正名篇第二十二(4)

By | 2015年5月28日
「侮られることは、恥辱でない」(注1)とか、「聖人は(他人を愛して)己を愛さない」(注2)とか、「窃盗犯を殺すのは人を殺す範疇に入らない」とかいう説は、名称を誤って用いることによって名称を乱す邪説の例である。前に述べた「正しい名称を定めることの必要性」(正名篇(2)の(1)参照)に従って、これらの説を検討せよ。そして、どちらがより人間世界に通用するかをよく観察するがよい。その結果、こういった邪説は無用無益であることが明らかとなる。よって、禁止するべきである。

また「山と淵は同じく平らかである」(注3)とか、「人間の情は寡欲である」(注4)とか、「肉の料理は美味でなく、大鐘(おおがね)の鳴る音楽は楽しくない」(注5)とかいう説は、名称が指す実体を誤って認識することによって名称を乱す邪説の例である。前に述べた「名称によって諸物の同異をはっきり定めることの必要性」(正名篇(2)の(2)参照)に従って、これらの説を検討せよ。そして、どちらがより名称と実体とを対応させているかをよく観察するがよい。その結果、こういった邪説は無用無益であることが明らかとなる。よって、禁止するべきである。

「非而謁」(注6)とか、「飛んでいる矢は常に楹(はしら)の地点にある」(注7)とか、「白馬は馬ではない」(注8)とかいう説は、名称を誤って用いることによって実体への認識を乱す邪説の例である。前に述べた「人間の約束による命名」(正名篇(3)の論述を参照)に従って、これらの説が社会に通用する名称の体系に合致しているかどうかを検討せよ。その結果、こういった邪説は言語の通用的用法から外れていることが明らかとなる。よって、禁止するべきである。

およそ邪説やかたよった主張で正道を離れて手前勝手に言葉を作る者は、すべて上の三つの誤りのどれかに入るのである。ゆえに明君は己のなすことに従って、このような輩と論争したりはしない。そもそも人民は、これを斉一にするには正道をもってするのが最も能率的であるので、為政者は正道についての理屈などをいちいち弁明したりはしないのである。ゆえに明君は人民に対して勢威をもって君臨し、正道をもって導き、国家の命令をもって告げ、倫理をもってなすべきことを明確に示し、刑罰をもってなすべからざることを禁止するまでである。これらの方法をもってするので、人民が正道に教化されていくのはじつに精巧なのである。なんで、人民に説明する必要があるだろうか?(注9)

しかし今や聖王はすでに没して、天下は乱れ、姦言が沸き起こる世となった。こんな時代では、君子といえども勢威をもって人民に君臨することができず、刑罰によって人民になすべからざることを禁止することができない。ゆえに、今の時代は弁説を尽くさなければならないのだ。実体が理解されないときに、はじめてその対象に命名がなされる。その命名があってもまだ理解されないときに、はじめて他の命名された対象と比較して概念を明らかにする。その比較がなされてもまだ理解されないときに、はじめて命名された概念に説明を加える。その説明がなされてもまだ理解されないときに、はじめて異説を斥けて弁説するのである。ゆえに、以上の命名・比較・説明・弁説の四者は、統治のための作用を持つ偉大な言葉の装飾であり、ここから王業が始まるところである。名称を聞けば、実体が想起される。これは、名称の作用である。名称を重ねて、文章をなす。これは、名称を飾る麗飾である。名称の効用と名称の麗飾の二者をともに会得しているならば、この者は名称のことを深く理解している、と言うべきである。名称というものは、多数の実体を比較するための基盤である。その名称を連ねて作られる言辞というものは、実体の異なる名称を連ねることによって、新たに一つの意味を理解させるものである(例:「山」と「高」を重ねると「高山」となり別の実体を示す言辞が作られる)。弁説というものは、名称と実体を変えずして、その内容を理解させる手段である。その弁説のとき、比較・命名が作用をなす。弁説とは、心中の正道を外部に向けて表現するものである。心というものは、正道の主宰者である。正道というものは、統治の筋道である。心は正道に合し、説明は心に合し、言辞は説明に合し、名を正してこれを比較し、実体に基づいて理解させ、異なる実態は弁別して間違えず、同類の概念に当たるべきものはそのグループ化を誤らず、他人の説を聴いてこれに理があれば、心中の言葉と合わせて改良し、言葉を用いて弁説すれば道理を全て表明する。このように言葉を正しく用いることができたならば、正道をもって姦説の過ちを説明することは、あたかも墨縄(すみなわ)をもって曲線・直線を規制するかのようにたやすいことである。このゆえに邪説は世を乱すことはできなくなり、諸子百家どもはもはや逃げ隠れることが許されなくなる。以上のような正しい言葉を用いて正道を取る者であれば、一度に多数の訴えを聴くほどの聡明がありながら、それを自慢する様子もない。万人を覆うような厚い徳がありながら、それを誇る様子もない。正しい弁説が行われたら、天下は正しくなるのである。しかし正しい弁説が行われない時代であれば、断固として正道を明らかにして、世から退くような真似はするな。これゆえに、聖人は正しく弁説することを尊重するのである。『詩経』に、この言葉がある。:

ああ慈なるかな、高きかな
圭璋(けいしょう)のごとく、うるわしき
おおいに聞こえ、たたえらる
やすらかなるご尊顔の、わが君は
四方(よも)の規範であらせらる
(大雅、巻阿より)

まさに聖王は、世の規範なのである。


(注1)宋鈃の説。正論篇(7)参照。
(注2)墨家の説。墨家は、君主は天下国家のために己を顧みず働けと主張する。
(注3)詭弁論者、恵施(けいし)・鄧析(とうせき)の説。
(注4)上と同じく、宋鈃の説。正論篇(8)参照。
(注5)楊注は、墨子の説と言う。墨子は確かに音楽排斥を唱えるが、食事の快楽を明確に否定したというよりは、より一般的にぜいたくを排すべしという節用説として主張した。
(注6)未詳。下の注11参照。
(注7)漢文大系の説を取って、ゼノンのパラドックス「飛んでいる矢は静止している」の意と訳す。下の注12参照。
(注8)名家に属する公孫龍の詭弁。「白馬」は白という色の属性を指す。馬はウマ目ウマ科という形状の属性を指す。両者の言葉が指す属性が違うので、「白馬」と「馬」の二つの語は別概念である、という詭弁。
(注9)原文読み下し「辨埶(説)惡(いずく)んぞ用いんや」。荀子は正論篇(1)で政治を秘密主義にするべきでない、と説いたが、これは法令・政策の内容を原則的に公開するべきであると言ったまでで、君主がどうして現在の政策を正しいと考えて施行するのか、については説明する必要がない、とみなすのである。荀子は聖王の統治の正道は自明の正解があって、そこに議論の余地はないと確信するプラトニストだからである。これは、価値観の多様性を前提として人民の意志によって政策を選択できる、と考える近代デモクラシーの原理とは全く違っている。荀子は公正な政治が必要であることには同意するが、政治にとって正しい価値観は複数ありえるということには全く同意しないからである。
《原文・読み下し》
侮ら見(れ)ても辱とせず、聖人は己を愛せず、盜を殺すは人を殺すに非ざるなり、と。此れ名を用うるに惑いて、以て名を亂す者なり。之を以て名有りと爲す所に驗して、其の孰(いず)れか行わるるを觀れば、則ち能く之を禁ず。山淵は平らに、情欲は寡く、芻豢(すうけん)は甘(うま)さを加えず、大鐘は樂しさを加えず、と。此れ實を用うるに惑いて、以て名を亂る者なり。之を緣りて[無](注10)以て同異する所に驗して、其の孰れか調するやを觀れば、則ち能く之を禁ず。[(解釈困難:)非而謁](注11)、楹(えい)に牛(や)有り(注12)、馬は馬に非ず(注13)とは、此れ名を用うるに惑いて、以て實を亂る者なり。之を名約(めいやく)に驗し、其の受くる所を以て、其の辭する所に悖(もと)れば、則ち能く之を禁ず。凡そ邪說・辟言(へきげん)の正道を離れて擅(ほしいまま)に作る者は、三惑に類せざる者無し。故に明君は其の分を知りて、與(とも)に辨(べん)ぜざるなり。夫(か)の民は一にするに道を以てし易くして、與に故を共にす可からず。故に明君は之に臨むに埶(せい)を以てし、之を道(みち)びくに道を以てし、之に申(の)ぶるに命(注14)を以てし、之を章にするに論(りん)(注15)を以てし、之を禁ずるに刑を以てす。故に其の民の道に化するや神(しん)の如し。辨埶(べんせい)(注16)惡(いずく)んぞ用いんや。今聖王沒して天下亂れ、姦言起る。君子は埶(せい)の以て之に臨む無く、刑の以て之を禁ずる無し。故に辨說(べんせい)するなり。實喩(さと)られずして然る後に命じ、命喩られずして然る後に期し、期喩られずして然る後に說き、說喩られずして然る後に辨ず。故に期命・辨說なる者は、用の大文にして、王業の始なり。名聞えて實喩(さと)るは、名の用なり。累ねて文を成すは、名の麗なり。用・麗俱(とも)に得て、之を名を知ると謂う。名なる者は、累實を期する所以なり。辭なる者は、異實の名を兼ねて、以て一意を論(さと)す(注17)なり。辨說なる者は、實名を異にせずして、以て動靜を喩すの道なり。期命なる者は、辨說の用なり。辨說なる者は、心の道を象(あらわ)すものなり。心なる者は、道の工宰(こうさい)なり。道なる者は、治の經理なり。心は道に合し、說は心に合し、辭は說に合し、名を正して期し、請(じょう)に質(もとづ)いて(注18)喩し、異を辨じて過たず、類を推して悖(もと)らず、聽けば則ち文に合し、辨ずれば則ち故を盡(つく)す。道を正して姦を辨ずること、猶お繩(じょう)を引いて以て曲直を持するがごとし。是の故に邪說も亂すこと能わず、百家も竄(かく)るる(注19)所無し。兼聽の明有りて、奮矜(ふんきょう)の容無く、兼覆(けんふう)の厚有りて、德に伐(ほこ)るの色無し。說行わるれば則ち天下正しく、說行われざれば則ち道を白(あきら)かにして冥窮(めいきゅう)せ(宋本に従い補填:)不(ず)(注20)。是れ聖人の辨說なり。詩に曰く、顒顒(ぎょうぎょう)卬卬(こうこう)、圭の如く璋の如し、令聞令望、豈弟(がいてい)の君子は、四方綱と爲す、とは、此を之れ謂うなり。


(注10)集解の郝懿行は「無」字は衍文と言い、猪飼補注は「無」は「而」に作るべしと言う。
(注11)未詳。なんらかの詭弁の説であると思われるが、解釈できない。誤字脱字があると思われる。漢文大系、新釈の藤井専英氏、金谷治氏のいずれも解釈を放棄している。
(注12)原文「楹有牛」。金谷治氏、藤井専英氏は、これも解釈を放棄しておられる。漢文大系は墨子経説上・荘子天下篇などにより『儀礼』郷射礼篇を参考にして考えると、いにしえは矢を射るに楹(えい。柱)の間を過ぎる、なので矢は行かざるの時がある、すなわち矢は未だ嘗て動かずとしてこの語あるならん、という解釈を示す。よって「楹有牛」は「楹有矢」の誤りか、と言う。これを言い換えれば、射手が射た矢を横から見れば、回廊の楹(はしら)に差し掛かる。その瞬間には、矢は運動していない。運動していないから、楹を通りすぎることができない。つまりギリシャ哲学におけるゼノンの「飛んでいる矢は静止している」のパラドックスと同じ詭弁を指しているのであろう、というのが漢文大系の推測である。古代中国でゼノンのパラドックスと同様の議論があったという証拠を私は浅学にして知らないが、他に適当な解釈が見当たらないので、仮に漢文大系の説を採用しておきたい。
(注13)猪飼補注も指摘するように、これは公孫龍の「白馬は馬に非ず」の説である。三字ずつ三つの詭弁を並べるために、「白」字を省略したのであろう。
(注14)「命」について増注の久保愛は「名」に通ず、と言う。藤井専英氏は正名篇(1)の定義に従って人間に巡り来る者(天命)の意と取る。金谷治氏は命令の意で訳している。藤井説はこの文脈ではやや抽象的すぎるので、金谷説に従いたい。
(注15)増注の久保愛は「論」は「倫」と通ず、と言う。これに従う。
(注16)増注は荻生徂徠を引いて、「埶」は「説(せい)」に作るべし、と言う。
(注17)増注は、「論」は「諭」の誤りで「喩」に同じ、と言う。
(注18)原文「質請」。集解の王念孫は「質」は「本」なり、と言う。増注は「請」と「情」は古音通じる、と言う。情実のこと。
(注19)楊注は、「竄」は「匿」なり、と言う。
(注20)原文「冥窮」。宋本は前に「不」字がある。集解の兪樾は「不」字がない通行本に拠った上で、「窮」は「躬」と読むべし、と言う。「躬(み)を冥(くら)ます」の意に解すれば、(正しい論が天下に行われないときには)天下から身を隠す、という意となるだろう。これは論語泰伯篇「天下道有れば則ち明(あら)われ、道無ければ則ち隠る」、孟子盡心章句上、四十二「天下道有れば道を以て身を殉じ、天下道無ければ身を以て道に殉ず」などで表明される、天下に道なきときは身を潔白にして天下から身を避けるべしという思想を、荀子はここで孔子・孟子にならって述べているのだ、という解釈となるだろう。漢文大系、金谷治氏も兪樾説を取る。しかし新釈の藤井専英氏も指摘するように、上のくだりで「故に辨說(べんせい)するなり」と表明しているように、荀子はこの正名篇で天下に道がないからこそ正論を説かなければならない、と主張している。よって、宋本に依拠すべしという藤井氏の説にあえて賛同したい。

荀子は、儒家以外の諸子百家すべてを邪説として批判する。これらの邪説は社会の言葉を混乱させて、儒家が理想とする王者の国、すなわち法治官僚国家の統治の効率性を乱す。よって、すべて排斥せよ。それが、荀子の言わんとすることである。荀子はその正当性の根拠として、この正名篇において、社会には唯一の効率的で有益な言語体系が存在する、と主張する。邪説はそれに比べて、非効率で無益である。よってこれを禁止しても社会にかえって有益である、と言うのである。

二十世紀のファシストもコミュニストも同様の主張を「祖国のために」「万国のプロレタリアのために」行ったので、荀子の主張は突拍子もない愚論とはいえない。むしろ古代中国の荀子から二十世紀の国家まで、同型の議論が廃れることなく行われてきた、ということに、荀子のような議論には根深い支持者があるのだということを見て取るべきであろう。二十一世紀においても、いずれ国際情勢の変化とともに再び勢いを得る可能性がある。なので荀子の主張は、すぐれて現代的な問題を抱えていると私は考える。彼が戦国時代の悲惨な乱世を終わらせて中華世界に理想の統一国家を打ち立てようと真剣に考えれば考えるほど、時代の正邪を分別してそのうちの邪説を取り除け、という政策を選択せずにはいられなかったのである。ファシズムもコミュニズムも、彼らの主観としては祖国のためあるいは全人類の解放のためになる道を最も真剣に考えて、その結果として邪説を禁止する政策を立てたのであった。荀子もコミュニズムもファシズムも歴史であり、人類の歴史とはどうやら繰り返すものであるようだ。

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