人間は生きるために、集団で生きないわけにはいかない。だが集団の中に区別がなければ争いが起こり、争いが起こればカオスとなって、困窮するだろう。ゆえに、区別がないということは人間に大害をなすのである。いっぽう、区別を設けることは天下の真の利益となるのである。そして君主とは、区別を制定管理する最高管理者なのである。ゆえに、この君主を美しく飾ることは、天下の基本を美しく飾ることなのである(注1)。この君主に安楽な生活をさせることは、天下の基本を安楽にさせることなのである。この君主を尊ぶことは、天下の基本を尊ぶことなのである。いにしえの時代、わが国の文明の建設者である先王たちは、人間を身分に分割して格差を設けた。美しい装束住居といやしい服装住居の区別(注2)、禄の多い少ないの区別、逸楽な生活の貴族と労苦する百姓の区別(注3)、これらの区別を設けたのは、単にむやみに立派で過剰に美しい声望を与えようとしたからではない。この区別によって、仁の人を尊ぶべき文化を明らかにして、仁の人の秩序に従わせるためであった。ゆえに器物調度に模様を付け、衣装礼服に文様を織り込むのは、見て美しくしたいゆえなのではなく、単に貴賎の区別を付けるためなのである。鐘に太鼓に笛に磬(けい。石製の打楽器)、琴に瑟(おおごと)に竽(おおきなしょうのふえ)に笙(ちいさなしょうのふえ)で音楽を奏でるのは、吉事の喜びと凶事の哀しみを区別し、みなで共に喜んでその中に調和を保つためなのであり、それだけなのである。宮殿を造り展望台を築くのは、乾燥と湿気を防いで政治を執る者の徳を養い身分の上下を区別できるようにするためなのであり、それだけなのである。『詩経』には、この言葉がある。:
この言葉が、今言ったことを指し示しているのだ。そもそも色を重ねて装束を着け、味を重ねてこれを食し、財物を集めてこれを支配し、天下を合わせてその君主となるのは、単に奢り高ぶるためではない。天下に王として君臨し、よろずの事案を片付け、よろずの財貨を処理し、よろずの民を養い、天下を統制する者は、仁の人の善に頼るのが最適であると考えるからなのである。この仁の人の知慮は天下を治めるに足り、その厚き仁は天下を安心させるに足り、その徳の名声は天下を教化するに足りる。この人を得ればすなわち治まり、この人を得なければすなわち乱れる。人民は真にこの人の知恵を頼むので、ゆえに彼らは並び立ってこの人のために労苦し、この人を安楽にしようと勤め、こうやってこの人が知恵をじゅうぶんに働かせることができるようにはからうのだ。人民が、真にこの人の仁の厚さを評価するからなのだ。ゆえに、人民はこの人のために身を投げ出して死に、決死の思いで力を尽くして助ける。この人のために器物調度に模様を付け、衣装礼服に文様を織り込んでこれを飾り立て、この人の仁徳を増させるのだ。ゆえに、仁の人が上に立てば、人民はこれを大帝のように尊び、これを父母のように親しみ、これのために生を望むことなく、決死の思いで力を尽くすのだ。この人のもたらす利益が、非常に大きいからなのである。『詩経』には、この言葉がある。:
この言葉が、今言った人民の心を指し示しているのだ。 古語に言う、「君子は徳を以てし、小人は力を以てす」と(『春秋左伝』襄公九年。『孟子』滕文公章句上には「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる」とある)。労働力とは、徳によって使役されるためにあるのだ。人民の力は、為政者の徳を待ってはじめて功績があらわれ、人民の集団は、為政者の徳を待って初めて協力し合い、人民の生産する物資は、為政者の徳を待って初めて集積され、人民の生活は、為政者の徳を待って初めて安定し、人民の寿命は、為政者の徳を待って初めて長くなるのだ。父子といえども為政者の秩序政策がなければ親しみ合うことはなく、同様に弟が兄に従うこともなく、男女も喜び合うこともない。年少者が成長するのも為政者の政策の中で行われるのであり、老年者が養われるのも為政者の政策の中で行われるのである。古語に言う、「天地之を生じ、聖人之を成す」と。この言葉は、人間を産むのは天地であるが人間を人間らしくするのは聖人である、という意味であるが、その理由が今言ったところにあるのだ。しかし、今の世はそうでない。銭への課税を重くして、人民から富を奪っている。田畑への課税を重くして、人民から食を奪っている。関所・市場の税を重くして、商業活動を困難にしている。これだけにとどまらず、人民を叩いて苛め、人民を監視して罪を暴き、人民を騙して生活を傾けて、こうして人民を相次いで倒れさせて、消耗させているのだ。人民はすべて、君主どもが不潔で暴虐であってそのうち窮地に陥るだろうことを、はっきり予測している。ここに至って家臣はその主君を殺し、下の身分の者が上の身分の者を殺し、城を敵に売る利敵行為を行い、節義にそむいて自国のために死のうとはしない。こうなるのはほかでもない、君主の自業自得なのである。『詩経』に、この言葉がある。:
この言葉の意味は、いま言ったことなのである。 (注1)楊注は「美」の意味を区分の秩序の美、と取っている。増注は君主の宮室衣服飲食を美しくする、と取っている。増注に従う。(注2)楊注は原文の「美」「惡」を褒章と刑罰と取っている。増注は宮室衣服の美悪と取る。増注に従う。(注3)原文「或佚或樂、或劬或勞」について、集解は王念孫の説を引いて「或いは佚樂、或いは劬勞」が楊注から見ても正しいと言う。これに従う。
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《原文・読み下し》 人の生羣(ぐん)する無き能わず、羣して分無ければ則ち爭い、爭えば則ち亂れ、亂るれば則ち窮す。故に分無き者は人の大害なり、分有る者は天下の本利なり、而(しこう)して人君なる者は分を管する所以の樞要(すうよう)なり。故に之を美にする者は是れ天下の本を美にするなり。之を安んずる者は是れ天下の本を安んずるなり、之を貴ぶ者は、是れ天下の本を貴ぶなり。古(いにしえ)は先王(せんおう)分割して之を等異す。故に或は美、或は惡、或は厚、或は薄、或は佚(いつ)、或は樂、或は劬(く)、或は勞ならしむるは、特(ただ)に以て淫泰(いんたい)・夸麗(これい)の聲を爲すに非ず、將に以て仁の文を明らかにし、仁の順に通ぜんとするなり。故に之が雕琢(ちょうたく)・刻鏤(こくろう)・黼黻(ほふつ)・文章を爲すは、以て貴賤を辨(べん)ずるに足らしむるのみ、其の觀を求めず。之が鐘鼓(しょうこ)・管磬(かんけい)・琴瑟(きんしつ)・竽笙(うしょう)を爲すは、以て吉凶を辨じ、歡を合し和を定むるに足らしむるのみ、其の餘を求めず。之が宮室・臺榭(たいしゃ)を爲すは、以て燥溼(そうしつ)を避け、德を養い、輕重を辨ずるに足らしむるのみ、其の外を求めず。詩に曰く、雕琢なる其の章、金玉なる其の相、亹亹(びび)たる我が王、四方を綱紀す(注4)、とは、此を之れ謂うなり。若し夫れ色を重ねて之を衣し、味を重ねて之を食い、財物を重ねて之を制し、天下を合して之に君たるは、特に以て淫泰を爲すに非ざるなり、固(もと)より以て天下に王として、萬變を治し、萬物を材(さい)し、萬民を養い、天下を兼制する者は、[爲](注5)仁人の善に若くこと莫しと爲せばなり。故に其の知慮は以て之を治むるに足り、其の仁厚は以て之を安んずるに足り、其の德音(とくいん)は以て之を化するに足る。之を得れば則ち治まり、之を失えば則ち亂る。百姓(ひゃくせい)誠に其の知を賴む、故に相率いて之が爲に勞苦し、以て務めて之を佚し、以て其の知を養うなり。誠に其の厚を美とするなり。故に之が爲に出死(しゅっし)・斷亡(だんぼう)して以て之を覆救(ふきゅう)し、以て其の厚を養うなり。誠に其の德を美とするなり、故に之が雕琢(ちょうたく)・刻鏤(こくろう)・黼黻(ほふつ)・文章を爲して以て之を藩飾し、以て其の德を養うなり。故に仁人上に在れば、百姓之を貴ぶこと帝の如く、之に親しむこと父母の如く、之が爲に出死・斷亡して愉(とう)せ不(ざ)る(注6)者は、它の故無し、其の是とする所誠に美に、其の得る所誠に大に、其の利とする所誠に多なればなり。詩に曰く、我が任我が輦(れん)、我が車我が牛、我が行既に集(な)る、蓋(みな)云(ここ)に歸せんか、とは、此を之れ謂うなり。 故(こ)に曰く、君子德を以てすれば、小人力を以てす、と。力なる者は、德の役なり。百姓の力は、之を待ちて而(しこう)して後に功あり、百姓の羣(ぐん)は、之を待ちて而して後に和し、百姓の財は、之を待ちて而して後に聚(あつ)まり、百姓の埶(せい)は、之を待ちて而して後に安く、百姓の壽(じゅ)は、之を待ちて而して後に長し。父子得ざれば親しまず、兄弟得ざれば順ならず、男女得ざれば歡せず、少者は以て長じ、老者は以て養わる。故(こ)に曰く、天地之を生じ、聖人之を成す、とは、此を之れ謂うなり。今の世は而(すなわ)ち然らず、刀布(とうふ)の斂(れん)を厚くして、以て之が財を奪い、田野の税を重くして、以て之が食を奪い、關市(かんし)の征(ぜい)を苛にして、以て其の事を難くす。然るのみならず、有(また)掎絜(きけつ)・伺詐(しさ)、權謀(けんぼう)・傾覆(けいふく)、以て相(あい)顛倒(てんとう)し、以て之を靡敝(ひへい)す。百姓曉然(ぎょうぜん)として、皆其の汙漫(おまん)・暴亂(ぼうらん)にして、將に大いに危亡せんとするを知るなり。是を以て臣或は其の君を弑し、下或は其の上を殺し、其の城を粥(ひさ)ぎ、其の節(せつ)に倍(そむ)いて、其の事に死せざる者は、它(た)の故無し、人主自ら之を取るなり。詩に曰く、言(げん)として讎(むく)いざることない、德として報(むく)いざることなし、とは、此を之れ謂うなり。 (注4)現行の『詩経』テキストは彫琢を追琢(ついたく)となし、亹亹を勉勉(べんべん)とする。いずれも古音では通じる。
(注5)ここにある「爲」を増注は衍字と言う。 (注6)原文「出死斷亡而愉」。この「愉」字について、楊注は「愉は歓」と言う。よってこのまま訳したならば、「こころよく決死の思いで力を尽くす」となるだろう。新釈の藤井専英氏は、原文を尊重して楊注のように解釈している。いっぽう集解の王念孫は王覇篇(6)においては「出死斷亡而不愉」と「不」字が加わっていることを指摘し、さらに『群書治要』の引用では「不偸」に作ることを指摘して、ここは「不」字が脱落していて「愉」字は「偸」に通じ、したがって「生を偸(ぬす)まず」の意である、と言う。王念孫に従っておく。なお後の富国篇(4)注5も同様に解釈する。 |
荀子は、理想の国家と現実の国家を描き出す。現実の国家は、人民の生命と富を守るどころかこれを奪う存在である。なので、人民は背き秩序は壊れる。いっぽう理想の国家はこの篇の(1)に描かれたように、法を敷いて秩序を示し、人民の経済活動を可能な限り妨げない。なので人民は裕福となり、君主の善政を慕うようになる。この君主が華麗な宮殿、豪華な衣食、壮麗な音楽を保持しようとも、それは秩序という利益をもたらす装置なのであるから、許容されるべきである。荀子がここで君主の豪奢を擁護するのは、これから後に国家装置の華美を捨てよと主張する墨家を批判することが目的である。
荀子は、善政を行う君主を守るためならば人民はこの人のために身を投げ出して死に、決死の思いで力を尽くして助けると言う。しかし荀子の国家の起源から見れば、人民は生命の安全と経済的利益を得るために、君主に服属しているはずである。その人民が、身を投げ出して死ぬだろうと荀子は言うのである。これは、矛盾していないだろうか?
ホッブスは、国民が自発的に戦うのでなければ、たとえ主権者が死刑をもって処罰する権利を持っていても、国民は兵士として戦うことを拒否することが許されていて、しかも不正ではないと言う(『リヴァイアサン』第二十一章)。それはホッブスの国家の起源論から言えば当然の帰結であって、自らの生命を危うくする命令に人が従う義務は本来ないのである。ホッブスは戦場で兵士が逃亡するのは不名誉というべきであって、不正(つまり、義務違反)というべきでないというのも、彼の国家の起源論から派生する主張である。
もっとも、ホッブスは国民が戦う義務がある場合を、一つ挙げる。それは、国家が外敵から攻められて防衛する必要が生じた場合である(同、第二十一章)。どうしてかといえば、この場合には契約によって作られたコモンウェルスが破壊される危険があるからであり、生命と富を守る契約を防衛する必要があるからである。
ならば荀子が社会契約論から始めて、しかし善政を行う君主を人民が命を賭けて守る理由は、人民がコモンウェルスを守るという意識に立つからだと想定しているのであろうか?つまり、人民は生命と富を与える善政のシステムを守ることが利益であるために戦うのだ、と解釈するべきなのであろうか。
そう解釈することも、できるだろう。ならば、荀子の人民は君主を慕っているわけでは決してないことになる。人民が慕っているのは、隣国に比べたら優良な政治経済のシステムであるにすぎない。荀子の叙述は伝統的な儒家の聖王観の言葉を用いているために、孟子の王と人民との人間的きずなによる団結、という考えと区別が付きにくい。もし荀子が君主と人民との人間的きずなを守るために戦う、と想定しているのであれば、荀子の社会契約論は破綻している。しかしもし荀子が自国の政治経済システムを守るために人民は戦う、と想定しているのであれば、荀子の理論において整合性は保たれるであろう。『孟子』に、このような対話がある。
滕文公「滕は小国で、斉と楚の間にあります。斉に付くべきでしょうか、楚に付くべきでしょうか?」
孟子「そのような外交は、私にはわかりかねます。だがやむをえない場合には、一つの策があります。堀を深くし、城を固め、人民と共に死守するのです。たとえ死ぬようなことがあっても人民が逃げ出さなければ、国を守ることができるでしょう。」
(梁恵王章句下、十三)
上のような君民一体の防衛ができる理由を、孟子は仁義の君主であれば人民がこれを慕い懐き、共に戦うことを望むところに見出す。孟子は、国家が統一される原動力は、君主の仁義の徳が人間を動かして慕わせるところにあると主張するからである。
もし上の君民一体の防衛ができる理由を荀子の原理に従って述べるとすれば、人民は滕国という政治経済のシステムを失うのを恐れて侵略者と戦う、ということになるであろう。孟子の原理は、現代では企業やクラブチームがトップの下に団結する原理として、今でも有効であるはずだ。荀子の原理は、先進国の国民がばくぜんと考えていることと言えなくはない。しかしながら、ナショナリズムの原理は、そんな自国の政治経済のシステムへの愛着、といったものとは違うはずである。(それならば後進国・中進国のほうが先進国よりもナショナリズムが強烈にあることが、説明できない)このことについては、また改めて考えたい。私は、荀子の原理では国民の団結はもたらされないだろう、と考えるところである。
「人民の力は、為政者の徳を待ってはじめて功績があらわれ、人民の集団は、為政者の徳を待って初めて協力し合い、人民の生産する物資は、為政者の徳を待って初めて集積され、人民の生活は、為政者の徳を待って初めて安定し、人民の寿命は、為政者の徳を待って初めて長くなるのだ」と荀子は言う。荀子の経済政策は、孟子のそれに比べたら法秩序の維持に重点を置き、経済活動は各産業の生産活動をそれぞれに発展させるべきであると考えて、孟子の農本主義よりは総体的な視野に立って産業の自由な生産活動による発展を認める立場にある。しかしながら、それでも荀子はここまで国家が人間の生活を制御するために必要不可欠であり、人間の生活の隅々まで国家の法秩序が世話をしてる、と述べる。これは、現代の国家もまたいかに自由主義経済を取っていたとしても、国家が国家である以上は人間の生活をここまで管理するものである、という構図をかえって見せてくれている。孟子の統制的経済政策を取ろうが、荀子の自由主義的経済政策を取ろうが、両者の理想とする国家はM.ウェーバーの言う「家父長的家産制」であり、国家は国民の福祉のために隅から隅まで世話を焼いて、これを管理下に置こうとするのである。それは善意の表象を取って行うのであるが、本質は国民を完全に支配するためである。「家父長的家産制」は、過去の時代の帝国の現象ではない。
(柄谷行人『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』岩波新書、123ページ)
儒家の孟子や荀子の理想国家は、国家が民生を安定する政策を手取り足取り行うものである。それが井田制による直接的平等化政策であろうと、礼法による管理を通じた間接的成長政策であろうと、国家が人民を気遣い管理する政策を描くところは同じである。なので孟子の理想国家は20世紀の社会主義国家に奇妙に類似しており、荀子の理想国家は自由主義陣営の管理された法治国家によく似ている。
ホッブスは、国民の自由は「法の沈黙」つまり主権者が法を制定していない範囲で行う自由である、と喝破するところである(同、第二十一章)。国家が本当に荀子の言うところまで人間の生活に不可欠なのであろうか、という問題もまた、いずれ改めて考えなければいけない。