二十一 聖王の禹(う)は、農夫二人が並んで耕しているところを見たときには、式(しょく。馬車の横木のこと。転じて馬車に乗る者が横木によりかかって伏して拝する礼)の礼を行った。また十軒の村を通過するときには、必ず車を降りた。 ※禹は堯舜の家臣の時代、中華全土を駆け回って治水を行ったと伝えられている。労苦する聖人として、後世の墨家の尊崇するところとなった。荀子もまた、禹に言及することが多い。
二十二 二十三 ※漢文大系は、原文読み下しの「大夫の臣」以下を別の章に分けて、これを二章としている。
二十四 ※楊注は、この礼は郷飲酒礼(楽論篇を参照)の時のことである、と注するが、増注は郷飲酒礼に限ることではない、と注する。なおこの章には、欠文があると思われる。下の注4参照。
二十五 |
《読み下し》 禹は耕す者の耦立(ぐうりつ)するを見て式(しょく)し、十室の邑(ゆう)を過ぐれば必ず下る。 殺する(注1)こと大(はなは)だ蚤(はや)く、朝すること大だ晚(おそ)きは、禮に非ざるなり。民を治むるに禮を以てせざれば、動けば斯(ここ)に陷る。 平衡を拜(はい)と曰い、下衡を稽首(けいしゅ)と曰い、地に至るを稽顙(けいそう)と曰う。大夫の臣、稽首して拜せざるは、家臣を尊ぶに非ざるなり、君を辟(さ)くる所以なり。 一命(注2)は鄉に齒(し)し、再命は族に齒し、三命は族人雖(ただ)七十にして敢て先んぜざるのみ(注3)。上大夫、中大夫、下大夫(注4)。 吉事には尊を尚(とうと)び、喪事には親を尚ぶ。 (注1)楊注或説は礼記(王制篇)の「獺魚を祭り、然る後に虞人沢梁に入り、豺獣を祭り、然る後に田獵す」を引いて、此に先んじて蚤く為す、と言う。礼記月礼篇の記述と合わせて見れば、獺(かわうそ)が魚を取り始める陰暦一月になってから虞人(ぐじん。沼沢を管理する役人)は沢梁で漁を行うことを解禁し、また豺(やまいぬ)が獲物を捕り始める陰暦九月になってから田獵(でんりょう。狩猟)が解禁されるという。この解禁時期よりも早く狩猟をして獲物を殺すことが、「殺すること大(はなは)だ蚤」いの意味である。この説に従う。増注は、「殺」はおそらく「祭」の誤り、と言う。
(注2)楊注は、「一命は公侯の士、再命は大夫、三命は卿なり」と注する。言うは、公人として初任された官は、まず諸侯国の士、すなわち下級貴族の身分を得る。二度目に任ぜられた官は、士より昇格して大夫の身分を得る。三度目に任ぜられた官は、最上級の卿の身分を得る。 (注3)原文「三命族人雖七十不敢先」。このままに読めば、「三命は族人七十と雖(いえど)も敢て先んぜず」となって、意味は「三命された卿は一族の七十歳以上の者であってもその下座に就かない」となる。これに対して猪飼補注は、礼記三義篇の「三命不齒、族有七十者弗敢先(三命歯[齒]せず、族七十なる者有りて敢て先んぜず)」を引いて、「雖」は「唯」に作るべし、と言う。つまり、「三命された卿は原則として年齢によらず上座に就くが、ただ一族の七十歳以上の者に限ってのみその下座に就く」という礼が礼記と合致すると指摘する。猪飼補注に従いたい。 (注4)「上大夫、中大夫、下大夫」について、楊注は前文の三命・再命・一命のことと解する。すなわち士といえども身分的には大夫の末席であるために「下大夫」である、と言う。猪飼補注は、「上大夫、中大夫、下大夫」の上下に欠文があることを疑う。楊注の通りの意味であるかもしれないし、別の文の断片であるかもしれないが、ともかくこれだけで文が完結しているとは思えず猪飼補注の言う通り欠文があると考えるのが妥当であろう。 |