大略篇第二十七(8)

By | 2016年1月7日
三十六
和鸞(からん。車に付いた鈴)の音が鳴るとき、それが徐行するときには武象(ぶしょう。武も象も、古楽の曲名)の調子に合い、快走するときには韶護(しょうかく。韶も護も、古楽の曲名)の調子に合っているのは、宮廷に仕える君子たちが音楽を学び容姿の礼をきちんと習った上で外出するからこそ、ぴたりと調子を合わせることができるのである。

「和鸞の聲、步は武象に中り、趨は韶護に中るは、耳を養う所以なり」の語が、正論篇礼論篇に見える。

三十七
霜が降りる頃(旧暦九月)から妻を迎え、氷が解ける頃(旧暦二月)には嫁取りを差し控える。妻妾を枕席に侍らせて御することは、十日に一回の間隔とすべし。

冬の期間に婚礼を行うべき理由を『孔子家語』は、冬は化育の始まりの季節であって、次の生命を宿す時期であるので婚礼にふさわしく、氷が溶けて農事が始まる季節になれば、婚礼は農事を妨げるから控えるのであると言う。
礼は、家庭内の性交渉まで干渉するものである。荀子の礼は大は国家から小は家庭内の性交渉まで、徹底して人間の生活を規定しようとする。

三十八
子が父の前に座るときには、子の視線は父の膝に向けるべし。父が立てば、視線は父の足に向けるべし。しかし対話して言葉を発するときには、父の顔を見て行うべし。さて家臣が君主に対するときには、前方六尺(約1.3メートル)に視点を合わせるべし。遠方を視る場合においても、六六三十六で三丈六尺(8.1メートル)までにして、それより遠くを視ない。

親を敬う視線を持ちながら、対話するときにはきちんと親の顔を見て発言することが、礼である。親をただ敬遠するだけの行いは、荀子にとって礼ではない。「正道に従って君主に従わず、正義に従って親に従わないのが、人として偉大な行いというべきものなのだ」(子道篇)と荀子は言い、親であろうが君主であろうが正しくないことには諫める言を与えるのが荀子にとって正しいことなのである。

三十九
文飾を美しく飾ることと、実用を重んじることとの両者は、礼において内外表裏をなさなければならない。礼に妥当しながら思索を尽くすことを、よく熟慮する者と言うのである。礼というものは、根本の感情と展開された文飾とが相従い、簡素な最初とよろこばしい最後とが相応ずるものである。礼というものは、財物を用いて行い、文飾によって貴賤を区別し、分量の多い少ないによって格差を設けるものである。

本章の言葉は、礼論篇(2)に散らばって見ることができる。

四十
下臣は、人民から搾り取った財貨珍品を君主に献上することによって君主に仕える。中臣は、社稷を守るために一命をなげうつことによって君主に仕える。上臣は、国家をよく運営できる賢者を推挙することによって、君主に仕える。

《読み下し》
和樂(からん)(注1)の聲の、步は武象(ぶしょう)に中(あた)り、趨(すう)は韶護(しょうかく)に中るは、君子の律を聽き容を習いて而(しこう)して後に士(い)づればなり(注2)

霜降りてより女(つま)を逆え、冰(こおり)泮(と)くれば殺(さい)す(注3)。內(ない)は十日に一たび御す。

坐すれば膝を視、立てば足を視、應對・言語には面(かお)を視る。前を視ること六尺、而(しこう)して之を大にするも、六六三十六にして、三丈六尺なり。

文貌・情用は、內外・表裏を相爲す。禮に之れ中(あた)りて能く思索する、之を能く慮(おもんぱか)ると謂う。禮なる者は、本末相順(したが)い、終始相應ず。禮なる者は、財物を以て用と爲し、貴賤を以て文と爲し、多少を以て異と爲す。

下臣は君に事(つか)うるに貨を以てし、中臣は君に事うるに身を以てし、上臣は君に事うるに人を以てす(注4)


(注1)正論篇・礼論篇は「和鸞」に作る。よって楊注或説・増注・集解の顧千里はいずれも「樂」を「鸞」に作るべきことを言う。
(注2)集解の王念孫・猪飼補注はともに礼記玉藻篇の「容を習い、玉声を観て、乃ち出づ」を引用して、「士」はまさに「出」に作るべきことを言う。これに従い改める。
(注3)原文「泮冰殺」。楊注は後字の「內(内)」と続けて「泮冰殺内(冰泮くれば内を殺す)」のように読む。しかし集解の郝懿行・王引之は、『詩経』孔頴達正義に荀子のこの言葉が引用されていることを指摘する(召南、摽有梅および陳風、東門之楊の注)。それらの引用では「泮冰殺止」に作ることを受けて、王引之は「殺」字の下の「止」字が脱落していると言い、「内」字は下文に属して句をなすべきことを言う。王引之に従い読み下す。
(注4)本章について楊注は、「貨は聚斂及び珍異を君に献ずるを謂い、身は死して社稷を衛(まも)るを謂い、人は賢を挙げるを謂う」と注する。

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