大学或問・経の一 ~明明徳・新民・止至善とは何か~

投稿者: | 2023年3月10日

『大学或問』経の一~明明徳・新民・止至善とは何か~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
曰、然らば則ち此の篇に所謂(いわゆる)明德を明にするに、民を新にするに、至善に止まるに在りという者、亦其の説の詳なることを聞く可しや。
曰、天道流行して、萬物を發育す、其の造化を爲す所以の者は、陰陽五行のみ、而(しこう)して所謂陰陽五行は、又必ず是の理有る後に是の氣有り、其の物を生ずるに及びては、則ち又必ず是の氣の聚(あつま)るに因りて後に是の形有り、故に人物の生、必ず是の理を得て、然して後に以て健順仁義禮智の性を爲すこと有り、必ず是の氣を得て、然して後に以て魂魄五臓百骸の身を爲すこと有り、周子(注1)の所謂無極の眞、二五の精、妙合して凝るという者は、正に是を謂うなり、然も其の理を以て之を言えば、則ち萬物一原、固(まこと)に人物貴賤の殊なること無し、其の氣を以て之を言えば、則ち其の正にして且つ通ずる者を得るを人と爲し、其の偏にして且つ塞がる者を物と爲す、是を以て或は貴く或は賤しうして齊(ひと)しきこと能わず、彼の賤うして物と爲る者は、旣に形氣の偏塞に梏(こく)して、以て其の本體の全を充つること無し、唯人の生は、乃ち其の氣の正にして且つ通ずる者を得、而して其の性最も貴しと爲す、故に其の方寸の間、虚靈洞徹して、萬理咸(ことごと)くに備わる、蓋し其の禽獸に異なる所以の者の、正に此に在り、而して其の堯舜爲(た)りて能く天地を參して化育を賛(たす)く(注2)可き所以の者も、亦外ならず、是れ則ち所謂明德という者なり、然も其の通ずるや、或は淸濁の異なること無きこと能わず、其の正しきや、或は美惡の殊なること無きこと能わず、故に其の賦する所の質、淸なる者は智にして濁なる者は愚なり、美なる者は賢にして惡なる者は不肖なり、又同じきこと能わざる者の有り、必ず其の上智大賢の資は、乃ち能く其の本體を全うして、少しき不明無し、其の此に及ばざること有るは、則ち其の所謂明德という者の、已に蔽われて其の全を失うこと無きこと能わず、況んや又氣質蔽う有るの心を以てや、事物窮まり無きの變に接(まじ)わらば、則ち其の目の色を欲し、耳の声を欲し、口の味を欲し、鼻の臭を欲し、四肢の安佚を欲する、其の德を害する所以の者の、又豈に勝(あ)げて言う可きや、二の者の相因り、反覆深固す、是を以て此の德の明、日に益(ますます)昏昧して、而して此の心の靈、其の知る所の者の、情欲利害の私に過ぎざるのみ、是れ則ち人の形有ると曰うと雖も、而も實は何を以てか禽獸に遠からん、以て堯舜爲りて天地に參する可しと曰うと雖も、而も亦以て自ら充ちること有ること能わず、然も本明の體は、之を天に得て、終に得て昧(くら)ます可からざる者有り、是を以て其の昏蔽の極と雖も、而も介然(かいぜん)(注3)の頃(あいだ)、一も覺ること有れば、則ち此の空隙の中に卽きて、其の本體已に洞然(どうぜん)(注4)たり、是を以て聖人敎を施して、旣に已に之を小學の中に養いて、復た之を開くに大學の道を以てす、其れ必ず之を先にするに格物致知の説を以てする者は、之を其の養う所の中に卽きて、而して其の發する所に因りて、以て其の之を明にするの端を啓かしむる所以なり、之に繼ぐに誠意正心修身の目を以てする者は、則ち又之を其の已に明なるの端に因りて、之を身に反して、以て其の之を明にするの實を致さしむる所以なり、夫れ旣に以て其の之を明にするの端を啓くこと有りて、又以て其の之を明にするの實を致すこと有らば、則ち吾が天に得て未だ嘗て明らかならずばあらざる所の者の、豈に超然として氣質物欲の累有ること、其の本體の全に復(かえ)り得ざらんや、是れ則ち所謂明德を明にすという者にして、性分の外に作爲する所有るに非ず、然も其の所謂明德は、又人人の同じく得る所にして、我が私を得ること有るに非ず、向(さき)に倶に物欲の爲に之蔽わるるときは、則ち其の賢愚の分、固に以て大いに相遠き者の無し、今吾れ旣に幸に以て自ら明にすること有るときは、則ち彼の衆人の同じく此を得て而して自ら明にすること能わず、方に且つ心を甘して卑汚苟賤の中に迷惑没溺して自ら知ざるを視れば、豈に之が爲に惻然(そくぜん)(注4)として以て之を救うことを有ることを思わざらんや、故に必ず吾が自ら明にする所の者を推して以て之に及ぼす、家を齊うるに始まり、國を治むるに中(なかごろ)にして、終に天下を平するに及ぼす、彼の是の明德有りて自明にすること能わざる者をして、亦皆以て自明にして、其の舊染の汚を去ること有らしむ、是れ則ち所謂民を新にすという者にして、而も亦之を付畀(ふひ)(注6)增益する所有るに非ず、然して德の己に在りて當に明にすべきと、其の民に在りて當に新にすべき者とは、則ち又皆人力の爲する所に非ず、而して吾が明にして之を新にする所以の者は、又私意苟且(こうしょ)(注7)を以て爲す可きに非ず、是れ其の之を天に得て日用の間に見る所以の者の、固に已に各本然一定の則(のり)有らずということ莫し、程子の所謂其の義理精微の極、得て名づく可からざるの者有るを以て、故に姑(しばら)く至善を以て之に目(なづ)く、而して傳に所謂君の仁、臣の敬、子の孝、父の慈、人と交わるの信の、乃ち其の目の大なる者なり、衆人の心、固に是有らずということ莫し、而して或は知る能わず、學者或は之を知ると雖も、而も亦能くすること鮮し、必ず是に至りて去らず、此れ大學の敎を爲す者の、其の理を慮る所以粗(ほぼ)復(かえ)ると雖も而も純ならざること有り、己に粗克(よ)くすと雖も而も盡さざること有り、且つ將に以て夫の己を修め人を治むの道を盡すこと無からんとす、故に必ず是を指して言いて、以て德を明にし民を新にするの標的と爲す、德を明にして民を新にせんと欲する者、誠に能く必ず是に至らんことを求めて、其の少しも過不及の差(ちが)い有ることを容れざるときは、則ち其の人欲を去って天理に復る所以の者、毫髮の遺恨無し、大抵大學一篇の指(むね)、總て之を言えば、八事を出でず、而して八事の要、總て之を言えば、又此の三者を出でず、此れ愚斷然として以て大學の綱領と爲して疑い無き所以なり、然れども孟子没して道學其の傳を得ざる自(よ)り、世の君子、各其の意の便なる所の者を以て學と爲す、是に於て乃ち其の明德を明することを務めずして、徒(いたずら)に政敎法度を以て民を新にするに足れりと爲する者有り、又身を愛して獨り善くし、自ら以て其の明德を明にするに足れりと謂いて、民を新することを屑(いさぎよし)とせざる者有り、又略(ほぼ)二の者の當に務むべきを知りて、顧るに乃ち小成に安んじ、近利に狃れて、至善の在る所に止まることを求めざる者有り、是れ皆此の篇を考えざるの過ち、其れ能く己を成し物を成して謬らざる者鮮し。
曰、程子の親を改めて新と爲すは、何の據る所かある、子が之に從うこと、又何の考うる所あって必ず其の然ることをや、且つ己が意を以て輕(かるがる)しく經文を改む、恐らくは疑を傳うる(注8)の義に非ざらんことを、奈何。
曰、若し考うる所無くして輙(すなわ)ち之を改めば、則ち誠に吾子が譏の若し、今民を親と云う者の、文義を以て之を推せば則ち理無し、民を新にすと云う者の、傳文を以て之を考うれば則ち據るところ有り、程子此に於て、其の之を處する所以の者も亦已に審かなり、矧(いわん)や未だ嘗て其の本文を去らずして、但(た)だ曰(いわく)某は當に某に作るべしと、是れ乃ち漢儒經を釋(と)きて已むことを得ざるの變例、而も亦何ぞ疑を傳うる害あらんや、若し必ず改めざるを以て是と爲(せ)ば、則ち世蓋し誤を承けて訛を踵(ふ)み、心是に非ざるを知れども、而も故(ことさら)に穿鑿附會を爲して、以て其の説の必ず通ぜんこと求むる者をして有らん、其の聖言を侮り後學を誤ること益(ますます)甚し、亦何ぞ取りて以て法と爲するに足らんや。


(注1)周子とは周敦頤(しゅうとんい)のことで、程顥・程頤の師。朱子によって孔・孟以来の道統を宋代に継いだ者として称揚される。説かれている陰陽・五行・理気を用いた万物生成論は、周敦頤の『太極図説』にある。
(注2)中庸「天地の化育を賛く可くんば、則ち以て天地と參なる可し」から。堯舜ほど明徳を明らかにすれば、天地の造化育成を助けることができて、天地に並び立つ人にすらなる。
(注3)介然は、たちまち、にわかに。
(注4)洞然は、がらんどうでひろびろとした様。ひとたび目覚めると空虚を充たすようにどんどんひろがっていく。
(注5)惻然は、悲しみいたむ様。明徳に目覚めた者は、必ずやいまだ不明なる人々に心を傷めてこれを救おうとする。
(注6)付畀は、つけくわえること。
(注7)苟且は、かりそめ、一時のまにあわせ。自らの明徳を明にして民を新にすることは私意・まにあわせのやり方で出来るものではない。
(注8)春秋穀梁伝「信は以て信を傳え、疑は以て疑を傳う」から。
《要約》

  • 周敦頤の説によれば天道の流行・万物の発育をなす者は陰陽五行であり、陰陽五行には理があり、理によって気が集まり万物となる。人間は、気が集まり生じた万物の中で正にして通じる(ことができる)存在であって、最も貴い。その人間固有の能力が明徳であって、最大限に発揮すれば堯舜のように天下を完全に統治できる。
  • ただ人間には堯舜のように明徳を全うできる者と、人欲に勝てず明徳を全うできない者がいる。だがそのような愚不肖の者でも本明の体がなくなったわけではなくて、目覚めるきっかけがあれば明徳を取り戻すことは可能である。
  • 聖人は人々が明徳に目覚めるきっかけを与えるために小学の教えを定め、大学では格物致知して反省し、誠意正心して脩身し、それを他人に広げるために斉家治国平天下に進む、という道を定めたのだ。
  • 目覚めた者はいまだ目覚めず汚賎の中にいる者たちを悲しみ、これらを改めて救い出すことを望むのだ。これが「民を新にする」の意味である。
  • 明明徳・新民をなすには私意を越えた本然一定の則(のり)があり、これを天から得て日用の間に用いるべきものがある。名付け難きこれを仮に「至善」と名付ける。
  • 明明徳・新民を目指す者は、人欲を去って天理に復(かえ)り、至善に止まることを目指さなければいけない。孟子没後にこの点で中途半端な教えが広がったのは、『大学』の教えについてよく考えなかった結果である(例として、政教法度で民を新にしようとする法家思想。自分の明徳を明らかにするだけで民を新にすることを厭う老荘・仏教。また小成近利に満足して至善を目指さない小才子たち)。
  • 「親民」字を「新民」に変えた程子の説は、「親民」では文義が通らないが「新民」は伝文に論拠があるというものである(すなわち後ろの伝二章)。考えなしに変えたものではない。

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