富国篇第十(1)

By | 2015年4月4日
万物は同じ宇宙に住んでいるがそれぞれ形が異なり、いずれも理性を持たないので人間に使役されるのは、法則というものである。いっぽう人間は共に生活し、同じものを求めながらさまざまな手段を用い、同じものを望みながら獲得する知力が異なっているのは、人間の性質というものである。欲しい・やりたい、と思うところまでは智者も愚者も同一であるが、何を欲しい・何をやりたい、と望む対象は智者と愚者は異なる。地位が等しいのに知力に差があり、私利を実行しても危険がなく、私欲のままに行動しても追い詰められないならば、人民の心はやりたい放題に争って、権力に喜んで服することはない。こんな状態であれば、智者でも統治は不可能である。智者が統治不可能であれば、智者に功名を挙げさせることは不可能である。智者が功名を挙げることが不可能であれば、群集は区分して秩序づけられることはない。群衆が区分して秩序づけられることがなければ、君臣の区別もない。よって君主が家臣を統制することもなく、身分上位者が身分下位者を統制することもない。天下の害は、欲をほしいままに放つところにあるのである。欲しいもの・嫌なものが複数の人間で同じであれば、欲に対して対象が足りないことになる。足りなければ、必ず争いになる。そもそも一人が生活するためには多数の職人が働いて製品を提供しているのであるが、どんなに才能があっても何でもできる技能を持てるわけではなく、同じく人は全ての官職を兼務する能力はない。人間は離れ離れで生活していて互いに協力し合わなければ、たちまち窮乏するだろう。かといって人間は集団生活していて秩序づけられなければ、たちまち私闘するであろう。窮乏は、わざわいである。私闘もまた、わざわいである。わざわいを除くためには、区分して秩序づけた上で集団生活させるのが一番なのである。強者が弱者を脅迫し、智者が愚者を威圧し、身分下位者が身分上位者に逆らい、年少者が年長者より威張る。このように徳の原理をもって政治を行わないならば、老弱者は扶養されないで苦しみ、健康者は争いのわざわいがあるであろう。きつい仕事をするのは嫌いで利得を得るのは好きであるが、それで職業の合理的な秩序区別がないならば、人は勝手に仕事を行う害が起こり、功利を争うわざわいが起きる。男女の正しいお付き合いのしかた、夫婦間の掟、結婚の娉(へい)・内(ない)・送(そう)・逆(げき)の礼(注1)、これらが欠けたならば、人はまともにパートナーが見つけられない苦しみが起きて、異性を争うわざわいが起きる。ゆえに、智者はこれらについて、区分して秩序を作るのである。

国を富ませる道を言おう。
節約して民に余裕を与え、余剰をよく保蔵せよ。節約のしかたは、礼の原理に従え。民に余裕を与えさせるのには、政策を用いよ。君子(下のコメントを参照してください)が民に余裕を与えることが、余剰を産む結果をもたらす。なぜか?民に余裕ができれば、田畑はよく耕されて肥沃となるだろう。田畑がよく耕されて肥沃となれば、産出高は百倍にもなるであろう。税法によってこれを取り、礼の原理に従ってこれを節約して出費すれば、剰余は山に積むほどとなって、ときどき焼却処分しなければ保管場所がなくなるほどとなるだろう。なので、為政者たるものいま余剰がなくたって、心配は無用である。節約して民に余裕を与えるという道を知れば、やがては必ず仁義の人、聖良の人という名声が挙がり、かつ富裕なること山のような剰余となるであろう。これはほかでもない、節約して民に余裕を与えるという道から生じるのである。節約して民に余裕を与える道を知らなければ、民は貧しく、田畑はやせて荒れるに任され、産出高は半分にも満たないであろう。しかも礼の原理に従って節約することがなければ、必ず強欲政治家、搾取政治家という悪名が広まり、かつ蔵は空っぽで窮乏する結果となるであろう。これはほかでもない、節約して民に余裕を与えるという道を知らないからである。『書経』の康誥(こうこう)篇に、この言葉がある。:

民を覆うこと天のごとく、徳に従えばなんじの身を豊かにするであろう。

この古語は、いま言った原理によりそうなるのだ。
礼というものは、貴賎に等級を与え、長幼に差を与え、経済的貧富・社会的軽重に全て称号を与えるものである。ゆえに天子は袾裷(しゅこん)の衣を着て冕(べん。かんむり)を戴き、諸侯は玄裷(げんこん)の衣にて冕、大夫は裨(ひ)の衣にて冕、そして士は皮弁(ひべん)を戴いて服を着るのが礼である。おのおのの徳は必ず位と一致し、位は必ず禄と一致し、禄は必ず働きと一致させるのである。士より以上は必ず礼楽によって節度を守らせ、庶民は必ず法律諸条項を適用して統制する(注2)。土地を測量して国を立て封建し、生産の利を考量して民が生活できるようにはからい、民の尽力を考量して仕事を授け、民が必ず仕事ができて、仕事から必ず利潤が出て、利潤により民が十分生活できるようにして、皆が衣食と必需品への出費が収入と均衡するようにして、しかももし剰余あるときは必ず保蔵しておく。これを、「数(規則)に称(かな)う」というのである。ゆえに天子より庶民に至るまで、事の大小・多少となく、このような礼の原理から類推応用してくのである。古語に、「朝廷には幸運で出世した者はおらず、民には幸運で豊かな者はいない」という。これは、このような政策の結果なのである。田野の税を軽くし、関所税・市場税を公平にし、民に労役を課すことをなるたけ少なくし、農作業のリズムを乱さない。こうであれば、国は富むであろう。これが、政治によって民を豊かにするというのである。


(注1)娉(へい)・内(ない)・送(そう)・逆(げき)は、古代の婚姻の礼。仲人による新郎新婦のとりなし、結納のやり取り、結婚当日の新婦の新郎家への嫁入りである。日本の婚礼にも取り入れられている。
(注2)現代人には分かりづらいが、古代中国では宮廷人の法と庶民の法は分かれていた。すなわち最低ランクの宮廷人である士(し)より以上は、庶民の刑法は適用されずに上流階級専用のルールである「礼」が適用される。「礼」は、上流階級の文化的ルールを含む。この礼と法との区別を堅持するのが儒家であり、荀子もまたここで礼と法との区別を言うのである。他方これを撤廃して国民に一律の法を適用することを主張したのが、法家思想である。ちなみに日本では、江戸時代までは武士と庶民との法は分かれていた。それが明治維新以降は皇室と皇室以外の臣民の法に分けられた。現代日本では、どうであろうか。
《原文・読み下し》
萬物宇を同じくして體を異にし、宜無くして人に用有るは、數なり。人倫並び處(お)り、求を同じくして道を異にし、欲を同じくして知を異にするは、生なり。皆可とすること有るは、知愚同じ。可とする所異にして、知愚分る。埶(せい)同じくして知異なり、私を行いて禍無く、欲を縱(ほしいまま)にして窮せざれば、則ち民心奮いて說ばす可からざるなり。是(かく)の如くなれば則ち知者も未だ治むることを得ず、知者も未だ治むることを得ざれば、則ち功名未だ成らざるなり、功名未だ成らざれば、則ち羣衆(ぐんしゅう)未だ縣(けん)せざるなり、羣衆未だ縣せざれば、則ち君臣未だ立たざるなり、君以て臣を制すること無く、上以て下を制する無ければ、天下の害は縱欲(しょうよく)に生ず。欲惡(よくお)を物を同じくすれば、欲多くして物寡(すくな)し。寡ければ則ち必ず爭う。故に百技の成す所は、一人を養う所以なり、能も技を兼ぬること能わず、人も官を兼ぬること能わず、離居して相待たざれば則ち窮し、羣(ぐん)して分(ぶん)無ければ則ち爭う。窮なる者は患なり、爭なる者は禍なり。患を救い禍を除くは、則ち分を明らかにし羣せしむるに若くは莫(な)し。强は弱を脅し、知は愚を懼(おど)し、[民]下(注3)は上に違い、少は長を陵(しの)ぎ、德を以て政を爲さず、是の如くなれば則ち老弱は失養の憂有りて、壯者は分爭の禍有り。事業は惡(にく)む所なり、功利は好む所なり、職業は分無し、是の如くなれば則ち人は樹事の患有りて、爭功の禍有り。男女の合、夫婦の分、婚姻の娉(へい)・內(のう)・送(そう)・逆(げき)は禮無し、是の如くなれば則ち人失合の憂有りて、爭色の禍有り。故に知者は之が分爲すなり。
國を足すの道。用を節し民を裕(ゆたか)にして、善く其の餘(よ)を臧(ぞう)す。用を節するに禮を以てし、民を裕にするに政を以てす。彼の民を裕にす、故に餘多し。民を裕にすれば則ち民富み、民富めば則ち田肥えて以て易(おさ)まり、田肥えて以て易まれば則ち出實(しゅつじつ)百倍す。上は法を以て取りて、下は禮を以て之を節用すれば、餘は丘山の若く、時に焚燒(ふんしょう)せざれば、之を臧する所無し。夫の君子奚(なん)ぞ餘なきを患えん。故に用を節し民を裕にすることを知れば、則ち必ず仁聖・賢良の名有りて、且つ富厚・丘山の積(し)有り、此れ它(た)の故(ゆえ)無し、用を節し民を裕にするに生ずるなり。用を節し民を裕にするを知らざれば則ち民貧し、民貧しければ則ち田瘠せて以て穢(あい)なり、田瘠せて以て穢なれば則ち出實半ばならず、上は好取(こうしゅ)・侵奪すと雖も、猶將に獲ること寡からんとす。而(しか)も或(あるい)は禮を以て之を節用すること無ければ(注4)、則ち必ず貪利(たんり)・糾譑(きゅうきょう)の名有りて、而も且つ空虛・窮乏の實有り。此れ它の故無し、用を節し民を裕にするを知らざればなり。康誥(こうこう)に曰く、弘覆(こうふ)天のごとく、德に若(したが)えば乃(なんじ)が身を裕にす(注5)、とは此を之れ謂うなり。禮なる者は、貴賤等(とう)有り、長幼差有り、貧富・輕重(けいじゅう)皆稱(しょう)有る者なり。故に天子は袾裷衣(しゅこんい)して冕(べん)し、諸侯は玄裷衣(げんこんい)して冕し、大夫は裨(ひ)して冕し、士は皮弁(ひべん)して服す。德は必ず位に稱(かな)い、位は必ず祿(ろく)に稱い、祿は必ず用(注6)に稱う。士より以上は、則ち必ず禮樂を以て之を節し、衆庶(しゅうしょ)・百姓(ひゃくせい)は則ち必ず法數(ほうすう)を以て之を制す。地を量りて國を立て、利を計りて民を畜い、人力を度りて事を授け、民をして必ず事に勝(た)え、事必ず利を出し、利以民を生ずるに足らしめ、皆衣食・百用をして出入相揜(おな)じからしめ、必ず時に餘(よ)を臧す、之を稱數(しょうすう)と謂う。故に天子より庶人に通ずるまで、事大小・多少と無く、是に由りて之を推す。故に曰く、朝(ちょう)に幸位無く、民に幸生無し、とは、此れ之を謂うなり。田野の税を輕くし、關市(かんし)の征(ぜい)を平らかにし、商賈(しょうこ)の數を省き、力役を興すことを罕(まれ)にし、農時を奪うこと無し。是の如くなれば則ち國富む。夫れ是を之れ政を以て民を裕にすと謂うなり。


(注3)増注は「民」字は衍字(えんじ。よけいな字)という。
(注4)原文は「以無禮節用之」であるが、集解・増注は前の文と対応させて「無以禮節用之」が正しいと言う。
(注5)宋本には『書経』康誥からの引用としてこの後に「不廢在王庭(廢せずして王庭に在り)」の句が続いている。元本にはない。集解・増注ともに、楊注にこの句の説明がないことを挙げて取り除くべきことを言う。
(注6)増注は「用読んで庸となす。勲なり」と言う。功績、働きのこと。
【この篇は、「勧学篇第一」の後に読んでいます。】


富国篇は、荀子の経済政策論である。さきの勧学篇では原文の「君子」を学ぶ者への呼びかけの意を取るために「君たち」と訳したが、この篇などの理論的説明を行う篇については原文の「君子」をそのまま君子と訳すことにする。この場合の君子とは、実際に政治に携わる優秀なエリート官僚のことである。

さて、ここで書かれていることは、孟子の経済政策論をさらに一歩進めたものである。両者ともに、国家第一の目的は人民の生活を豊かにするところにある、という視点を持っている。孟子は「恒産無き者は恒心無し」と言って、住民の生活を安定させる経済政策論を述べ、「鰥寡孤独(かんかこどく)」つまり社会的弱者を国家が救済する福祉政策を述べるのである。なぜ国家がここまで人民の生活を気遣うかといえば、「民を貴しとなし、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す」という民本思想があるからである。荀子が孟子の批判的継承者であることが、両者の経済政策論を見れば分かる。
だが孟子の経済政策は、国家が人民に均等に田畑を分与して最低限の生活を保障するという社会主義的福祉政策であった。(いわゆる井田法。『孟子』のこの章を参照)いっぽう荀子の経済政策は、国家の役割を法秩序の維持に最大の力点を置き、人民の経済活動は法秩序の下で可能な限り自由に活動させて収量を増やすべきである、という自由放任主義的な視点が前面に打ち出されている。孟子の国家観はよりおせっかいな家父長主義的であり、荀子の国家観はよりドライで機械的である。荀子の弟子の韓非子は師よりもさらにドライな国家観を展開し、国家から家父長的な仮面をはぎ取って、国家は権力を持った一個の機械にすぎず、法を用いて国民を能率的に操作するものである、と考えた。韓非子の視点まで行くと儒家をはみ出してしまい荀子とは相容れないが、韓非子もまた荀子の批判的継承者であったことは確かであろう。

荀子と孟子には、国家観で相違がある。
荀子は上で述べるように、国家の起源を人間がアナーキーであったならば相争って経済的に豊かにならず、生存すら危うくなるためにあえて秩序に服するところに求めている。孟子には、このような視点はない。

荀子の上のような国家観を、重澤俊郎氏は社会契約論であると言う。

「人人は自発的に社会を組織したのであるが、然しそのままでは秩序の失わるるを知った。知能劣れる者が自己の分を守って常に寡少なる経済生活に満足すれば問題は無いが、此れ到底期すべからざることである。社会の混乱は事実上常に生じ、其の原因は劣等者が過分の欲求を起こすに在る。之が防止は個人意志を超越する絶対権を認め各人が之に服従を誓う以外に道は無い。是に於て相共に階級の維持者を選定し、之に対して服従契約を為したのである。君主権の起源に就いては、、、其の初めは秩序維持の欲求に発している。彼等は階級制度維持の為めに必要な君主の強権を此の時以来承認していることになる。そして君主権を背景とする階級の維持は具体的には所謂(いわゆる)義即ち礼法を通して行われるとされているから、荀子の礼治主義は此に其の根拠が存在する。」(重澤『周漢思想研究』72ページ、大空社、1998年。原本は昭和18年の出版。アンダーラインは引用者)


上の重澤氏の指摘は、T.ホッブスの社会契約論を明らかに前提としたものであり、荀子の国家思想はホッブスと軌を一にしていると考えるのである。

「したがって、各人が各人にとって敵である戦争状態に伴うあらゆることは、自己の力と創意によって得られる以外になんの保障もなしに生きてゆく人々についても同じように伴う。このような状態においては勤労の占める場所はない。勤労の果実が不確実だからである。したがって、土地の耕作も、航海も行われず、海路輸入される物資の利用、便利な建物、多くの力を必要とするような物を運搬し移動する道具、地表面にかんする知識、時間の計算、文字、社会のいずれもない。そして何よりも悪いことに、絶えざる恐怖と、暴力による死の危険がある。そこでは人間の生活は孤独で貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い。(中略)人々に平和を志向させる情念には、死の恐怖、快適な生活に必要なものを求める意欲、勤労によってそれらを獲得しようとする希望がある。また人間は理性の示唆によって、たがいに同意できるようなつごうのよい平和のための諸条項を考えだす。そのような条項は自然法とよばれる。」(ホッブス『リヴァイアサン』第十三章より。永井道雄訳、中央公論社)

「平和のために努力するよう命じたこの基本的自然法から、つぎの第二の法が引きだされる。すなわち、『平和のために、また自己防衛のために必要であると考えられる限りにおいて、人は、他の人々も同意するならば、万物にたいするこの権利を喜んで放棄するべきである。そして自分が他の人々にたいして持つ自由は、他の人々が自分にたいして持つことを自分が選んで認めることのできる範囲で満足すべきである』。なぜならば、各人がその好むところを行う権利を保有しているかぎり、万人は戦争の状態にある。」(同、第十四章より)


いわば荀子は、人民のために国家がある、という孟子ら儒家の民本主義思想を極限まで推し進めた結果、図らずもホッブスに類似した社会契約論による国家観に至ったということができるだろう。

周知のとおりホッブスは国家成立以前の人間を自然状態として想定し、国家のない人間は「各人が各人にとって敵である戦争状態」であると考える。人間はその恐怖と貧窮の状態から抜け出すことを希望するために、全員が万物に対する権利を放棄し、国家主権の下に服属することを契約する。国家は人間に安全と富を保障し、国民は自然状態で持っていた己のままに自由に行動する権利を放棄し、国民は国家の法が許す範囲内のみで行動する権利に制限される。これが、国家を作る社会契約である。ホッブスは国家をリヴァイアサン(Leviathan)と呼ぶ。リヴァイアサン(レヴィアタン)は、聖書に現れる強大な怪獣のことである。人間は、国家という強大な怪獣の庇護を受けることをあえて選ぶのである。しかしながら、怪獣は必要悪であり、無条件の愛を捧げる存在ではないということを念頭から放しては、ホッブスを読み誤るであろう。ホッブスは、国家が国民の生命を保護するためのあてにならない場合には、国民の権利が復活すると言うのである。

「主権者にたいする国民の義務は、主権者が国民を保護できる権力を持ち続けるかぎり、そしてそのかぎりにおいてのみ、継続するものと考えられる。人間にはほかにだれも保護してくれる者がないばあいには自己保存という生来の権利があり、いかなる契約によろうとも、これを譲渡することはできないからである。」(同、二十一章より)


荀子の社会契約論は、はたして生み出された国家がホッブスのように必要悪の怪獣である、という認識を持っているのであろうか。

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