君道篇第十二(3)

By | 2015年10月4日
道とは何であろうか?それは、君主の正道のことである。君主とは何であろうか?それは、人間を群れさせることができる存在である。群れさせることができるとは、どういうことであろうか?それは、人間を生かして養うことができるということであり、人間を区分けして治めることができるということであり、人間を登用することができるということであり、人間の身分ごとに文飾の区別を付けることができるということである。人間を生かして養うことができる者には、人々が親しむだろう。人間を区分けして治めることができる者の下では、人々が安心するであろう。人間を登用することができる者の下では、人々が楽しむであろう。人間の身分ごとに文飾の区別を付けることができる者は、人々によって尊ばれるであろう。この四つの統治のための要点を備えたならば、天下はこの者に帰すであろう。これが、人間を群れさせることができる、と呼ぶのである。だが人間を生かして養うことができない者には、人々が親しまないだろう。人間を区分けして治めることができない者の下では、人々は安心できないであろう。人間を登用することができない者の下では、人々は楽しめないであろう。人間の身分ごとに文飾の区別を付けることができない者は、人々によって尊ばれないであろう。この四つの統治のための要点を失ったならば、天下はこの者から去るであろう。このような者を、君主たるべきでない存在として、匹夫と呼ぶのである。古語に「道が存すればすなわち国は存し、道が亡びればすなわち国は亡ぶ」、とある通りなのである。工人・商人の数を減らして農夫を増やし(注1)、盗賊を禁じて姦悪の者を除く。これが、人間を生かして養う方法である。天子の下に三公(注2)があり、諸侯の下には一人の宰相があり、大夫(たいふ)はその官職に専念し、士(注3)は官職を持ち、それぞれの仕事には法度があって、必ず公正に仕事を行う。これが、人間を区分けして治める方法である。人材の徳を論議してその身分を定め、人材の能力を量ってその官職を与え、すべての人間に仕事を行わせ、各々の人間を適材適所に割り振り、最も賢明な者は三公に就かせ、次に賢明な者は諸侯に封じ、賢明さがその下の者は士・大夫となす。これが、人間を登用する方法である。冠弁(かんむり)と服装、服装の文様、器物調度の模様を整えて、身分に応じてことごとく区別を付ける。これが、人間の身分ごとに文飾の区別を付ける方法である。上は天子から下は庶民に至るまで、己の能力を発揮して、己の志を遂げ、必ず己の職分に安楽することは、万人に共通する目標というものである。また暖かい服装を着て食物は充たされ、安楽な住居を得て楽しく遊び、時宜に合った仕事を行い、明らかな職制があり、十分に財物が備わっているということは、これもまた万人に共通する目標というものである。だがしかし服装に色を重ねて文様を縫い上げ、食事に味を重ねて珍味を揃えることは、必要なものではなくて余分な贅沢というものである。そこで聖王はこういった余分な贅沢を手元に集め、これを臣下に分与することによって、身分の区別を明らかにした。すなわち上には賢良の者を余分に飾って貴賤の区別を明らかにし、下には年長者を年少者よりも余分に飾って親疎を明らかにしたのである。こうして上は王公のいる朝廷から、下は人民の住む住居に至るまで、天下の者は明らかに己の身分を知ることになるのである。この身分の区別は、区別自体が目的なのではない。それぞれの職分を明らかにして治世を完成させ、万世まで長らく世を安泰にするためである。ゆえに天子・諸侯は無駄な贅沢がなく、士・大夫は乱れた行いがなく、もろもろの官吏たちは職務怠慢がなく、一般人民は悪質で奇怪な風俗に染まらず盗賊の罪に走ることがないのは、身分秩序がよく義にかなっていてあまねく行き渡っているからである。古語に「治世には贅沢が人民にまで及び、乱世には不足が王公にまで及ぶ」とあるのは、このことなのである。

正道を極めた国の概略を述べる。礼を貴び法を極めれば、国は安定した常態を持つことになる。賢明な者を貴び能力ある者を登用すれば、人民は国の行く方向を知ることができる。議論を集めて公正に検討すれば、人民は疑わなくなる。勤勉な者を褒賞して怠惰な者を処罰すれば、人民は怠けなくなる。下の意見をことごとく聞いて明らかに政治を行えば、天下はこの者に帰す。これらのことを行った後に職分を明らかに区切り、事業の順序を決めて、才能ある者と技能ある者を官職に就け、すべてにおいて理にかなった統治を行えば、政治には公正なる道が開かれて私的な道は閉ざされ、公正な義が明らかとなって私的な行為は消え去るだろう。このようになれば、徳の厚い者は昇進して、悪心の者やへつらう者は上に行くことができず、利を貪る者は後退して、廉直で節義ある者は興隆するであろう。さて『書経』に、この言葉がある(注4)。:

命令を待たずに先行して行う者は、死罪としてこれを赦さない。
命令があったのに遅れて行わない者もまた、死罪としてこれを赦さない。
(逸文。本文はすでに散逸して伝わらない。)

つまり、人というものは、己の職分のことをよく学習してはじめて堅固な仕事ができるのであり、また人の行う仕事はすべて分担されるべきものであって、それはいわば耳と目と鼻と口の機能が別れていて交替できないことと同じなのである。ゆえに職分が分けられていれば人々は隣の職分のことについて気に掛けたりせず、身分位階が定まっていれば序列は乱れず、下の意見をことごとく聞いて明らかに政治を行えば、すべての事業は滞りなく行われるのである。このようになれば、臣下・官吏たちから庶民に至るまで、己の職分をよく修めてそこに安心してあえて留まり、己の能力を誠に尽くして与えられた官職を受けないことはなくなり、すべての人民は風俗を改善し、すべての小人は心を改め、悪質な心を持つ輩ですらすべて正直者に戻るであろう。これが、教化の政治の極みと言うのである。ゆえに天子は見ようとせずとも天下が見えて、聴こうとせずとも天下のことが聞こえ、熟慮しようとせずとも天下のことを知り、動こうとせずとも天下に功績を立て、静かに独り座っているだけで、天下がまるで一つの体のように従い、四肢が心の命ずるままに動くがごとく天下が従うのである。『詩経』に、この言葉がある。:

温(おだや)かで恭(つつし)む人は
これ、徳の基(もとい)
(大雅、抑より)

天子の統治術が完成すれば、このように動かずして天下を治めることができるだろう。


(注1)勧農抑商政策は、農業生産が圧倒的に重要な前近代社会では普遍的な政策である。
(注2)太師(たいし)・太傅(たいふ)・太保(たいほ)。正論篇(5)注3を参照。
(注3)ここでの「士」は、上級の宮廷人である「大夫」に対比して用いられ、下級の宮廷人のことを指す。荀子は上級の官僚を「君子」と呼び、下級の官僚を「士」と呼ぶ用法が多い。
(注4)偽古文尚書の夏書胤征篇にこの言葉が見えるが、偽古文尚書は晋代の偽書である。
《原文・読み下し》
道者(とは)何ぞや。曰く、君の道なりと(注5)。君者(とは)何ぞや。曰く、能く羣(ぐん)するなりと。能く羣するとは何ぞや。曰く、善く人を生養する者にして、善く人を班治する者にして、善く人を顯設(けんせつ)(注6)する者にして、善く人を藩飾(はんしょく)(注7)する者なり。善く人を生養する者は人之に親しみ、善く人を班治する者は人之に安んじ、善く人を顯設する者は人之を樂み、善く人を藩飾する者は人之榮とす。四統の者俱(そな)わりて、天下之に歸す、夫れ是を之れ能く羣すると謂う。人を生養すること能わざる者は、人親しまざるなり。人を班治すること能わざる者は、人安んぜざるなり。人を顯設すること能わざる者は、人樂まざるなり。人を藩飾すること能わざる者は、人榮とせざるなり。四統の者亡(うしな)いて、天下之を去る、夫れ是を之れ匹夫と謂う。故に曰く、道存すれば則ち國存し、道亡ぶれば則ち國亡ぶと。工賈を省き、農夫を衆にし、盜賊を禁じ、姦邪を除く、是れ之を生養する所以なり。天子は三公あり、諸侯は一相あり、大夫は官を擅(もっぱら)にし、士は職を保ちて、法度ありて公ならざること莫し、是れ之を班治する所以なり。德を論じて次を定め、能を量(はか)りて官を授け、皆其の人をして其の事を載(おこな)いて、各(おのおの)其の宜しき所を得せしめ、上賢は之をして三公爲(た)らしめ、次賢は之をして諸侯爲らしめ、下賢は之をして士大夫爲らしむ、是れ之を顯設する所以なり。冠弁(かんべん)・衣裳、黼黻(ほふつ)・文章、琱琢(ちょうたく)・刻鏤(こくろう)を脩して、皆等差有るは、是れ之を藩飾する所以なり。故に天子由(よ)り庶人に至るまで、其の能を騁(は)せ、其の志を得、其の事を安樂せざること莫きは、是れ同じき所なり。衣は煖にして食は充ち、居は安にして游は樂しく、事は時にし制は明にして用足る、是れ又同じき所なり。若し夫れ色を重ねて文章を成し、味を重ねて珍備(ちんび)(注8)を成すは、是れ衍(えん)なる所なり。聖王衍を財して、以て辨異を明(あきら)かにす。上は以て賢良を飾りて貴賤を明かにし、下は以て長幼を飾りて親疏を明かにす。上は王公の朝に在り、下は百姓の家に在るまで、天下曉然(ぎょうぜん)として皆其の所を知る、以て異を爲すに非ざるなり、將に以て分を明かにし治を達して萬世を保せんとするなり。故に天子・諸侯は靡費(びひ)の用無く、士大夫は流淫の行無く、百吏・官人は怠慢の事無く、衆庶・百姓は姦怪の俗無く、盜賊の罪無きは、其の能く以て義に稱(かな)いて徧(あまね)ければなり。故(こ)に曰く、治には則ち衍百姓に及び、亂には則ち不足王公に及ぶとは、此を之れ謂うなり。
道を至(きわ)むるの大形。禮を隆(とうと)び法を至(きわ)むれば、則ち國に常有り。賢を尚(とうと)び能を使えば、則ち民方(ほう)を知り、論を纂(あつ)めて公察すれば、則ち民疑わず、克(べん)(注9)を賞して偷(とう)を罰せば、則ち民怠らず、兼聽して齊明なれば、則ち天下之に歸す。然る後に分職を明かにし、事業を序し、材技能を官して、治理せざること莫ければ、則ち公道達して、私門塞がり、公義明かにして、私事息(や)む。是の如くなれば、則ち德厚き者進みて、佞說する者止まり、貪利なる者退きて、廉節なる者起る。書に曰く、時に先(さきだ)つ者は殺して赦すこと無く、時に逮(およ)ばざる者は殺して赦すこと無し、と。人其の事を習いて固く、人の百事は、耳・目・鼻・口の以て官を相借る可からざるが如きなり。故に職分れて民探せず(注10)、次定りて序亂れず、兼聽齊明にして百事留らず、是の如くなれば、則ち臣下・百吏より庶人に至るまで、己を脩めて而(しか)る後に敢て止(し)(注11)に安んじ、能を誠にして而(しか)る後に敢て職を受けざること莫く、百姓俗を易(か)え、小人心を變じ、姦怪の屬(ぞく)、愨(かく)に反(かえ)らざること莫し。夫れ是を之れ政敎の極と謂う。故に天子視ずして見え、聽かずして聰(きこ)え、慮らずして知り、動かずして功あり、塊然として獨坐して、天下之に從うこと一體の如く、四胑(しし)の心に從うが如し。夫れ是を之れ大形と謂う。詩に曰く、溫溫(おんおん)たる恭人、維(こ)れ德の基(もとい)、とは、此を之れ謂うなり。


(注5)原文「君道也」。集解の王念孫は儒效篇の「人の道(おこな)う所以(人之所以道)」を引いて、ここの「道」は「行」の意味であって君道篇のこの箇所には「之所」が脱落している、と論ずる。王説に沿って補ってこの君道篇を読むとすれば、「君の道(おこな)う所なり」となるだろう。しかし新釈の藤井専英氏も指摘するように、王説のように補って「君主が行うこと、政策」のように読むよりも、むしろ「君の道」のままに読んで「君主の(なすべき)正道」として取るほうがよいと思われる。
(注6)集解の王先謙は、「設」は「用」であり、人を顕設するとはなお人を顕用すると言うがごとし、と言う。人材を登用すること。
(注7)増注は、「その位班を称し、文飾を加え、上下をして別あらしむるなり」と注する。身分ごとに文飾の区別を付けること。
(注8)「珍備」は、韓詩外伝の引用において「備珍」に作られている。集解の兪樾は、正論篇の「食飲は則ち太牢を重ねて珍怪を備う」に沿ってここは「備珍怪(珍怪を備う)」の誤りである、と言う。
(注9)集解の王念孫は、「克」はまさに「免」となすべく字の誤りなり、「免」と「勉」は同じ、と言う。韓詩外伝の引用では「勉」字となっている。
(注10)増注・集解の王念孫はともに韓詩外伝の引用では「探」を「慢」字に作ることを指摘して、「慢」の誤りであると言う。新釈の藤井専英氏は「探」について「様子をさぐる。推測する。『不探』は自己の職分外の事を気にかけない意」と注釈している。藤井説に従い、字を改めない。
(注11)宋本は「正」に作る。増注は「止」について「己の立つ所の位なり。益稷に云う、汝の止に安んじよ、と。亦此の止と同じ」と言う。すなわち、「止」は己の職分のこと。

ここでは、王制篇・富国篇において述べられた政策が再説されている。荀子がなぜ身分秩序が必要であると主張するのかの理由は、富国篇の社会契約説と墨子への批判に詳しい。荀子にとって身分秩序は富貴を能力に応じて分配する装置であり、社会が争いと貧困に陥ることを防ぐための道具である。荀子には、孟子のような天命論、あるいは西洋や日本の王権神授説や現人神思想のような、神秘的な力によって裏打ちされた貴賤観が入り込む余地はない。