ここでは意訳した。
(注3)原文「陰陽大化」。中国の自然思想は、宇宙は陰と陽の二つの気が混合変化して万物が生成変化すると考えた。この自然思想は、荀子にも共通である。
(注4)原文読み下し「心は中虛に居り、以て五官を治む」金谷治氏も藤井専英氏も心が体内の中虚・中心にある、と訳しているが、抽象的すぎてかえってわけがわからない。ここは現代医学から見れば誤りであっても、古代中国の考えに従って、心臓が人間の意思を司る器官であるとみなした。当然現代的に言えば、これは脳髄である。
(注5)原文読み下し「其の類に順(したが)う者は之を福と謂い、其の類に逆(さから)う者は之を禍と謂う」。金谷治氏は人類の生活に順応する、と訳す。藤井専英氏は人類の集団生活の規範に従って暮らしていく、と訳す。ここでは、藤井氏の訳のような規範的なことはまだ言っていなし、また金谷氏のように人間が主体的に選んで順応する、という意味でもないと私は考える。むしろ、増注の久保愛の言うように、人類の本性に従って身体を養えば福であるが、人類の本性に逆って身体を害したならばわざわいである、という生命活動レベルの話をしていると私は考える。
(注6)ここは、難しい。ここで荀子は、陰陽は一種の自然現象であり、人間がそれを所与として一定範囲コントロールできることを言明している。その範囲をどこまで広げるべきか。陰陽術は、自然の陰陽の調和まで人間がコントロールできると考える。しかし荀子は王制篇の序官表において陰陽術者を占い師と同じカテゴリーに入れて、それを担当する傴巫(うふ)・跛擊(はげき)は明らかに卑賤の者である。荀子は陰陽の調和・不調和は自然現象であるが、人間ができることは人間世界の調和として君臣・上下の調和術として礼法を整えることを想定していたのではないだろうか。その想定の上に、意訳した。
(注7)原文読み下し「官人は天を守りて、自ずから道を守ることを爲すなり。」難解。ここでは荻生徂徠の解釈に近づけて訳した。藤井専英氏はここでうがった解釈を取られているが、私は取らない。
《原文・読み下し》
天行(てんこう)常有り、堯の爲めに存せず、桀の爲めに亡せず。之に應ずるに治を以てすれば則ち吉、之に應ずるに亂を以てすれば則ち凶なり。本を强(つと)めて用を節すれば、則ち天も貧にすること能わず。養備わりて動時なれば、則ち天も病ましむること能わず。道に脩(したが)いて(注8)貳(たが)わざれば、則ち天も過(わざわい)すること能わず。故に水旱(すいかん)も之をして飢えしむること能わず、[渇](注9)寒暑も之をして疾(や)ましること能わず、祅怪(ようかい)も之をして凶ならしむること能わず。本荒れて用侈(し)なれば、則ち天も之をして富ましむること能わず、養略にしえ動罕(まれ)なれば、則ち天も之をして全からしむること能わず。道に倍(そむ)きて妄行すれば、則ち天も之をして吉ならしむること能わず。故に水旱は未だ至らずして飢え、寒暑は未だ薄(せま)らずして疾み、祅怪は未だ至らずして凶なり。時を受くること治世と同じくして、殃禍(おうか)治世と異なり。以て天を怨む可からず、其の道然るなり。故に天人の分に明なれば、則ち至人と謂うべし。
爲さずして成り、求めずして得(う)、夫れ是を之れ天職と謂う。是(かく)の如くなる者は、深しと雖も其の人慮を加えず、大なりと雖も能を加えず、精なりと雖も察を加えず、夫れ是を之れ天と職を爭わずと謂う。天に其の時有り、地に其の財有り、人に其の治有り、夫れ是を之れ能く參すと謂う。其の參する所以を舍(す)てて、其の參する所を願うは、則ち惑(まど)えり。列星隨旋(ずいせん)し、日月遞炤(ていしょう)し、四時代御(だいぎょ)し、陰陽大化し、風雨博施す。萬物各(おのおの)其の和を得て以て生じ、各其の養を得て以て成る。其の事を見ずして、其の功を見る、夫れ是を之れ神と謂う。皆其の以て成る所を知り、其の無形を知ること莫し、夫れ是を之れ天と謂う(注10)。唯(ただ)聖人は天を知るを求めずと爲す。天職既に立ち、天功既に成り、形具して神生じ、好惡(こうお)・喜怒・哀樂臧す、夫れ是を之れ天情と謂う。耳目・鼻口・形能(けいたい)(注11)は、各(おのおの)接すること有りて相能くせざるなり、夫れ是を之れ天官と謂う。心は中虛に居り、以て五官を治む、夫れ是を之れ天君と謂う。財は其の類に非ずして、以て其の類を養う、夫れ是を之れ天養と謂う。其の類に順(したが)う者は之を福と謂い、其の類に逆(さから)う者は之を禍と謂う、夫れ是を之れ天政と謂う。其の天君を暗まし、其の天官を亂し、其の天養を棄て、其の天政に逆い、其の天情に背きて、以て天功を喪う、夫れ是を之れ大凶と謂う。聖人は其の天君を清くし、其の天官を正し、其の天養を備え、其の天政に順い、其の天情を養い、以て其の天功を全くす。是の如くなれば、則ち其の爲す所を知り、其の爲さざる所を知る。則ち天地官して萬物役す。其の行曲(つぶさ)に治まり、其の養曲に適し、其の生傷(やぶ)らず、夫れ是を之れ天を知ると謂う。故に大巧は爲さざる所に在り、大智は慮(おもんぱか)らざる所に在り。天に志(し)る(注12)所の者は、其の見象(げんしょう)の以て期す可き者に已(とどま)る。地に志る所の者は、其の見宜(げんぎ)の以て息す可き者に已る。四時に志る所の者は、其の見數(げんすう)の以て事とす可き者に已る。陰陽に志る所の者は、其の見知(げんわ)(注13)の以て治む可き所の者に已る。官人は天を守りて、自ずから道を守ることを爲すなり。


(注8)集解の王念孫は、「脩」は「循」であるべし、と言う。
(注9)集解の劉台拱は、「渇」字は衍字であると言う。
(注10)ここの解釈は、諸説対立している。楊注の或説、および集解の王念孫は、「天」の下に「功」字が抜けている、と言う。藤井専英氏、金谷治氏はこちらを取る。増注の久保愛は「功」字を入れることは非として、「無形」の「無」字が衍字であると言う。ここで荀子は、自然現象の背後にある何らかの働きが人間には見えないしわからない、と言っていると考えられるので、「無」を取り去る久保説を私は支持しない。
(注11)集解の王念孫は「能」を「態」を読み、「形態」で形である、と言う。
(注12)楊注は「志」は記識なり、と言う。理解すること。
(注13)集解の王念孫は、楊注の或説を取って「知」は「和」であると言う。

【この篇は、「彊国篇第十六」の後に読んでいます。】

天論篇は、「天人の分」を示した文章として、中国思想上で重要な位置を占めている。
ただ、荀子の合理的自然観ばかりが単独で強調されすぎているきらいがあるように思われる。荀子の「天人の分」は、れっきとした儒家思想の延長線上に行われているものである。

上のくだりで述べられているように、荀子は天地の与えた自然現象の意味について、不可知論を取る。人間は天地が生み出した自然現象の一つであり、天地の間で自らを養う万物が与えられている。ではなぜ人間は地上で生きていて、自らを養う万物が与えられているのか。これを説明するのは宗教であり、キリスト教やイスラム教はここに教義の最重要点を置いていることは、周知のところである。しかしながら、荀子はその意味を考えることを拒絶する。なぜ、拒絶するのか?それは、天地の自然現象、および人間の生物学的な身体の構造は、人間がコントロールすることができないからである。荀子は、人間が努力によってコントロールできる範囲内に限って努力を行うのが、君子であると考える。結果、荀子は君子のその努力が自然を克服して利用して、人間の生活を向上させることを説く。儒家が君子の人間社会における絶対的指導性を主張する以上、その主張は必要なのである。

すなわち荀子の合理的自然観は、儒家が主張する君子の主体的努力を通じた理想社会の建設、というテーマを忠実になぞった結果、君子の主体的努力でコントロールできない自然現象を考察の範囲外に追放したものであると言うことができるだろう。荀子の「天人の分」は、儒家の主張する君子の役割を極限にまで先鋭化した結果、君子がコントロールできる範囲内の現象だけに努力を集中するために置かれた思想と言うことができるだろう。

さきの富国篇では、孟子の民本思想を極限まで先鋭化して、社会契約説に至った。この「天人の分」もまた、そうである。荀子は、儒家思想の持つ原理を極限にまで先鋭化する作業を行った思想家であった。

君子が社会を改善するための努力だけに集中して、存在の意味や死後の生命といった議論を行うべきではない、という主張は、たとえば孔子にもあった。

孔子の弟子の樊遅(はんち)が、智とは何かを質問した。孔子は言われた、「人民を教化する義務に努め、鬼神(きじん。「鬼」は死者の霊魂であり、「神」は自然万物の神霊。)は敬してこれを遠ざけることだ。」
(論語、雍也篇より)


荀子は、ここでいう孔子の「人民を教化する義務に努め、鬼神を敬して遠ざける」という路線を忠実に守っている。荀子は後のくだりで天文現象は人間の生活に影響を及ぼさない、という合理的な主張を行うが、それは科学的方法による推論から出た主張ではなくて、経験の結果として常識が教える主張と言うべきであろう。だが荀子がその視点を持つことができたのは、君子が主体的にコントロールできない現象の人間への影響を否定して、君子の仕事を明確に位置づけるという彼の統治思想の課題のゆえである。結果、荀子は政治万能主義を取る。人間の不幸は、すべて政治が悪いところから起こる。自然が起こす災異は、正道を取った統治によって十分に克服できる。そして荀子は正道を取った統治が人間に必ず幸福をもたらすことを約束するために、人間が天地の万物を全て利用する権利を持ち、これによって自らの欲求を満たすことができると言う。

この人間中心主義は、人間が自然を搾取(exploit)する自然観であると言えるだろう。人間が自然を搾取する自然観は、産業革命以降に産業資本主義が勃興して、より多くの利益を生み出すために自然を加工して資源を採掘し尽くすダイナミズムが始ったときに、世界中で全面的に広がった。ヨーロッパにおける産業革命以降の自然を搾取(exploit)する自然観は、キリスト教的自然観に対抗して自然をより合理的に説明する(explain)近代科学の自然観が先行していた。ヨーロッパの自然観はそこから搾取する自然観へと移行していったのだが、荀子は古代中国において説明する(explain)自然観を欠いていたにも関わらず、搾取(exploit)する自然観をすでに全面的に展開させている。

荀子の天論篇ほかの自然に関する議論を読んだときに、私は二つの点でその現代性に驚く。その一つは、「天人の分」に見える合理的な自然観である。しかしながらもう一つは、自然への畏敬を欠いてこれを搾取する対象としか見ない自然観である。荀子は儒家思想を最も先鋭化させた思想家であり、儒家思想に潜在していた人間中心主義に傾いた自然観が、荀子においては過剰なまでに明瞭に打ち出されている。それは古代においては余りにも先鋭すぎたゆえに社会的条件と整合できず、前漢代後期以降に中国思想を席捲した災異説のような天人相関説に道を譲ることになったのであろうか。董仲舒が唱えた災異説は、皇帝の上位に天=自然の意思を置き、皇帝の不徳は人間世界に災害や天変地異をもたらす。すなわち人の行為と天の現象が相関しているという、天人相関説であった。こちらのほうが古代社会としては荀子の思想よりも常識的な思考様式であり、ゆえに現代人の思考様式からはより遠ざかる。

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