解蔽篇第二十一(6)

By | 2015年5月23日
およそ人間の本性(注1)を知ることによって、諸物の理(ことわり)を知ることができる。だが人間の本性を知ることができることが分かって、これによって諸物の理を知ろうとするも、これに到達する目標を正しく設定しなければ、歳月を経てついに死没に至るまでついに諸物の理解には到達できないであろう。諸物の理を探求する方法は今どき数多く提出されているが、そのどれを採用しても万物の変化を全て理解することはできない。なので、このような邪説を学んだところで、愚者と同一である。邪説を学んで身は老い子は独り立ちしても、まだ愚者と同然の地点にいるばかりで、まだその説を棄てるべきことに気づかない。こんな輩を、妄人(ぼうじん)と呼ぶ。ゆえに、学問というものは、もとより学んで到達する目標がある。その目標とは何か?それは、至足(しいそく)すなわち完全なる満足の状態である。ではどのような状態が、至足なのであろうか?それは、「聖」の境地である。聖なる者は、人の倫理を極めることができる。いっぽう王なる者は、国家の制度を極めることができる。聖と王の二つを極める者は、天下の頂点に立つことができる(注2)。ゆえに、学ぶ者は、聖と王の二つを極めた者、すなわち聖王をもって師となさなければならない。つまり、聖王の作った制度をもって法となし、その法に則って法の大綱と法判断を求め(注3)、これを通じて聖王を真似て習うのである。これに相対して学ぶ努力をするものは、士(注4)である。これに似て近づく者は、君子(注4)である。これを完全に理解できる者は、聖人(注4)である。ゆえに、知があっても聖王の法を熟慮することがなければ、知をもて物を掠め取る者となるだろう。勇気があっても聖王の法を心中に持たなければ、勇気をもて世を損なう賊となるだろう。熟察する知能があっても聖王の法に従った区分を取らないならば、熟察する知能をもて物を簒(うば)う者となるだろう。多能であっても聖王の法に則って己を脩めなければ、多能をもていたずらに身を蕩尽するばかりの役立たずとなるだろう。能弁であっても聖王の法に従って弁論しなければ、能弁をもてむだ話を行うばかりの者となるだろう。言い伝えにはこうある、「天下に二つのことがある。非には是を察し、是には非を察す」と。この言葉の意味は、王制に合致するものと王制に合致しないものを選り分けよ、ということである。だが天下には、王制をもって正道とみなさない者がいる。しかし王制を取らずして、どうやって正と不正を定めることができるだろうか?その者が是と非を分けることもできず、正と不正を分けることもできず、治乱の原因を論ずることもできず、人道を治めることもできないならば、その者が何かやっているとしてもそれは人に何の益もなく、何もやらなかったとしても人に何の損もないだろう。単に怪しげな説を学び、奇怪な弁論を操り、邪説同士で互いに乱れ争っているばかりである。悪賢くて口がうまく、厚顔にして恥を知らず、正義を持たずに恣意のままで傲慢に振る舞い、能弁をいたずらに操って利に近づき、謙遜というものを好まず、礼節を敬わず、互いが互いを陥れることを好む。これらは、乱世姦人の説である。しかも、天下の説をなす者の多くがこれに当たるのである。言い伝えにこうある、「言葉の分析を明察とみなし、多言することを弁論とみなすことは、君子の恥じるところである。博聞強記であっても王制に合わない者は、君子の賤しむところである。」と。まさにこの言葉は、天下の邪説をなす者たちのことである。このような邪説を習得しても、聖王の正道を成すための益とならない。このような邪説を求めても、聖王の正道を得るための益とならない。このような邪説を思念しても、聖王の正道に近づくための益とならない。ならばこれらの邪説を遠ざけて棄ててしまい、自分の妨げとならないようにして、一瞬たりともこれに心中を毒させないようにして、過去に学んだ邪説の蓄積など惜しむことをせず、邪説を棄てることによって今後のことを不安がるようなこともせず、心残りなどすっぱりと捨てて、聖王の正道もて時に応じて動き、物が迫ったら応じ、事が起こったら語るのだ。こうすれば、何が治をもたらし何が乱をもたらすか、いずれが可でいずれが否であるか、これらのことは心中に明々白々となるであろう。

秘密にすれば政治はうまく行き、秘密が漏れたら政治は崩れる、という説があるが、明君ならばそのようなことは決してない。明確に表明すれば政治はうまく行き、隠せば政治は崩れる、という説があるが、暗君ならばそのようなことは決してない。(明君が明確に表明すれば政治はうまく行く、というのが正解である。)ゆえに、人に君たる者が秘密主義を取るならば、讒言をなす者は近づき、直言をなす者は退き、小人が近づいて君子は遠ざかるのである。詩に、この言葉がある。:

墨(やみ)を明るいと嘘つけば、
狐や狸がやってくる
(逸詩。原詩は伝わらない)

まさに、讒言をなす狐や狸どもの格好の餌場となるのである。しかし人に君たる者が明確に表明するならば、直言をなすものがやって来て、讒言をなす者は遠ざかり、君子が近づいて小人は遠ざかるのである。『詩経』に、この言葉がある。:

明明(めいめい)と下にあらば
赫赫(かくかく)と上にあり
(大雅、大明より)

この言葉は、上の君主が明確に表明するならば、下の人民が教化されるという意味である(注5)


(注1)原文「性」。ここでは性悪篇のような「人間は欲望が本性である」といった意味ではなくて、解蔽篇のここまでの叙述で展開された、人間の認識は外物を感覚として全て受け止めるのであって、これを理性によって統制しなければ認識がぶれて混乱した思考に陥るが、理性を正しく用いれば全ての認識を正しく整理して迷うことがなくなる、という(荀子の考える)人間の認識構造のことを言っている。
(注2)聖なる者(=聖人)は、知能を人間倫理の側面にあてはめる。王なる者(=王者)は、知能を国家制度の側面にあてはめる。聖と王の二つを極める者(=聖・王)は、ゆえに人間秩序の頂点にあってその知能を社会にあてはめることができる、という論理である。聖人が王とならなければならない、という正論篇の議論と同一である。
(注3)原文読み下し「其の法に法(のっと)りて以て其の統類を求め」。「統類」を楊注は法の大綱、と言う。まず、聖王が定めた絶対正義の法がある。その後に習う官僚たちは、その法に則って行政を執らなければならない。「統」は法の大綱と言うべきであり、「類」はその大綱に従った判断と言うべきである。「類」については勧学篇(4)の注1、および王制篇(1)の注2を参照。
(注4)「士」の通常の意味は、下級の宮廷人のことである。ここでは士・君子・聖人を法の理解度に比例した官僚秩序の位置づけとして用いている。現代的に言い換えれば「士」はノンキャリアの実務官僚、君子はキャリアの政策官僚、聖人はその頂点にある国家元首であろう。
(注5)この解釈は、荀子の断章取義である。つまり、荀子は詩の原義から離れてこのフレーズを引用している。『大明』における原義は、「下」は天命を受けた王であり、「上」は天帝のことである。
《原文・読み下し》
凡そ人の性を知るを以てして、以て物の理を知る可きなり。以て人の性を知る可きを以てして、以て物の理を知る可きことを求めて、之に疑止(ぎょうし)する(注6)所無ければ、則ち沒世(ぼっせ)・窮年して徧(あまね)きこと能わず。其の理に貫(なら)う(注7)所以は、億萬已(なり)(注8)と雖も,以て萬物の變に浹(あまね)くするに足らず、愚者と一の若(ごと)し。學んで身を老し子を長じて、而(しか)も愚者と一の若く、猶お錯(お)くことを知らず、夫れ是を之れ妄人(ぼうじん)と謂う。故に學なる者は、固(もと)より學んで之に止まるなり。惡(いずく)にか之れ止まる。曰く、諸(こ)れ至足(しいそく)に止まる。曷(なに)をか至足と謂う。曰く、聖なり。聖なる者は、倫を盡(つく)す者にして、王なる者は、制を盡す者なり。兩(ふた)つながら盡す者は、以て天下の極爲(た)るに足る。故に學ぶ者は聖王を以て師と爲し、案(すなわ)ち聖王の制を以て法と爲し、其の法に法(のっと)りて以て其の統類を求め、以て務めて其の人に象效(しょうこう)す。是(これ)に嚮(むか)いて務むるは士なり、是に類して幾(ちかづ)くは君子なり。之を知るは聖人なり。故に知有りて以て是を慮するに非ざれば、則ち之を懼(かく)(注9)と謂う。勇有りて以て是を持するに非ざれば、則ち之を賊と謂う。察孰(さつじゅく)にして以て是を分つに非ざれば、則ち之を篡(さん)と謂う。多能にして以て是を脩[蕩](注10)(おさ)むるに非ざれば、則ち之を知(とう)(注10)と謂う。辯利(べんり)にして以て是を言うに非ざれば、則ち之を詍(せつ)と謂う。傳に曰く、天下に二有り、非には是を察し、是には非を察す、と。王制に合すると王制に合せざることとを謂うなり。天下是れを以て隆正と爲さざること有るなり。然り而(しこう)して猶お能く是非を分ち曲直を治むる者有らんや。若(も)し夫れ是非を分つに非ず、曲直を治むるに非ず、治亂を辨ずるに非ず、人道を治むるに非ざれば、之を能くすと雖も人に益無く、能くせざるも人に損無し。案(すなわ)ち直(ただ)に將(は)た怪說を治め、奇辭(きじ)を玩(もてあそ)び、以て相撓滑(どうこつ)するのみ。案ち强鉗(きょうけん)にして利口、厚顏にして詬(はじ)を忍び、正無くして恣睢(しき)、妄辨(ぼうべん)にして利に幾(ちか)づき、辭讓(じじょう)を好まず、禮節を敬せずして、好んで相推擠(すいせい)す。此れ亂世姦人の說にして、則ち天下の說を治むる者、方(まさ)に多く然り。傳に曰く、辭を析(せき)して察と爲し、物を言いて辨と爲すは、君子之を賤しむ。博聞・强志にして、王制に合せざるは、君子之を賤しむ、とは、此を之れ謂うなり。之を爲すも成すに益無く、之を求むるも得るに益無く、之を憂戚(ゆうせき)するも幾(ちか)づくに益為し。則ち廣焉(こうえん)(注11)として能く之を弃(す)てて、以て自から妨げず、少頃(しばらく)も之を胸中に干(おか)さしめず(注12)、往(おう)を慕わず、來(らい)を閔(うれ)えず、邑憐(ゆうりん)(注13)の心無く、時に當りて動き(注14)、物至りて應じ、事起りて辨ず。治亂・可否は、昭然として明(あきら)かなり。
周にして成り、泄(せつ)(注15)にして敗るるは、明君之れ有ること無きなり。宣にして成り、隱にして敗るるは、闇君之有ること無きなり。故に人に君たる者は、周なれば則ち讒言(ざんげん)至りて、直言反(かえ)り、小人邇(ちか)づきて、君子遠ざかる。詩に曰く、墨以て明と爲せば、狐狸而(そ)れ蒼たり(注16)、とは、此れ上幽にして下險なるを言う。人に君たる者は宣なれば、則ち直言至りて、讒言反り、君子邇づきて、小人遠ざかる。詩に曰く、明明として下に在り、赫赫(かくかく)として上に在り、とは、此れ上明(めい)にして下化(か)するを言うなり。


(注6)集解の兪樾は、「疑」は「定(ぎょう)」と訓じ、「定」は「止」と同義、と言う。「疑止(ぎょうし)」で、「とどまる」。
(注7)楊注は「貫」は「習」なり、と言う。ならう。
(注8)原文「雖億萬已」。「已」を荻生徂徠は「矣」と通じる、と言う。集解の兪樾は「已」はなお「終」のごとし、と言い、これに従うならば「已(つい)に」と読んで下の文の冒頭に付けるべきである。なお新釈の藤井専英氏は兪樾と同じく下の文に繋げながら「已」を「とどまる」と読んで「以て萬物の變に浹くするに足らざるに已(とど)まれば」となす解釈も例示しておられる。ここでは、徂徠説に従う。
(注9)ここから続く五つの文は難解で、解釈が一定しない。ともかく知能の悪用を戒めた文であることは確かである。「懼」について猪飼補注は、疑うは「悪」たるべし、と言う。集解の王引之は、「攫」となすべしと言う。とりあえず王引之説を採用しておく。さらう、かすめとる。
(注10)荻生徂徠は「脩蕩」の「蕩」を衍と言い、「知」を「蕩」の誤り、と言う。猪飼補注は「知」は疑うは「矯」字の欠画であると言う。「矯」は詐偽の意。集解の王引之は「知」は智故すなわち陰険な巧智のことであると言い、この用法の例として荀子非十二子篇を挙げる。いずれの説も明快ではないが、徂徠説が「蕩」字の位置を替えるだけの最も簡単な解釈である。なので、あえて徂徠説を取ることにしたい。
(注11)楊注は、「広」は「曠」と言う。「曠焉」で、とおい。
(注12)増注は、「干」は「犯」の意と言う。おかす。
(注13)楊注の或説は、「邑」は「悒」と同じで「憐」は「吝」と読む、と言う。「悒吝(ゆうりん)」で、惜しんで心がふさがること。
(注14)原文「當時則動」。増注は「則」はなお「而」のごとしと言う。これに従い読み下す。
(注15)「泄」を漢文大系は「えい」と訓じ、新釈は「せつ」と訓じる。漢文大系は「泄泄(えいえい)」の語に近づけた訓と思われる。泄泄は、多弁であること。新釈は「泄」字の単独の読みを採用していると思われる。いずれも「漏泄(ろうせつ)」すなわち漏れることの意に取っている。訓は新釈に従う。
(注16)逸詩である。楊注は「墨」を蔽塞、蒼を狐狸の色と言う。集解の盧文弨は「墨」を幽暗の意と言う。増注は、「墨」を「嘿」と同じと言う。猪飼補注は、「蒼」は「茂」なりと言う。藤原栗所は、「蒼」を「蹌」とみなす。「蹌」は、はしるの意。逸詩なので明確な判定ができないが、漢文大系・新釈に従って「墨」は盧文弨に従い、「蒼」は藤原栗所に従う。

最後に、誤って智を用いる諸子百家たちを批判して解蔽篇は終わる。末尾だけ多少異なる論調であり、正論篇冒頭の説と同じ趣旨の文章が置かれている。この篇を記録した弟子が、補遺として付け加えたのかもしれない。荀子の諸子百家への批判は、孟子のそれが農家・墨家・縦横家らへの個別的な攻撃に終始しているのに対して、全ての邪説をひっくるめて、それらの知識はしょせん不完全な知識でしかない、真の知識は王制に則ることによってのみ得られる、と総括的に批判することで、読む者にその論点が分かりやすく、よってその問題点も頭に入りやすい。しかし『論語』や『孟子』は断章の連続であって、多義的な解釈を許す。それがこの両書の面白さであり、長く愛好されてきた理由である。だが荀子は、現代語訳で読んだほうがよい。論旨が明確であり、荀子が目指す法治官僚国家の理想の現代的意義と問題点が浮かび上がってくるであろう。荀子の思想は、古代西洋思想と比較することにも耐えられると私は思う。論語の言葉などは西洋の言語に訳したときには「酋長のつぶやき」でしかなく、ロゴスを縦横に駆使する古代西洋思想と同じ土俵で戦うことは困難である。

続いて、正名篇に移りたい。孔子の「名正しからざれば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず」(論語、子路篇)という政策の荀子的解釈が、ここで開示される。それは、現代的用語で言えば、言論統制である。

【次は、「正名篇第二十二」を読みます。】

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