大学或問・経の四 ~治国平天下は天子諸侯の領分ではないのか~

投稿者: | 2023年3月16日

『大学或問』経の四~治国平天下は天子諸侯の領分ではないのか~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
曰、天子自(よ)り庶人に至るまで、壹是に皆身を修むるを以て本と爲す、其の本亂れて末治まる者は否(あらん)、其の厚する所の者薄して、其の薄する者厚きこと、未だ之れ有らざりしなりとは、何ぞや。
曰、此れ上の文兩節の意を結すなり、身を以て天下國家に對して言えば、則ち身を本と爲して天下國家末と爲す、家を以て國と天下とに對して言えば、則ち其の理未だ嘗て一ならずばあらずと雖も、然も其の厚薄の分は、亦等差無くんばある容(べ)からず、故に物を格(いた)し知を致して、以て意を誠にし心を正して其の身を修むること能わざれば、則ち本必ず亂れて末治まる可からず、其の親を親せず、其の長を長とせざれば、則ち厚する所の者薄して以て人の親長に及ぼすこと無し、此れ皆必然の理なり、孟子の所謂(いわゆる)厚する所の者に於て薄ければ、薄からずという所無し(注1)、其の言と蓋し亦此に本づくと云う。
曰、國を治め天下を平にする者は、天子諸侯の事なり、卿大夫より以下は、蓋し與(あず)かること無し、今大學の敎は、乃ち例するに明德を天下に明にするを以て言を爲す、豈に思うこと其の位より出て、其の分に非ざるを犯すと爲(せ)ざらんや(注2)、而(しこう)して何を以て己が爲にするの學と爲すことを得んや。
曰、天の明命は、有生の同じく得る所にして、我が私を得ること有るに非ず、是を以て君子の心は、豁然として大公なり、其の天下を視ること、一物として吾が心の當に愛すべき所に非ずという無く、一事として吾が職の當に爲すべき所に非ずという無し、或は勢匹夫の賤に在ると雖も、而も其の君を堯舜にし、其の民を堯舜にする所以の者も、亦未だ嘗て其の分内に在らざるはあらず、又況や大學の敎は、乃ち天子の元子衆子、公侯卿大夫士の適子と、国の俊選との爲にして設く、是れ皆將に天下國家の責有りて辭す可からざる者なり、則ち其の素より敎えて預(あらかじ)め之を養う者、安んぞ天下國家を以て己が事の當然と爲して、預め以て其の本を正し其の源を淸すること有ることを求めざらんことを得ん、後世敎學明ならず、人の君父爲る者、慮り以て此に及ぶに足らずして、苟も目前に循う、是を以て天下の治日は常に少く、亂日は常に多くして、而して敗國の君、亡家の主、常に迹を當世に接ぐ、亦悲しむ可し、論者此れを監みずして、反て聖法を以て疑うを爲るは、亦獨り何ぞや、大抵學者を以て天下の事を視るに、以て己が事の當に然るべき所を爲して之を爲るは、則ち甲兵錢穀(せんこく)(注3)籩豆(へんとう)有司(注4)の事と雖も、皆己が爲にす、其の以て世に知れんことを求む可きを以て之を爲るは、則ち股を割き(注5)墓に廬(ろ)し(注6)弊車(へいしゃ)羸馬(るいば)(注7)と雖も、亦人の爲のみ、善きかな張子敬夫(注8)が言(こと)に曰く、己が爲にする者は、爲にする所無くして然る者なり、此れ其の語意の深切なる、蓋し前賢未だ發せざる所の者、學者是を以て日に自ら省みば、則ち以て善利の間を察すること有りて毫釐(ごうりん)の差(たが)い無し。


(注1)孟子盡心章句上より。朱子は、『大学』が孟子に先行する曾子の時代に成立したと考えているので、『孟子』にあらわれる語句が『大学』に由来するのであろう、と推定するのである。
(注2)論語憲問篇「曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず」より。
(注3)甲兵はよろいと武器で、転じて軍事のこと。錢穀は税のこと。軍人と徴税人。
(注4)論語泰伯篇「籩豆の事は則ち有司存せり」より。籩豆は、祭祀に用いるお供えのための器。祭祀の器物については有司すなわち担当する役人がいる(ので君子がいちいち考えることではない)。ここでは軍人・徴税人・籩豆の有司それぞれ職分を果たして社会に貢献しているが、それは自分の利益のために行っていることであって、学ぶ者が自分の身分境遇に合ったことだけを行うのであれば彼らと何ら変わらないと言うのである。
(注5)股を割くとはかつての中国の悪習で、親の病気の薬として子が股の肉を削って給することが孝行の鑑として称揚された。時代の制約があるから致し方ないが、朱子もこれを善行の一例として挙げている。
(注6)墓に廬すとは喪礼で、親の墓のそばに粗末な小屋を建てて暮らすこと。これを三年の期間行うことが、子の正しい喪礼とされた。
(注7)弊車は、やぶれた車。羸馬は、やせた馬。弊車羸馬は、質素な生活のこと。
(注8)張子敬夫とは張栻(ちょうしょく)のことで、字は敬夫。号で張南軒とも呼ばれる。南宋の儒者で、朱子の親友であった。
《要約》

  • 「天子より庶人云々」について。身が本で家・天下国家が末であり、格物致知誠意正心して身を修めることができなければ、その先に親と長上に正しい関係を築くことができず、さらにその先に天下国家を治めることもできない。『孟子』に表れる言葉は、大学のここに由来するのであろう。
  • 治国平天下は天子諸侯の領分であり、『論語』では「君子たるもの自らの位より出たことを考えない」と戒めている。しかし『大学』では明徳を天下に明らかにすると言い、これは己の位より出て、考えてはならない領域を犯すことを勧めているのではないか。この矛盾について、朱子は答える。ひとつ、君子はどんな卑賎な境遇にあってもひろびろとして大いなる公の心を持ち、天下すべてを愛し、君主を堯舜となして民を堯舜の民となすことを考えるものである。ふたつ、大学の教えは、上は天子の皇子から諸侯卿大夫の子弟、下には国から選ばれた俊才までを教えて養うものであり、彼らに最初から天下国家のことを自分の当然となすことを教えて本を正し源を清めるものであった。後の世に教学がすたれたとき君父たちは遠くを思わず身近のことに従うようになり、結果世は乱れ国は破れて家は没落していった。論者はこのことを考えずに、大学の聖法に疑問を挟むのはどうしたことであろうか。学ぶ者は、自分の職分だから行うとか、世に名声を売るために善を行うとかではなく、利益を考えずにただ自己の善のために行わなければなならない。

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