三十六 和鸞(からん。車に付いた鈴)の音が鳴るとき、それが徐行するときには武象(ぶしょう。武も象も、古楽の曲名)の調子に合い、快走するときには韶護(しょうかく。韶も護も、古楽の曲名)の調子に合っているのは、宮廷に仕える君子たちが音楽を学び容姿の礼をきちんと習った上で外出するからこそ、ぴたりと調子を合わせることができるのである。 三十七 ※冬の期間に婚礼を行うべき理由を『孔子家語』は、冬は化育の始まりの季節であって、次の生命を宿す時期であるので婚礼にふさわしく、氷が溶けて農事が始まる季節になれば、婚礼は農事を妨げるから控えるのであると言う。
※礼は、家庭内の性交渉まで干渉するものである。荀子の礼は大は国家から小は家庭内の性交渉まで、徹底して人間の生活を規定しようとする。 三十八 ※親を敬う視線を持ちながら、対話するときにはきちんと親の顔を見て発言することが、礼である。親をただ敬遠するだけの行いは、荀子にとって礼ではない。「正道に従って君主に従わず、正義に従って親に従わないのが、人として偉大な行いというべきものなのだ」(子道篇)と荀子は言い、親であろうが君主であろうが正しくないことには諫める言を与えるのが荀子にとって正しいことなのである。
三十九 ※本章の言葉は、礼論篇(2)に散らばって見ることができる。
四十 |
《読み下し》 和樂(からん)(注1)の聲の、步は武象(ぶしょう)に中(あた)り、趨(すう)は韶護(しょうかく)に中るは、君子の律を聽き容を習いて而(しこう)して後に士(い)づればなり(注2)。 霜降りてより女(つま)を逆え、冰(こおり)泮(と)くれば殺(さい)す(注3)。內(ない)は十日に一たび御す。 坐すれば膝を視、立てば足を視、應對・言語には面(かお)を視る。前を視ること六尺、而(しこう)して之を大にするも、六六三十六にして、三丈六尺なり。 文貌・情用は、內外・表裏を相爲す。禮に之れ中(あた)りて能く思索する、之を能く慮(おもんぱか)ると謂う。禮なる者は、本末相順(したが)い、終始相應ず。禮なる者は、財物を以て用と爲し、貴賤を以て文と爲し、多少を以て異と爲す。 下臣は君に事(つか)うるに貨を以てし、中臣は君に事うるに身を以てし、上臣は君に事うるに人を以てす(注4)。 (注1)正論篇・礼論篇は「和鸞」に作る。よって楊注或説・増注・集解の顧千里はいずれも「樂」を「鸞」に作るべきことを言う。
(注2)集解の王念孫・猪飼補注はともに礼記玉藻篇の「容を習い、玉声を観て、乃ち出づ」を引用して、「士」はまさに「出」に作るべきことを言う。これに従い改める。 (注3)原文「泮冰殺」。楊注は後字の「內(内)」と続けて「泮冰殺内(冰泮くれば内を殺す)」のように読む。しかし集解の郝懿行・王引之は、『詩経』孔頴達正義に荀子のこの言葉が引用されていることを指摘する(召南、摽有梅および陳風、東門之楊の注)。それらの引用では「泮冰殺止」に作ることを受けて、王引之は「殺」字の下の「止」字が脱落していると言い、「内」字は下文に属して句をなすべきことを言う。王引之に従い読み下す。 (注4)本章について楊注は、「貨は聚斂及び珍異を君に献ずるを謂い、身は死して社稷を衛(まも)るを謂い、人は賢を挙げるを謂う」と注する。 |