三十一 喪礼において、埋葬が終わった後では君主あるいは父親の友人から食事をすすめられたときにはこれを食してもよい。だがその場合、梁(おおあわ。古代の穀類の中で上等であった)や肉は食べてもよいが、酒は辞退しなければならない。 ※楊注は、「尊者の前、以て美を食すは可なるも、顔色を変ずるは亦不可なり」と注する。つまり親の喪中であっても君主や父親の友人のような尊重すべき者から食事に誘われたときには、たとえ肉や梁といった美食であっても辞退せずありがたく頂くのが目上の者への礼である。しかしながら酒は酔って顔色を変えてしまい、親の喪中において君主や父親の友人といった他人に対して浮かれた様子を見せることは非礼だ、という趣旨である。
三十二 ※『礼記』王制篇にも同じ表現が表れる。下の注1参照。
三十三 ※劉向校讎叙録は「孫卿善く詩・禮・易・春秋を爲(おさ)む」と言う。すなわち荀子は易の大家でもあったと思われるが、『荀子』内で詩と礼に関する言及が圧倒的に多いことに比べると易に関する叙述はきわめて少ない。この章は後出する大略篇のいくつかの章と並んで『荀子』中で易について言及した数少ないパッセージの一つである。
※「咸」は六十四卦の一で、兌上艮下の卦。『易経』の彖伝(たんでん。十翼と呼ばれる『易経』の伝すなわち解説文の一つ)には「咸は感なり、柔上(のぼ)りて剛下り、二気感応して以て相与するなり。止まりて説(よろこ)び、男は女に下る」と説明されていて、ここの荀子の言葉と一致している。上の訳は、彖伝および序卦伝(じょかでん。十翼の一つ)に従って補った。 三十四 ※聘士は、下の注3参照。親迎は、大略篇十三章を参照。士を招く最初と妻を迎える最初の礼が肝心である、という意味である。
三十五 |
《読み下し》 旣に葬りて、君若(も)しくは父の友、之に食せしむれば則ち食す。梁肉(りょうにく)を辟(さ)けず、酒醴(しゅれい)有れば則ち辭す。 寢は廟を踰(こ)えず、設衣(えんい)(注1)は祭服を踰えざるは、禮なり。 易(えき)の咸(かん)は、夫婦を見(あら)わす。夫婦の道は、正しくせざる可からざるなり、君臣・父子の本なり(注2)。咸は、感なり、高を以て下(ひく)きに下り、男を以て女に下る、柔上(のぼ)りて剛下る。 聘士(へいし)(注3)の義と、親迎(しんげい)の道は、始を重んずるなり。禮なる者は人の履(ふ)む所なり、履む所を失すれば、必ず顛蹶(てんけつ)・陷溺(かんでき)す。失する所微にして、其の亂を爲すこと大なる者は、禮なり。 禮の國家を正すに於けるや、權衡(けんこう)の輕重に於けるが如く、繩墨の曲直に於けるが如きなり。故に人は禮無ければ生きず、事は禮無ければ成らず、國家は禮無ければ寧ならず。 (注1)増注・集解の王念孫は、「設」は似ている字の「讌」の誤り、と言う。増注・王念孫ともに礼記王制篇に「燕衣は祭服を踰えず、寝は廟を踰えず」とあることを引いて、その証拠とする。「讌」は「燕」と同義でくつろぐ意であり、「讌衣」は日用の服装のこと。
(注2)楊注は序卦伝の「天地有りて然る後に万物有り、万物有りて然る後に男女有り、男女有りて然る後に夫婦有り、夫婦有りて然る後に父子有り、父子有りて然る後に君臣有り」を引いて、「故に夫婦を以て本と為す」と解説する。ただし楊注はこの文を説卦伝(せつかでん)のものと注しているが、これは誤りで序卦伝が正しい。 (注3)楊注は「聘士とは安車(あんしゃ)・束帛(そくはく)して其の礼を重ぬるがごときを謂う」と注する。すなわち安楽な車と絹の束をもって士を手厚く招く礼。 |