『大学或問』伝六章~誠意~
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。 〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。 〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。 〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。 |
《読み下し》 或(あるひと)問う、六章の指(むね)、其の詳なること猶お得て言う可き者有りや。 曰、天下の道二つ、善と惡とのみ、然して厥(そ)の元とする所を揆(はか)りて、其の次第に循えば、則ち善は、天命の賦する所の本然、惡は、物欲の生ずる所の邪穢なり、是を以て人の常の性、善有らずということ莫くして惡無し、其の本心善を好(よみ)して惡を惡(にく)まざること莫し、然して旣に是の形體の累有りて、又氣稟の爲に拘わる、是を以て物欲の私以て之を蔽うことを得て、天命の本然なる者得て著われず、其の事物の理に於て、固(まこと)に瞢然(ぼうぜん)(注1)として其の善惡の在る所を知らざる者有り、亦僅かに其の粗を識りて、眞に其の好す可く惡む可きの極を知ること能わざる者有り、夫れ善の眞に好す可きことを知らざれば、則ち其の善を好するや之を好すと曰うと雖も、而も未だ好せざる者以て之を内に拒むこと無きこと能わず、惡の眞に惡む可きことを知らざれば、則ち其の惡を惡むや之を惡むと曰うと雖も、而も未だ惡まざる者以て之を中に挽(ひ)くこと無きこと能わず、是を以て苟焉(こうえん)(注2)として以て自ら欺いて、意の發する所誠ならざる者有ることを免れず、夫れ善を好みて誠あらざれば、則ち惟だ以て善を爲るに足らざるのみに非ず、反て以て其の善を賊うこと有り、惡を惡みて誠あらざれば、則ち惟だ以て惡を去るに足らざるのみに非ず、適(まさ)に其の惡を長する所以なり、是れ則ち其の害を爲すことなり、徒に甚しきこと有りて、而(しか)も何の益か有らんや、聖人此に於て、蓋し之を憂うること有り、故に大學の敎を爲して、而して必ず之を首るに格物致知の目を以てして、其の心術を開明す、旣に以て夫の善惡の在る所と、其の好す可く惡む可くの必然とを識ること有らしむ、此に至りて復た之を進むるに必ず其の意を誠にするの説を以てするときは、則ち又其の之を幽獨隠微の奥に謹みて、以て其の苟且(こうしょ)自欺(じぎ)の萌を禁止せんと欲して、而して凡そ其の心の發する所、善を好すと曰うが如きは、則ち必ず中由(よ)り外に及ぶまで、一毫の好せずということ無し、惡を惡むと曰うが如きは、則ち必ぜ中由り外に及ぶまで、一毫の惡まずということ無し、夫れ善を好みて中好せずということ無きは、則ち是れ其の之を好することなり、好色を好するの眞なるが如し、以て己が目を快くせんことを(注3)欲す、初より人の爲にして之を好するに非ず、惡を惡みて中惡まずという無きは、則ち是れ其の之を惡むこと、惡臭を惡むの眞なるか、以て己が鼻に足らんことを欲す、初より人の爲にして之を惡むに非ず、發する所の實、旣に此の如し、而して須臾の頃(あいだ)、繊芥の微、念念相承く、又敢て少しき間斷有ること無きときは、則ち庶は内外昭融表裏澄徹して、心正しからずということ無く、身脩まらずということ無し、若し彼の小人幽隠の間、實に不善を爲して、猶お外善に記して以て自益せんと欲せば、則ち亦其の全然(注4)として善惡の在る所を知らずと謂う可からず、但だ其の眞に好惡す可きことを知らざるを以て、又之を獨りに謹みて以て其の苟且自欺の萌を禁止すること能わず、是を以て淪陷して此の如くなるに至りて自ら知らざるのみ、此の章の説、其の詳なること此の如し、是れ固に宜しく自ら脩むるの先務と爲すべし、然も以て其の知識の眞を開くこと有るに非ざれば、則ち以て其の好惡の實を致すこと有ること能わじ、故に必ず曰く其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致すと、又曰く、知至りて而して后に意誠なりと、然も猶を敢て其の知の已に至ることを恃(たの)みて、其の自ら爲る所に聽せざるなり、故に又曰必ず其の意を誠にす、必ず其の獨を謹みて自ら欺くこと毋(な)かれと曰うときは、則ち大學の工夫次第相承け、首尾一と爲して、他術を假りて以て其の間に雜えず、亦見つ可し、此より後皆然り、今復た重出せざるなり。 曰、然らば則ち慊(きょう)の義爲ること、或は以て少と爲し、又て恨と爲す、此と同じからざるは何ぞや。 曰、慊の字爲ること、嗛(けん)に作る者有り、字書に以て口銜(は)むと爲す物なり、然らば則ち慊も亦但だ心銜む所有ることの義と爲す、而して其の快と爲し足(そく)と爲し恨と爲し少と爲すときは、則ち銜む所の異を以て之を別つのみ、孟子の所謂心に慊(こころよ)し(注5)、樂毅が所謂志に慊し(注6)というは、則ち其の快と足との意を銜むを以て言う者なり、孟子の所謂吾何ぞ慊(うら)みん(注7)、漢書に所謂栗姫を嗛む(注8)、則ち以て其の恨と少との意を銜むを以て言う者なり、讀者各指す所に隨いて之を觀れば、則ち旣に竝び行いて悖らず、字書に又其の快と足とに訓する者を以て、讀みて愜(きょう)(注9)と同じときは、則ち義愈(いよいよ)明にして音又異なり、尤も別無きことを患えざるなり。
(注1)瞢然は、くらい、よくみえない様。
(注2)苟焉は、かりそめに、その場しのぎで。苟且と同じ。 (注3)「快」字の送り仮名について、出典の画像がつぶれて判別できないのでサイト作成者が付けた。 (注4)全然は、完全な様。外向きには善悪のありかを完全に知っていると必ず言う(が、心の中では真に善を好み悪をにくむことができない)。 (注5)孟子公孫丑章句上より。当サイトの大学或問・経の五の注を参照。 (注6)史記樂毅列伝「先王以爲(おもえ)らく志に慊(こころよ)し」より。楽毅が燕の恵王に宛てた書に見える。楽毅は先王(燕昭王)のために将軍として斉を滅亡寸前まで追い込んだが、戦役の途上で先王は死んだ。後継の恵王は楽毅の野心を疑い、讒言を容れて将軍職を解任した。楽毅は亡命し、燕は斉に反撃されて占領地を全て失った。恵王は後悔して、亡命した楽毅に先王の恩を思い出してほしいと書を送った。それに対して、楽毅は先王からの恩義に背くことはしないことを伝える書を返答した。 (注7)孟子公孫丑章句下「曾子曰く、晋楚の富は及ぶ可からざるも、彼は其の富を以てし、我は吾が仁を以てす。彼は其の爵を以てし、我は吾が義を以てす。吾何ぞ慊まんや。」 (注8)漢書外戚伝の漢景帝の段を指していると思われるが、現行本に「栗姫を嗛む」の字はないようである。史記外戚世家の漢景帝の段はほぼ漢書と同じ文意であるが、そこに「景帝恚(いか)り、心に嗛(うら)むも未だ發せざるなり」とは見える。だがやはり「栗姫を嗛む」は見えない。四書大全に引かれる「史記の西漢景帝傳に、、」以下の文に「栗姫を慊む」が見える。その内容は史記・漢書の記事と変わらないが、文が多少違っている(『資治通鑑』であろうか?)。栗姫は前漢景帝の夫人のひとりで、実子が一度は皇太子に立てられたが謀略によって廃太子となり、憂悶して死んだ。 (注9)愜は、こころよいの意。「慊」字の一方の意と重なる(読みキョウ)。 |
《要約》
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