仲尼篇第七(2)

By | 2015年7月23日
君主の寵を保ち地位を保ち続け、終生君主から厭われない術について。君主が己を尊べば、己は恭敬してへりくだるべし。君主が己を信愛すれば、己は身を慎んで謙虚たるべし。君主が己に仕事をもっぱら任せたならば、己は任務を堅く守ってその任務に精通するべし。君主が己に安心して近くに置くならば、己はそのためにおもねって悪事を共に行わないように心がけるべし。君主が己をうとんじて遠ざけるならば、己は主君に心を一つにして、決して背くべからず。君主が己を退けたならば、己は恐れつつしんで、主君を怨むべからず。たとえ地位が貴く上げられても、おごってはならない。たとえ君主の信任を得たからといって、役得を得たと他人から嫌疑されるような立場に立ってはならない。たとえ重大な任務を承ったとしても、己一人で専断してはならない。財貨・利益を受けたときには、必ず「自分の善事はこのようなものを受けるに値しない」と謙遜の義を尽くした後に受けるべし。幸運な事が起こったときには、和気をもって喜ぶも度を外さず道理を保つべし。不幸な事が起こったときには、静かに身を慎みながらもやはり道理を保つべし。富めば広く施し、貧しければ節約するべし。こうして「君主は私を貴くするも賤しくするも自在であり、富ますも貧しくするもまた自在であり、殺すこともまたできるだろう。しかし私に悪事をさせることは、できません」ということを、君主に分からせるのだ。これが、君主の寵を保ち地位を保ち続け、終生君主から厭われない術である。たとえ己の立場が貧窮しようが無位無官となろうが、基準をここに取る者こそ、吉(よ)き人というべきであろう。『詩経』に、この言葉がある。:

愛すべきかな、茲(こ)の人よ
順徳なるかな、侯(こ)の君よ
永らく言(ここ)に、孝にありて
祖先の服(こと)を、昭(あきら)かに嗣(つ)ぐ
(大雅、下武より)

周の武王が祖先の業を謹んで継いだように、よき家臣は君主に仕えなければならない(注1)

重大な任務をよく処理して、重大な事業を任命されてこれをよく整理し、万乗の大国において君寵をほしいままにして、しかも必ず後のわざわいがないことを求めるための術について。それには、周囲と同調することを好むのがいちばんである(注2)。賢明の者を引き立てて施しを広く行い、怨まれる原因を除いて他人を妨害しない。己の能力と比較して任命されるに足りる事業であれば、この道を謹んで行う。だが己の能力と比較して任命に耐えられず、しかしながら君寵を失うことを恐れるならば、無理せずに周囲とさっさと同調することがいちばんであって、つまり自分より賢明の者を推挙して自分より能力のある者に事業を任せ、自分はその後を安んじてついていくのがよい。このように上手に渡世していくならば、君寵があるときには必ず栄達し、君寵が失われても決して罪を受けないであろう。これが君主に仕える者の金科玉条であって、必ず後のわざわいがない術である。ゆえに、知者が事業を始めるときには、勢いがよいときには勢いが欠けるときのことを考慮し、順調のときには困難が続くときのことを考慮し、安泰のときには危険のときのことを考慮し、いかなるときにも次の期間のための予備に気を配り、しかも己に禍が降りかかることを慎重に恐れるのである。このように慎重であれば、たとえ百回事業を始めても、窮地に陥ることはないであろう。孔子が「巧妙であっても法度を好めば、必ず身に節度がある。勇敢であっても同調を好めば、必ず勝利を得る。知があっても謙虚を好めば、必ず叡智を得る」と言われたのは、以上のことなのである。いっぽう、愚者はこれと反対である。重い地位にあって権勢をほしいままにすれば、彼は事を専断することを好んで賢者・能者をねたみ、功績ある者は抑圧して罪があると決めた者は排斥し、心中はおごり高ぶり、昔の怨みがある者を今でも根に持って重く用いず、「上にある者は下にむやみに施さないのが権威を保つのだ」などと考えて高位にありながら物惜しみをして、そのくせ下に対してはこれから権力を奪い取って、人の妨害を行うのである。愚者はこのようであるので、身の危険を避けたいと望んだところでかなえられるはずがないだろう。ゆえに愚者は地位が尊ければ必ず身が危険となり、任務が重ければ必ず解任されることとなり、君寵をほしいままにすればいずれ必ず恥辱を受けるだろう。この結果となるのは、飯が炊ける間のようにあっという間のことであろう。なぜならば、このような愚者はこれを攻撃する者ばかりが多く、これを擁護する者は少ないからである。

天下において事を行うための術について。君主に仕えれば必ず己の意を通じさせ、己が仁を行えば必ず聖人的な達成をなすためには、必ず礼義を貴んでここから離れてはならない。まず礼儀を必ず貴んで離れず、その後に行うことは、恭敬によって行いを先導し、忠信によって心を統一し、慎謹をもって行い、正直をもって行いを守り、へりくだる姿勢をもって諸事に従い、力の限りを尽くしてこれを繰り返す。こうすれば、君主に己が知られなくとも怨む心は起きず、功績がはなはだ大であっても己の徳に誇る顔色を見せることはなく、仕事をするときには要求は少ないが立てる功績は多く、他人を愛し敬って飽きることがないだろう。このようであれば、なすことが常に順調となるであろう。したがって君主に仕えれば必ず己の意を通じさせ、己が仁を行えば必ず聖人的な達成をなすだろう。これが、天下において事を行うための術である。

年少者が年長者に従い、賤しい者が貴い者に従い、愚者が賢者に従うことは、天下の通義である。だがここに人がいて、己の権勢は人より上にないにもかかわらず人より下風に立つことを恥じるのは、姦人の心の持ち主というべきである。心は姦悪の心から免れず、行いは姦悪の道から免れず、しかも君子・聖人の名声があることを欲する。これをたとえるならば、うつぶせで空を舐めようとするようなものであり、首吊りから助けようとして足を引っ張るようなものである。絶対にうまくいかず、努力すればするほど、君子・聖人の名声から遠ざかっていくだろう。ゆえに君子というものは、勢いが足りず屈する時期にはその状況に応じて静かに身を慎むのであり、勢いが出て伸びていく時期にはその状況に応じて大いに進歩するのである。常の心が定まっているから、愚者のようにあせって失敗したりはしないのである。


(注1)楊注はこの詩の引用について、「此を引くは、臣の君に事(つか)うるは亦(また)武王の祖考を継ぐがごとくなるを明らかにするなり」と注している。しかし荀子が言う家臣の主君への仕え方は義に従って是々非々であるべきであり、子孫が祖先の業を謹んで継承する敬虔な意志とは違うのではないか、と私は疑問に思う。この詩経の引用は、荀子の学をよく理解しない弟子が継ぎ足したものではないだろうか、と疑いたくなる。
(注2)原文読み下し「之と同するを好むに若くは莫し」。「同」字は「君子は和して同ぜず」(論語、子路篇)の意味であって、同調、雷同のことでよい意味ではない。ここでは処世術として自分より賢明な者や能力ある者をさっさと認めて譲り己の我を通すな、といった処世訓として「同」字が用いられていると思われる。荀子の常の主張とは、色合いが違う印象を受ける。儒家思想らしくない言葉として、あえて「同調」と訳した。後に出てくる「同調」も同様。
《原文・読み下し》
寵を持し位に處(お)り、終身厭われざるの術。主之を尊貴すれば、則ち恭敬にして僔(そん)、主之を信愛すれば、則ち謹愼にして嗛(けん)(注3)、主之を專任すれば、則ち拘守にして詳(しょう)、主之を安近すれば、則ち愼比(しんぴ)して邪ならず、主之を疏遠すれば、則ち全一にして倍(そむ)かず、主之を損絀(そんちゅつ)すれば、則ち恐懼して怨みず。貴にして夸(か)を爲さず、信ぜられて謙(けん)に處らず(注4)、任重くして敢て專にせず。財利至れば、則ち善及ばざるが而(ごと)きも(注5)、必ず將(は)た辭讓の義を盡(つ)くして、然る後に受く。福事至れば、則ち和にして理し、禍事至れば、則ち靜にして理す。富めば則ち施廣(ひろ)く、貧なれば則ち用節(せつ)す。貴にす可く賤にす可く、富ます可く貧しくす可く、殺す可きも姦を爲さしむ可からず。是れ寵を持し位に處り、終身厭われざるの術なり。貧窮・徒處の埶(せい)に在りと雖も、亦象(しょう)を是に取るなり。夫れ是を之れ吉人と謂う。詩に曰く、媚(び)なるかな茲(こ)の一人、侯(こ)の順德に應(あた)る、永く言(ここ)に孝なり、昭(あきら)かなるかな服(こと)を嗣(つ)ぐや、とは、此を之れ謂うなり。
大重に善處し、大事に理任し、寵を萬乘の國に擅(ほしいまま)にして、必ず後患無きを求むるの術。之と同するを好むに若くは莫し。賢を援(ひ)き施を博くし、怨を除いて人を妨害すること無し。能(のう)之に任ずるに耐うれば、則ち此の道を愼行するなり。能にして任ずるに耐えず、且つ寵を失わんことを恐るれば、則ち早く之と同するに若くは莫く、賢を推し能に讓りて、安んじて其の後に隨う。是の如くなれば、寵有れば則ち必ず榮え、寵を失えば則ち必ず罪無し。是れ君に事うる者の寶にして、必ず後患無きの術なり。故に知者の(注6)事を舉(あ)ぐるや、滿つれば則ち嗛(けん)(注7)を慮(おもんぱか)り、平なれば則ち險を慮り、安なれば則ち危を慮り、曲(つぶさ)に其の豫(よ)を重んじ、猶お其の旤(わざわい)に及ばんことを恐る。是を以て百舉(ひゃくきょ)して陷らざるなり。孔子の曰わく、巧にして度を好めば必ず節あり、勇にして同を好めば必ず勝あり、知にして謙を好めば必ず賢あり、とは、此を之れ謂うなり。愚者は是に反す。重に處りて權を擅にすれば、則ち好んで事を專にして賢能を妬み、有功を抑えて有罪を擠(おと)し、志は驕盈(きょうえい)にして舊怨(きゅうえん)を輕んじ、吝(*)嗇(りんしょく)にして施道を上に行わざるを以て重しと爲し、權を下に招いて以て人を妨害す(注8)。危きこと無からんと欲すと雖も、得んや。是を以て位尊ければ則ち必ず危く、任重ければ則ち必ず廢せられ、寵を擅にすれば則ち必ず辱めらること、立ちどころにして待つ可く、炊いで傹(おわ)る(注9)可きなり。是れ何ぞや。則ち之を墮(こぼ)つ者衆(おお)くして、之を持する者寡ければなり。
天下の行術。以て君に事うれば則ち必ず通じ、以て仁を爲せば則ち必ず聖たるには、隆を立てて貳(たが)うこと勿(なか)れ。然る後に恭敬以て之に先んじ、忠信以て之を統べ、愼謹以て之を行い、端愨(たんかく)以て之を守り、頓窮(とんきゅう)則(もっ)て之に從い(注10)、疾力以て之を申重す。君知らずと雖も、怨疾の心無く、功甚だ大と雖も、德に伐(ほこ)るの色無く、求を省き功多くし、愛敬して勌(う)まず。是の如くなれば則ち常に順ならざる無し。以て君に事うれば則ち必ず通じ、以て仁を爲せば則ち必ず聖なり、夫れ是を之れ天下の行術と謂う。
少は長に事え、賤は貴に事え、不肖は賢に事うるは、是れ天下の通義なり。人有りて、埶(せい)人の上に在らずして而(しか)も人の下爲(た)るを羞ずるは、是れ姦人の心なり。志は姦心を免れず、行は姦道を免れずして、而(しか)も君子・聖人の名有らんことを求むるは、之を辟(たと)うるに、是れ猶お伏して天を咶(ねぶ)り、經(くびくく)られるを救いて其の足を引くがごときなり。說必ず行われず、俞(いよいよ)務めて俞遠し。故に君子は時詘(くつ)すれば則ち詘し、時伸ぶれば則ち伸ぶるなり。

(*)原文は「メのしたに厷」。CJK統合漢字および同拡張Aにないので、やむなく代用する。宋本は「吝」字に作る。

(注3)新釈は、「キョウ」と読んでここよろい、の意に取る。楊注は「歉(けん)と同じ。足らざるなり。言うは敢て自満せざるなり」と言う。集解の王引之は「謙」と同じ、と言う。「謹慎」と意味の類似した語であるべきなので、王引之の解釈がよいと考えたい。
(注4)原文「不處謙」。楊注は「謙」は読んで「嫌」となす、と言う。宋本には「忘」字があって、「不忘處謙(謙に處るを忘れず)」に作っている。集解の王念孫は宋本を是と言い、王先謙は楊注に依って削るべしと言う。前後の文の調子に合わせるならば、「忘」字を削る集解本がよいであろう。
(注5)原文「則善而不及也」。宋本では「善」字の上に「言」字がある。宋本に従う新釈は「善は言(げん)なるも而(しか)も及(きゅう)せずして」と読み下し、「及」は「継ぐ。つづく。待ってましたとばかり飛びつくこと」と注する。したがって新釈の藤井専英氏はこの文を「言葉では喜びはするが、筋を通して、すぐ飛びつかず」と訳している。しかし楊注は「而は如なり」と注して、「言」字を入れない形で解釈している。集解の王念孫は楊注が「言」字なしで読んでいることを理由に、これを削るべきと言う。いちおう楊注・王念孫に従っておく。
(注6)宋本は「兵」字があって「知兵者」に作る。読み下せば「兵を知る者」であり、するとここから以下の言葉は用兵術を述べた内容になるであろう。思うに、もしかしたら「知者」以下の文章は兵法の格言の引用がもとなのであって、荀子はそれを君子の処世術に読み替えて述べたのかもしれない。荀子の本意は兵法について述べたものではなかろうから、ここでは「兵」字のない集解本に従うことにする。
(注7)こちらの「嗛」字は注3の楊注と同じく、不足の意味である。
(注8)ここのくだりを金谷治氏は、「以て吝嗇にして施しを行わず、上に道(よ)りて重きを爲し權を下より招きて以て人を妨害す」のように読み下し、ここに「さらにけちんぼうで施しを行わず虎の威をかりながら権勢を下位の者からかき集めて他人の邪魔をする」という訳を付けている。
(注9)楊注は「炊は吹と同じ、傹はまさに僵となすべし」と言う。息を吹きかけて倒す、の意味に取る。集解の郭慶藩は「傹」字は「竟」となすべし、と言う。飯を炊く間のうちに終わる、の意味に取る。郭慶藩の説を取る。
(注10)「頓窮」を新釈は「身をかがめて謹み敬う意」と言い、「則」は猪飼補注が引く桃井源蔵の説に従って「以」字に通じるとみなす。これに従う。

仲尼篇の後半は、君子の処世論である。荀子の他篇の同様の叙述に比べて、取り立てて特筆するべき新規な内容はない。前半の覇者を捨てて王者を選ぶという宣言に比べて、後半のこの処世術はどうも格調が低い内容となっていて、蛇足の感を受ける。『詩経』からの引用もピントを外していて、もしかしたら弟子の補筆した文章が混入しているのかもしれない。

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