大略篇第二十七(6)

By | 2015年12月30日
二十六
君臣といえども聖人の礼による秩序を得なければ尊ばれることはなく、同様に父子が親しみ合うこともなく、同様に弟が兄に従うこともなく、男女も喜び合うこともない。年少者が成長するのも、老年者が養われるのも、聖人の礼による秩序の中で行われるのである。ゆえに、古語に「天地之を生じ、聖人之を成す」と言うのである。

富国篇(2)に「父子得ざれば親しまず、兄弟得ざれば順ならず、男女得ざれば歡せず、少者は以て長じ、老者は以て養わる。故に曰く、天地之を生じ、聖人之を成す」の語があり、ほぼ同じ文である。なので、原文の意味は上のとおりとなるだろう。
なお集解の汪中は、上の(原文で)四十一字は錯簡であり、後の三十五章の下に置かれるべきである、と言う。直前二十五章の「尊を尚び」「親を尚ぶ」の文に惑わされてここに誤って置かれた、と言う見解である。

二十七
聘(へい)とは、大夫を使者として命じて、他国に訪問することである。享(きょう)とは、使者が他国に訪問した際に、礼物を進呈することである。私覿(してき)とは、享の礼が終わった後に、使者が私的に謁見することである。

古代の外交儀礼を述べている。それは、現代の外交儀礼と本質的には変わることがない。

二十八
朝廷においては、言語は外に出すには謹み深く内にひきしめるには厳しくあり、列席する家臣は多士済々で整然と揃っている。

二十九
人の臣下たるもの、主君に諫言はしても主君の誹謗中傷はなさず、主君を見限って逃亡することはしても主君を憎むことはなく、主君の仕打ちを心中で恨むことはあっても主君に正面から怒りを示すことはしない。

三十
君主は、大夫に対しては病気の見舞いならば三度行い、喪ならば三度弔問に赴く。士に対しては、病気の見舞いは一度、喪の弔問は一度赴く。諸侯たるもの、病気の見舞いか喪の弔問でなければ、家臣の私宅に訪問はしない。

君主と家臣の私的な付き合いを制限するのも、礼である。なぜならば両者ともに国家を担う公人だからである。礼の意義には、朝廷が私物化せずに公共の政治組織として機能するために、許されることと制限すべきことをルール化するという側面がある。
《読み下し》
君臣得ざれば尊からず、父子得ざれば親しまず、兄弟得ざれば順ならず、夫婦得ざれば驩(かん)せず、少者は以て長じ、老者は以て養わる。故(ゆえ)に天地之を生じ、聖人之を成す。

聘(へい)は問なり。享(きょう)は獻(けん)なり。私覿(してき)は私見なり。

言語は、美、穆穆皇皇(ぼくぼくこうこう)(注1)たり。朝廷の美は、濟濟鎗鎗(せいせいそうそう)(注2)たり。

人の臣下爲(た)る者は、諫むること有りて訕(そし)ること無く、亡(ぼう)する(注3)こと有りて疾(にく)むこと無く、怨むこと有りて怒ること無し。

君の大夫に於けるや、三たび其の疾(やまい)を問い、三たび其の喪に臨む。士に於けるや、一たび問い、一たび臨む。諸侯は疾を問い喪を弔するに非ざれば、臣の家に之(ゆ)かず。


(注1)楊注は、「穆穆」は容儀謹敬、「皇皇」は自ら脩正するの貌、と注する。「穆穆皇皇」を増注は「賓客に与うる言の状」と注する。
(注2)楊注は、「済済(濟濟)」は多士の貌、「鎗」は「蹌」と同じで「蹌蹌」は行列有るの貌、と注する。「濟濟鎗鎗」を増注は「出入進退の儀を謂う」と注する。
(注3)楊注は、「亡は去るなり」と言う。逃亡すること。

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