『大学或問』伝十章の二~斉家治国平天下が各章ある理由・平天下とは進んだ国内統治のこと~
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。 〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。 〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。 〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。 |
《読み下し》 曰、身自(よ)りして家、家自りして國、國自りして天下、均しく己を推し人に及ぼすの事と爲す、而(しこう)して傳の之を釋する所以の者、一事自ら一説と爲す、相通ずること能わざる者有るが若きは何ぞや。 曰、此れ勢の遠邇、事の先後を以て、施す所同じからざること有るのみ、實に異事有るに非ず、蓋し必ず物に接(まじ)わるを審かにし、好惡偏ならず、然して後に倫理を正し、恩義を篤うして、其の家を齊うること有り、其の家已に齊をり、事皆法(のっと)る可くして、然して後に以て標準を立て、教誨を胥(ま)ちて、其の國を治むること有り、其の國已に治まり、民興起を知りて、然して後に以て己を推し物を度(はか)りて、此を擧げて彼に加えて、天下を平にす可し、此れ其の遠近先後を以て、施すこと同じからざること有るなり、然れども國自り以上は、則ち内を治むる者、嚴密にして精詳なり、國自り以下は、則ち外を治むる者、廣博にして周遍なり、亦其の本末實に一物、首尾實に一身たることを見つ可し、何ぞ名づけて異説を爲さんや。 曰、所謂(いわゆる)民の父母というは何ぞや。 曰、君子に絜矩の道有り、故に能く己が好惡を以て、民の好惡を知り、又能く民の好惡を以て、己が好惡と爲すなり、夫れ其の好む所を好んで、之を與(あた)え之を聚(あつ)め、其の惡(にく)む所を惡みて、以て施さざるときは、則ち上の下を愛すること、眞に猶お父母の其の子を愛するがごとし、彼の民の其の上を親しむこと、豈に亦猶お子の其の父母を愛するがごとくならんや。 曰、此に引く所の節、南山の詩は何ぞや。 曰、言は尊位に在る者は、人の觀仰する所謹まずんばある可からず、若し人君己を恣(ほしいまま)にし私に徇(したが)いて、天下と其の好惡を同せざるときは、則ち天下の僇(りく)と爲ること、桀紂幽厲(けつちゅうゆうれい)(注1)が如し。 曰、衆を得れば國を得、衆を失えば國を失うは何ぞや。 曰、言は能く絜矩すれば、則ち之を父母として、衆を得國を得、絜矩すること能わざれば、則ち天下の僇と爲りて、衆を失い國を失う。 曰、所謂先ず德を愼むは何ぞや。 曰、上には國を有(たも)つ者は謹まずんばある可からざることを言う、此には其の謹みて當に先すべき者は尤も德に在ることを言う、德は即ち所謂明德なり、之を謹む所以は、亦物を格し知を致し意を誠にし心を正して、以て其の身を脩むるのみ。
(注1)桀紂は、伝十章の一注を参照。幽厲は周の幽王・厲王で、西周を代表する暗君。詳細は拙作ブログ「新読荀子」成相篇第二十五(4)の注を参照してください。
|
《要約》
|