十六 礼の一切とは、生者に仕えるときには喜びを文飾して、死者に仕えるときには哀悼を文飾して、軍隊においては威厳を文飾することに尽きる。 ※礼論篇(4)に「凡そ禮の生に事うるは、歡を飾るなり。死を送るは、哀を飾るなり。祭祀は、敬を飾るなり。師旅は、威を飾るなり」とあり、同一の文である。
十七 ※楊注は、「里と門とは皆礼を謂うなり」と言う。
十八 ※玉や貝は、死者の口に含ませることに用いられる。貝とはコヤスガイであって、南方の海で採れる。殷代には、これが大量に中華世界に輸入されて権勢を示す贈答品として用いられた。ゆえに漢字の「貝へん」は財貨を示すのである。
十九 二十 ※楊注は、上卿は冢宰(ちょうさい)つまり宰相、中卿は宗伯(そうはく)つまり礼儀祭祀をつかさどる官、下卿は司寇(しこう)つまり警察司法長官、と注している。策について楊注は「竹を編みてこれを為す、後これに易(か)うるに玉を以てす」と言う。策とは冊と同義であり、覚書を記したふだのことを言う。なので楊注はひもで編んだ竹簡を想定した注を記したのであろう。しかし新釈の藤井専英氏は、策の原義は竹を割って作った一枚の板であり、ここに文字を書くものではなくて鑑戒の警策であり、進言の象徴としてこれを天子に授けるものである、と注している。ともかく、天子が即位したときに捧げる象徴的な訓戒の物品であることには間違いない。
|
《読み下し》 禮の大凡(たいはん)。生に事(つか)うるは驩(かん)を飾るなり、死を送るは哀を飾るなり、軍旅は威を飾るなり。 親を親とし、故(こ)を故とし、庸(よう)を庸とし、勞を勞とするは(注1)、仁の殺(さい)(注2)なり。貴を貴とし、尊を尊とし、賢を賢とし、老を老とし、長を長とするは、義の倫(りん)(注3)なり。之を行いて其の節を得るは、禮の序なり。仁は愛なり、故(ゆえ)に親(した)しむ。義は理なり、故に行う。禮は節なり、故に成る。仁に里(り)有り、義に門有り。仁其の里に非ずして之に虛(お)る(注4)は、禮(じん)(注5)に非ざるなり。義其の門に非ずして之に由るは、義に非ざるなり。恩を推すも理あらざれば、仁を成さず。理を遂ぐるも敢(せつ)あれざれば(注6)、義を成さず。節を審(つまびら)かにするも知(わ)(注7)ならざれば、禮を成さず。和するも發せざれば、樂(がく)を成さず。故(ゆえ)に曰く、仁・義・禮・樂は、其の致(むね)(注8)一なり、と。君子仁に處るに義を以てして、然る後に仁なり。義を行うに禮を以てして、然る後に義なり。禮を制するに本に反り末を成して、然る後に禮なり。三者皆通じて、然る後に道なり。 貨財を賻(ふ)と曰い、輿馬(よば)を賵(ぼう)と曰い、衣服を襚(すい)と曰い、玩好を贈と曰い、玉貝(ぎょくばい)を唅(かん)と曰う。賻・賵は生を佐(たす)くる所以にして、贈・襚は死に送(おく)る(注9)所以なり。死に送りて柩尸(きゅうし)に及ばず、生に弔して悲哀に及ばざる(注10)は、禮に非ざるなり。故に吉行は五十、犇喪(ほんそう)は百里、賵・贈事に及ぶは、禮の大なるものなり。 禮なる者は、政の輓(ばん)(注11)なり。を爲すに禮を以てせざれば、政行われず。 天子位に卽けば、上卿進みて曰く、之を如何(いかん)せん、憂は之れ長し。能く患を除けば則ち福と爲り、患を除くこと能わざれば則ち賊と爲らん、と。天子に一策を授く。中卿進みて曰く、天に配して下土を有する者は、事に先だちて事を慮(おもんぱか)り、患に先だちて患を慮る。事に先だちて事を慮る之を接(せつ)と謂う、接なれば則ち事優(ゆう)に成る。患に先だちて患を慮る之を豫(よ)と謂う、豫なれば則ち禍生ぜず。事至りて而(しこう)して後に慮る者は之を後と謂う、後なれば則ち事舉(あ)がらず。患至りて而して後に慮る者之を困(こん)と謂う、困なれば則ち禍禦(ふせ)ぐ可からず、と。天子に二策を授く。下卿進みて曰く、敬戒して怠ること無かれ、慶者堂に在りて、弔者閭(りょ)に在り。禍は福と鄰(となり)して、其の門を知ること莫し。豫なる哉、豫なる哉。萬民之を望む、と。天子に三策を授く。 (注1)楊注は、「庸を庸とし勞(労)を勞とするとは、その功労を称するを謂う」と言う。すなわち、功績と労苦のこと。
(注2)楊注は、「殺は差等なり」と言う。差を設けること。 (注3)楊注は、「倫は理なり」と言う。ここでの「倫」は、正しい道理のこと。 (注4)楊注は、「虛(虚)」は読んで「居」となす、と言う。 (注5)集解の盧文弨は、下文の「義其の門に非ずして之に由るは、義に非ざるなり」について、「義に非ざるなり」を「禮に非ざるなり」となすべきと言う。しかし王念孫はこれを非として、むしろ前にあるこの文の「禮(礼)に非ざるなり」を「仁に非ざるなり」となすべきと言う。増注が引く桃井源蔵も、王説と同じである。桃井・王説を取る。 (注6)猪飼補注は、下文を以て之を推すに「敢」はまさに「節」に作るべし、と言う。そうすると、確かに文章がすっきりと整う。新釈は、猪飼補注に従って「節」に読み替えている。漢文大系は「敢」のままに「敢てせざれば」と読み下して、果断敢行の意と注している。すっきりさせすぎの感もあるが、猪飼補注に従っておく。 (注7)楊注或説は「知」は「和」となす、と言う。増注および集解の王念孫は、或説を是とする。これに従う。 (注8)増注は、「致はなお極のごとし」と注する。突き詰めた果ての原理・趣旨のことで、新釈は「むね」と読み下している。 (注9)増注は、「送」はなお「贈」のごときなり、と言う。 (注10)増注は、「牀に在るを尸と曰い、棺に在るを柩と曰う」と言う。すなわち柩尸とは死者の遺骸を寝台に置いている期間と棺に納めている期間を指し、葬る前に遺族のそばに死者を留め置く期間である。また増注は「悲哀に及ばずとは、已(すで)に卒哭するを謂う」と言う。卒哭とは、葬儀の最後に哭泣する葬儀の締めの哭礼である。このときまでに間に合わない、という意味。 (注11)猪飼補注は、「輓」は「絻」と同じ、と言う。車を引く綱。 |