大略篇第二十七(4)

By | 2015年12月28日
十六
礼の一切とは、生者に仕えるときには喜びを文飾して、死者に仕えるときには哀悼を文飾して、軍隊においては威厳を文飾することに尽きる。

礼論篇(4)に「凡そ禮の生に事うるは、歡を飾るなり。死を送るは、哀を飾るなり。祭祀は、敬を飾るなり。師旅は、威を飾るなり」とあり、同一の文である。

十七
親族を親族として扱い、旧知の者を旧知の者として扱い、功績ある者を功績ある者として扱い、労苦した者を労苦した者として扱うことは、仁の心を等級化したものである。身分貴い者を貴い者として扱い、尊重するべき者を尊重するべき者として扱い、賢明な者を賢明な者として扱い、歳老いた者を歳老いた者として扱い、年長者を年長者として扱うことは、義の道理である。これらのことを行うときにそれぞれが相応に節度が保たれていることは、礼のなす序列である。仁は愛の精神であるゆえに、他人と親しむ。義は道理であるゆえに、それに従って行動する。礼は節度付けるものであるゆえに、これらのことを成功させる。仁には、いるべき里がある。義には、通るべき門がある。仁がいるべきでない里にいるならば、それは仁ではない。義が通るべきでない門を通るならば、それは義ではない。他人に恩徳を施すときにも道理に沿っていなければ、仁を成さない。道理を達成するときにも節度が置かれなければ、義を成さない。節度を細かく置くときにも調和がなされなければ、礼を成さない。調和がなされても声として外に表現されなければ、音楽を成さない。ゆえに、「仁・義・礼・楽は、すべてその趣旨は一つである」と言われるのである。君子は仁にいるときには義の原理を適用して、ようやく仁をなすことができる。義を行うときには礼の原理を適用して、ようやく義をなすことができる。礼を制定するときには基本精神である仁と義に立ち返りながら細部の規則を設けて、ようやく礼をなすことができる。仁・義・礼の三者がみな通じて、ようやく正道をなすことができるのだ。

楊注は、「里と門とは皆礼を謂うなり」と言う。

十八
不幸があったときに財貨を贈ることを、「賻(ふ)」という。馬と車と贈ることを、「賵(ぼう)」と言う。衣服を贈ることを、「襚(すい)」と言う。死者が生前に愛好していた器物を贈ることを、「贈(そう)」と言う。玉(ぎょく)や貝を贈ることを、「唅(かん)」と言う。賻と賵は遺族を支援するための贈り物であり、贈と襚は死者の埋葬に用いるための贈り物である。死者への贈り物が柩尸(きゅうし)の期間までに間に合わず、遺族への贈り物が卒哭(そつこく)の礼までに間に合わないことは、礼に外れている。ゆえに吉礼に赴くときには一日五十里を進む吉行(きつこう)を行い、葬礼に赴くときには一日百里を進む犇喪(ほんそう)を行い、賵や贈の贈り物が葬礼の各時期に間に合うことは、礼の非常に重要なところである。

玉や貝は、死者の口に含ませることに用いられる。貝とはコヤスガイであって、南方の海で採れる。殷代には、これが大量に中華世界に輸入されて権勢を示す贈答品として用いられた。ゆえに漢字の「貝へん」は財貨を示すのである。

十九
礼というものは、いわば政治という車を引っ張る綱である。政治を行うときに礼によって行わなければ、前に進むものではない。

二十
天子が即位したときには、まず上卿が進み出てこう言上する、「天子はこれから政治を担われるのですが、これをいかになさるおつもりでしょうか。天子の憂いたるや、じつに長いものであります。わずらいを除くことができれば人を幸福としますが、わずらいを除くことができなければ人を傷つけることになります」と。こうして、天子に一つ目の策(ふだ)を捧げる。次に中卿が進み出てこう言上する、「天と並んでこの地上を支配する者としては、事が起こることに先んじて事を熟慮しなければなりません。わずらいが起こることに先んじてわずらいの元を熟慮しなければなりません。事が起こることに先んじて事を熟慮することを、接(せつ。すばやい)と言います。接であれば、事は見事に成るでしょう。わずらいが起こることに先んじてわずらいの元を熟慮することを、予(よ。予防)と言います。予であれば、禍は生じないでしょう。しかし事が起こってから後にようやく考える者は、後(ご。後手に回る)と謂います。後であれば、事は成りません。わずらいが起こってから後にようやく考える者は、困(こん。困惑)と言います。困であれば、禍は防ぐことができません」と。こうして、天子に二つ目の策を捧げる。次に下卿が進み出てこう言上する、「つつしみ戒めて、怠らずなさいませ。家の堂内には祝いの客が来ているのに、家の門には弔問の客が訪れている。このように、禍と福は隣りあわせなのです。両者はどこから来るのか、誰も知りません。ああ予防せよ、予防せよ!これは、万民の望むところなのです」と。こうして、天子に三つめの策を捧げる。

楊注は、上卿は冢宰(ちょうさい)つまり宰相、中卿は宗伯(そうはく)つまり礼儀祭祀をつかさどる官、下卿は司寇(しこう)つまり警察司法長官、と注している。策について楊注は「竹を編みてこれを為す、後これに易(か)うるに玉を以てす」と言う。策とは冊と同義であり、覚書を記したふだのことを言う。なので楊注はひもで編んだ竹簡を想定した注を記したのであろう。しかし新釈の藤井専英氏は、策の原義は竹を割って作った一枚の板であり、ここに文字を書くものではなくて鑑戒の警策であり、進言の象徴としてこれを天子に授けるものである、と注している。ともかく、天子が即位したときに捧げる象徴的な訓戒の物品であることには間違いない。
《読み下し》
禮の大凡(たいはん)。生に事(つか)うるは驩(かん)を飾るなり、死を送るは哀を飾るなり、軍旅は威を飾るなり。

親を親とし、故(こ)を故とし、庸(よう)を庸とし、勞を勞とするは(注1)、仁の殺(さい)(注2)なり。貴を貴とし、尊を尊とし、賢を賢とし、老を老とし、長を長とするは、義の倫(りん)(注3)なり。之を行いて其の節を得るは、禮の序なり。仁は愛なり、故(ゆえ)に親(した)しむ。義は理なり、故に行う。禮は節なり、故に成る。仁に里(り)有り、義に門有り。仁其の里に非ずして之に虛(お)る(注4)は、禮(じん)(注5)に非ざるなり。義其の門に非ずして之に由るは、義に非ざるなり。恩を推すも理あらざれば、仁を成さず。理を遂ぐるも敢(せつ)あれざれば(注6)、義を成さず。節を審(つまびら)かにするも知(わ)(注7)ならざれば、禮を成さず。和するも發せざれば、樂(がく)を成さず。故(ゆえ)に曰く、仁・義・禮・樂は、其の致(むね)(注8)一なり、と。君子仁に處るに義を以てして、然る後に仁なり。義を行うに禮を以てして、然る後に義なり。禮を制するに本に反り末を成して、然る後に禮なり。三者皆通じて、然る後に道なり。

貨財を賻(ふ)と曰い、輿馬(よば)を賵(ぼう)と曰い、衣服を襚(すい)と曰い、玩好を贈と曰い、玉貝(ぎょくばい)を唅(かん)と曰う。賻・賵は生を佐(たす)くる所以にして、贈・襚は死に送(おく)る(注9)所以なり。死に送りて柩尸(きゅうし)に及ばず、生に弔して悲哀に及ばざる(注10)は、禮に非ざるなり。故に吉行は五十、犇喪(ほんそう)は百里、賵・贈事に及ぶは、禮の大なるものなり。

禮なる者は、政の輓(ばん)(注11)なり。を爲すに禮を以てせざれば、政行われず。

天子位に卽けば、上卿進みて曰く、之を如何(いかん)せん、憂は之れ長し。能く患を除けば則ち福と爲り、患を除くこと能わざれば則ち賊と爲らん、と。天子に一策を授く。中卿進みて曰く、天に配して下土を有する者は、事に先だちて事を慮(おもんぱか)り、患に先だちて患を慮る。事に先だちて事を慮る之を接(せつ)と謂う、接なれば則ち事優(ゆう)に成る。患に先だちて患を慮る之を豫(よ)と謂う、豫なれば則ち禍生ぜず。事至りて而(しこう)して後に慮る者は之を後と謂う、後なれば則ち事舉(あ)がらず。患至りて而して後に慮る者之を困(こん)と謂う、困なれば則ち禍禦(ふせ)ぐ可からず、と。天子に二策を授く。下卿進みて曰く、敬戒して怠ること無かれ、慶者堂に在りて、弔者閭(りょ)に在り。禍は福と鄰(となり)して、其の門を知ること莫し。豫なる哉、豫なる哉。萬民之を望む、と。天子に三策を授く。


(注1)楊注は、「庸を庸とし勞(労)を勞とするとは、その功労を称するを謂う」と言う。すなわち、功績と労苦のこと。
(注2)楊注は、「殺は差等なり」と言う。差を設けること。
(注3)楊注は、「倫は理なり」と言う。ここでの「倫」は、正しい道理のこと。
(注4)楊注は、「虛(虚)」は読んで「居」となす、と言う。
(注5)集解の盧文弨は、下文の「義其の門に非ずして之に由るは、義に非ざるなり」について、「義に非ざるなり」を「禮に非ざるなり」となすべきと言う。しかし王念孫はこれを非として、むしろ前にあるこの文の「禮(礼)に非ざるなり」を「仁に非ざるなり」となすべきと言う。増注が引く桃井源蔵も、王説と同じである。桃井・王説を取る。
(注6)猪飼補注は、下文を以て之を推すに「敢」はまさに「節」に作るべし、と言う。そうすると、確かに文章がすっきりと整う。新釈は、猪飼補注に従って「節」に読み替えている。漢文大系は「敢」のままに「敢てせざれば」と読み下して、果断敢行の意と注している。すっきりさせすぎの感もあるが、猪飼補注に従っておく。
(注7)楊注或説は「知」は「和」となす、と言う。増注および集解の王念孫は、或説を是とする。これに従う。
(注8)増注は、「致はなお極のごとし」と注する。突き詰めた果ての原理・趣旨のことで、新釈は「むね」と読み下している。
(注9)増注は、「送」はなお「贈」のごときなり、と言う。
(注10)増注は、「牀に在るを尸と曰い、棺に在るを柩と曰う」と言う。すなわち柩尸とは死者の遺骸を寝台に置いている期間と棺に納めている期間を指し、葬る前に遺族のそばに死者を留め置く期間である。また増注は「悲哀に及ばずとは、已(すで)に卒哭するを謂う」と言う。卒哭とは、葬儀の最後に哭泣する葬儀の締めの哭礼である。このときまでに間に合わない、という意味。
(注11)猪飼補注は、「輓」は「絻」と同じ、と言う。車を引く綱。

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