大学章句:伝二章

投稿者: | 2017年7月4日
大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。
細字は、『礼記』大学篇に朱子が付け加えた書き下ろし文を示す。
小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。
《読み下し》
湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰(いわ)く、苟(まこと)に日に新(あらた)にせば、日日に新に、又日に新なり、と。
盤は、沐浴(もくよく)の盤なり。銘は、其の器に名づけて、以て自ら之を警(いまし)むるの辭(じ)なり。苟は、誠なり。湯以(おも)えらく、人の其の心を洗濯し、以て惡(あく)を去るは、其の身を沐浴し、以て垢を去るが如し、と。故(ゆえ)に其の盤に銘せり。言うは、誠に能(よ)く一日以て其の舊染(きゅうせん)の汙(お)を滌(あら)いて自ら新にする有らば、則ち當(まさ)に其の已(すで)に新なる者に因りて、日日に之を新にし、又日に之を新にすべくして、略(ゆめ)にも間斷(かんだん)有る可からざるなり、と。
康誥(こうこう)に曰く、新にするの民を作(お)こす、と。
之を鼓(こ)し之を舞(ぶ)する、之を作と謂(い)う。言うは、其の自ら新にするの民を振起(しんき)するなり。
詩に曰く、周は舊邦(きゅうほう)と雖(いえど)も、其の命(めい)維(こ)れ新なり、と。
詩は、大雅(たいが)文王(ぶんおう)の篇。言うは、周國は舊(ふる)しと雖も、文王に至りて能く其の德を新にし、以て民に及ぼして、始めて天命を受けたるなり、と。
是(こ)の故に君子は其の極を用いざる所無し。
自ら新にすると民を新にするとは、皆至善に止まらんことを欲するなり。

右は傳(でん)の二章。民を新にするを釋(と)く。


《用語解説・本文》
殷王朝(BC17世紀?-BC1122?。最後の都の名を取って、商王朝と称することもある)の開祖、湯王のこと。伊尹(いいん)を登用して、夏(か)王朝の桀王(けつおう)を倒して革命を行った。
朱子は「沐浴の盤なり」と注する。古代、神前の儀式において手を洗うために用いる祭器。青銅の鋳物で作られて、盤面に子孫に教訓とするべき銘文を鋳込んだ。
康誥『書経』周書、康誥篇。伝首章参照。
詩に曰く朱子の注にあるとおり、以下は『詩経』大雅、文王篇にある句。詩経は古代周王朝が編纂した、周王朝の宮廷音楽および各地の歌謡を集めたアンソロジー。国風・小雅・大雅・頌の四部に分けられる。大雅は、周王朝の宮廷において饗宴のさいに演奏とともに歌われたという。
周は舊邦と雖も、其の命維れ新なり史記によれば、周王朝の祖はいにしえの聖王舜(しゅん)に仕えた后稷(こうしょく)という。后稷から下って古公亶父(ここうたんぽ)の代に、岐山(きざん。陝西省)のふもとに一族挙げて移住した。その孫が西伯(せいはく)であり、文王(ぶんおう)の号を追贈された。文王の勢威はすでに主家の殷王室をしのいでいたが、文王の生前は殷王室を尊重した。その死後、子の武王(ぶおう)が殷の紂王(ちゅうおう)を牧野の戦で打ち取り、革命を行った。よって周王家の歴史は古くにさかのぼるのであるが、文王の代に至って新たに天命が降りて天下を受け継いだ、というのがこの詩の言葉の意味である。
君子『論語』『孟子』においては、君子とは統治者階級にふさわしい教養と徳を備えた人を指す。『荀子』においては論語孟子の意味を継承しながらも、来るべき統一中華帝国においてそのような存在が社会的に果たす役割として、君主の側近にあって政治判断を行う高級官僚を想定する。礼記大学篇が荀子学派の影響下に戦国時代末期から漢代ごろに作られたとするならば、ここで用いられる君子の意味は荀子の用法に近づいていたと思われる。
右は傳の二章。民を新にするを釋く朱子は礼記大学篇原文の上のくだりをもって、経の「親民」の伝とみなした。朱子は上のくだりを「自ら新にすると民を新にする」の意味であると解釈して、ひるがえって経の「親民」は「新民」の意味である、とみなしたのであった。これは経と伝とが一対一対応しているはずだ、という朱子の仮定に基づいた改変である。しかし経の「親民」と上のくだりが対応しているはずだというのは朱子(および先行する二程子)の臆見であり、根拠はない。

《用語解説・朱子注》
自ら新にすると民を新にするとは、皆至善に止まらんことを欲するなり礼記大学篇の原文の並び方に即して読むならば、「極」はこの前の箇所にある「盛徳至善」(朱子によって伝三章の後半に移される)を指しているという新釈漢文大系の解釈のほうがより妥当であると思われる。だが朱子は、「極」をつづく伝三章の「止至善」を指している、と限定して解釈している。下の訳は、「盛徳」の意も盛り込んでおいた。

《現代語訳》
湯王の盤の銘文には、「一日、真摯に心の古い汚れを取り除き、心を新たにしなさい。そうやって日々に新たになり、また次の日も新たにしなさい」とある。
「盤」とは、沐浴するための水盤である。「銘」とは、器に鋳込んで自らを戒めるための言葉のことである。「苟」とは、誠のことである。湯王は、「人の心を洗濯して悪を去るのは、人が体を沐浴して垢を取り去るようなものだ」と考えたのだ。ゆえに、水盤にそう記したのである。その意味は、「一日、真摯に古い染み付いた汚れを洗って自らを新しくしたならば、その新しくなったものを用いて、さらに日々新たにし、また次の日も新たにしなければならない。決して休んだりしてはならない」ということである。
康誥(こうこう)には、「人民を新たに教化する」とある。
人民を鼓舞することを、「作(おこ)す」と言うのである。言うは、「自らの力で新たにした人民を奮い起こす」ということである。
詩には、「周は古い国ではあるが、いま新たに天命を授かったのだ」とある。
詩は、大雅文王の篇である。言うは、「周国は古いといえども、文王の代に至ってその徳を新たに明らかにして人民に施すことができて、はじめて天下を治めるべき天命を授かったのだ」ということである。
このゆえに、君子はいつなんどきでも、徳を最高に盛んにして、なおかつ疑いようのない至上の善を用いるのだ。
自らを新たにすることと人民を新たに奮い起こすことは、そのどちらも至善に止まることを求めるところにある。

以上は、伝の二章である。天下の人々を目覚めさせて新たにすることを説いている。

《原文》
湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。
盤、沐浴之盤也。銘、名其器、以自警之辭也。苟、誠也。湯以、人之洗濯其心、以去惡、如沐浴其身、以去垢。故銘其盤。言、誠能一日有以滌其舊染之汙而自新、則當因其已新者、而日日新之、又日新之、不可略有間斷也。
康誥曰、作新民。
鼓之舞之、之謂作。言、振起其自新之民也。
詩曰、周雖舊邦、其命維新。
詩、大雅文王之篇。言、周國雖舊、至於文王能新其德、以及於民、而始受天命也。
是故君子無所不用其極。
自新新民、皆欲止於至善也。

右傳之二章。釋新民。

礼記大学篇原文では、上のくだりが前の伝首章に続く。ここで「新」字を含む引用が三度表れて、これらは朱子の注するとおり「自ら新にすると民を新にする」の意であるといえるだろう。だからといって経の「親民」を「民を新にする」と言い換えるのは原テキストを並び替えた上で打ち立てた強引な解釈であり、後世の批判を受けても致し方のないことであった。

伝首章からのつながりに即して見れば、政治を執る者の心得として第一に己の徳を明らかに示し、第二に日々新たに天命を受託した心持で政務に励め、ということであろう。国は昨日と同じことを行えばよい、会社はこれまでの方針を繰り返していけばよい、という考えは自分の努めを放棄したも同然である。そのような考え方では、天命に従っているとはいえない。なぜならば天命とはまずは我が身を常によくしていくことであり、さらに進んで我が身の善を伸ばして世のために尽くすことだからだ。日々心を新たにして、日々刻刻と起こる新たな事件に目を光らせて知力を尽くして対処せよ。ここは、そのようなことを戒めていると受け取ってよいだろう。おそらくこの礼記大学篇は読者として古代帝国の官僚たちを想定していたであろうが、彼らのための戒めの言葉は現代の人への戒めと変わることはない。

ちなみに上の詩経大雅文王篇の言葉が、「維新」の出典である。中華では維新(=あらたに天命を授かる)と革命(=天命を受けた王朝をあらためる)とは同じ意味であるが、日本では王朝を改める「革命」は万世一系の国体からありえなかった。なので「古い歴史の国であるが、いま新たに天命を授かって国を作り変える」という意味の「維新」が選ばれたのであった。

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