君子篇第二十四(全)

By | 2015年11月19日
天子の配偶者は妻(さい。「ひとしい」の含意がある)と言わず后(こう。「あと」の含意がある)と言うのは、天子はそれに匹敵する人間を持たないことを示しているのである。天下の内において天子を客として迎える礼が規定されていないのは、やはり天子に匹敵する主人がいないことを示しているのである。天子は足で赴くことができるが、相者(しょうしゃ。天子の付き人)が先導するのを待って初めて進む。天子は口で話すことができるが、伝奏役の官吏が記録するのを待って始めて詔(みことのり)を告げる。天子は、見ようとせずとも天下が見えて、聴こうとせずとも天下のことが聞こえ、何も言わずとも天下に意思が明らかとなり、熟慮しようとせずとも天下のことを知り、動こうとせずとも天下に功績を立てる。それは、天子は天下のことについて全知全能の地位にあることを示しているのである。天子と言う存在は、権勢は最も重く、肉体は最も安楽で、心は最も楽しく、意志は決して曲げられることはなく、肉体は労苦をなさず、尊いことはこの上もない。『詩経』に、この言葉がある。:

普天の下、王土にあらざるはなく
率土の浜、王臣にあらざるはなし
(小雅、北山より)

天子とは、この言葉のとおり天下の保有者である。聖王が上にあって礼義による区分秩序が下に行われているならば、士・大夫は乱れた行いがなく、もろもろの官吏たちは職務怠慢がなく、一般人民は悪質で奇怪な風俗に染まらず盗賊の罪に走ることもなく、誰もあえて国の大禁を犯そうとはせず、天下は明らかに窃盗では富者となることはできないことを知り、他人を傷害しては天寿を全うできないことを知り、上の発布した禁令を犯せば安泰ではありえないことを知るのである。よって人々は正道に従えば望む富貴安楽を得る道が開け、正道に従わなければ憎む貧賤刑罰を得る結末に遇うだろう。このようであるから刑罰をほとんど行わずして天子の威令が天下に行き渡ることは水が上から下に流れるがごとくであり、世の人々はすべて、姦悪の事を行えばそれを隠したり逃げたりしても到底免れることができないと明らかに知るのであり、姦悪の事を行った者はすべて罪に服してもはや嘘を吐かないのである。『書経』に、この言葉がある。:

およそ人は、自ら罪を受けるものである。
(康誥篇より)

この言葉のとおり、聖王の世では罪人は自ら刑に服すのである。ゆえに、刑罰が罪と正しく対応していれば、威勢が生まれるであろう。だが刑罰が罪と対応していないならば、侮りを受けるであろう。爵位がその賢明の程度と正しく対応していれば、貴ばれるであろう。だが爵位がその賢明の程度と対応していないならば、賤しまれるであろう。いにしえの時代には、刑罰はその罪を越えることはなく、爵位はその徳を越えることはなかった。ゆえに父親を処刑したとしてもその子を家臣に取り立てることもあったし、兄を処刑したとしてもその弟を家臣に取り立てることもあった。刑罰が罪を越えることなく、爵位・褒賞が徳を越えることなく、規則を明確にして各人が誠実に働けば成功できたのであった。この下で善をなす者は励み、不善をなす者は阻まれ、刑罰をほとんど行わずして天子の威令が天下に行き渡ることは水が上から下に流れるがごとくであり、政令はきわめて明らかであって人々が教化されることは精妙の極致(注1)というべきであった。言い伝えに、「天子一人に幸福があれば、天下万民もまた幸福を受ける」とあるのは、このような統治なのである。だが乱世は、こうでない。刑罰は罪を越えて苛烈であり、爵位・褒賞は徳に不相応に過分であり、同族であるという理由で罪を問い、賢者を登用するときに先祖の功績で行う。一人に罪があれば、三族(注2)がすべて処刑されて、聖王の舜のような徳があったとしても、一律に処刑を免れない。これが、同族であるという理由で罪を問うやり方である。先祖にかつて賢人がいただけで子孫は必ず高い位に昇り、その行いが悪王の桀(けつ)・紂(ちゅう)のごとき者であったとしても、必ず多くの家臣を従えた貴人となる。これが、賢者を登用するときに先祖の功績で行うやり方である。同族であるという理由で罪を問い、賢者を登用するときに先祖の功績で行うならば、世の乱れを望まなくともどうして避けられるだろうか?『詩経』に、この言葉がある。:

百川は氾濫し、
山冢(やまやま)は崩れ落ち、
高岸は谷となり、
深谷は陵(おか)となる。
哀しや、今の人
なぜに懲(とど)めることなきか
(小雅、十月之交より)

このような惨状となるだろう。

人間の序列区分を聖王の制度に則るならば、貴ぶべきところを知るだろう。義の精神によって事業を制御するならば、利益のあるところを知るだろう。序列区分において貴ぶべきところを知れば、人間を養う道を知る。事業において利益あるところを知れば、行動すべき道を知る。この二者は是非の本源であって、得失の本源である。ゆえに成王があらゆる政治について周公に必ず聴き従ったのは、何が貴ばれるべきかをよく知っていたからである(注3)。桓公があらゆる国事について管仲を必ず用いたのは、何が事業において利益があるかをよく知っていたからである。呉国には伍子胥がいたがこれを用いることができずに国が亡んだのは、正道に背いて賢人を失ったからである。ゆえに聖人を尊んで重用する者は王者となり、賢人を尊んで重用する者は覇者となり、賢人を重用せずとも敬うことができる者は少なくとも国を存続させ、賢人を侮る者は亡ぶ。これは、古今にわたって一つである。賢明な者を貴んで能力ある者を登用し、貴賤の等級を定め親疎の区別を定め分けて長幼の序列を定めるのは、わが文明の建設者である先王の正道である。ゆえに賢明な者を貴んで能力ある者を登用するならば、君主は尊くなって人民は安楽となるだろう。貴賤の等級が定められているならば、法令は上から下に円滑に行われて滞らないであろう。親疎の区別が定められているならば、国からの施し物は応分に分配されて過たないであろう。長幼の序列が定められているならば、役務は序列に従って分配されて事業は速やかに行われ、休息することができるだろう。仁とは、この先王の正道により喜ぶことである。義とは、この先王の正道に従って区分を定めることである。節義とは、この先王の正道を守って生きて死することである。忠節とは、この先王の正道により身を厚く謹むことである。これら四つを兼ねてよく行うことができるならば、人として完備したと言える。人として完備しながらも自ら誇ることをせず、ただひたすらに自らを善とすることにはげむならば、これを聖人と言う。自ら誇らないゆえに、天下の人々と能力を争うようなことはせずに、しかもよく天下の人々の功績を使い尽くすのである。聖人の知徳を持ちながらもこれを持っているようには見せないゆえに、天下で最も貴い存在となるのである。『詩経』に、この言葉がある。:

親鳥は、君子のごとく
威儀礼儀、迷わず一つ
迷わずに、一つであるゆえ
四方(よも)の国、正されるかな
(曹風、鳲鳩より)

これが、天子となった聖人の功績なのである。


(注1)原文「神」。荀子はこの字において超自然的な存在を意味させない。
(注2)楊注は、父・母・妻と注する。他にも説があって、父の兄弟・自分の兄弟・子の兄弟(儀礼)、父・子・孫(礼記)がある。時代によって範囲が異なるようであるが、舜が処刑されるとすれば極悪人であった父の瞽瞍(こそう)か弟の象(しょう)の悪事のためであろうから、儀礼あるいは礼記の説のほうが正しい。
(注3)以下の歴史上の人物については、臣道篇(4)の各注を参照。
《原文・読み下し》
天子に妻(さい)(注4)無きは、人に匹(ひつ)無きを告(しめ)すなり。四海の內客禮無きは、適無きを告すなり。足は能く行くも、相者(しょうしゃ)を待ちて然る後に進み、口は能く言うも、官人を待ちて然る後に詔(つ)ぐ。視ずして見え、聽かずして聰(きこ)え、言わずして信(あきら)かに(注5)、慮(おもんぱか)らずして知り、動かずして功あるは、至備を告うなり。天子なる者は、埶(せい)は至重、形は至佚、心は至愈、志は詘(くつ)する所無く、形は勞する所無く、尊きこと上無し。詩に曰く、普天の下、王土に非ざるは莫く、率土(そつど)の濱(ひん)、王臣に非ざるは莫し、とは、此を之れ謂うなり。聖王上に在りて、分義下に行わるれば、則ち士・大夫に流淫の行無く、百吏・官人に怠慢の事無く、衆庶・百姓に姦怪の俗無く、盜賊の罪無く、敢て大上(たいじょう)の禁(注6)を犯すこと莫く、天下曉然(ぎょうぜん)として、皆夫の盜竊(とうせつ)の人以て富を爲す可からざるを知り、皆夫の賊害の以て壽(じゅ)を爲す可からざるを知り、皆夫の上の禁を犯すは以て安を爲す可らざるを知るなり。其の道に由れば則ち人は其の好む所を得、其の道に由らざれば、則ち必ず其の惡(にく)む所に遇う。是の故に刑罰綦(きわ)めて省きて、威行わるること流るるが如く、世曉然として、皆夫の姦を爲せば、則ち隱竄(いんざん)・逃亡すと雖も、之(しか)も由(なお)(注7)以て免るるに足らざるを知るなり、故に罪に服して請(じょう)(注8)ならざること莫し。書に曰く、凡(およ)そ人自ら罪を得、とは、此を之れ謂うなり。故に刑罪に當れば則ち威あり、罪に當らざれば則ち侮(あなど)られ、爵賢に當れば則ち貴ばれ、賢に當らざれば則ち賤しめらる。古者(いにしえは)刑罪に過ぎず、爵德に踰(こ)えず、故に其の父を殺して其の子を臣とし、其の兄を殺して其の弟を臣とす。刑罰罪に怒(す)ぎず(注9)、爵賞德に踰えず、分然として各(おのおの)其の誠を以て通ず、是(ここ)を以て善を爲す者は勸み、不善を爲す者は沮(はば)み、刑罰綦(きわ)めて省きて、威行わるること流るるが如く、政令致明(ちめい)にして、化易(かえき)神(しん)の如し。傳に曰く、一人慶有れば、兆民之に賴(よ)る、とは、此を之れ謂うなり。亂世は則ち然らず。刑罰罪に怒(す)ぎ(注9)、爵賞德に踰え、族を以て罪を論じ、世を以て賢を舉ぐ。故に一人罪有りて、三族皆夷(い)せられ(注10)、德舜の如しと雖も、刑均(けいきん)(注11)を免れず。是れ族を以て罪を論ずるなり。先祖當(かつ)て(注12)賢なれば、子孫必ず顯(あらわ)れ、行桀(けつ)・紂(ちゅう)の如きと雖も、列從必ず尊し。此れ世を以て賢を舉ぐるなり。族を以て罪を論じ、世を以て賢を舉ぐれば、亂るること無からんと欲すと雖も、得んや。詩に曰く、百川沸騰し、山冢(さんちょう)崒崩(しゅつほう)し、高岸谷と爲り、深谷陵と爲る、哀し今の人、胡(なん)ぞ憯(かつ)て懲(とど)むること莫きか、とは、此を之れ謂うなり。
論(りん)(注13)聖王に法(のっと)れば、則ち貴ぶ所を知り、義を以て事を制すれば、則ち利する所を知る。論(りん)(注13)貴ぶ所を知れば、則ち養う所を知り、事利する所を知れば、則ち動に出づる所を知る。二者は是非の本にして、得失の原なり。故に成王の周公に於けるや、往くとして聽かざる所無きは、貴ぶ所を知ればなり。桓公の管仲に於けるや、國事往くとして用いざる所無きは、利する所を知ればなり。吳に伍子胥(ごししょ)有るも、而(しか)も用うること能わず、國亡ぶるに至るは、道に倍(そむ)き賢を失えばなり。故に聖を尊ぶ者は王たり、賢者を貴ぶ者は霸たり、賢を敬する者は存し、賢を慢(あなど)る者は亡ぶは、古今一なり。故に賢を尚(とうと)び、能を使い、貴賤を等し、親疏を分ち、長幼を序するは、此れ先王の道なり。故に賢を尚び能を使えば、則ち主尊く下安く、貴賤等有れば、則ち令行われて流(とど)まらず(注14)、親疏分有れば、則ち施行われて悖(もと)らず。長幼序有れば、則ち事業捷(はや)く成りて休(きゅう)する(注15)所有り。故に仁なる者は此を仁する者なり(注16)、義なる者は此を分つ者なり、節なる者は此に死生する者なり、忠なる者は此に惇愼(とんしん)する者なり。此を兼ねて之を能くすれば備わる。備わりて矜(ほこ)らず、一に自ら善くする、之を聖と謂う。矜らず、夫(そ)の故に天下與(とも)に能を爭わずして、善く其の功を用うることを致(きわ)む。有りて有りとせず、夫の故に天下の貴と爲る。詩に曰く、淑き人君子、其の儀忒(たが)わず、其の儀忒わざれば、是の四國を正す、とは、此を之れ謂うなり。


(注4)楊注は、「妻」は「斉」なり、と注する。増注は曲礼を引いて、「天子の妃、后と曰う。后は後なり。後なる者は、斉等せずの言なり」と言う。つまり「妻」の語は「斉(さい。ひとしい)」の含意があって、夫と対等の配偶者の意味を持っている。だが天子の配偶者を指す語である「后(こう)」は「後」の含意があって、天子に従う存在の意を持っている。それが「天子に妻無し」の意味と言うことである。
(注5)新釈の藤井専英氏は、「信」を明の意に取る。この文は君道篇(3)の「天子視ずして見え、聽かずして聰(きこ)え、慮らずして知り、動かずして功あり」の語と同一の表現であり、「信」もまた天子は発言しないのに発言したことと同一の結果があらわれる、という意味に取ったほうがよい。藤井氏は、そのように解釈していると思われる。一応これに従っておく。
(注6)原文「大上之禁」。集解の兪樾は「上之大禁」に作るべし、と言う。増注は『群書治要』には「大」字がないのでこれを削るべきことを言う。新釈は劉師培の意見を紹介して「大上の禁」であるべきで、下文は「大」字が脱落したもの、と指摘する。新釈に従い、そのままにしておく。
(注7)増注は、「之は而と同じく、由は猶と同じ」と注する。これにしたがい、「しかもなお」の意に取る。
(注8)集解の兪樾は、「請」はまさに読んで「情」となすべし、と言う。情は実のことで、罪に服して嘘をつかないことを言う。
(注9)集解の王念孫は、「怒・踰はみな過なり」と言う。これに従う。すぎる。
(注10)楊注は、「夷は滅なり」と言う。死刑に処せられること。
(注11)楊注は、「均は同なり、同じくその刑を被るを謂う」と言う。連座して処刑されること。
(注12)増注は、楊注或説の「當は或は嘗と爲す」に賛同する。かつて。當は嘗の借字。
(注13)楊注は「論議聖王に法效す」と注する。楊注のように「論」を論議とみなすのが通説であるが、荀子はいっぱんに論議すること自体を薦めることはせず、むしろ自明の真理である正道に則った意見を採用するべきことを薦める。新釈の藤井専英氏は臣道篇が「人臣の論」に始まり[(1)]、つづく論議で周公・管仲・伍子胥を対比させていること[(4)]がこの君子篇と同一であることを指摘して、「論」を「倫」と解することができるのではないだろうか、と注している。この君道篇の他、王制篇には「王者の論」の語があり、儒效篇には「人論」の語があって、三者はいずれも一文の発句として「倫」の意に解するべき「論」字が置かれていることを見れば、藤井氏の説は妥当であると考えたい。なので、「論」を「倫」の意に解して、礼法に基づいた人間の序列区分の意に取りたい。
(注14)集解の王念孫は、「流」は読んで「留」となす、と言う。とどまる。
(注15)楊注は「休息する所の時有り」と注する。なお新釈の藤井専英氏は、爾雅釈詁に「美也」、集韻に「善也」とあることを引いて、「立派に仕上がる」と訳している。
(注16)楊注は、「仁は愛悦を謂う。此は尚賢・使能・等貴賤・分親疏・序長幼の五者を謂い、此の五者を愛悦すれば則ち仁と為す可し」と注する。すなわちここの語は、上に示された尚賢・使能・等貴賤・分親疏・序長幼の五つの道を喜ぶことが仁である、という意味である。以下の義・節・忠も同じ。

君子篇の題名について楊注は、「凡そ篇名は、初発の語を多用す。此の篇皆人君の事を論ず。即ち君子は当(まさ)に天子と為すべし。恐らく伝写の誤なり」と言う。つまり、この君子篇は人君のことについてもっぱら書かれているので、篇名は「天子篇」の誤りではないか、と疑っている。この篇は劉向『荀卿新書』では末尾直前の第三十一篇とされていた。単一のエッセイではあるが、重要性の低い篇とみなされていたのであろう。

内容は、王制篇、王覇篇、君道篇の各篇で描写された理想国家の統治術を簡潔に再説したものである。君主は礼法を採用して、家臣それぞれの徳と能力を正確に査定して、それに比例した爵禄を与えなければならない。荀子が強調する、厳格なメリトクラシー(実力主義)である。その論述の中で、古代の通制であった縁座制が批判されている。縁座制とは、罪を受けた本人が処罰を受けるのみならず、その家族親類に至るまで処罰が広げられる刑罰制度である。「三族を誅す」、「罪九族に及ぶ」という記録は古代の歴史書で頻出する。ずっと後世においてすら、明の永楽帝の簒奪を認めずに最後まで反抗した方孝孺(ほうこうじゅ)は、その一族全てが残虐に殺される罰を受けた。荀子はそのような縁座制に反対し、本人の能力はその一族や祖先の功績・刑罰とは切り離して評価せよ、と言うのである。合理主義者の荀子の面目が、ここにも表れている。荀子の主張は、しかしながら東アジア社会において後世まで顧みられることが少なく、現在でもいまだに生き残っているように見られる。子の罪を親の責任となし、親の罪により子を指弾し、先祖の行為により子孫を責め立てることを、決してしていないと自信をもって言えるだろうか?

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